贖いの賜物

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贖いの賜物(あがないのたまもの)とは、ジョン・ドーソンの説で、神がそれぞれの都市に与えた賜物のことである。「贖い」「賜物」それぞれの単語そのものは他教派でも使われるが、セットでこのように用いられる事はあまり無い。キリスト教聖霊派福音派の中で議論されている[1]。本記事は、ドーソンの説を紹介する。

ドーソンは、「すべての都市には、その都市を通して主が成し遂げようとしている尊い御計画が、いったいどのようなものであるかを暗示する賜物が注がれている。」[2]という。

悪魔は何も創造する事ができないので、神が与えられた贖いの賜物を悪用して罪を犯させる。ニューヨークに与えられた贖いの賜物は自由と希望であるが、成功の誘惑と残忍さ、絶望を与えている。アムステルダムに与えられた贖いの賜物は避け所であったが、悪魔は麻薬や売春を合法化させた。エルサレムに与えられた賜物は平和と讃美であるのに、紛争が起こっている。ロサンゼルスに与えられた贖いの賜物は、コミュニケーション、メッセンジャーとしての賜物であるが、それが悪用され、汚染された情報、娯楽を世界に発信している。悪魔は都市だけでなく、人間に与えられたよい賜物も悪用して罪を犯させるという。

ドーソンは神は各都市に天使を配置したとし、その例にダニエル12:1、第二列王記6:16-17をあげる。ピーター・ワグナーは『霊の戦いの祈り』でこの説に同意している[3]

脚注[編集]

  1. ^ 笹井大庸キリスト教と天皇(制)』マルコーシュ・パブリケーション社
  2. ^ ジョン・ドーソン神のために都市を奪回せよマルコーシュ・パブリケーション社 p.45-46
  3. ^ ピーター・ワグナー『霊の戦いの祈り』マルコーシュ・パブリケーション社p.246