Wikipedia‐ノート:コメント依頼/過去ログ1

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

2004年10月26日[編集]

あるジャンルの執筆方針を支えている参考文献の内容確認について、議論をこのジャンルの主たる編集者である方にお誘いしていますが、お返事が頂けないようで悩んでいます。ただ、お返事をいただけていないだけで、対話不成立の要件を満たしていないのでコメント依頼にも載せられず、どうしようかと思っているのですが、どなたか議論を促進するよい知恵をお持ちの方はぜひ私のノートで教えてください。(一応メッセージをお伝えした後もログイン、活動されていることを確認していますが、その方の個人的なご都合でお返事が送れている可能性も考え具体的な内容は伏せました)--Gleam 2004年10月25日 (月) 16:21 (UTC)

いまの日本語版のコメント依頼はだいぶ使いづらいですね。英語版では「対話不成立」ではなく、論争の膠着もコメント依頼にのせています。本来、関係者だけで結論が出せないときに広く意見をつのるためのものですので、そのあたりを書き換えて載せてしまってもよいのじゃないかと思います。個人名を挙げた論争の場合はつるし上げになりかねないので、逆に英語版のように掲載候補→承認といった手続きもいるかと思いますが、記事名の論争や執筆方針の対立では、逆に対話決裂の後では進む話も進まなくなるのじゃないかと思います。いかがでしょうね。直接のお返事になっていなくて申し訳ありません。--Aphaea* 2004年10月26日 (火) 08:30 (UTC)

コメント依頼改良の提案[編集]

現在、割合に執筆方針の対立が目立つ気がする割にはこのページが有効に使われていないように思います。また管理者関係では悪戯とも思われる使い方が目立つようです。そこで他の言語版の動向なども見て二点の提案を行います。

  • 記事名の論争、執筆方針の対立など:対話が成り立っていない場合のみ、ではなく、対立がある(が結論に至らない)ものにも掲載範囲を広げる
  • 個人名および管理者の行動
  • 個人名は掲載候補→コメント募集の二段階にし、複数人の賛成があった場合にのみコメント募集に移動する。1週間たっても2名以上の賛成がないものは掲載候補から除去する。
  • 管理者の行動についても同様。
  • 管理者の行動は管理権限をめぐるもののみを取り扱う。ただし解任請求によるコメント募集はこの限りではない。

ご意見をお待ちします。--Aphaea* 2004年10月26日 (火) 08:30 (UTC)

数ヶ月間、議論が紛糾しがちなジャンルを編集した結果得た印象を込めて、遅まきながらコメントします。enでは自分の会話ページで行っているささやかなvoteなどについても、コメント依頼で公告することを「コメント依頼」と呼んでいて、その中で特定ユーザーの行いについて紛糾した際にサブページを切っているのですね。jaでは「コメント依頼」という言葉がなにやら会話拒否によるブロックの前段階のような心証を与えていて(自分も遠からずそういった印象を持っていたと思います)、使いにくいのかな、と思いました。ただ、現状のjaはコミュニティーポータルを主な公示場所に使っていますので、あまりenのようなニーズはないのかもしれません。どちらかというとjaではWikipedia:整理依頼が機能不全になっているような気がするので、記事に関する対立や深刻なNPOV問題については整理依頼を使うことにして、あちらをてこ入れするのも一案かもしれません。(整理依頼もいい名前ではないなぁ、と思いますが…難しいな)
二段階制は制度を無視してサブページを作られた場合に即時削除などするのか、といったような詳細を考えると難しいような気がします。管理者の行動については、結局いま管理者になると執筆活動が相対的に減ってしまうといった構造的な問題があって、「これは管理者の行動ではなく一執筆者として」という論理が通じない、という理不尽さはわからなくもないのですが、管理者の保身とも受け取られそうな気がするので、管理行為についてとはどのような範囲を意味するのか、補足的に書くに留めるべきだと思います。(例えば{{即時削除}}などのテンプレートを貼ること自体を、管理行為と誤解されている方は少なくないでしょう)--Gleam 2005年1月8日 (土) 17:43 (UTC)
en の RFC は使いやすいですね。特にもめているというわけではないが結論の出せない項目名移動などを数点かかえていると「紛争が激化したときだけ」という今の ja のコメント依頼はちょっと使いづらいなという気がします。NPOV dispute はそもそもページがないのも問題かと思います。このあたりはもう少し整備されてもいいですね。もっとも適切な加筆なりコメントなりをする人がいないとこういうページは回っていかないのですが。
管理者になるとページの執筆自体はそれ以前より減るというのは、jawp だけに限ったことではないので仕方ないだろうと思います。ただまったく sysop access と関わりないことまで「管理者の行動」という範疇だとそれこそ政争の具にされるだけのような気もするので歯止めはあったほうがいいと思います。後発の強みは先行者の愚を繰り返さなくてすむことだろうと思いますので。管理行為一般とメンテナンス一般はかさなりつつずれるところもあるのでそれは用語を工夫するのがよいでしょうね。
管理者が執筆に回れないというのは、しかし管理行為に関係する人が増えれば解消する問題でもあるので、それは管理者をしている人が呼びかけるのが一番よいでしょう。nlwp あたりは積極的に管理者が推薦というよりも就任のお願いをして成功していますね。実際のところ管理行為に関係していない人には管理リソースの不足やあるいは管理系文書の不備というのは分かりづらいんじゃないかとも思います。これは余談。
以上署名を直すついでのコメントでした。--Aphaea* 2005年1月8日 (土) 18:10 (UTC)

以前の提案から半年近くがたっていますが、「ステップ1が失敗した場合のみ」というのは使いづらい原因のひとつかなと思います。これはいまも変わっていません。 以前は英語版でもこうだったようなのですが、英語版ではこれは緩んで個別の話し合いは推奨のレベルに引き下げられているように思います(つまり、いきなりコメント依頼には出さない、まず個人的に話しあってみろ、ということ)。

そしてそれはまことにもっともなのだけれど、「失敗した」かどうかは人によって判断が分かれるところなので、まずは話をしてみてらちがあかなくなったら、第三者の意見を求める、という道も開かれていていいように思います。その場合にはTalkにリンクするということがあってもいいでしょう。
なお英語版では「重大な方針違反」のときにサブページをつくる、となっていて、なんでもサブページに、とはなっていません。ご参考までに。

--Aphaia 2005年6月5日 (日) 15:52 (UTC)

ご参考までに、このコメント依頼の初版は英語版から枠組みをそのまま持ってきたものです。日本語版で運用されてから結構時間がたってますし、英語版もその状況に合わせて変化しているようですね。 日本語版上で問題解決が出来ない(または、難しい)ならばコメント依頼の存在価値がありませんので、運用しやすい形でどんどん変更していった方がよいと思います。--Michey 2005年6月5日 (日) 15:56 (UTC)

そうですね、「その他」の繁盛振りをみると変更したほうがいいように思います。とくに手を加えることに意味がありそうなのは

議論が行われているノートページにのみリンクしてください。ここに掲示できるのは論争の解決のステップ1論争の相手と話し合うが失敗した場合だけです。エチケットは守ってください。……

(項目に関する論争、より。強調は引用者による) の部分でしょうか。これを一段弱めて、

次の場合には、ここに掲示することが適切だと思われます。
  • 論争の相手と直接話しあいをもったが、膠着状態に陥っていると感じるとき。
  • 議論の結論が当事者だけではつかず、膠着状態に陥っていると感じるとき。
  • 項目または文書の改善についてノートページで提案を行い、広く反応がほしいとき。

「論争の解決のステップ1 論争の相手と話し合うも参照してください。

とすることで、少しは使いやすくなるかなと思います。

個人関係は、かなりいろいろな混乱があるので、少し過去の事例をどなたかが整理されたほうがよいようにも思いますがl、わたくしからもいくつか提案を。

  • 当事者間の合意があるときのみ、Talkへリンクを許すとしたほうがよいように思います。
  • コメント依頼の性格をはっきりさせる。誰が何に誰に向かってコメントをもとめるのか、ここの時点で混乱があるように思います。
    私の理解するところでは、WikipediaでのRfCというのは「依頼者がコミュニティにコメントを求める」のであって、コメント依頼の名指している人にコメントを求めるために存在しているのはない、のですがそうは思っていない人もいるようにも思います。特定個人にコメントを求めるには普通はトークまたはメールを使うものだと理解しています、。特に、ログインユーザに関しては、トラブルの解消にはメールが推奨されています。その端的な例は法的紛争に関する指針(法的脅迫をしない)で、これはウィキペディアンの間で法的紛争があるときには、すべてをメールの交換によって処理することを奨励しています。
    こうした混乱は機能不全の原因となりえると考えており、これが正しい認識かはともかくとして、趣旨と対象を明確にすることは利用状況の改善につながるのではないかと思います。
  • 参考までに英語版の状況を申し上げますと、現在、個人へのサブページを使ったコメント依頼は、48時間以内にコメント依頼の主題に承認が与えられなければ自動的に即時削除対象になります。しかし有効と承認されたものでも、少なからぬ量のコメント依頼はこで名指しされた当事者からは少なくとも表面上は黙殺されるということがあります(当事者間でメールのやりとりなどあるのかもしれませんが、たんなる読者にはわかりません)。これはそのあとに仲裁委員会や裁定委員会というさらなる装置があるからかもしれませんが、コメント依頼の性格づけを端的にあらわすように思います。ある人が意見をなんらかの主題に関してコミュニティに対して求めるのであって、その主題がたまたま誰か第三者の行動であることがありえる。と。別に裁判やら召還(という言葉を使った方がどこかのページでおられたように記憶していますが)の場ではないということですね。もちろんコミュニティの結論は尊重されるべきですので、その結果をその人にコミュニティからの要望として、強制力のあるなしに関わらず伝えるということはありえることだと思います。
  • 管理者の行動、については以前提案をして、Gleamさんからやや否定的な反応をいただきました。管理行為(これが何を指すのかも問われたのですが、そのときは管理者権限の直接的行使だけを考えていました。削除、復帰、削除アーカイブ閲覧、ブロック、ロールバック、このあたりですね)保身とみられかねないというのですが、確かに、管理者の方からは「管理者の行動」というような区切りをやめてほしいとはいいだしかねるものがあるかもしれません。あるいは他の利用者と混ぜて、一行説明に必要時に「管理者権限の行使をめぐりコメントを募集」とするのもよいのかもしれません。
    私は自分の経験から管理者権限というのは一部の人が考えているように見えるほどたいしたものではない(Jimmy Walesは”It's not a big deal"といってますね)と考えていて、その結果についてもそう考えています。何をやろうが復元はできると(むしろ不行使による二次的で可能的な被害のほうがよほど重大なように思います)。ですけれどその行使にはある種の繊細さが求められるということも事実だと思っています。一方JAWPではなぜだか管理者というのが極端なまでに重要視されているように感じることがあります。本来の業務と関係のない仲裁やら運営での指導的な役割やらを期待する人がいるようで、そして管理者だけを別記するというのは、あるいはそうした傾向に拍車をかけることになるのかな、と思わないでもありません。まあ別欄にする利点もあるとは思いますので、他とはことなり、これはそうは強い主張ではありません。

他の方にもご意見がおありでしょうから、それをぜひお伺いできればと思います。--Aphaia 2005年6月5日 (日) 17:53 (UTC)

使用状況から考えて書き換えても問題ないと思い変えてみました。管理者の行動云々があるのは過去にWikipedia:管理者などに直接管理者非難のコメントが書かれ、迷惑だったので私が増設したものが由来です。現状では特に分ける必要は無いでしょう。--Michey 2005年6月17日 (金) 15:12 (UTC)

コメント依頼の運用改善案[編集]

コメント依頼の議論が発散して、機能していない例が多く見られます。改善のため、以下のような改訂を提案します。

依頼者・発言者への注意文の追加[編集]

冒頭段落[編集]

第3段落に、以下を追加

  • 「しかし、コメント依頼手続きは「議論へのお誘い」ではありません。依頼者は寄せられた第三者からのコメントを熟読し、議論終結に努力することが求められます。」

見ていると、寄せられたコメントについて次々と反論していくような事例があります。コメントする人は善意でコメント依頼に応じているわけで、依頼者がいちいち論破することを試みるなら、コメントをする気が失せる人も多いことでしょう。あくまで、議論の中立化のために他者のコメントを求めるべきです。そういう意味では、説明文から「議論」という言葉を除くべきかもしれません。

「コメント依頼に対応するとき」の注意文[編集]

3項目目に、以下を追加。

  • 論争の当事者は、寄せられた第三者の意見が希望と異なるものであっても、第三者のコメントとして尊重すべきです。コメントを書いた人と新たな論争を始めるべきではありません。

冒頭文のものと同趣旨で、具体的な注意として示すためのものです。

コメント依頼の手順の変更[編集]

コメント依頼が紛糾しないために、以下のような手順を導入する。これは管理者の信任手続きのフェーズ制からアイディアを借用したものです。

1. コメント依頼フェーズ

  • 依頼から168時間(1週間)、コメントを受け付ける。
  • コメントは有資格者のみ(とりあえず、ブロック依頼の有資格者レベルで良いと思います。活動履歴のカウント起点はコメント依頼時点)
  • コメントに対するコメントは、事実誤認や誤記訂正など客観的に指摘可能なもの以外は極力避ける。
    • メモ:判定が難しいので「禁止」とまで言うのは難しいと思いこのような表現に。具体的には「~さんの~という発言は~で(以下個人批判)」というような展開を避けたいので、もっと良い案があればご提案を願いたく。
  • コメント依頼者は、事実確認など明示的な質問に対してだけ即時回答できる。但しコメンテータによる依頼者への誘導尋問は禁止。

2. コメント依頼者のまとめフェーズ

  • コメント依頼フェーズが終了後、依頼者は寄せられたコメントを検討して問題が解決したかどうかを表明する。
  • コメント依頼に関わる利用者が複数の場合、個別に表明する。
  • ここでも依頼者どうしの議論は禁止する。
  • 依頼者(複数の場合は個々の依頼者)がコメントに納得した場合には、依頼の終結を宣言する。

3. 再コメントフェーズ

  • 依頼者(複数の場合は1人以上の依頼者)が納得しなかった場合、再度コメントを依頼できる。
  • 依頼者は、再コメントのための論点整理を行い、再依頼を宣言する。
  • 再コメント依頼は、コメント依頼フェーズの終了後5日以上経過した場合、例えコメント依頼者がコメントに納得していなくても失効する。
  • 再コメント期間は再依頼から168時間(1週間)
  • 再コメント時の注意は初回のコメント依頼フェーズと同じ

4. 終結フェーズ

  • コメント依頼者のまとめフェーズと同様に、依頼者は寄せられたコメントを個々に総括し、論争を終結できると感じたら終結宣言する。もし依頼者の誰かがコメントに納得できなかった場合、コメント依頼により解決は失敗したことになり、紛争の解決は次の手順に進む。
    • メモ:次の手順は未定義ですが、通例として投票による解決や、利用者の行為に関する問題の場合は投稿ブロック依頼が行われています。しかし、これらの手続きで問題がすべて解決可能とは言えないところが課題として残ります。あるいは、コメント寄稿者の合意があれば第三フェーズをやっても良いかもしれませんが、それには紛争当事者双方に一定の譲歩を求め、紛争を収拾できる可能性を高めてからにすべきと考えます。

まだ、検討不足の点もありますが、とりあえず叩き台(スタブ)として提案しておきます。sphl 2005年7月17日 (日) 08:53 (UTC)

コメント[編集]

