角田純男

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角田 純男(つのだ すみお、1948年1月17日[1] - 2023年1月11日[2])は、日本イラストレーター

来歴[編集]

1948年1月17日、母親の疎開先であった福島県塙町で生まれる。翌年、東京の下谷(現在の台東区豊住町)に戻る。1965年、東海電波高等学校卒業。1966年、桑沢デザイン研究所グラフィックデザイン科に入学[1]

1971年、早川書房の本のカバーを担当し、「SFマガジン」の編集長であった森優より声をかけられ、1973年1月号から1975年6月号までの「SFマガジン」の表紙画を担当する。1971年、ほるぷエージェンシーに入社し、デザインとコピーライターを兼務、1973年に退社。同年、毎日広告デザイン賞・公共福祉部門の二席を受賞する[1]

1975年頃よりハヤカワ文庫サンリオSF文庫作品のカバーイラストを多く手がけるようになる[1]。1980年から1987年にかけて星雲賞に5回ノミネートされる[3]。 また、1977年に創刊された『劇画アリス』の表紙画も担当した[4]

1986年から1993年にかけて、東京スポーツ連載の原康史「激録日本大戦争」の挿絵を担当した[1]

2023年2月1日、SFマガジン元編集長の今岡清が角田の訃報があったとツイッターで記入した[5]

本のカバーイラスト・挿絵[編集]

1970年代[編集]

1980年代[編集]

  • 猫城記(老舎著、サンリオSF文庫、1980年)
  • どこからなりとも月にひとつの卵(マーガレット・セントクレア英語版著、サンリオSF文庫、1980年)
  • コズミック・レイプ(シオドア・スタージョン著、サンリオSF文庫、1980年)
  • 歌の翼に(トマス・M・ディッシュ、サンリオSF文庫、1980年)
  • 宝石泥棒山田正紀著、早川書房、1980年)
  • セイレーン栗本薫、早川書房、1980年6月のち、ハヤカワ文庫JA、1982年5月)
  • キングとジョーカー(ピーター・ディキンスン著、サンリオSF文庫、1981年3月)
  • 夜明けのヴァンパイア(アン・ライス著、早川書房、1981年8月)
  • アトムの子ら(ウィルマー・H・シラス著、ハヤカワ文庫、1981年9月)
  • 生ける屍(ピーター・ディキンスン著、サンリオSF文庫、1981年11月)
  • メディア9(栗本薫著、徳間書店、1982年)
  • 時の追跡者 1,2(風見潤著、ソノラマ文庫、1982年10月,1983年12月)
  • 言葉使い師(神林長平著、ハヤカワ文庫、1983年)
  • 猫の尻尾も借りてきて(久米康之著、ソノラマ文庫、1983年)
  • 妖魔よ翔べ(清水義範著、ソノラマ文庫、1983年5月)
    • 妖魔を撃て(清水義範著、ソノラマ文庫、1983年7月)
  • ヨハネの剣(山田正紀著、講談社文庫、1983年)
  • サイキック戦争ウォーズ笠井潔著、講談社ノベルス、1986年)
  • 激録 日本大戦争(原康史著、全39巻、東京スポーツ新聞社、1978年~1993年[注 1]
  • 上弦の月を喰べる獅子(夢枕獏著、早川書房、1989年8月)

2000年代以降[編集]

  • 最終戦争/空族館(今日泊亜蘭著、ちくま文庫、2016年10月)
  • 光の塔(今日泊亜蘭著、ちくま文庫、2017年4月)

ほか多数

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 角田純男は1986年から担当とのこと。何巻からかは未調査

出典[編集]

  1. ^ a b c d e 大橋博之『SF挿絵画家の時代』本の雑誌社、2012年、pp.252-255
  2. ^ 今岡清 (2023年2月1日). “「Iですが」という電話があった。”. Facebook. 2023年11月7日閲覧。
  3. ^ 角田純男|文学賞の世界(2021年2月11日閲覧)
  4. ^ 亀和田武『雑誌に育てられた少年』(左右社、2018年)P.168
  5. ^ 今岡清 [@k_imaoka] (2023年2月1日). "イラストレータの角田純男の訃報が届いた。". X(旧Twitter)より2023年11月7日閲覧