細川元定

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細川元定
時代 戦国時代安土桃山時代
生誕 天文5年(1536年
死没 文禄4年(1595年1月5日
別名 勘左衛門(通称)、了安(法名)、仰斎紹高(号)
官位 上総介
幕府 室町幕府
氏族 細川阿波守護家
父母 父:細川政勝
全隆
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細川 元定(ほそかわ もとさだ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将細川阿波守護家出身。

概要[編集]

細川信良に扶助されていたという。天正9年(1581年)2月28日の織田信長による京都御馬揃えに参加している。同19年(1591年)には豊臣秀吉に仕え、山城国愛宕郡に所領を与えられた。

子孫は医師として江戸幕府に仕えた[1]

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ 『寛政重修諸家譜[1]