  • 依頼者の立場が強すぎるように思います。とくに誰かが特定の利用者を名指しして始めた場合というのが考慮されていないように思います。そしてもっとも泥仕合になるのはそうした場合です。
  • 「当事者」の範囲が明確でないように思います。依頼者ではない人を当事者に含め、かつ依頼者に終了判定する権限を与えるというなら、英語版のような複数人による依頼申し立ての正当性の認定などの措置が必要ではないでしょうか。あるいは当事者とされる人全員の合意をもってはじめてスタートできるくらいにしたほうがよいかと思います。

--Aphaia 2005年7月17日 (日) 11:09 (UTC)

コメントありがとうございます。
  • 進行や終結権限についてはちょっと気になってはいたのですが、まとめている間に言及が抜けてしまいました。基本的には、1回だけ終結拒否できるが、2回目はできないようにしたことでバランスを取ったつもりです。進行役(議論には中立的な)を設定して、議事進行や終了権限を持たせると良いのですが、その人選に手間が掛かったりすると逆効果なので悩みどころです。
  • 開始条件については、投票や管理者の信任と同じように、開始時に準備周知期間を設けるるというのはどうでしょう。この期間に、当事者複数の場合には論点の整理(たぶん合意ができないことが多数と思われるので、そういう場合には各論併記になるでしょう)や参加者の確認などを行うものとします。スタートの合意ですが、これを全員一致にしてしまうと、そもそもコメント依頼そのものが成り立たなくなる危険性もありますから、何らかの条件を満たせば開始できるようにする必要性があります。
  • 最初は書くのを控えていたのですが、この方式で懸念される問題のひとつは、ユーザーの行動に関するコメント依頼の際、最初からそのつもりでコメント依頼を失敗させ、ブロック依頼に進む「お墨付き」に使うというような悪用の危険性があることです。その点も改善の必要があるかもしれません。
  • さしあたり以上です。この件あるいはその他について、どなたでも引き続きコメントお待ちします。sphl 2005年7月17日 (日) 14:46 (UTC)

だいぶ間が空いてるのですが、

  • コメントについては、Enのような、当事者および第三者が依頼された事態についてのみ「自分の観点からまとめたレポート」を提出し、その味方を支持するひとは署名、既存のもので満足できない人は、新たにレポートを追加というのも手かもしれません。そして依頼の対象にない事象、かつレポートに記述されていない事象については、コメントを除去する……もっともこれでも紛糾するときはしますので、万能の処方箋だとは考えませんが、非難合戦のはじまる率を軽減することには役立つと考えます。あとは、一切依頼についてのコメントのみにするとか(事実確認のための質問は許す)。
  • 1回のみ続行するかどうか意思表示を許すという発想については理解しました。ただ、この場合、複数人がかかわる場合には、依頼者だけでなく、関係者とされた人にも同じ権限を与えたほうがよいのではないでしょうか。依頼者の意向だけを優先するというのは、中立性にいささかかけるのではないかと思います。
    • 最近のことなんですが、ある言語版の管理者信任で、賛成/反対/中立が3/17/3で3日目に投票がいったん閉じられた後、候補者の要望で投票が再開されるということがありました。関係者が結論というか結果に満足していない状態で、第三者が終了宣言をすると、しこりがのこることもあるということでしょうか。
  • コメント依頼とブロック依頼のことですが、それはあまり厳重にしても意味がないのじゃないかな。というのはブロック依頼を出したい人はどうなっていても出すでしょうから。コメント依頼で心配してもしょうがないんじゃないかと。--Aphaia 2005年9月17日 (土) 07:17 (UTC)

項目名移動依頼?[編集]

項目名の移動だけを取り扱う文書を、コメント依頼と並行で立ち上げてはとおもいます。理由ですが

  • ノートの提案だけだと気づかれにくい/気づきにくい
  • 多くの項目に影響が出るので、できるだけ多くの声を集めるほうがよい
  • コメント依頼だと「問題」になってからという色彩が強いので、気軽には出しにくい人も多いのではないか
  • 移動の議論が出ているページを集約できればそれなりに便利

などがあるかと。

文書をつくっていつ掲示したか、提案されている移動先を署名で示すというのでよいように思います。 もっとも、「項目名について議論のあるページ」のようなカテゴリで代替することも可能かと思います。この場合付帯情報をいれることはできなくうなりますが。

ご意見をお願いします。--Aphaia 2005年9月17日 (土) 07:17 (UTC)

改名の議論をするページを、という趣旨だと理解してコメントします。ノートの提案でだけだと充分に告知できないということですが、Wikipedia:Template メッセージの一覧/問題のある記事には改名提案のメッセージ・テンプレートがあり、それの貼り付けでは足りないでしょうか。告知の手段が不十分であるのではなく、それ以前に「議論なし移動」が多いことの方が問題のように思います。--ikedat76 2006年5月13日 (土) 03:28 (UTC)
Ikedat76さん、コメントありがとうございます。このことに関心をもつかたはほかにいないのかなと心細く思っておりましたので、うれしいです。
テンプレートは個別の記事に関して状況を把握するには役立ちますが、全体の俯瞰やサマリにはやや不向きかと思います。ですので、十分とは感じていないとお返事することになります。「リンク先」などから一覧をとることができるものの、移動候補などのサマリがあったほうが便利かと、他言語版の先行する依頼ページをみていておもうのです。
告知の手段が簡略化されており専用ページがあったほうが、より多くの人のめに触れやすく、また事前に移動について協議があったほうがいいという世論形成にさらにつながりやすく思うのですが、いかがでしょうか。
議論なし移動の問題はまた別の話ですね。ただ、ものによっては予告や議論を要さないものもあるので、義務付けしてしまうというのもどうかなと思います。むずかしいところですね。--Aphaia 2006年5月15日 (月) 10:28 (UTC)

エントリーの順番について[編集]

現在最新のエントリーを一番上に書くということになっていますが、下に書き足して行った方がウィキペディアとしては自然じゃないでしょうか? 上に書き足す人と下に書き足す人とがいて混乱しています。--Basilico 2006年4月28日 (金) 08:40 (UTC)

他ページと整合性取るため、ざっくりと並び替えてみました。同時に、エントリ並びすぎで見難いと感じたので2ヶ月ごとに節分けしてみましたが、どんなもんでしょうか。--co.kyoto 2007年1月14日 (日) 18:43 (UTC)

コメント依頼の整理について[編集]

F.ぽちと申します。しばらく前からなんとなくこの依頼ページを拝見しておりまして、依頼者署名の除去や並べ替え、/リストへの追加などをしていたのですが、すこし前の依頼で最終コメントから1か月以上経過したものや、議論が終結したものがいくつかありました。そこで、リンク先の議論をひととおりざっと拝見した上で、少々整理してみました。コメント依頼のページを整理する作業は初めてですし、すべての論争・コメントを熟読したというわけでもありませんので、今回の整理によって削除された項目で議論に参加されている方の中には「まだ議論終結してないのに!!」とお怒りになる方もあるかもしれません。そのような場合には、お手数ですがF.ぽちのノートへご指摘ください。よろしくお願いいたします。--F.ぽち 2006年12月28日 (木) 08:57 (UTC)

「記事分割の議論」の節を設置します[編集]

以前からよく指摘されていましたが、これまで日本語版ウィキペディアでは、記事統合に関して議論する場所(Wikipedia:統合依頼)も、記事名変更に関して議論する場所(Wikipedia:コメント依頼#記事名に関する議論)もあるのに、なぜか記事分割に関して議論をする場所が存在しませんでした。そこで、コメント依頼に「記事分割の議論」の節を設置します。問題があればご指摘ください。--Cave cattum 2007年1月27日 (土) 12:01 (UTC)

Wikipedia:統合依頼に含めてしまうのはどうですかね。分割も統合も作業としては似ているものがありますし。ただ、これだと記事名をかえないといけないのかな。--Knua 2007年1月27日 (土) 12:15 (UTC)
統合依頼はいまでも大概リストされている案件が多いので、分割も含めるのは難しいのではないでしょうか。私は別に作ったほうがいいと思います。あるいは独立した「記事の分割」のページをつくってもいいのかも。--Aphaia 2007年1月27日 (土) 17:49 (UTC)
分割にかけることを話し合うかなと考えている記事があったので、記事分割関係を色々と探していましたが確かに無いですね。「記事分割」のページの設置に賛成します。
ついでに分割関係で知りたい点があるのでお聞きします。統合では「履歴統合」と言うものがありますが、分割では「履歴分割」と言うものがないんですね。これまで何人も関わってきた記事を分割する場合、「履歴分割」というものがあれば、良い様にも感じるのですが?やはり、リソースの無駄使いになってしまうのでしょうか? -- Daisydaisy 2007年1月27日 (土) 19:48 (UTC)
履歴の分割ですが、ディスク資源という意味ではリソースの無駄使いにはなりません。人的資源の無駄遣いには下手するとなるかもしれませんw というのは、開発者の方にお願いして、もとの記事を複製し、片方の名前を変えていただくという操作が必要になるからです。ですので、あまり頻繁にお願いすると効率が悪いでしょうね。
以前その話を JamesDay さんという方としたときには「だいたい100記事くらいを目安に一括して依頼してほしい」といわれました。ローカルに分割する記事をリストアップして、渡してほしい、ということです。そうしたまとめをして開発者の方に頼んだほうがいい、と私は思うのですが、日本語版ではむしろコピペと要約欄注記でするほうがいい、という方が多いのか、いまだに実現はしておりません。--Aphaia 2007年1月27日 (土) 20:00 (UTC)
コミュニティ・ポータルにこの議論について告知しておきました。さて、理想としては、記事分割と改名について告知場所としてWikipedia:分割提案Wikipedia:改名提案を設置し、Wikipedia:統合依頼についても現状は告知場所として運用されているのでWikipedia:統合提案に改名する必要があると思われます。一足飛びにそこまで行くのが困難であれば、ひとまずWikipedia:コメント依頼の中に「記事分割の議論」の節を設置し、様子を見て分割するということでも良いかと。--Cave cattum 2007年1月28日 (日) 02:51 (UTC)

(戻す)Wikipedia:統合依頼の改名は、「Wikipedia‐ノート:統合依頼#このページ名について」で改名の方向のまま止まってますね。Wikipedia:分割提案Wikipedia:改名提案は、Wikipedia:統合依頼#ガイドラインを軸にすればそれほど難しくないのでないかと。楽観すぎですかね。--Knua 2007年1月28日 (日) 04:46 (UTC)

確かに、Wikipedia:統合提案Wikipedia:分割提案Wikipedia:改名提案は将来的にはあってしかるべきものですので、この際、私が音頭を取って設置に向けて動こうと思います。各方面に告知を出しますので、おおむね2週間以内に反対意見が出なければ、改名・設置を実施しようと思います。--Cave cattum 2007年1月29日 (月) 14:10 (UTC)

為念確認ですが、

という認識でOKでしょうか。これで合っていれば、賛成します。--co.kyoto 2007年1月30日 (火) 20:35 (UTC)

私の案はその通りで間違いありません。--Cave cattum 2007年1月31日 (水) 13:41 (UTC)

ふと思ったのですが、「一部転記」は統合依頼か分割依頼のどちらに含めるべきなのでしょうか。記事を分割して別の記事に統合をするということで混乱しそうですが。--Knua 2007年2月3日 (土) 17:10 (UTC)

案を作成[編集]

Wikipedia:分割提案Wikipedia:改名提案およびWikipedia:統合提案の案を作成しましたのでご確認ください。あと5日ほど余裕を見て、異論が出ないようであれば運用開始を告知します。一部転記の扱いについては、いろいろ検討しましたがやはり混乱しそうなので、この際Wikipedia:項目一部転記提案を独立して設置したほうが良いと思われます。--Cave cattum 2007年2月12日 (月) 03:12 (UTC)

分割提案・改名提案・統合提案の運用開始[編集]

(報告)Wikipedia:分割提案Wikipedia:改名提案Wikipedia:統合提案を作成し、運用を開始しましたのでご報告します。なお一部転記の扱いについては、「Wikipedia:項目一部転記提案」を設置するほどの量はありませんので、Wikipedia:コメント依頼の中に節を設けることで対応できそうです。この件については別途提案します。--Cave cattum 2007年2月17日 (土) 05:42 (UTC)

Wikipedia‐ノート:改名提案にて、Wikipedia:ページ名の変更での用語に従ってWikipedia:移動提案に移動すべきだという提案を行ないました。よろしければ「ページ名の変更」で使用されていない「改名」という言葉を使われたことについて、意図を教えていただけませんでしょうか。―霧木諒二 2007年3月23日 (金) 09:22 (UTC)
Wikipedia‐ノート:改名提案にコメントいたしました。--Cave cattumWikiMiniAtlasのご紹介 2007年3月23日 (金) 13:33 (UTC)

エントリの除去について[編集]

終了した議論について、サブページを過去の議論に転記する、とありますが、co.kyotoさんがWikipedia:コメント依頼/過去の議論のほうで2007年2月18日 (日) 20:05(JCT)でなされたこの編集によって、過去議論・進行中の議論を問わずに随時確認できるようになっています。手作業での編集は終了させるべく、Wikipedia:コメント依頼#エントリの除去については、「サブページとなっているものは過去の議論にリストします。」の部分をなくしてはどうでしょうか。--田英 2007年2月27日 (火) 01:22 (UTC)

特別ページで表示できると気づいた後、 /過去の議論 の方は時系列順に並べようかと思ったのですが、量がありすぎて投げました。で、とりあえず付け加えることでお茶を濁していたのですが、もう廃止してもいいんでしょうか。現状のままなら必要性はないと思いますが、どなたか使途を見つけられるかもしれないのでとりあえずコメント待ち。--co.kyoto 2007年2月27日 (火) 02:29 (UTC)
現在の /過去の議論は時系列に並んでいるとはいえ、コメント依頼が発せられた年月が一目ではわからないので、単なるリスト以上の価値がない状況になっていると思います。以下、取り留めのない感想ですので箇条書きで。
  • 依頼ページのように過去の議論も年月で分けるのであれば存在価値あり。ただしメンテナンスとのコスト比で考えると必要かどうか微妙です。
  • 時系列にするメリットがないのであれば特別ページで要件は満たせるので、該当コメントを外すことには賛成です。
  • 全ページの表示はサーバに負荷がかかるとどこかで見たのですが大丈夫でしょうか?開く頻度が高いとは思えないので心配するほどのことはないとは思うのですが。
--Clapon 2007年2月27日 (火) 05:25 (UTC)
1週間ほど経ちましたが、特にご意見が集まらないようです。ひとまず今回の除去でも過去の議論に追記しておきましたが、アルファベット順の配列なのでClaponさんの仰るとおりただのリストですね。コメント依頼のことでコメント依頼に提出するのも可笑しなもので、井戸端にでも投下してみましょうか?--田英 2007年3月8日 (木) 14:43 (UTC)
そこまで手間かけることでもないと思ったので、取り除いておきました。正直、あのリストを年月ごとに並べ替えるのはコストかかりすぎかと思います^^; まあ、もしも並べ替える根性のある人が居られましたら、差し戻してもらっても構いません。
あと、しばらくこのままで追認されたものとすれば、Wikipedia:コメント依頼/過去の議論はどうしましょうか。{{historical}}か、削除依頼か、まあ放置しておいてもいい気はしますが。
--co.kyoto 2007年3月11日 (日) 09:57 (UTC)
該当記述の取り除きありがとうございます。たまたま今回の除去ではユーザー分がなかったので過去の議論に転記する必要はありませんでしたが、次回の除去作業時(4~5日後の様子見)までに過去の議論への転記が必須との意見がいただけなければ、そのまま追認されたと判断してみましょうか。--田英 2007年3月13日 (火) 14:28 (UTC)

