鬼の釜古墳 (池田町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鬼の釜古墳

墳丘・石室開口部
別名 鬼ノ釜古墳
所在地 長野県北安曇郡池田町池田堀之内(字塚穴)
位置 北緯36度26分8.75秒 東経137度53分2.05秒 / 北緯36.4357639度 東経137.8839028度 / 36.4357639; 137.8839028座標: 北緯36度26分8.75秒 東経137度53分2.05秒 / 北緯36.4357639度 東経137.8839028度 / 36.4357639; 137.8839028
形状 円墳
規模 直径12m
高さ2.5m
埋葬施設 無袖式横穴式石室
出土品 琴柱形滑石製品・鉄製品・須恵器土師器
築造時期 6世紀末-7世紀初頭
史跡 池田町指定史跡「鬼の釜古墳」
地図
鬼の釜古墳の位置(長野県内)
鬼の釜古墳
鬼の釜古墳
テンプレートを表示

鬼の釜古墳(おにのかまこふん、鬼ノ釜古墳)は、長野県北安曇郡池田町池田にある古墳。形状は円墳。池田町指定史跡に指定されている。

概要[編集]

長野県北部、中山山地の西麓段丘上(標高682メートル)に築造された古墳である。1970年昭和45年)に調査が実施されている。

墳形は円形で、東西12メートル・南北11.5メートル・高さ2.5メートルを測る[1]。墳丘外表では人頭大の石による葺石が認められるほか、墳丘周囲には外護列石が巡らされる[1][2]。墳丘周囲で周溝は認められていない[1]。埋葬施設は無袖式の横穴式石室で、南南東方向に開口する[1]。石室内は盗掘に遭っているが、調査では琴柱形滑石製品・鉄製品・須恵器片・土師器片が検出されている[1]。築造時期は古墳時代後期-終末期6世紀末-7世紀初頭[2](または7世紀初頭-中葉[1])頃と推定される。

古墳域は1970年昭和45年)に池田町指定史跡に指定されている。

遺跡歴[編集]

  • 江戸時代初頭頃、石室が開口か[2]
  • 1878年明治11年)時点ではすでに石室の開口[1]
  • 1970年昭和45年)、清掃・調査(池田町教育委員会、1977年に報告書刊行)[2]
  • 1970年(昭和45年)4月1日、池田町指定史跡に指定。
  • 1977年(昭和52年)、石室補修復元工事(池田町教育委員会)[1]

埋葬施設[編集]

石室パース図
石室展開図

埋葬施設としては無袖式横穴式石室が構築されており、南南東方向に開口する。石室の規模は、長さ5.2メートル、奥壁幅1.8メートル、開口部幅1.8メートル、奥壁高さ2.05メートルを測る[1]

玄室の奥壁は2段積みで、大型の石材の上に比較的小さい石を載せる。側壁は小ぶりの石を用いた7段の乱れ積みである。玄室の天井石は3枚。玄室と羨道の境には、立石が設けられる[1]

文化財[編集]

池田町指定文化財[編集]

  • 史跡
    • 鬼の釜古墳 - 1970年(昭和45年)4月1日指定。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j 池田町誌 歴史編I 1992.
  2. ^ a b c d 史跡説明板。

参考文献[編集]

(記事執筆に使用した文献)

  • 史跡説明板(池田町教育委員会、1990年設置)
  • 「堀之内村」『日本歴史地名大系 20 長野県の地名』平凡社、1979年。ISBN 4582490204 
  • 「鬼の釜古墳」『池田町誌 歴史編I』池田町、1992年。 

関連文献[編集]

(記事執筆に使用していない関連文献)

  • 『鬼の釜古墳発掘調査報告書』池田町教育委員会、1977年。 

外部リンク[編集]