1886年のマドリードの竜巻

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1886 年のマドリードの竜巻(Tornado de Madrid de 1886)とは、1886年5月12日に、スペインの首都マドリード市南部で発生した竜巻、又は、自然現象である。

現象[編集]

この現象は、マドリード市では、当時、未だ郊外であった南西から北東に進み、カラバンチェル・アルト(Carabanchel Alto-現在マドリード市の南西部)にて、竜巻が発生した[1]。これは、また、カラバンチェル・バホ(Carabanchel Bajo、前述よりやや南側)や、当時のマドリード市にも影響し被害を発生させた。

アウグスト・アルシミス (Augusto Arcimís) の表した1886年5月22日の評論「ラ・イラストレーション・エスパニョラ・イ・アメリカ」(La Ilustración Española y Americana) [2]によると、その日に、2つに分かれた竜巻があったと詳しく記されている。1つは、 カラバンチェル・アルトの近くから、午後6時50分に発生し、もう1つは、午後7時1分に始まった。

被害[編集]

被害は、人命、家屋、庭園、公園、建築物等で、具体的には、以下の様に、現在は観光地として知られる地点が被害に遭った[3]

  • マドリードとカラバンチェルの間の、当時、比較的新しかった集落では、家屋や宿屋、木々などが破壊された。
  • トレド門近辺では、竜巻は、トレド橋とトレド門を通った。帝国の洗濯場では、犠牲者の中では、女性が多かった。
  • アトーチャ駅付近では、駅の建物は頑丈で被害は無かった。また、現在のソフィア美術館のある地点では、その前に、新しく開設された店の建物があったが、かなり破壊された。ここには、低所得層の為の料理店があり、丁度、多くの人々がいたが死人は出なかった。多くの怪我人は、現ソフィア美術館の場所にあった病院へ運ばれた。
  • 植物園とレティロ公園では、100本以上の木が倒壊したり枝が折れたりした。同公園では、現在クリスタル宮殿として知られる建造物があったが、かなりの被害を受けたものの、後に再建された。レティロ公園にあった、良きレティロ宮殿は、改装中であって、素材や足場などに大きな被害が出た。
  • 人的被害は、いくつかの資料によると47名の死者が出たという [4]。被害者は、家屋や塀に隠れていたが、これが壊れたことで被害にあった。この多くは女性であった。

その後、損壊した中から、フィロメナという15歳の少女が救出されたことで、良いニュースとして当時の新聞で伝えられた。後にこの名は、21年に起こったマドリード市での積雪現象の名前にもなった。この現象は、当時の科学者には、竜巻としてというよりは、サイクロンの通過と捉えられた[5]

芸術に見られる1886年の竜巻
_彼らの中にいるよ。テレサ・コネホ、あなたに千レアルを貸してあげた時のようにね、そして、牢屋にあなたが入るのを助けてあげたでしょう。…覚えていないの。それは、サイクロンのあの年、あの日の事だよ。植物園の木々が根こそぎになった・・・
Benito Pérez Galdós.、Misericordia (1897)、[6]

引用[編集]

  1. ^ Gayà, Miquel. “https://divulgameteo.es/uploads/Tornado-Madrid-1886.pdf”. divulgameteo.es, ed. 2024年4月30日閲覧。
  2. ^ El tornado del12 de mayo”. En Hemeroteca Digital Biblioteca Nacional de España, ed.. 2014年4月30日閲覧。
  3. ^ 12 de mayo de 1886 Un tornado llega a Madrid”. Un Sereno Transitando la Ciudad. 2024年5月3日閲覧。
  4. ^ Madrid, 1886: Un tornado similar al de Oklahoma deja 47 muertos”. Periódico ABC. 2024年4月30日閲覧。
  5. ^ Noguès, A. F.. “Le Cyclone du 12 Mai a Madrid”. La Nature. Revue des sciences et de leurs applications aux arts et à l'industrie. 2024年4月30日閲覧。
  6. ^ ウィキソース出典  (英語) Gaya,2007, ウィキソースより閲覧。