(インデント戻します)今回の除去で、ユーザー分(Wikipedia:コメント依頼/霧木諒二、管理者解任動議の先行コメント、動議・投票が終了しているので収束と判定)(Wikipedia:コメント依頼/Shino_1228 、依頼サブページが生成されていなかったので無効判定と考えました)の2件が過去分へ移すべきものでした。ひとまずこちら(Wikipedia‐ノート:コメント依頼)に記述していますが、過去ページへは転記しておりません。過去ページへ転記すべきだと仰る方がいらっしゃったら、移していただければ、と考え様子見をさせていただきます。--田英 2007年3月17日 (土) 11:02 (UTC)

サブページ作成について[編集]

ついでにサブページに関連した話題。「過去にサブページが作られた議論はそのページを再利用してください」とあるのですが、過去ログ化等は煩雑ですし、運用実態に合わせて「過去にサブページが作られている場合は、サブページ名の最後に年月日を加えるなどして新しいページを作成してください」への変更を提案します。--co.kyoto 2007年2月27日 (火) 02:29 (UTC)

特に異論が出ませんでしたので、変更しました。--co.kyoto 2007年3月11日 (日) 09:57 (UTC)

お知らせテンプレートとカテゴリの設置について[編集]

「この記事に関してコメントを募集しています」という趣旨のお知らせテンプレートとカテゴリは現在存在しませんよね?必要性を感じていますので設置したいと考えています。いかがでしょうか。--Cave cattum 2007年5月4日 (金) 14:15 (UTC)

確かにそんな気が…コメント依頼は削除依頼などに比べて目立ってないですね。-- 2007年5月4日 (金) 14:45 (UTC)
お知らせテンプレは一度やってみてもいいですね。問題が起これば辞めればいいくらいのつもりで。--Shiha32 2007年5月7日 (月) 12:40 (UTC)
テンプレートとは、Template:SeeTalkとは別のものを指しているのでしょうか。--プロバロン 2007年5月8日 (火) 14:03 (UTC) --プロバロン 2007年5月8日 (火) 14:12 (UTC)
Template:SeeTalkのような既存のテンプレートで代用するのも1つの手なのですが、次の理由により新しく作るのが望ましいと考えています。(1)Category:コメント依頼を併せて設置する予定なので、記事に貼り付けるだけでカテゴリも一緒に貼り付けられるテンプレートが便利です。例えばTemplate:改名提案は、テンプレートを貼り付けるだけでCategory:改名提案も一緒に貼り付けられます。(2)議論の場所を、当該記事のノートだけでなく、他の場所(サブページやプロジェクトのノートなど)でも柔軟に指定可能だと便利です。--Cave cattum 2007年5月9日 (水) 12:56 (UTC)
テンプレートについて詳しくはないのですが、(1)についてはSeeTalkの改良で対応したほうがいいのではないかと思います。(2)については、SeeTalkが不要になりますね。しかし、単機能版と多機能版の両方があってもいいかもしれません。--プロバロン 2007年5月9日 (水) 13:11 (UTC)
(1)に関するSeeTalkの改良となると具体的にはどうするのでしょうか。(2)に関しては、SeeTalkは現在コメント依頼とは関係なく気軽に利用されているものですので、コメント依頼のお知らせテンプレートが作られたとしても不要になることはないはずです。--Cave cattum 2007年5月9日 (水) 14:34 (UTC)
つまり、コメント依頼が提出されていますよという専用のテンプレートが作りたいのですね。仮にSeeTalk(多機能版)を貼り付けたとして、コメント依頼が出ていることも知らせる必要があるとは思えませんが、需要があると考えておられるなら、これ以上異論は述べません。ただ、SeeTalkについて、他の場所の指定に関する需要はあるようなので、そちらのノートで改良案を提案しました。カテゴリーについては、こちらの依頼に出されていなくても含めていいと思いますが‥‥。というより、そうでないならそのカテゴリーはあまり需要がないような。--プロバロン 2007年5月9日 (水) 15:17 (UTC)

メンテナンスの手間に見合う効果があるのかと考えると、個人的にはいまいちな気がしますが、積極的に反対もしません。とりあえず、テンプレートはコケた時の後始末が非常に面倒なので、作るならしっかりしたものをお願いします(釈迦に説法でしょうが)。必要なら叩き台が出た段階で意見もつけますので。--co.kyoto 2007年5月9日 (水) 23:37 (UTC)

Template:査読依頼を参考に下記のようなテンプレートを試作しました。詳細は利用者:Cave cattum/下書きをご覧ください。--Cave cattum 2007年5月20日 (日) 14:15 (UTC)

上記テンプレート案にリンク先のミスがあったので訂正しました。--Cave cattum 2007年5月21日 (月) 10:01 (UTC)

(報告)Template:コメント依頼Category:コメント依頼を設置しました。--Cave cattum 2007年5月29日 (火) 14:11 (UTC)

コメント依頼のルール・ガイドラインについて[編集]

コメント依頼のルールについて質問です。コメント依頼の依頼者と被依頼者は該当するコメント依頼ページではコメントしない方がよい(あるいはしてはならない)という意見を聞くことがあるのですが、そのことに関するルールやガイドラインはどこに記載されていますでしょうか? 自分に対するコメント依頼にコメントなどを書くことが望ましくないという意見があるようです。さらにそのことに関連しているのか、私に対する投稿ブロック依頼も出されており、自分に対するコメント依頼には何も書かないで欲しいというような意見をいう人がいます。コメント依頼内容に、事実とは異なる事や誹謗が書かれていた場合、それについて指摘したいのですが、そのときは間違ったことが書かれていたとしても、黙っているしかないのでしょうか?--Hsz 2007年5月15日 (火) 00:56 (UTC)

依頼者や被依頼者がコメントしてはならないという明確なルールはないでしょう。コメント依頼は論争の解決や、ユーザの行為について意見を募りたいときに使う場所です。ですので被依頼者がコメントを書くこと自体は問題ないとは思いますが、その内容と量が問題です。Hszさんの場合はほかの人の意見についてつけるコメントの量が多く、それゆえ、コメント依頼の本来の意図を理解せずにご自身の正当性を主張なさっていたり、またコメント依頼の本来意図している方向を停滞させていると周りの人に受け取られており、「コメント依頼にかかないでほしい」といわれているのではないでしょうか。コメント内容について問題があれば返答を書いてもよいと思いますが、事実と異なるのなら事実のみを指し示したほうがスマートなのではないかと思います。またコメント依頼は主観的な意見になりますので誹謗されたからといって否定する必要はないでしょう。中傷されたというのであればそれは根拠のないことだと証明してもよいかもしれません。いずれにせよ、何に対してコメント依頼が出ているのかをよく考えコメントをつければ周りの方から苦言を呈されることはないと思うのですが。--Clapon 2007年5月15日 (火) 01:17 (UTC)
的確なアドバイスありがとうございます。やはり、ルールもガイドラインも無いのですね。もし他の利用者の方々の真意もClaponさんの言うとおりであれば、自分に対するコメント依頼に事実のみを書くことにします。私のコメントが長文になる問題については、事実のみを指し示すことだけに留めてみます。自分の利用者ページにサブページを作ってそこにコメントを書き、リンクを貼るという手法も考えています。
話は変わりますが、ここで、この件に関して思ったことがあります、コメント依頼に関して依頼者と被依頼者がどうするべきか、何をすることが望ましいかをWikipedia:コメント依頼にガイドラインとして説明を追記するとよいと思います。この件に関して、みなさんから何か意見がありましたらよろしくお願いします。--Hsz 2007年5月15日 (火) 11:23 (UTC)

「コメント依頼の使い方」において[編集]

「利用者名をつけない署名の仕方は、チルダ5個(~~~~~)で行えます。」の部分を太字にすることを提案します。この文言が注目されないと、利用者名付き署名(~~~や~~~~チルダ3-4個など)をする可能性があるためです。--経済準学士 2007年3月23日 (金) 17:40 (UTC) このコメントはWikipedia‐ノート:コメント依頼/ヘッダ の 2007年5月29日 (火) 13:45 (UTC) から転記されたものです。Cave cattum 2007年5月29日 (火) 13:50 (UTC)

依頼類型の見直しを提案[編集]

現在、コメント依頼の類型は、「記事内容の議論」「ユーザーの行為についての議論」「その他」の3種類に分類されています。しかし、分類の仕方がコメント依頼の趣旨を反映したものではなく、適切ではないと考えています。次のような分類を用いた方が、依頼の趣旨がわかりやすく、適切であると考えています。

  • 議論活性化のためのコメント依頼 - 議論を呼びかけているのに参加者が少ない、議論が停滞している等の理由により、多くの人に議論への参加を求めたい場合。
  • 合意形成のためのコメント依頼 - 議論の中で意見対立があり、合意形成に向けて第三者の客観的な視点からのコメントを求めたい場合。
  • 利用者の行為についてのコメント依頼 - 利用者が基本方針とガイドラインから逸脱したに照らして望ましくないと思われる行為を行っている場合、あるいは、利用者の行為が広範囲に及んでいる場合。
  • その他 - 上記に当てはまらないもので、特に広くコメントを求めたい場合。

特に異論がなければ、本文のほうを書き換えます。--Cave cattum 2007年7月13日 (金) 16:40 (UTC)

利用者の行為についてのコメント依頼ですが、被依頼者が逸脱している行為を行っていると断定はできないが、逸脱しているおそれがあるのではないかといった理由で他のユーザーにコメント依頼をするケースもあると思うのでそこをうまく説明した言い方がいいと思うのですが。--Tiyoringo 2007年7月13日 (金) 16:44 (UTC)
三つ目の「利用者の行為についてのコメント依頼」についてですが、被コメント依頼者は発言すべきでないとか、発言を求められても発言する必要がないとか、その反対の意見などユーザーによってそれぞれ異なる様々な理解をしているようにみうけられますので、異なる理解が生じないようにして頂きたいと思います。文案も出さず無責任ですが。また、ここで出すコメントでなければ無視して下さい。--日輪 2007年7月14日 (土) 01:08 (UTC)
説明文は一部修正しました。日輪さんのコメントは今回の提案とは直接には関係しませんが、コメント依頼の運用の問題として、ガイドラインを明確にする等の検討が必要であると思います。--Cave cattum 2007年7月14日 (土) 15:01 (UTC)
提案に沿った類型見直しを実施しました。--Cave cattum 2007年7月26日 (木) 16:00 (UTC)
新しい類型分類について

これ、二つ以上に当てはまる場合はどうすればいいんでしょ? 議論活性化も合意形成も同じもののような気がするのですが(参加者が少ない状態で対立してて、第三者からの冷静な視点が欲しい、とか)。参加者の多い少ないも個人の主観でかなり異なると思いますし、両者をはっきり分けるのは難しいように思うのですが。むしろ「記事」「利用者」「それ以外の名前空間」「その他(ウィキペディア全体に関わる議論やら何やら)」のように、はっきり分けられる基準のほうが良いのではないですかね。--Bellcricket 2007年7月27日 (金) 03:56 (UTC)

Bellcricketさんにおおむね賛成です。依頼を出しにきて気づいたのですが、正直困惑しています。……あと、利用者の行為についての説明が「望ましくないと思われる行為」というのも少し攻撃的かなあと思います。全体に前のほうがよかったような。すでに指摘があるように議論活性化と合意形成を綺麗に分けることが出来るかも疑問ですし、外形基準によって分けるほうがいいように思います。また当初の提案から分離まで半月ないというのも性急な気がします。--Aphaia 2007年7月27日 (金) 10:02 (UTC)

(1)分類に困るようであればまずは「議論活性化」で出していただくのが良いでしょう。旧分類で非常に困ったのは、議論活性化を意図してコメント依頼を出したはいいが、そこで対立が生じてしまった場合です。旧分類ではそのような場合は「ユーザーの行為についての議論」に依頼を切り替えるしか選択がなく、むやみに相手を刺激するおそれがありました。(2)名前空間で区分するのはあまり意味がないと考えています。いまコメント依頼に出ている事例の中でも、Wikipedia:削除依頼/黄昏色の詠使いの事例は記事名前空間の事例とも、Wikipedia名前空間の事例ともとれます。地方競馬およびTemplate:競馬場の事例は記事名前空間の事例とも、Template名前空間の事例ともとれます。カテゴリ分類についての議論も、Category‐ノート:日本の国会議員の事例のようにCategory‐ノート名前空間で提案されることもあれば、以前私がコメント依頼を使った事例なのですがノート:フランスの歴史のようにノート名前空間で行われることも、ウィキプロジェクトのノートで行われることもあります。--Cave cattum 2007年7月27日 (金) 20:45 (UTC)

1については、それは切り替えてしまった方が、解決が早いような気がします。あるいは、そのままにして誰かに仲裁に入ってもらうとか。そもそも議論は「合意形成」のためにあって、そのためには「議論の活性化」が必要でしょう。両者は切り離せないものではないでしょうか。
2について。そういった事例があるからこそ、名前空間で分類すべきではないのかと思います。議論の内容によってどこに分類するかブレが生じるなら、議論が行われる場所で分類した方がわかりやすいでしょう。記事+テンプレートのように複合した議論が行われるなら、片方に集約させて「その他」に入れるなり、関係するウィキプロジェクトに集約させるなりされたほうが、議論が進むと思います。
Aphaiaさんの「望ましくないと思われる行為」は、確かにそうかもしれません。単に「利用者について」でもよろしいのではありませんか。--Bellcricket 2007年7月27日 (金) 22:07 (UTC)
一部見直しました。コメント依頼者が自分で合意形成をリードしていくのか、他者のリードを求めたいのかが大きな違いです。--Cave cattum 2007年7月27日 (金) 22:25 (UTC)
どちらとも言えない場合はどうすれば良いのでしょう。私自身がコメント依頼を出した時は、正直「誰がリードするか」考えていませんでした。リード無しでまずは意見が欲しい場合(削除依頼のような感じ)もあるでしょうから、やはりわかりにくいです。--Bellcricket 2007年7月28日 (土) 06:30 (UTC)
全ての解決にはならないと思いますが、2つ以上の類型にあてはまるものについては、2か所以上からリンクを張るということが可能なら、それで一部の困難は解決しそうですね。あと、依頼の際にはリンクだけではなく短い説明文が記されるという今の方式が続く限りは、多少分類に難があっても、自分がコメントしたい件であるかどうかを考える上ではそれほど大きな支障にはならないのではないかということも考えました。(合意形成関連には一切手を出さないことにしている、といった利用者がいれば、そこに分類されている依頼は読み飛ばしますから、全く支障がないとはならないでしょうが。)
分類の際には、基準にするものごとの地平を揃えるのがいいかなと思うので、Cave Cattumさんの案を参考に考えてみましたが、
  • 「コメントの対象」を基準にするとして、方針素案などの「提案」、どういう形で解決されるべきか議論を必要とする「問題点の指摘」、編集方針などの「意見の対立」、方針上問題になりそうにも見える「特定利用者の行為」、「その他」と考えると分類枠としては多少すっきりするような気がしました。ただ、これらは互いに排他的な概念ではありませんから、やはり重複(単一の依頼が複数の類型に該当すること)は避けられないように思います。
  • 議論の目的・性質を基準に、方針や指針の作成や改訂、編集上の意見対立の解消、利用者の処遇、その他、と分けることもできそうに思いました。
  • 「特定少数の方針・指針に限定される議論」、「特定少数の記事に限定される問題」、「特定少数の依頼案件に限定される問題」、「特定少数の利用者に限定される問題」、「複合的な問題」、「その他」、というようなものも思いつきました。
決定打がなくて申し訳ありませんが、とりあえず。Tomos 2007年7月29日 (日) 07:12 (UTC)
リード無しでまずは意見が欲しい場合は、「議論活性化のためのコメント」へ記載してください。はっきりそう書いてあります。--Cave cattum 2007年7月29日 (日) 15:29 (UTC)

