細川元隆

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細川元隆
時代 江戸時代
生誕 不明(正保3年(1646年)6月14日以前)
死没 不明(貞享4年(1687年7月10日以降)
別名 千松(幼名)、宗仙
幕府 江戸幕府
主君 徳川秀忠
氏族 細川阿波守護家
父母 父:坂上池院宗説、母:細川全隆
養父:細川全隆
兄弟 全隆の子:瑞益、称揚寺室、坂上池院宗説室
養子:桃庵
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細川 元隆(ほそかわ もとたか)は、江戸時代武士細川阿波守護家出身。

概要[編集]

12歳の時に徳川秀忠に仕え、万治元年(1658年)6月14日には家督を継承し医師として江戸幕府に仕えた。貞享4年(1687年7月10日致仕した[1]

実父は坂上池院家の宗説。坂上池院家は医師として代々室町幕府に仕えた坂家の一流で源頼光の末裔・源光信の五男・坂光角の末裔とされる。初代は九仏で、子の十仏が足利尊氏に仕えた。十仏からは士仏-起宗-大勇-嘉邦-進月-定国-光国-貴祐(惟天)-宗仙-宗説と続いた[2]

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ 『寛政重修諸家譜[1]
  2. ^ 香取俊光「江戸幕府の医療制度に関する史料(九)(その一)-坂四家の『官医家譜』など(一)-[2]