Category‐ノート:日本の陸軍軍人

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初期の対話[編集]

この項目に、梶山静六や後藤田正晴も加えるべきでしょうか。二人とも戦前は職業軍人で陸軍大尉までなった方です。然し政治家としての活躍の方が有名です。以上の署名の無いコメントは、代言人(会話履歴)さんによるものです。

⇒ 私見ですが、瀬島龍三も載ってるぐらいですので、同じく陸士卒の梶山静六は問題ないと思います。ただ、後藤田正晴は幹候とはいえ徴兵での入営ですので、除外した方が良いと考えます。基準としては、「職業軍人であったかどうか」ではいかがでしょうか?(Kaba 2005年12月3日 (土) 17:24 (UTC)[返信]



加藤保太郎(かとうやすたろう、明治19年(1886年)9月11日 - 昭和43年(1968年)8月19日)は大日本帝国陸軍の軍人。最終階級は陸軍少将。滋賀県出身。

滋賀県犬上郡豊郷村四十九院の農家、加藤甚弥・ふさの次男に生まれ、苦学して彦根中学卒業後、陸軍軍人となる。陸士同期に石原莞爾飯村穣、陸大同期に井出宣時、町村量基、後宮淳、牟田口廉也らがいる。「先入主に陥らぬこと」を旨とし、一貫して英米との協調路線を説いた。

[編集] 軍歴 1909年(明治42年)7月 陸軍士官学校卒業(21期) 12月 陸軍歩兵少尉・歩兵第53連隊附 1913年(大正2年)2月 陸軍歩兵中尉 1913年(大正2年)12月 奈良連隊区司令部付 1914年(大正3年)12月 陸軍大学校入学 1917年(大正6年)12月 陸軍大学校卒業(29期) 1918年(大正7年)9月 第一鉄道線区司令部部員、釜山、奉天、長春に出張 1919年(大正8年)4月 歩兵第53連隊中隊長職務心得 1919年(大正8年)7月 陸軍歩兵大尉 1919年(大正8年)9月 野戦交通部部員 1919年(大正8年)11月 ウスリー支部付(ウラジオストク) 1920年(大正9年)7月 歩兵第52連隊付 1921年(大正10年)3月 陸軍士官学校本科教官 1923年(大正12年)8月 澎湖島要塞参謀 1924年(大正13年)12月 兼馬公要港部参謀 1925年(大正14年)3月 陸軍歩兵少佐 1927年(昭和2年)3月 歩兵第12連隊大隊長(丸亀) 1929年(昭和3年)3月16日 陸軍歩兵中佐 同日 近衛歩兵第3連隊付成城高等学校服務 1932年(昭和7年)8月8日 歩兵第20連隊付(福知山) 1934年(昭和9年)3月5日 陸軍歩兵大佐 同日 第12師団司令部付九州帝国大学服務 1936年(昭和11年)3月7日 山口連隊区司令官 1938年(昭和13年)3月1日 陸軍少将・待命 1938年(昭和13年)3月25日 予備役 --Namuamidabutu 2008年5月6日 (火) 13:39 (UTC)、2008年5月9日 (金) 15:13 (UTC)編集[返信]

大正13年12月のは「馬公要塞部」ではなく、海軍の馬公要港部でしょうね。あと、「日本陸軍将官辞典」では昭和11年3月7日山口連隊区司令官、昭和13年3月1日陸軍少将・待命、昭和13年3月25日予備役とあります。--代言人【右】 2008年5月8日 (木) 20:05 (UTC)[返信]


江戸家猫八 (3代目) この人がここに分類されている意味がわかりません。 修正した方がいいのでしょうか?--Saki yanagawa 2009年4月5日 (日) 10:20 (UTC)[返信]

カテゴリ:大日本帝国陸軍軍人[編集]

もともと、大日本帝国陸軍時代の軍人のカテゴリとして発足した当「カテゴリ:日本の陸軍軍人」ですが、「カテゴリ:幕末の陸軍の人物」と「カテゴリ:陸上自衛官」が下位に入ったために、日本における近代的な陸軍の軍人全体を包含するカテゴリと位置づけが変化しています。そのため、当初の意味でのカテゴリとして、下位に「カテゴリ:大日本帝国陸軍軍人」を設置し、現在直下に入っている人物をそちらへ移動することを提案します。--rshiba 2010年5月25日 (火) 03:18 (UTC)[返信]

1週間経過しました。念のため、あと1週間経過してから作業にかかります。--rshiba 2010年6月1日 (火) 07:42 (UTC)[返信]