類型分類の再見直し[編集]

少々時間が経ってしまいましたが。常に誰かのリードを求めるとか、自分でリードしていくとか、意識しているわけではないのでは。あるいはとにかくコメントを求め、議論の成り行きに任せて自分がリードするか他人にリードしてもらうかを決めたい場合もあるのではないでしょうか。このような「どちらとも言えない」ケースが生じる分類は、少なくともコメント依頼のリストにはそぐわないような気がします。Categoryのようなものならば複数に当てはまる場合でも問題ないのでしょうが、このようなリストでは同じ場所での依頼が複数にあることはかえってリストの意義を損なうような気がします。「議論で求められているもの」を明確にすることができると言う意味ではCave cattumさんの分類法は良いと思いますが、これはあくまでリストなのですから、分類のしやすさを優先した方が良いのではないでしょうか。--Bellcricket 2007年12月8日 (土) 14:18 (UTC)

区分を「記事についてのコメント」「ユーザーについてのコメント」「その他についてのコメント」に簡略化することを提案します。依頼内容については、「合意形成のため」「議論活性化のため」「リードを求めるため」などを理由欄に書けば明確にわかるでしょう。--miya2008-01-12T18:52:24(UTC)署名追記と下の文案にあわせて一部提案内容を修正。miya 2008年1月12日 (土) 19:33 (UTC)

以下、文案です。--miya 2008年1月12日 (土) 19:33 (UTC)


このページでは、コメント依頼は以下の類型に区分して記載されます。

  • 記事についてのコメント - 記事について、多くの利用者に議論への参加を呼びかけたい場合や客観的な視点からの議論のリードを要請したい場合。
  • 方針についてのコメント - 方針やガイドラインについてコメントを求めたい場合
  • 利用者についてのコメント - 利用者についてコメントを求めたい場合。
  • その他についてのコメント - 上記に当てはまらないもの、カテゴリ、テンプレート、ウィキプロジェクト、Wikipedia空間のページなどについてコメントを求めたい場合。

(中略)

記事に関するコメントを求めたいときは「記事についてのコメント」に依頼を記載してください。

多くの利用者の意見を聞きたい、議論を呼びかけているのに参加者が少ない、良いアイデアが出てこない、あるいは議論が停滞してしまっている等の理由により、広く議論への参加を呼びかけたい場合は、理由欄の冒頭に「議論活性化のため」と書いてください。

議論の中で意見対立が生じている等の理由により、合意形成に向けて第三者による客観的な視点からの議論のリードを要請したい場合は、理由欄の冒頭に「合意形成のため」「リードを求めるため」と書いてください。

以下の種類の議論については専用の告知ページが用意されています。(以下略)


  • 「理由欄に」→「理由欄の冒頭に」と微修正しました。--miya 2008年1月12日 (土) 19:40 (UTC)
  • 「方針についてのコメント」を追加しました。各種方針やガイドライン、草案や私論のページを対象にし、方針の新設、運用方法、見直し、廃止などについてコメントを求める場合に用います。--Bellcricket 2008年9月27日 (土) 02:48 (UTC)
コメント

しばらく議論が停滞してしまいましたが、ここで改めて類例の変更を提案したいと思います。ページの性質によって分類する形になっているので、提案する場所がわかりやすくなるかと思います。何かご意見がありましたら、よろしくお願いいたします。--Bellcricket 2008年9月27日 (土) 02:48 (UTC)

変更に反対です。「なになにについてのコメント」という分類は対象を見ればわかることであり、あらためて分類する意味がありません。コメント依頼の際により重要なのは、そのコメント依頼によって一体何を解決したいのかというのを、依頼者にきちんと考えさせ、またそれを表明することによってより明解なコメントを可能とすることでしょう。現行分類ではそれを考えない限り依頼できませんが、対象を優先した分類はその機能をスポイルしてしまいます。--Jms 2008年9月27日 (土) 03:06 (UTC)
ではこれまで提示された疑問はどのように解決すればよろしいのでしょう。「議論活性化」「合意形成」という分類では、「意見が対立していて合意形成を図りたいが、議論が停滞しているので活性化させたい」状況のコメント依頼をどちらに分類すればよいのか、わからないのです。こうした曖昧な分類では逆にコメント依頼の活用を妨げるのではないでしょうか。--Bellcricket 2008年9月27日 (土) 03:17 (UTC)
対立点が存在してその解決を目的とするなら議論の状態によらず合意形成、対立点がそもそも存在しないなら議論活性化でしょう。この二つの間の部分は段階的に決まることだとは思いますが、何をしたいのか、より根源的問題点は何か、というのを考えればわかることだと思います。逆に、それを明確にできない位なら、ひとさまにコメントをお願いすべき段階ではないのかもしれませんし、その意味では活用していただくべきでない場合なのかもしれません。また、明確することで、どうすべきかが依頼者の中でも明らかになり、コメント依頼するまでもないという状況もあるでしょう。「議論が停滞している」というのと「議論が膠着状態に陥っている」というのを混同でもしていない限り、どちらにしたらよいかわからないという状況にはならないのではないかと想像します。--Jms 2008年9月27日 (土) 03:34 (UTC)
Jmsさんの解釈、発想ならば無駄なコメント依頼が淘汰されるでしょうし、それが利点になるかとは思います。しかしながら現在の類例、説明文ではそうした解釈ができないのではないでしょうか。「議論活性化」の説明文には「議論を呼びかけているのに参加者が少ない、議論が停滞している等の理由」とありますが、これは対立点の有無を問題としておりません。そうなると「対立点があり議論しているが、停滞している」という状態は「議論活性化」「合意形成」の両方に当てはまると解釈できます。記事などの問題を解消するためにコメント依頼があるのに、そのコメント依頼がこうした解釈しにくい状態でしたら、問題解決というより重大な目的を無駄に妨げることにはなりませんでしょうか。それよりは名前空間や文章の性質(方針やガイドラインなど)によって分類した方がわかりやすいかと思います。求めるものが「議論活性化」なのか「合意形成」なのかは、各依頼の説明文で明らかにすればよろしいのではないでしょうか。--Bellcricket 2008年9月27日 (土) 22:53 (UTC)
求めるものが「議論活性化」なのか「合意形成」なのかを書かせるなら、同じことではないかと思いますが。両方に当てはまる場合は両方に示しても良し、その他にしても良し、それは依頼者次第でしょう。そういう解釈ができないなら、まず説明文を変えるべきであって、それでもなお問題が残るなら、初めて分類体系を変えるべきでしょう。何を求めるかを明確にさせることの方がコメント依頼では重要だと思います、というのは既に書きました。--Jms 2008年9月28日 (日) 17:20 (UTC)
提案ありがとうございます。ただ、私にはどのような説明文にすれば良いか思い浮かびません。どのような説明文を付け加えたとしても、「議論活性化」「合意形成」という事象が同時に起こり得る以上、誤解が生じるおそれがあると思われるからです。「両方に当てはまる場合は両方に示す」が認められるのならば、何のために両者を分類しているのか、その意義が薄れると思います。また「その他」が何を意味しているのかわからなくなります。「議論活性化」でも「合意形成」でもなければ、果たして何のために議論をしているのでしょう。要らぬ解釈を強いて依頼者を困惑させるより、明確に分類できるようにして依頼リストの可読性を高めることの方が意義深いと思うのですが、いかがでしょう。--Bellcricket 2008年9月28日 (日) 22:45 (UTC)
わたくしには、対立点があるが議論が膠着している訳ではない状態で、議論活性化したい状態というのが想像できません。対立点があるのに議論が停滞しているというのは、議論に参加している一方あるいは双方に議論する気がない、つまり対立点についてあまり真剣でないという状態ではないでしょうか。それならばコメント依頼などせず「ではかくかくしかじかでよろしいでしょうか、いついつまでに反論なければかくかくしかじかで合意と考えます」と宣言すれば済む話であって、どちらにしたら良いか分からないというのは実は議論の進めかたを知らないだけであり、それをコメント依頼で誰かにやらせようというのは筋違いだと思います。
「両方に当てはまる場合は両方に示す」が認められるのならば、何のために両者を分類しているのか、その意義が薄れるというのは、そういう事態がどれくらいの頻度で生ずるかによるでしょう。「議論活性化」でも「合意形成」でもなければ、果たして何のために議論をしているのでしょうというのは、分類なのだからその他があるのは当然であって、考えても無駄でしょう。要らぬ解釈を強いて依頼者を困惑させるよりとありますが、もし不要であるなら、理由欄の冒頭に云々というのはない筈で、不要とはいえない区別でしょう。コメント依頼する側の事情ではなく、コメントする側の事情もお考えの上での御提案でしょうか。「明確に分類できるようにして依頼リストの可読性を高める」というのもよくわかりませんが、現状で可読性が低いとして、そのことは、依頼しやすいかどうかと関係あるのでしょうか。--Jms 2008年9月29日 (月) 01:06 (UTC)

さて説明文に手を加えるとしたらどうするのがよかろう、とあらためて説明文を読みましたが、Wikipedia:コメント依頼#議論活性化のためのコメントWikipedia:コメント依頼#合意形成のためのコメントの説明でなぜ迷うのかわかりませんでした。対立点があるなら合意形成、対立点があるわけではないが参加者が少ない場合には議論活性化、とわたくしには読めます。なぜこれで迷うのか、具体的事例で説明していただけると幸いです。手を加えるとしたら、Wikipedia:コメント依頼#依頼の仕方冒頭の箇条書きの直後で

どの類型で依頼するかは以下にある各類型の説明も参照してください。議論活性化か合意形成かで迷った場合には、対立点があるなら合意形成として、なければ議論活性化として依頼してください

とする位でしょうか。--Jms 2008年9月30日 (火) 04:12 (UTC)

