養老町立高田小学校

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養老町立高田小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 養老町
設立年月日 1873年
閉校年月日 1967年
共学・別学 男女共学
所在地 503-1314
岐阜県養老郡養老町高田231-1[注釈 1]
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養老町立高田小学校 (ようろうちょうりつ たかだしょうがっこう)は、かつて岐阜県養老郡養老町に存在した公立小学校

概要[編集]

  • 旧・高田町の小学校であった。1967年、養老小学校に統合され廃校。
  • 跡地は養老高田平成記念公園となっている。

沿革[編集]

  • 1873年(明治6年)3月12日 - 島田村に藍田小学校が開校。島田村、押越村、直江村五日市村、竜泉寺村の児童が通学する[注釈 2]。田代説教場[注釈 3]を仮校舎とする。
  • 1883年(明治16年) - 烏江村に明倫学校が開校。校区は烏江村、上屋村、西大外羽村高淵村江月村
  • 1886年(明治19年)11月 - 藍田小学校が島田簡易科小学校に改称する。元製糸工場を校舎とする。
  • 1888年(明治21年) - 島田簡易科小学校が島田尋常小学校に改称する。
  • 1889年(明治22年) -
    • 島田村が町制施行。高田町が発足。
    • 明倫学校が烏江尋常小学校に改称する。
  • 1891年(明治24年)5月1日 - 島田尋常小学校が高田尋常高等小学校に改称する。簡易科を設置。
  • 1892年(明治25年)4月1日 - 買い取った民家に移転。
  • 1893年(明治26年)3月 - 校舎を新築し、移転。簡易科を廃止。
  • 1894年(明治27年)5月 - 烏江尋常小学校が烏江尋常高等小学校に改称する。
  • 1897年(明治30年)
    • 4月1日 - 高田町、烏江村、養老村の一部(押越)と合併し、改めて高田町が発足。
    • 4月1日 - 高田尋常高等小学校が烏江簡易科小学校を統合する。烏江分教場を設置。この時点での校区は高田町・多芸村の一部(直江)。
  • 1901年(明治34年)4月[注釈 4] - 高田尋常高等小学校に養老村沢田尋常小学校石畑尋常小学校、及び多芸村大墳簡易科小学校が統合される。高田尋常高等小学校は高田町多芸村養老村の組合立の学校となる。この時点での校区は、高田町・養老村・多芸村の一部(北大墳・直江)[注釈 5]
  • 1902年(明治35年)4月[注釈 6] - 高田町多芸村養老村の学校組合が解消され、沢田尋常小学校石畑尋常小学校が分立する。高田尋常高等小学校は高田町の学校となる。多芸村の北大墳地区、直江地区の委託は継続し、さらに多芸村の多岐地区を委託する。
  • 1903年(明治36年) - 校舎を増築する。
  • 1914年(大正3年) - 多芸村直江地区の委託を解消。
  • 1915年(大正4年)4月22日 - 農業商業裁縫補習学校を併設する。
  • 1921年(大正10年) - 多芸村に多芸尋常小学校が開校し、多芸村の北大墳地区、多岐地区の委託を解消。
  • 1923年(大正12年)4月 - 農業商業裁縫補習学校が農商補習学校に改称する。
  • 1931年(昭和6年) - 烏江分教場を廃止。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 高田国民学校に改称する。
  • 1943年(昭和18年) - 校舎を新築する。旧校舎を移動させる。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 高田町立高田小学校に改称する。
  • 1949年(昭和24年)5月25日 - 校舎の一部を養老郡学校組合立高田中学校に譲渡する。
  • 1954年(昭和29年)11月3日 - 高田町養老村上多度村広幡村池辺村笠郷村小畑村、多芸村、日吉村合原村の一部と合併し、養老町が発足。同時に養老町立高田小学校に改称する。
  • 1967年(昭和42年)3月31日 - 養老小学校に統合され廃校。

脚注[編集]

  1. ^ 現在の住所表記
  2. ^ 竜泉村は積流第二義校へも通学。
  3. ^ 現在の養老町高田に存在した寺院。
  4. ^ たか田(たか田編纂委員会 1954年)では1897年9月10日。尚、同書では1899年12月12日に養老村に分教場が設置されたという記述がある。
  5. ^ 多芸村の他の地区は小畑尋常小学校日吉尋常小学校への通学。
  6. ^ たか田(たか田編纂委員会 1954年)では1901年3月。

参考文献[編集]

  • 養老町史 通史編 上 (養老町 1982年) P.803 - 892
  • 養老町史 通史編 下 (養老町 1982年) P.13 - 19
  • たか田 (たか田編纂委員会 1954年) P.56 - 63

関連項目[編集]