谷素外

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谷 素外(たに そがい、1733年享保18年) - 1823年文政6年))は、江戸時代俳人談林派七世。号は一陽井

人物[編集]

1733年(享保18年)大坂の商家に生まれ、壮年のころ江戸に下り、神田お玉ヶ池に住居した[1]。俳諧は当初建部綾足(俳号涼袋)門だったが、後に江戸談林派小菅蒼孤につき、一陽井素外と号した[1]。師亡き後に江戸談林七世と称し、西山宗因に始まる談林俳諧の興隆に尽力した[1]中村仏庵山本北山沢田東江加藤千蔭柳亭種彦など、多くの江戸文人と交友があり、門弟には大名や浮世絵師も名を列ねた[1]。1806年(文化6年)、娘の素塵を点者に立てて、自身は著述に没頭した[1]。1823年(文政6年)2月8日没、享年91歳[1]

台東区慶養寺にその墓が残っている[2]東京都品川区利田神社に残る鯨塚には「江戸に鳴る、冥加やたかし、なつ鯨」という素外の句が刻まれている[3]

酒井藤吉日本浮世絵博物館旧館長)は、東洲斎写楽の正体の一人とする説を提出している[4]が、この説は後に中野三敏の研究[5]などによって否定された。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 谷素外寿碑 台東区ホームページ ”. www.city.taito.lg.jp. 2020年5月26日閲覧。
  2. ^ 谷素外墓碑 台東区ホームページ ”. www.city.taito.lg.jp. 2020年5月26日閲覧。
  3. ^ 利田神社・鯨塚”. しながわ観光協会 (2018年3月12日). 2020年5月26日閲覧。
  4. ^ 『"写楽"実は俳人"谷素外"』(『読売新聞昭和44年10月16日号)
  5. ^ 中野三敏『写楽 江戸人としての実像』中央公論新社、2017年2月。 

関連項目[編集]