具体的事例は、すでに現在の依頼ページをご覧になればわかるかと思います。2008年9月30日 (火) 11:04 (UTC)版で説明いたしますと、
このように、誰しもJmsさんのように類型を理解できたわけではないことは、如実にあらわれていると思われます。
特に興味深いのは、「その他」に分類されたコメント依頼がきちんと機能していることです。つまり、分類によって明らかになる「議論を活性化したい」「合意を形成したい」という『目的』は、実は重要ではないのでは、と思いました。目的を明らかにすべきという点では私もJmsさんのおっしゃるとおりだと思いますが、明らかにすべきこと「議論活性化」「合意形成」「対立点の有無」よりもむしろ「何についてコメントが欲しいのか」「どんな問題を解決したいのか」(例えばコノ文章は方針上コレコレの問題があるのではないか、とか)であって、それは分類ではなくリンクに添えた理由説明や、議論が行われているページで明らかにされるものでではないでしょうか。現在の分類法と「利用者に目的を考えさせ、それを見た第三者にも目的を明らかにする」ことは、全く関係が無いなのです。利点が無い上、人によってそれぞれ解釈が異なるような解りづらい類型を敢えて維持するよりも、私は「記事」「方針文」などという誰が見ても明らかな類型を採用し、それで軽減された労力を目的説明に向けたほうが、依頼者のためにも、依頼に応えようとする利用者のためにも良いことだと思います。他の分類法があればそれでも良いのですが、少なくとも現在の類型を維持することには賛成できかねると、改めて思いました。せっかくの説明文を無にするような返答で申し訳ないです。
繰り返しますが、Jmsさんの意見「目的を明らかにすべき」ということは賛成です。ですからガイドラインの節にある議論が起こっているページにこれまでの議論内容の要約を示してください。これは、他の人がどのような点で議論になっているかをつかみやすくするためです。の一文を強調するように配置することも、加えて提案致します。--Bellcricket 2008年9月30日 (火) 22:55 (UTC)
それらの例は本当に「迷った」のですか? 対立点があるかどうかを形式的に判断してもわたくしの問いに答えたことにはなりません。わたくしが述べたのは「依頼の際に迷った場合にどうするか」であって、迷わないなら現行で問題ないでしょう。
対象で分類するのなら、行為に関するコメントとそれ以外だけで、内容については個別に説明すれば十分だということになるのではないでしょうか。
コメントする側の視点についてはどうお考えですか。--Jms 2008年10月1日 (水) 00:04 (UTC)
  • (賛成)基本的にBellcricketさんのご提案に賛成します。現状の分け方について、私は「議論活性化のため」という分類は、ウィキペディアが議論場でないことからすれば好ましくない表現だと思います。対立点の有無にかかわらず、議論を目的とするのでなく、合意形成をめざすのが本来的でしょう。コメント依頼によって、かえって収拾がつかなくなってしまう、というような事態は避けたいものです。この点で、「議論活性化のため」は、「合意形成のため」に統合されるべきだと考えます。ただ、今回のご提案でも「議論活性化のため」という表現は説明として残されているため、折衷的でJmsさんからすると「同じこと」なのではないでしょうか。したがって、「議論活性化」という言葉はなるべく使わず、「議論が停滞または膠着状況で困っている場合」「助言がほしい場合」などの言い換えで対応してはどうかと思います。ページの性質による分類が適当かどうかは、にわかには判断つきかねますが、目的別では分けることが難しそうですし、とりあえずやってみたらどうでしょう。--みっち 2008年10月2日 (木) 09:07 (UTC)
    • 「議論活性化のため」の意味が違うのではないでしょうか。想定すべき状況は、あることを提案して、議論にだれも参加しない、したがってそこでの結論がコンセンサスと認めがたいと判断されてしまうような、そういう状況ではないかと思います。その意味では「参加者募集」といったところかもしれません。もちろん結局は合意形成のためというのはその通りなのですが、対比という意味では現行「合意形成」というのは「対立点の解消」あたりにすべきなのかもしれません。コメントする側からすれば、「参加者募集」の段階の議論あるいは議論以前のものと、「対立点の解消」というのでは、必要な労力がかなり異なると思います。--Jms 2008年10月2日 (木) 09:26 (UTC)
      • 意味が違いますか? ということは、すでにJmsさんと私とでは「議論活性化」の意味が違っていることになります。受け取る人によって意味が大きく違うような表現はやはり問題があるでしょう。想定される状況ごとに対比させるために、「合意形成」をあえて狭く解釈することにも疑問を覚えます。あと、Jmsさんが反対されているのは十分承知の上で意見しています。ほかの方のコメントがそろうのを少し待ってはいかがでしょうか。--みっち 2008年10月2日 (木) 09:50 (UTC)
        • 当初のやりとりで、現在の類型を提案されたCave cattumさんは「コメント依頼者が自分で合意形成をリードしていくのか、他者のリードを求めたいのか」がポイントだと、これもJmsさんとは別の解釈をされていました。人によってこうも解釈が違っては、コメントする側は分類をあてにできず、Jmsさんが再三主張されている「明確なコメントをするための助け」にはならないと思いました。--Bellcricket 2008年10月5日 (日) 21:47 (UTC)
          • 繰り返しになりますが、判断に迷う状況というのを想像できないので、「実際に迷った」例を挙げていただけませんか。わたくしには迷う状況を想像できないので、議論がとても難しいのです。--Jms 2008年10月6日 (月) 00:40 (UTC)
  • 実例を出す必要はあるのでしょうか。私は既に申し上げているつもりですが、現在の分類はどう運用しても利点が無いと思っています。ですから私が今ここで実例を挙げて、Jmsさんがその分類について説明されても、私にはそこに意義を見出せません。既に論点は別の所にあるのでは、ないでしょうか。みっちさんの「議論活性化」という言葉に対するご意見はもっともだと思います。文案の(中略)と(以下略)の間の文言はもう少し修正する必要がありますね。--Bellcricket 2008年10月6日 (月) 13:08 (UTC)
  • どうするかについて、特に意見はないのですけれど。Jmsさんに申し上げるのですが、迷う状況が想像できないならば、議論から手を引いて、迷っている人たちに委ねる、任せるということも大切だと思いますよ。--Ks aka 98 2008年10月6日 (月) 13:25 (UTC)
    • 現状で半分もうまくいかない、という話なのか、八割方はうまくいくが二割位迷う、という話なのか、そのあたりがわかるだけでも別の判断のしようがあるのですが…。--Jms 2008年10月6日 (月) 14:59 (UTC)
      • 割合…とは、何を基準にした話でしょう。コメント依頼された全件数? それとも私が依頼した件数? いずれにせよそれを割り出すことはほぼ不可能でしょう。また、私は既に、誰も分類で迷わないであろう改善策を提示しています。割合を出したところで意味は無いと思います。加えて、分類方法を変えたところでJmsさんが懸念される状況にはならないことも、何度も説明しました。この際伺いたいのですが、Jmsさんが現在に至るまで類例の維持を主張されるのは、なぜでしょう。私やみっちさんが「議論活性化」「合意形成」という分類法の問題点をそれぞれ指摘しているのですから、それに対する反論をお願いします。申し訳ありませんが、Jmsさんがどうして反対されるのか、私にはわからなくなってしまいました。--Bellcricket 2008年10月7日 (火) 14:46 (UTC)
        • 求めているのはコメント依頼全件数に対する割合です。正確な数である必要はありませんが、何割くらい、とか、いくらいくらよりは少ないだろうとか、そういったレベルの感触で十分です。割合がまったくわからないということは、一万件に一件あるかないかということのための変更かもしれないわけです。また、求めている具体例も依頼時に実際に迷った例であって、迷ったかもしれない例ではありません。
        • 排他的分類でない、ということが問題なら、「迷ったら○○にしろ」でも解決できます。一方、提案されている内容は概ね名前空間でわかることですから分類の必要すらありませんし、また排他的でないことが問題なら理由の類型を提示するのもおかしなことでしょう。「分類は一切やめて、名前空間で済ませましょう」というのならまだわかりますが。
        • 以下、既に述べたことの繰り返しになりますが、現行の「議論活性化」「合意形成」という名称が問題であるならば、「参加者募集」と「対立点の解消」にでもして、「どちらか迷った場合には、対立点があるなら対立点の解消で、対立点がないなら参加者募集で、依頼してください」とでもすればよいと考えています。名称は別として、「参加者募集」と「対立点の解消」に相当する現状と、事実上の分類なしとを比べた場合に、現状の方がなぜよいと考えているかというと、まずコメントを依頼する側の認識、要望を明確にできるということと、「参加者募集」と「対立点の解消」にわけることにより必要な労力についてコメントする側に情報が伝わるということです。名前空間分類に変えたところで、理由の類型でその代用をするなら、結局は今の類型と同じ事なのではないでしょうか。--Jms 2008年10月8日 (水) 09:12 (UTC) ま抜け修正、対立点の有無に対応した文面補足 --Jms 2008年10月10日 (金) 12:35 (UTC)
当初のやりとりで、現在の類型を提案されたCave cattumさんは「コメント依頼者が自分で合意形成をリードしていくのか、他者のリードを求めたいのか」がポイントだと、これもJmsさんとは別の解釈をされていました。人によってこうも解釈が違っては、コメントする側は分類をあてにできず、Jmsさんが再三主張されている「明確なコメントをするための助け」にはならないと思いました。とのことですが、「参加者募集」とはコメントが集まらなくて困っていて参加を促したいような場合ですから「コメント依頼者が自分で合意形成をリードしていく場合」と同じことです。「対立点の解消」とはコメント依頼者自身も議論に巻き込まれてしまっているような場合ですから「他者のリードを求めたい場合」と同じことです。このように、Jmsさんの解釈と私の解釈は、同じ内容を違う角度から表現しているだけのことで、同じことであると思います。
今回の見直しの目的が「コメント依頼者にとって提案する場所をわかりやすくするため」なのでしたら無意味であると思います。「いかに、依頼に応じてコメントする人が多くなり、コメントがたくさん集まるようになるか」を第一に考えてください。これは本当に切実なお願いです。私もこれまでに、コメント依頼を呼びかけてもなかなかコメントが集まらず、非常に苦労した経験をしてきました。
特に一番困ったのは、コメントが集まらないためコメント依頼を呼びかけて少数の方が議論に参加したのはいいものの、その方と対立になり、合意形成のめどが立たなくなった場合です。このような場合、コメント依頼が「参加者募集」と「対立点の解消」に分かれていれば、最初は「参加者募集」を呼びかけ、対立が生じたら「対立点の解消」で改めてコメントを依頼するといった対応が可能となります。このような区分がなくなると、もしコメント依頼をした上で対立に巻き込まれてしまったら、もうどうしようもありません。--Cave cattum 2008年10月10日 (金) 11:44 (UTC)
Cave cattum さんとわたくしとでは同じことを別の表現で表しているのであって、せいぜい重点の置き所が違うだけ、と、わたくしは/も考えます。また、コメントがつきやすくなることにより重点を置くべき、というのもその通りだと思います。もちろん、コメント依頼が出せないならそもそもコメントがつきませんから、コメントがつきやすいことはコメント依頼しやすいことも含んでいると考えることは可能ですが、コメント依頼しやすくなったがコメントがつきにくくなった、というのでは本末転倒でしょう。その意味で、どれくらいの割合でコメント依頼に困るのか、というのが効いてくると思います。たとえばコメントは三倍くらいつきやすいのだけれど、コメント依頼そのものが十回に一回できるかできないくらいに難しい、という状況を今の類型が (名称変更や補足説明などの工夫は別途するとして) つくり出しているなら、今回の提案は考慮に値するでしょう。類型ゆえに実際にコメント依頼ができなかった、というのはどれくらいの発生率だと想定すべきなのでしょうか? --Jms 2008年10月10日 (金) 12:35 (UTC)
ご両人の解釈が一致していたとしても、みっちさんや私の解釈とは異なっていることに変わりありません。そして既に述べましたとおり、「参加者募集」「対立点の解消」を明示しても意味がないと思います。コメント依頼の本来の目的は、対立点の有無にかかわらず合意を形成することであり、明示すべき点は議論の状況ではなく合意を形成すべき問題点についてです。「参加者募集」「対立点の解消」を明らかにすることにどんな利点があるのか、私にはわかりかねます。ある1つの問題について話し合っている時、その議論が「参加者募集」の状態か「対立点の解消」の状態かによって、コメントを大きく変える必要があるのでしょうか。私ならばどちらであろうとも、ただ問題の解決に向けたコメントをすると思います。なお発生率の想定が不可能なのは前述のとおりです。また「迷ったら●●にしろ」と言うのは、「どちらに分類しても大丈夫だ」ということと同義であり、それこそ分類における意味が全く無いことになるでしょう。--Bellcricket 2008年10月15日 (水) 14:47 (UTC)
それはみっちさんやBellcricketの読み方が妥当だという証明にも、Cave cattum さんとわたくしの読み方が妥当だという証明にもなりませんね。お互いに相手の主張が理解できないという状況だと思いますが、では、そもそも「合意が形成される」というのはどういうことだとお考えですか。たった一人が「こう思うのだけれど」と述べたことについで、誰も意見を述べない状況での「合意形成」と、X という意見と Y という意見とが厳しく対立していて当人達では収拾がつかない状況での「合意形成」、これはコメントを書く側にとって、異なるところは一切ないとお考えですか。前者は意見陳述で済みますが、後者は (日本語ウィキペディアではなぜか) 感情的ともいえる対立、確執になっていたりするので、対応にはより多くの労力が要求されます。
「迷ったら●●にしろ」と言うのは「どちらに分類しても大丈夫だ」ということと同義、というのは、飛躍があるでしょう。まぁ、仮にどちらに分類しても大丈夫だ、ということだとして、どちらに分類するにせよ、その結果は依頼者の問題なのですから、どちらに分類しても大丈夫でも当然でしょう、大丈夫というのが未定義ですから。この背景にはコメント依頼自体に対するスタンスの違いがある様にすら思えてきました。そもそも二値論理的に判別がつくのなら、コメント依頼する必要すらないのではありませんか? 仮に「参加者募集」「対立点の解消」を明示しても意味がないとして、対象の名前でわかることについてあらためて分類してもやはり意味がないので、Bellcricket さんの主張は、分類は一切やめよう、というのと等価だと思います。それは何度か述べていますが…。--Jms 2008年10月16日 (木) 12:28 (UTC)
Jmsさんのおっしゃりようはわかるのですが、私は分類そのものの要不要に触れたことはないので、「不要論だ」と言われましても、どう答えて良いものか。今のところ思いつくのは「分類が無くなったら、古いブラウザを使う人が困るかも」(Help:ページサイズ#古いWebブラウザでのページサイズの制限)程度で、必要か不要かについてそれほど考えたことがないので、わかりません。また誰かがコメントするとすぐに反論がつく状況では、議論が広がらないように思われます。一時他の方のコメントを待つことにしませんか。--Bellcricket 2008年10月16日 (木) 13:56 (UTC)

(インデント戻し) 待つのは構いませんが、待つことで何が解決すると期待していらっしゃいますか。また、現状で議論を広げる必要があるとお考えなのはなぜでしょう。わたくしは現在提示されているポイントを解決するには、議論を広げる必要はないと思うのですが…。わたくしの認識している現状は以下の通りです。

  • 「コメント依頼をしやすくしよう」という立場と、「コメントしやすくしよう」という立場があり、それぞれが望ましいと考える分類方法は異なっている。
  • それぞれの望ましいとする分類方法のトレードオフを具体的に検討するための材料提示が、現状で困っている側に対して求められているが回答はない。
  • 現状の分類名称の変更や、説明文の変更で対応可能ではないかという指摘があるが、「現行分類はひとによって読み取りかたが違うのだからダメ」という抽象論のみで具体的回答はない。

論点には抜けがあるかもしれません。回答待ち状態の論点について回答していただくのを待つというのはわかりますが、ここからどう議論を広げたいのか、想像がつきません。それこそ「参加者募集」と「対立点の解消」について、考え方が根本から違うのかもしれません。なお、不要論については、直接述べていなくとも含意してしまっていると考えています。分類がなくとも、日付でわけるでしょうから、ブラウザによる制約を気にする必要はないでしょう。--Jms 2008年10月16日 (木) 21:40 (UTC)

現状では双方の主張に相応の理由はあるものの、いずれも十分な根拠を示せていないと思います。結局はコメントのしやすさと依頼のしやすさのトレードオフを評価すべき問題なので、あらかじめ評価基準を決めた上で、三ヶ月なり一年なりの一定期間提案されている方式を試行し、現在の方式との比較検討をして決めてはどうでしょうか。月ごとに評価して明らかな結果 (たとえば、コメントのつきやすさにはどちらの方式でも有意な差はない、など) が出れば、期間短縮してその段階で結論を出してもよいと思います。現行方式については既存の記録から得られるデータを使わない手はないでしょうから、月ごとの依頼件数とその前年同月比、依頼のうち実際にコメントがつく率および依頼から最初のコメントがつくまでの期間、といった数値が評価尺度として考えられます。問題は新方式への移行の過程で混乱があり得ることですが、移行するならいずれにせよ不可避なステップですから、試してみる価値はあるのではないかと思います。わたくしについて現在無期限の投稿ブロックが審議されており、また関連して自主ブレイクを勧められてもいるので試行期間によっては集計のお手伝いは難しいかと思いますが、打開策として検討していただく価値はあるかと思い、自主ブレイクの勧めに反しまた審議にも影響しかねないという点でかなり迷いましたが、無期限ブロックとなってからでは提案もできませんから、あえて提案しました。--Jms 2008年10月22日 (水) 23:46 (UTC)

コメントのつきやすさに有意な差が無いのは、既にWikipedia‐ノート:記事名の付け方/内閣の記事名ノート:とらいあんぐるハートなどの例を示しています。これらは「その他」にカテゴライズされ、Jmsさん論では「依頼者が何を求めているのか明確になっておらず、コメントする側にマイナスになる」状態ですが、コメントは問題なく寄せられています。このように「コメントの付きやすさ」については現在の分類にせよ私の分類案にせよ大差無いことを私はもう説明しました。あとはそれをご理解いただくのみです。--Bellcricket 2008年10月25日 (土) 00:26 (UTC)
Jmsさん、譲歩してくださってありがとうございます。私としては、現行と見直し案との比較・評価方法の詳細について議論することは、できれば避けたく思います。極論かもしれませんが、一定の集まりを縦に割るか横に割るかで、個々の性質や内容自体が変わるものではなく、依頼の出しやすさやコメントの付けやすさには影響しないと思うからです。コメント依頼が出るかどうか、そしてうまく機能するかどうかは、そのときどきの参加者の能力や姿勢・相性など、ウィキペディア全体のコミュニティーの状況によるところが大きく、期間を区切ったところで分類方法による違いを見出すことは至難の業でしょうし、その意義を感じません。私にとって見直し案は、誤解を招きやすい「議論活性化」を前面に打ち出さないという点で評価しているのです。
ここは「試行」方法にはこだわらずにやってみる、ということでいかがでしょうか。いまの分類方法にしても変わってきているわけで、これで固定するというものではないので、いったん見直しして、その後の推移からしてやはりうまく機能していない、以前のほうがよいとお考えであれば、元に戻す提案をされるということではいけませんか?--みっち 2008年10月25日 (土) 02:04 (UTC)
Bellcricket さんとわたくしとでは、有意という言葉を違う意味で用いている様に思います。大差ない、ということまでは示されていないと考えていますが、その一方で、大差があるとも示されていないと思います。
結果の評価をすることに意義をあまり見出せないというみっちさんの意見のはわかりますが、トレードオフの問題であるなら、判定基準を決めておく必要があるでしょう。トレードオフの問題でないなら、評価する必要は必ずしもないと思います。
現行の類型がわかりにくい (少なくとも、この議論に参加している人々の間でその意味するところが共有できていない可能性がある) としても、コメント依頼という一種の助力要請において、「どういう助力を求めているのか」というのを主分類とする、というのには一定の合理性があると思います。「求めている助力」の現行の類型がわかりにくい、というところから、助力の類別が他にできないか検討してみるというのはわかりますが、そのステップなしに、議論対象の類別へ切替えることでより使いやすくなる、という部分がわたくしには飛躍に思えます。その一方で、みっちさんの「極論」も含め、どう分類しても大差なかろうという意見もありますし、実際に有意な差があるという結果があるわけでもありません。利用者の行為についてのコメント依頼は、他のコメント依頼とかなり様態が異なりますから、「求めている助力」で分類するにせよ対象で分類するにせよ、他から分けておく意味はあると思いますが、それ以外を対象で分類する必要性があるのでしょうか。どう分類しても大差ないかもしれないからためしに (利用者の行為以外について) 分類をやめてみよう、というのなら理解できます。どう分類しても大差ないかもしれないからこの分類はやめてあの分類にしてみよう、というのはなにをしたいのかわたくしにはよくわかりませんし、仮にそういうやりかたをとるなら、この分類とあの分類のそれぞれについて何らかの定量評価が必要になるでしょう。「利用者の行為についてのコメント依頼」と「その他の一般的なコメント依頼」に分けるのでは単純化しすぎでしょうか。方針やガイドラインについては別格、というのはわかりますが、それはむしろWikipedia:お知らせでも告知する事を奨励する方が効果的ではないかと思います。--Jms 2008年10月29日 (水) 11:57 (UTC)
(コメント)Bellcricketさん、みっちさんの御提案に賛成です。要するに目的別に分けるか、対象(分野)別に分けるかということですが、対象別の方が依頼しやすいのは明らかで「全体方針・GFDL解釈について」「記事・カテゴリについて」「利用者について」「プロジェクトについて」「コンクール・月間賞について」のような分類が適切であり、あとで参照する場合にも対象別にまとまっていた方が便利だと思います。依頼目的(提案したいのか、合意をとりたいのか、議論参加者を募りたいのか、専門的な見地からの教示を得たいのかetc)は、依頼文のなかに書けばいいことです。--Greenland4 2008年11月4日 (火) 18:46 (UTC)

