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工藤 静香は、日本歌手女優タレント宝飾デザイナー画家。元おニャン子クラブのメンバーで、夫はSMAP木村拓哉

青森県出身の板前の父と美容師の母の下、幼少期を青森および羽村市で過ごす(青森は工藤姓が一番多い)。小学生の時には劇団「東俳」に所属。

1984年、中学2年の時に応募総数歴代最大18万325人の第3回「ミス・セブンティーンコンテスト」に出場し、特別賞を受賞。同コンテストの出場者には、後に同じグループとなる国生さゆり渡辺満里奈のほか、渡辺美里松本典子網浜直子麻倉あきらなどがいた。

高校へ進学後の1986年5月、事務所の勧めでフジテレビ系『夕やけニャンニャン』のオーディションコーナー・「ザ・スカウト アイドルを探せ!」に出場。合格を果たし、おニャン子クラブの会員番号38番となる。既に歌手活動をしていたことやモモコクラブのメンバーであったことが知られたが、突出した玄人っぽさを見せることは無く、クイズ等で見せる「バカキャラ」(自ら「だってあたしバカなんだも〜ん」と発言したこともある)や「ヤンキーキャラ」(バイクが大好きと公言など)で注目されるようになる。10月には渡辺満里奈のソロデビュー曲「深呼吸して」で生稲晃子とともに“withおニャン子クラブ”としてバックコーラスを担当する。

1987年春からは、生稲晃子斉藤満喜子ともに内部ユニット“うしろ髪ひかれ隊”としての活動も開始。直後に発売されたおニャン子のシングル「かたつむりサンバ」ではフロントボーカルに抜擢されるなど、終焉に向かっていたおニャン子クラブの中で人気、知名度を上げていく。セブンティーンクラブやおニャン子クラブの事を隠し立てはしておらず、テレビ番組のトーク等で話題にすることもある。木村亜希と清原和博の結婚を木村本人から報告を受けたといい、おニャン子時代のエピソードを話すこともある。コンサートで「会員番号の歌」の自身のパートを歌ったり、NHKふたりのビッグショー』(共演は工藤のモノマネを得意としていた森口博子)で「セーラー服を脱がさないで」の一節を振りつきで披露した事もある。おニャン子クラブは学業最優先が原則であったが、工藤はあまり真面目に学校へ通っていなかったことを後に告白している。おニャン子時代「くーにゃん」という愛称があったが、本人曰く「くーにゃんと呼んでほしくない」とニッポン放送のラジオ番組関根勤のTOKYOベストヒットで公言している。

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