試行の提案[編集]

ずいぶん長い間、議論が止まってしまいました。提案した者として申し訳なく思います。ただ、議論の流れの中で、現状の「議論活性化」「合意形成」という分類に関する問題点は十分浮き彫りになったかと思います。そこで、現在の分類方法を一時停止し、当初提案された「記事」「方針」「利用者」「その他」という、ページの性質をもとにした分類を試しに導入することを提案します。これにより分類の仕方によるコメント依頼の活用具合や、議論のページにおけるコメントのつき方が比較でき、どのような分類が適切か議論がしやすくなると思われます。ご意見をいただければ幸いです。--Bellcricket 2009年8月18日 (火) 10:43 (UTC)

具体的文案としては当初文案+「方針についてのコメント」でしょうか。理由欄冒頭の「合意形成のため」というのはあまりよろしくないのではないかと思いますが…。「議論活性化」「リードを求めるため」「第三者の意見を求めるため」あたりで如何がでしょう。なぜわたくしの対応が変わったかというと、リードを求めているのか第三者の意見を求めているのかよくわからない例を実際に経験したからです。この場合は議論活性化か合意形成かという分類によるのではなく、何を求めるのかというのを明確に書かせるべきだったと思っています。ごめんなさい、鈍くて。--Jms 2009年8月18日 (火) 11:23 (UTC)
それでしたら、私が提案した分類と、Jmsさんご提案の「議論活性化」「リードを求めるため」「第三者の意見を求めるため」でそれぞれ30日程度試行してみるというのはいかがでしょう(日数は思いつきなので、これより長くても短くても良いと思います)。いずれの場合でもコメント依頼の運用具合に差が出れば、より良いほうを選択すればよろしいでしょう。またいずれの分類でも大差が無いようであれば、判断基準を「分類のしやすさ」に絞ることができるのではないかと思います。--Bellcricket 2009年8月18日 (火) 12:04 (UTC)
ええと、わたくしは「議論活性化」「リードを求めるため」「第三者の意見を求めるため」という分類を提案しているのではなくて、「記事」「方針」「利用者」「その他」という分類と組み合わせる理由冒頭の説明について「議論活性化」「リードを求めるため」「第三者の意見を求めるため」という三通り位か、と言っているのですが…。そうそう、「利用者」はぜひ「利用者の行為」でお願いします。--Jms 2009年8月18日 (火) 12:16 (UTC)
ああ、すみません。誤解しておりました。ではそのように致しましょう。冒頭部分は、後ほど改めて修正致します。--Bellcricket 2009年8月19日 (水) 14:17 (UTC)
(なんとなくインデント戻し) #月日節名の変更提案での提案も鑑み、分類を試すついでに各分類をサブページとしてはと思いますが如何でしょう。--Jms 2009年8月20日 (木) 10:33 (UTC)
マッピングをするとしたら…と、なんとなく現時点でのエントリを眺めていますが、以下はみな「その他」でしょうか。
  • Wikipedia:削除依頼関連
  • Wikipedia:投稿ブロック依頼関連
  • Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト関連
  • Category
  • Template
あまり細分化してもわかりにくいだけなので、分類数としては 4 類型程度が上限かと思います。その意味ではとりあえず全て「その他」にしておいて、要望が強ければ類型追加も考える、という方針で良いと思います。--Jms 2009年8月23日 (日) 13:54 (UTC)

「合意形成のためのコメント」中の文言[編集]

Wikipedia:コメント依頼#合意形成のためのコメント中の

  • 議論が起こっているページにこれまでの議論内容の要約を示してください。これは、他の人がどのような点で議論になっているかをつかみやすくするためです。

を、何を誤解したのか、コメント依頼文中に、自分の立場への加勢を求める立場で記述した方がいます。(2008年5月の日本電産に関する依頼)

たまたまなのでしょうが、熱くなっていると文脈を外して読み飛ばすのでしょう。「詳細も書かないようにしてください。これは、このページ自体が議論の場になることを防ぐためです。」「(コメント依頼文中ではなく)議論が起こっているページ」と、下線を引いたり太字にするとか、前に文言を付け加えたりとか、注意喚起する工夫の余地があるかとも思います。--編集仁王 2008年5月2日 (金) 05:24 (UTC)

合意形成のみならず、議論活性化にも同様の文言があるので、コチラも一緒に注意喚起の文言を統一したほうがいいと思います。--FOXi/Talk/Log 2008年5月2日 (金) 05:31 (UTC)
文言を読み落とした者の一人です。今回は失礼しました。可能であれば「コメント依頼の依頼文は、自分の主張を正当化する場ではない。中立な観点からの記載を」というような文章を明確に入れて頂けると、私のような間抜けも減るのではないかと思います。--はま 2008年5月2日 (金) 06:07 (UTC)

『「Wikipedia:コメント依頼」にサブページを作成し、そこで議論します。』について[編集]

解説ページの「利用者の行為についてのコメント」中の『「Wikipedia:コメント依頼」にサブページを作成し、そこで議論します。』の文言について確認させてください。

ここで言う「サブページ」とは当然に「Wikipedia:コメント依頼/xxx」を指すものと思っていたのですが、それは間違いで「Wikipedia‐ノート:コメント依頼/xxx」であり、むしろ、「Wikipedia:コメント依頼/xxx」では議論を行ってはいけないとの指摘を受けました。ただ、実際には「Wikipedia:コメント依頼/xxx」で議論を行っているページもあるわけで、上記の指摘が事実であれば、上記の文言は今後誤解を生まないように修正をする必要があるとともに、「Wikipedia:コメント依頼/xxx」が議論の場でないことについてもっと周知させるべきと考えますが、いかがでしょうか。--Lincun 2008年8月5日 (火) 12:23 (UTC)

Lincunさんは何か勘違いをなされてませんか?Wikipedia:コメント依頼/もね~るmonerの「8.1」の事だと思いますが、あそこで言われているのは「議論をするのであれば」という事です。コメント依頼は広くコメントを求めるための依頼であり、依頼者や被依頼者が逐一レスポンスを返す必要はないと思います。依頼者や被依頼者が逐一レスを返すとコメントではく、議論になりますよね?議論を交わすのであればコメント場のサブページでという意味でしょう。根本的な勘違いをLincunさんはしている事に気付いて下さい。--FOXi/Talk/Log 2008年8月5日 (火) 12:46 (UTC)
サブページとはHelp:サブページのことだと思っていたのですが、ここでは特別な意味があるのでしょうか。--Lincun 2008年8月5日 (火) 12:58 (UTC)

(編集競合しました)

ちょっと待った。Lincunさんのコメント依頼の認識と私のコメント依頼の認識が違うかも知れません。Lincunさんは「そこで議論します」の議論という単語に引っかかっていて、Wikipedia:コメント依頼/もね~るmonerで議論をしていたのに、注意を受けた…という感じでしょうか。「利用者の行為に対するコメント」依頼はまさにそのままで、コメントを求めるのであって基本的に議論を交わす場ではない、というのが私の認識ですが、Lincunさんは第三者を交えて議論をする場と思ってますか?

文言の変更提案[編集]

上記に絡みますが、コメント依頼に馴染みがない、コメント依頼を良く知らない、コメント依頼で初めて依頼をする、といった場合、上述の『「Wikipedia:コメント依頼」にサブページを作成し、そこで議論します。』というのは、上述の様な誤解を招く可能性があります。そこで以下に文言を変更する事を提案してみます。

「Wikipedia:コメント依頼」にサブページを作成し、そこでコメントを求めます

こうする事で少なくとも上述の様な誤解が生まれる可能性は低くなるのではないでしょうか。他の方の反応や、Lincunさんの反応などありますが。--FOXi/Talk/Log 2008年8月5日 (火) 13:03 (UTC)

FOXiさんの提案については賛成します。コメント依頼では、第三者の方々にコメントを求めるという本来の趣旨に鑑みれば、修正した方がよいでしょう。--TENDERAS 2008年8月8日 (金) 11:29 (UTC)

文言変更提案に関連して[編集]

どうもWikipedia:コメント依頼/もね~るmonerにおける私の書き込みというのは、「コメント依頼」での慣例から若干外れたものがあったことも事実かもしれません。ただ、「議論を行ってはいけない」というのにはどうも納得できないんですよね。2007年5月29日以前はこのページは「…の議論」というような節名が用いられていたわけですが、この日を境に「コメント依頼」というものの性質が本質的に変化したようにも思えません。また、上でも挙げられているとおり、「議論」という言葉が当然のごとく残されています。
今必要なことは、単に文言の手直しをするのではなく、「議論」と「コメント」は峻別されるべきものなのか、そうであればそれらの違いは何かを明らかにすること、またここのノートの過去ログにある「コメント依頼のルール・ガイドラインについて」でガイドラインの作成が提案されたまま放置されていますが、これをきちんと作り上げることではないでしょうか。
コメント依頼はかなり広範に渡って影響力を持ちうるものですから、管理者や古株のユーザを交えてきちんと議論すべきと思うのですがいかがでしょうか。--Lincun 2008年8月5日 (火) 14:57 (UTC)
慣例から若干外れたものがあったことも事実かもしれません」で「第三者を交えて議論をする場」だったと認識していた、という解釈で宜しいでしょうか。
過去に行われたコメント依頼を個別に見ていくしかありませんが、”議論”と”コメント”は峻別する必要はないと思います。ケースバイケースで柔軟にやっていかないと、ガチガチに固めてしまうのもどうかなという気がします。そもそも、今回の場合は「当事者が依頼者として対立(←言葉は悪いですが)していた相手に対してコメントを求めています」よね?こうしたケースでは、少なからずコメントを求めた相手に対して感情的になっていたり、ある意味で私怨めいた感情があったりする場合があります。そうすると、今回の様に逐一レスしていたりすると、「依頼者は冷静ではないんじゃないだろうか」と思われる事になってしまいます。
Wikipedia:コメント依頼/もね~るmonerを見ると、依頼文から既に若干感情的な依頼文で、途中途中に「補足」や「依頼者のコメント」が挟まれてますよね。まずは落ち着いて、コメント依頼が落ち着くのを待ちませんか?関係しているコメント依頼から、ある意味で”飛び火”した状態でガイドライン云々や文言変更云々に関して、Lincunさんと話し合いをするのは多少、危険と感じます(冷静さが欠けているがために主観的な判断になる、という意味で)。
なにぶんこういった議論に不慣れなもので、私よりもスムーズに話を進めてくれる方など、私とLincunさん以外の意見も待つ事にします。--FOXi/Talk/Log 2008年8月6日 (水) 00:34 (UTC)


>「慣例から若干外れたものがあったことも事実かもしれません」で「第三者を交えて議論をする場」だったと認識していた、という解釈で宜しいでしょうか。
1.Wikipedia:コメント依頼/もね~るmonerでいただいたコメントがあまりに事実を理解できないと判断した故、逐一こちらから事実誤認を指摘させて貰いましたが、そのスタイルが「慣例から若干外れたもの」であったと思っています。始めから侃々諤々の議論をしようなどと勇んでいたわけではありませんが、納得いかない意見があればそれに対して当然批判する権利は持ち合わせているし、それが場合によっては最終的に「議論」というものになることは当然のことと思っています。
少なくとも用途説明において「議論」という言葉は存在しているわけで、「第三者を交えて議論をする場」でないとすれば、この言葉は専ら当事者二人での議論を指すということになるのでしょうか?
>過去に行われたコメント依頼を個別に見ていくしかありませんが、”議論”と”コメント”は峻別する必要はないと思います。
2.「コメント依頼」に守るべき独自の様式というものが存在することには何ら異論はありませんが、コメント依頼のおいては議論はできないという頑なな態度は、「コメント」に対する批判を恣意的に封殺させることにも繋がり非常に危険なことと考えます。公開されるあらゆる意思表示は必ず批判を受ける可能性を確保しておくべきだと思うのですがいかがでしょう。
>そもそも、今回の場合は「当事者が依頼者として対立(←言葉は悪いですが)していた相手に対してコメントを求めています」よね?
3.「利用者の行為についてのコメント依頼」を行う、すなわちひとの行為に異見を持つということは、そこに考え方の対立が生じているのは当たり前のことだと思います。「今回の場合」などとおっしゃること自体、コメント依頼というものを理解していないのではありませんか?
>こうしたケースでは、少なからずコメントを求めた相手に対して感情的になっていたり、ある意味で私怨めいた感情があったりする場合があります。そうすると、今回の様に逐一レスしていたりすると、「依頼者は冷静ではないんじゃないだろうか」と思われる事になってしまいます。
4.名指しはしていませんがまるで私が私怨を持っているかのような仰りようですな。冷静な対話を望むのであれば、わざわざこんなことは言い出さないものだと思います。
>まずは落ち着いて、コメント依頼が落ち着くのを待ちませんか?
5.コメント依頼についてこれだけ見解の相違や不備が明らかになっている以上、この状態のままWikipedia:コメント依頼/もね~るmonerの結論を出すことは無理でしょう。したがって、そちらの方は一時進展を凍結させて頂きたいと思います。
>関係しているコメント依頼から、ある意味で”飛び火”した状態でガイドライン云々や文言変更云々に関して、Lincunさんと話し合いをするのは多少、危険と感じます(冷静さが欠けているがために主観的な判断になる、という意味で)。
6.飛び火したというより、具体的な事例を経て、コメント依頼というシステムの不備が明らかになったというのが適切な表現ではないでしょうか?そもそも、「危険」な人物に指摘されるまでコメント依頼の文言の矛盾に気付かなかったことこそ問題だと思いますが。
議論において冷静さを保つことの重要性を啓蒙すること自体は悪いことではありません。しかし、あなたの文章では、再三に渡り私について、「冷静」でない、あるいは「感情的」、「危険」などと評しており、これほどしつこく繰り返すと、むしろ相手を煽っているようにしか見えません。人の姿勢を云々する以前に己がそれだけのことを人に言える大そうな人物であるか一度振り返ってみてはいかがでしょうか。
今回の問題については、文言の修正という表面的なことばかりにとらわれるのではなく、そのような文言がどのような意図で以って設定されたのかまできちんと斟酌することが大事だと思っています。ここの議論のみならずFOXiさんの投稿履歴も拝見させてもらいましたが、それらにおけるFOXiさんの独善的な姿勢を見ていると、今回問題となっている文言を自分の都合のいいように変更したいだけではないかという疑念を持たざるを得ません。--Lincun 2008年8月7日 (木) 15:19 (UTC)
残念です。いろいろとその様に捉えられたのですね。ただ、その一言に尽きます。--FOXi/Talk/Log 2008年8月7日 (木) 15:29 (UTC)

(インデント戻します)

勝手ながらLincunさんの発言に番号を振らせて頂きました。個別に意見を述べます。

  1. 当事者間で議論を行うのであれば、当該ノートや利用者会話ページで根気良く対話を続けるべきではないでしょうか。「利用者の行為についてコメントを求めたい場合」とありますよね。もね~るmonerさんにも確かに「?」という行動はあります。対話に応じなくなった後にLincunさんの編集をリバートし始めた辺りから、Lincunさんはもね~るmonerさんの行為に疑問を感じコメント依頼をした訳ですよね。『もね~るmonerさんのこういった一連の行為を皆さんどう思いますか?』というのがコメント依頼ではないでしょうか。それで、下線部がまぁ依頼者が被依頼者に対する行為への疑問点なんかを説明する依頼文になると思いますが、そこで依頼者の方の意見というか主張はされている訳です。それで、第三者がコメントした事に対して逐一反応する、というのはコメントを求めている意味がなくなるとは思いませんか?
  2. 批判を受ける可能性を確保しておくべき」というのは、発言する以上は想定の範囲ではないでしょうか。実に様々な人達が参加しているプロジェクトですから、考え方も違えば物事の捉え方も人それぞれですので、自分はこれで良いと思って発言した事に対して批判される事は良くある話です。
  3. ひとの行為に異見を持つということは、そこに考え方の対立が生じているのは当たり前のこと」ですが、残念ながら当事者間だけが利用者に対するコメント依頼を行う訳ではありません。第三者が依頼する事だってあるので、「今回の場合」と発言しました。
  4. まるで私が私怨を持っているかのような仰りよう」という様に捉えられた事を残念に思います。
  5. それはLincunさんの自由ですので何も申し上げません。
  6. Wikipediaは参加している人達みんなでガイドラインの作成をしています。私一人が問題であるかの様に捉えられてしまった事も残念に思います。

私は再三に渡ってLincunさんを名指ししてそんな風には評していません。説明でそういった言葉は使いましたが、Lincunさんを意図して発言していない事がお分かり頂けず、煽っていると受け取られた事が残念です。

最後に、Lincunさんが私を独善的で都合の良い人間だと評価したのであれば、それはそれで構いません。人の評価もまた人それぞれです。--FOXi/Talk/Log 2008年8月8日 (金) 01:55 (UTC)

人の文章に勝手に手を入れるのは感心できませんが、便利なので今回はそのまま使わせてもらいます。
1.私が求めたのは被依頼者の「対話拒否(あるいは相手にそうとられても仕方がない行為)」についてです。被依頼者は「ウォッチリストに3000近く登録しているため」という言い訳をしていますが、それが信頼できるものなのかもっと厳密に調査していただきたかったですね。少なくとも、コメントする側自身が、ウォッチリストへの登録件数がおよそ同数なければ、正しく評価できるものではないと思うのですが。それと、「逐一反応」したことについてですが、TENDERAS氏については、コメントにおいて依頼者に対して質問をしているわけです。質問をしながら答えるなとはおかしな話ではありませんか?
2.M.M氏等の発言を見ると、そのあたりのことを理解されてないよな印象を持ちます。それに対する批判もないまま、私ばかりが批判されるのは釈然としませんね。
3.第三者として立ち回る場合でも、違和感を感じない人物についてコメント依頼するということは考えにくいのではないですか?参考までにそういう過去の事例を拝見させてください。
6.文言(のみならずシステム)の不備についてはあなたひとりの問題ではないと思いますよ。ただ、「飛び火」という言葉は、悪いことが拡散するという意味で用いられますから、もともとのあなたの文章について私に対する悪意を感じたのですが、それに対する反省はないのでしょうか。
FOXiさんは私に対して悪意はなかったと仰いますが、あなたの文章を読む限りは相手に悪意を持っているかのように採られても仕方のない表現が今回に限らず散見されます。もしその自覚がなければ、「冷静さ」を失っている証左ではありませんか。FOXiさんについては管理的分野での多く活躍されているようですが、単に記事を執筆するのではなく人を相手にする分、コミュニケーションの在り方については余計に意識しなければならないものだと思うのですがいかがでしょうか。--Lincun 2008年8月9日 (土) 11:07 (UTC)(一部訂正 --Lincun 2008年8月9日 (土) 11:23 (UTC))
どうもLincun氏は、自身に対する発言について、文言をゆがめて解釈する傾向が強いようですね。「もともとのあなたの文章について私に対する悪意を感じたのですが、それに対する反省はないのでしょうか。」とFOXi氏を難詰していますが、あなたは自分が批判されていると見ると相手は「悪意」をもっていると「悪意」に解釈をしているだけです。それこそ「『冷静さ』を失っている」ものと思いますけど?
Lincun氏が問題にしているFOXiさんの発言「こうしたケースでは、少なからずコメントを求めた相手に対して感情的になっていたり、ある意味で私怨めいた感情があったりする場合があります。そうすると、今回の様に逐一レスしていたりすると、『依頼者は冷静ではないんじゃないだろうか』と思われる事になってしまいます。 」ですが、文脈から判断することができないために起きた誤解といえるでしょう。これまでにコメント依頼では、「相手に対して感情的になっていたり、ある意味で私怨めいた感情があったり」することが多々見られたので、逐一レスをつけていると第三者から感情的になって「依頼者は冷静ではないんじゃないだろうか」という印象を持たれてしまうということをおっしゃっているだけに過ぎません。さらに「再三に渡り私について、『冷静』でない、あるいは『感情的』、『危険』などと評しており」と発言している件に関して、Lincun氏のこれまでの言動から考えて、「『冷静』でない、あるいは『感情的』」だと考えるのは至極当然のことです。それから、FOXi氏がLincun氏を「危険」だと評したという点ですが、これは「冷静でない状態で対話を進めると話がこじれて危険な状況になる」という意味での発言であるということをまったく理解していません。相手の発言の真意を理解しようとせず、言葉尻を捉えて悪意に解釈することはWikipedia:善意にとるに反する行為だということを自覚されるべきです。
それから、「ここの議論のみならずFOXiさんの投稿履歴も拝見させてもらいましたが、それらにおけるFOXiさんの独善的な姿勢」とい発言は、非常に不穏当な発言です。Wikipedia:個人攻撃はしないに反する可能性もありますので、Lincun氏は発言を撤回すべきと考えます。
Lincun氏は、この場において有益な提案を行っているわけですが、そのこともFOXi氏に対する不穏当な発言によって消し飛んでしまう可能性があります。要するにLincun氏の立場がよりいっそう不利になってしまうわけです。発言には十分注意したほうがよいと、これまでに何度も申し上げましたが、まったく聞く耳を待たずにいられること非常に遺憾に思います。
何度も申し上げますが、理解していないのはLincun氏です。コメント依頼は、第三者からの意見を募って対応を検討する場であって、自身の主張を押し通すために議論をする場ではありません。私は、コメント依頼で相手のコメントに逐一レスをつけていると双方感情的になって話がこじれるからやめなさいということをいっているに過ぎません(しかもLincun氏は、コメントをした相手に対して非難する発言をしているので、下手をするとWikipedia:コメント依頼/もね~るmonerが非難合戦によって荒れる可能性を示唆したわけですが、まったくお分かりでないご様子です)。Wikipediaの基本方針を熟読の上、冷静に対応されることを希望します。--M.M 2008年8月9日 (土) 12:50 (UTC)
ここまで熱心な文章を書かれるとはM.Mさんには思うところいろいろとおありなのでしょうが、読み手にとって負担にならないような簡潔な文章でお願いします。
FOXiさんの発言について何ら問題ないと仰せですが、「冷静」でない、「感情的」、「危険」なんて言葉を立て続けに用いていれば相手が不愉快な気持ちになることは当然のことです。「Wikipedia:善意にとる」について言及されるのであれば、私の老婆心から出た発言も善意にとってください。私の発言が個人攻撃になると仰せですが、真偽はどうであれ、FOXiさんが独善的であると度々批判されているのは事実です。自分でFOXiさんの投稿記録を精査て確かめてから仰ってください。
「要するにLincun氏の立場がよりいっそう不利になってしまうわけです。」と仰せですが、そのあなた自身が同時に、TENDERAS氏、HANSON氏に、私に対するコメント依頼を提案していますよね。この言葉は脅しと受け取ってよろしいでしょうか?
それと、あなたの発言とFOXiさんの2人の間でも「コメント依頼」というものの解釈が異なっていますので、私を「勘違い」していると非難する前に、見解の統一でも図られたほうがいいですよ。--Lincun 2008年8月9日 (土) 13:19 (UTC)
横からですが、Lincunさんに質問いたします。なぜ、M.Mさんが「要するにLincun氏の立場がよりいっそう不利になってしまうわけです。」とおっしゃったことが、脅しになるのでしょうか? Lincunさんに対するコメント依頼の提案と、それがどう関係あるのでしょうか?--Mizusumashi(みずすまし) 2008年8月9日 (土) 14:03 (UTC)
M.Mさんが私の見解というか思った事を噛み砕いて仰ってくださいましたので、私からはこれ以上の質問に説明はありません。そもそも、Wikipedia:コメント依頼/もね~るmonerにおいて、「依頼者からコメント投稿者へのコメント」をしてから、話がこじれてきております。投稿履歴を精査し人を評価なさるのであれば、過去のコメント依頼を一つ一つ精査しコメント依頼がどういった運用を行っているのか、ご自分でご確認なさってみてはいかがでしょうか。--FOXi/Talk/Log 2008年8月9日 (土) 14:43 (UTC)
さてさて、ここはWikipedia:コメント依頼のノートです。方針文章の議論と離れつつあるので「コメント依頼」にサブページを作成して、そこで議論しましょう。←という感じの用途で使用されることもあるでしょう。議論の場ではないとか第三者のコメント依頼の場だとか過去はどうとかは非常に細部の事であり、騒ぐようなことでもない。てゆうか依頼者の自由でしょ、そんなの。依頼者が冷静でないとか言ってますけど、仲裁しているのか煽っているのか分からないんですけど。いちいちコメントを返してどうするんだ。言うなれば依頼者含め第三者も感情的になっている、冷静になれ、ということです。
この言葉に何かを感じたら、それは自分の言ったことです。長い文章は冷静さを失わせるのでこんなところで。--Knua 2008年8月9日 (土) 15:03 (UTC)

コメント依頼が提出されました[編集]

◆本来の話から段々とベクトルが変わってきているようなので、Wikipedia:コメント依頼/Lincunを提出致しました。--FOXi/Talk/Log 2008年8月9日 (土) 15:17 (UTC)
コメント依頼について相当の見解の相違や不備が明らかになっていることを受けて、暫時コメント依頼への書き込みを中断することを上で申し上げましたが、その点について事情をよく知るあなたが私を対象としたコメント依頼を行うとは驚きです。せいぜい欠席裁判を楽しんできてください。--Lincun 2008年8月10日 (日) 12:56 (UTC)
コメント依頼を欠席裁判と認識しないで下さい。被依頼者も発言する事は可能です。Lincunさんとの利用者の行為に対するコメント依頼における認識の違いの大本は「コメントを求めている依頼で依頼者または被依頼者が議論を行うのは適切か否か」です。その点について、客観的意見を求め、私の認識がそもそもおかしいのか、ハッキリさせる必要があると思って提出した依頼です。--FOXi/Talk/Log 2008年8月10日 (日) 14:23 (UTC)
今回のコメント依頼について、「利用者の行為についてのコメント」として依頼されていますので、てっきり私の不行跡不品行を詰るものかと思っていましたが、実質的な提議の内容はコメント依頼に関する解釈の相違についてですよね。これは、コメント依頼の分類として妥当なものなのでしょうか。
それと、Wikipedia:コメント依頼/サンプルの内容をTENDERASさんが独自に書き換えたみたいですが、これもコメント依頼のガイドラインの一部と考えられますので、内容が現状と乖離しているという事情があったとしても、協議を経ずに独断で変更することは不適当だと思いますがいかがでしょう。--Lincun 2008年8月17日 (日) 14:50 (UTC)
何と申し上げれば良いでしょう…「コメント依頼の分類として妥当」かどうかの判断は主観で変わってくるとは思いますが、利用者が主だった依頼の場合は分類としては妥当ではないでしょうか。サンプルに関して私は特に何か申し上げる事はありません。--FOXi/Talk/Log 2008年8月18日 (月) 07:42 (UTC)

(インデント戻し)Wikipedia:コメント依頼/Lincunは、Lincun氏の「コメント依頼に関する解釈」が問題として提起されていますから、「分類としては妥当」だと思います。Wikipedia:コメント依頼/サンプルの件については、Lincun氏の指摘どおり、合意の上で書換えを行ったほうが良いと思いますので、今からでも協議を行ってはいかがでしょう(合意を得て書換えを行ったほうが後腐れがなくて良いと思います)。--M.M 2008年8月18日 (月) 11:01 (UTC)

「解釈」を「行為」に含めてしまっていいものかは疑問ですが、そうでなくても、コメント依頼についての解釈は私ひとりだけが独自の解釈を持つわけではないことは一連のやりとりの中で明らかになっていることですよね。そのような状況でこれを専ら「Lincunの問題」として取り上げることには無理があると思うし、わざわざひとつのテーマについて議論の場所を分散させることにどれほどの意義があるのか疑問です。
あと、サンプルの書き換えの件に関して、後腐れ云々の問題以前にそれが当然の手続きだと思うのですが、FOXiさんについては、これが取り立てて問題となるような行為ではないとお考えなんでしょうかね。--Lincun 2008年8月18日 (月) 12:44 (UTC)
「被依頼者は他ユーザの言葉尻を捉え、揚げ足取りとも受け取れる発言を行っています。」とあるように、Lincunさん自身の発言も問題として提起されていることをお忘れなく。
>コメント依頼についての解釈は私ひとりだけが独自の解釈を持つわけではない
Lincunさんの発言ならびにコメント依頼に対する独自解釈は突出しているんですよ。だから、コメント依頼によって第三者から意見を募って対応が検討されていることに気づいていただきたいものです。Wikipedia:コメント依頼/Lincunを「欠席裁判」だとか言っている時点で、コメント依頼の趣旨を理解していないことは明らかです。コメント依頼は、被依頼者への懲罰を目的としたものではありません。
FOXiさんの「サンプルに関して私は特に何か申し上げる事はありません。」という発言を「取り立てて問題となるような行為ではないとお考えなんでしょうかね。」と曲解するところも問題なんですけどね。単に「コメントは差し控えます」と解釈すればよいだけのことです。--M.M 2008年8月18日 (月) 13:30 (UTC)
>「被依頼者は他ユーザの言葉尻を捉え、揚げ足取りとも受け取れる発言を行っています。」とあるように、Lincunさん自身の発言も問題として提起されていることをお忘れなく。
よく知っていますよ。ただ「経緯」の文章で重要なのは「それらを踏まえた上で、被依頼者の利用者の行為に対するコメント依頼に関する解釈が欠けているか否か、コメントをお願い致します。」ですよね。「Lincunの問題」とするならばもっと違う表現をされたはずだと思います。
>Lincunさんの発言ならびにコメント依頼に対する独自解釈は突出しているんですよ。
FOXiさんとあなたの間でも重大な解釈の相違があるのですが、あなたがそのことにお気づきになっていないのであればどうにもなりませんね。
>Wikipedia:コメント依頼/Lincunを「欠席裁判」だとか言っている時点で、コメント依頼の趣旨を理解していないことは明らかです。
コメント依頼の議論(のようなもの?)の様式について共通の解釈が得られない中で、いざ自分が書き込みを行ったところで、いろいろとケチを付けられるかもしれないという懸念を抱きながらでは、萎縮した発言しかできないでしょう。はじめから不平等であることが知れている議論の場に安心して出られると思いますか?私の立場からすればこれを実質的な欠席裁判にほかなりません。
>FOXiさんの「サンプルに関して私は特に何か申し上げる事はありません。」という発言を「取り立てて問題となるような行為ではないとお考えなんでしょうかね。」と曲解するところも問題なんですけどね。
なぜFOXiさんはここで「文言の変更提案」を行ったのでしょう?協議を経ずに独自にガイドラインを変更することは問題があると思っていたからそうしたんではないでしょうか。であれば、当然「サンプル」についても同様のことがあてはまると思うのですが、それについて言明を避けることに非常に違和感を感じざるを得ません。
太字で書くのは不愉快だから控えるよう以前お願いしたはずですが、どうもあなたはわざとやっているみたいですね。--Lincun 2008年8月18日 (月) 14:03 (UTC)
本筋と異なる事ですが、「太字で書くのは不愉快」というのはLincunさんの極めて個人的な感覚に過ぎませんので、それにM.Mさんが従うべき、あるいは従わなければならないという話は有りません。発言の殆どを「太字」でするような過度な修飾をしているなら、判らないではないですが、M.Mさんは一部の強調すべき箇所だけを「強調」しているに過ぎず、それはWikiおよびWWWにおける適切な使い方です。M.Mさんが「わざとやっている」などと非難される筋合いでは有りません。--Nisiguti 2008年8月18日 (月) 15:19 (UTC)
以前M.Mさんとのやりとりの際、自分宛ての文章に太字が用いられることにいい気持ちがしない旨、私は明言しております。太字を用いることが、意思の疎通の上で必要不可欠なものであるというのであれば話は別ですが、今回の文章については太字がなくてもM.Mさんの言わんとすることは十分理解できます。相手が嫌がることはやらないというのは最低限のお行儀でしょう。--Lincun 2008年8月18日 (月) 15:35 (UTC)
仰るように「相手が嫌がることはやらないというのは最低限のお行儀」です。しかし
  • 「一部の強調すべき箇所だけを「強調」する」事
  • 「太字で書くのは不愉快」として強調表現を止めさせる事
では、明らかに前者の方が議論をする上で妥当であり、常識的かつ好ましい行為です。
繰り返しますが「太字で書くのは不愉快」というのはLincunさんの極めて個人的な感覚に過ぎません。それを他人に強要するのは「最低限のお行儀」に反します。
また、Lincunさんが相手の「言わんとする事を十分に理解」されていたら、「太字で書くのは不愉快」などと理解を阻害する受け止め方はできる訳が有りませんし、第一、これまでの議論のような展開にはならないはずです。
少なくともM.MさんがLincunさんに対して、最低でもこれだけは伝えたいという「意思の疎通の上で必要不可欠なもの」を「強調」しているに過ぎませんので、それを非難するのは筋違いです。--Nisiguti 2008年8月18日 (月) 21:53 (UTC)

(インデント戻します)えっと、「解釈を行為に含めて良いのか疑問」などの発言から、Lincunさんは何かと白黒ハッキリつけたがるような印象を受けます。サンプルについてはM.Mさんの仰る通りです。要約欄も適切な要約でしたし、大きな問題のあるような記述とは思いませんでした。なので、「特に申し上げる事はない」つまりそれは「コメントを差し控える」事に他なりません。なんか、この先も平行線というか同じ発言(揚げ足取りにも取れる発言)をLincunさんが繰り返すのであれば、私は一旦引きます。上の太字についてもそうです。それはあなたの価値観や捉え方であって、必要以上に太字にしているとは私も思えず、わざとやっていると非難される筋合いはないと思います。私はこのままの状態でLincunさんと継続して会話を行うと、そのうち売り言葉に買い言葉で冷静な話し合いが出来ないと判断しました。文言の変更についてはもう少し意見を待ち、反対がなければ合意が成されたと見なし変更致します。--FOXi/Talk/Log 2008年8月18日 (月) 15:43 (UTC)

わたしの「コメント依頼」での在り方について「黒」と決め付けているのはそちらの方々ですよね。ものごとに白黒ハッキリつける必要がないというのであれば、「コメント依頼」の一件でここまで私が非難される必要はなかったと思いますよ。仰っていることがあまりにも都合良すぎませんか?
「揚げ足取りにも取れる発言」についても何を指しているのか是非とも伺いたいです。
「一旦引く」と言いながら同時に「反対がなければ合意が成されたと見なし変更致します」と仰せですが、合意のプロセスというものについてあなたがどにように考えているのか非常に興味があります。厄介者がいなくなった隙を見て自分の都合のいいように物事を進めて行こうというような印象を受けましたが、そうであれば非常に問題だと思います。--Lincun 2008年8月18日 (月) 16:12 (UTC)
現在の状況は主題を置いてけぼりにして、横道に逸れているという印象です。横道に逸れたからこそ、Wikipedia:コメント依頼/Lincunを提出されたのにさらに横道に逸れています。この枠の主題は私が間違っていなければ「文言の変更提案」に関することではありませんか。それ以外はそれぞれの場所で行なうべきでは?
例えば、サンプルに関する疑問があればWikipedia:コメント依頼/サンプルのノートに書くなど、あると思います。
またWikipedia:コメント依頼/Lincunは被依頼者の認識は果たして他の利用者と乖離しているのかをたずねているだけであると思います。
この話し合いで行なうことは間違っていなければ、引用いたしますが、
「議論」と「コメント」は峻別されるべきものなのか」と「「コメント依頼のルール・ガイドラインについて」でガイドラインの作成
の質問ではないのですか?
これら以外の話し合いが(Wikipedia:コメント依頼/もね~るmonerのノートで行なった方が好ましい等)、非常に多いです。
またLincun氏には文字ゆえかもしれませんが、WP:CIVを少し欠いているように感じます。言い方を借りさせていただくと「悪意を持っていると思われても仕方が無いと思えるぐらいに」非常に言い方が強いように思えます。悪意というのは非常に難しいものですが。
FOXi氏の「サンプルに関して私は特に何か申し上げる事はありません」に対する反応を見る限り、Lincun氏はWP:CALMをお忘れになってはおりませんか?
このような状況が続くようであれば、到底話し合いにはならないと思われます。--雨降らせて地固める 2008年8月18日 (月) 17:11 (UTC)
また始めるんですか…。せっかく焦点の外れたコメント依頼を提出していただいたFOXi様のご厚意に甘えて幕引きしとけばいいものの、Lincun様も好きですね。ほらまた、太字やら脱線し始めてますよ。もね~るmoner様との対立を、意味のある議論をなさる方が消えて久しい最近のコメント依頼に提出したことが最大の過失です。ろくに過去からの議論を追う気のない人たちの第三者を気取ったコメントに、いちいち返信する必要はないですよ。無視をすることも選択肢です。
何万もの記事へ貢献なさるLincun様は紛れも無くウィキペディアの執筆者として素晴らしい方です。ちょっと完璧主義が過ぎるところがあり、とぼけたコメントに反論したくなるのも分かりますが、これ以上議論を続けても益には決してならないでしょう。そろそろ終了を。--Knua 2008年8月19日 (火) 01:10 (UTC)
なるほどそういうことでしたか。というよりそのことにもっと早く自分で気付かなかったことが私も愚かでしたね。
ということでここのガイドライン云々にどう手を加えようが意味ないことがわかりましたので、ここの議論からは手を引かせていただきます。--Lincun 2008年8月19日 (火) 13:52 (UTC)

月日節名の変更提案[編集]

現在、コメント依頼の節スタイルは「議論活性化のためのコメント依頼」「合意形成のためのコメント依頼」「利用者の行為についてのコメント依頼」「その他のコメント依頼」という節の下にそれぞれ月日の節を置くという体裁が採られております。月日の節編集が発生した場合、ウォッチリスト上からは何の節が更新されたのか判り辛い状況にあり、利便性向上を図るため「2009年8月」⇒「利_2009年8月」のような一意に更新された節を判別できる名称に変更することを提案いたします。--R.Lucy 2009年8月18日 (火) 12:59 (UTC)

(賛成)その昔、Wikipedia:利用案内で、「要約欄に記されたリンクを辿ることでその節に移動する」という機能が、節名衝突が理由で適切に機能しない、と話したことがある差分のですが、提案のように節名が衝突しないようにすれば解決しますので、その意味でも提案に賛成します。また、節名の衝突回避方法として、節名に分類の省略文字を含める方法についてもいい方法だと思います。--NISYAN 2009年8月18日 (火) 15:04 (UTC)
(コメント) 現在の節をサブページにわけてしまう、という手もあります。興味のあるサブページだけをウォッチできますし、サブページを利用する方がスマートではないでしょうか。--Jms 2009年8月18日 (火) 16:19 (UTC)
サブページに分けるのもいいですね。上で提案して頂いているので、節名変更の試行とあわせて可能であればお願いしたいです。--R.Lucy 2009年8月20日 (木) 15:35 (UTC)
(コメント)サブページ化にも賛意を表明しておきます。--NISYAN 2009年8月20日 (木) 15:52 (UTC)
コメント#試行の提案と併せてサブページ化するということでしたが、先の議論が停滞しているようです。現状でサブページ化してしまうと、分類の見直しによる移動などが発生するため、影響の無い節名の変更(2009年8月⇒利_2009年8月)だけでもサクッと行ってしまおうと思っていますが、よろしいでしょうか?--R.Lucy 2009年9月13日 (日) 05:54 (UTC)
チェック 修正しました。--R.Lucy 2009年9月17日 (木) 09:34 (UTC)

コメント依頼を出された当事者が相手に対するコメント依頼を出すことについて[編集]

コメント依頼を出された当事者が相手に対するコメント依頼を出すことについてご意見を賜りたいと思います。
個人に対するコメント依頼はある意味で個人を断罪する意味があります。これに対してこちらも反証することは当然の権利と考えます。コメント依頼を出された場合そこで相手に対する批判を展開しても同等の反証可能性は担保されないのが実情です。出された側も出す権利は同等にあると考えますがいかがでしょうか?--人権 2010年1月3日 (日) 09:16 (UTC)

議論の場を次々に新設して議論を拡散させるのはやめてください。このままでは、誠実な対話をしない利用者とみなされて投稿ブロックされ、ウィキペディアでの活動ができなくなってしまいますよ。 --Hatukanezumi 2010年1月3日 (日) 10:27 (UTC)
◆「コメント依頼を出された当事者が相手に対するコメント依頼を出すこと」について当方の問題に限定せず広く一般論を承りたいと考えておりますが、どういった方法が可能かアドバイスをいただけますようお願いします。--人権 2010年1月3日 (日) 12:29 (UTC)
(この直上にあったテンプレート貼り付けコメントとそれへのレスポンスをコメントアウトしました。意味不明なやりとりだったものですから。「意味不明」という評価が不愉快ならば、テンプレート貼り付けなんていう方法ではなく自分の言葉できっちり議論に参加されたし>当事者 --Nekosuki600 2010年1月3日 (日) 17:32 (UTC))
あのテンプレートって定型文だったんですか? 単に枠を付けるだけのテンプレートで、中身の文章は自分で書かなければならないものかと思うのですが。それとも別の定型文テンプレートをsubstで展開してあのような形になったものでしょうか?--Gwano 2010年1月4日 (月) 03:20 (UTC)
(上記のやり取りは、少なくとも私には意味が理解できるので、テンプレートだけならとにかく他人の発言までコメントアウトするのはまずいと思います。--人魚 2010年1月3日 (日) 18:16 (UTC)


反対 元々のコメント依頼の結論が出て閉じられるまでは、被依頼者が依頼者に関するコメント依頼を出してはいけないと思います。元々のコメント依頼の提出理由が理不尽だと思ったら、対抗する方法は、まずその依頼の中でそう主張する事です。皆に被依頼者の主張が受け入れられれば、元々のコメント依頼を直ちに終わらせることができるし、その後ならば、被依頼者が依頼者に関するコメント依頼を出しても悪く思われないはずです。--人魚 2010年1月3日 (日) 14:49 (UTC)
◆必要だと思うなら、そのすでに出されたコメント依頼に出ていって議論をすればいいんじゃないの。議論の仕方によっては「過剰な自己主張に基づく議論妨害」とされる可能性があり、心証を害してなおさら自分の立場を悪くすることだって十分に考えられるけどさっ。
とりあえずなんだ。「コメント依頼返しの術」って、あんまし威力ないからやめとき。どういう方法でがんばればいいかをじっくり考えるのが正しかろう。じっくり考えれば、新しい地平が見えてくることがあるかもしれません。新たな地平が見えてこないのならば諦めるってのも大事なことかもしれません。--Nekosuki600 2010年1月3日 (日) 15:08 (UTC)
反対 人権さんの提案は不適切だと考えます。不適切なコメント依頼が提出された場合、コメント依頼の提出者が逆に「断罪」されることもありえます。コメント依頼の提出側であれば思い通りに議論が運べるほど、ウィキペディアのコミュニティは小さくないですし、愚かでもないと考えます。--Himetv 2010年1月3日 (日) 17:24 (UTC)
本提案のきっかけでもあるWikipedia:コメント依頼/Tiyoringo(II)で述べたことで全てです。--EULE 2010年1月3日 (日) 23:21 (UTC)
(追記)依頼者と被依頼者の公平性を保つというなら、私は、依頼者にせよ被依頼者にせよ、第三者がコメントするたびに、第三者のコメント欄に逐次的に反応し書き込むのは止めさせた方が良いかと思いますけどね。ケースバイケースですが、片方がそれをやれば議論の流れを誘導することになるし、両方がそれをやれば収拾がつかなくなる。あくまで依頼者は依頼文で、被依頼者は被依頼者のコメント欄のみを己の領域として、自分の主張をしたら、あとは放っておくぐらいが理想だと。あくまで原則論・理想論であって固守せよというような内容ではないのであしからず。--EULE 2010年1月3日 (日) 23:52 (UTC)
反対 人権さんは過剰に反応しすぎるのではないでしょうか。EULEさんが仰るように、書き込まれたコメントに片端から反応されるのは大変に見苦しいのでお止めになったほうが良いです。人権さんについてのコメント依頼に対しては、みなさんのコメントを熟読した上で被依頼者コメント欄に自説を要約して書いてくださればそれで十分です。コメント依頼者に対して言いたいことは一杯あるのでしょうけれども、それは、ご自身のコメント依頼が落ち着いてから熟慮の上でやってください。--おーた 2010年1月4日 (月) 01:24 (UTC)
いわゆる報復依頼を提出する方ってたまにいるけど、なんでそんなことするのかなっていつも思うんだよね。本当に自分が正しいと思っているのなら、依頼に対してコメントして、あとは第三者の意見を傍観するべきだと思う。もし第三者の意見が自身を批判する内容であれば、その真意を見てとり、自身の問題点を反省すればいい(納得いかない部分があればムキになって反論するとかはせず、自身のコメント欄に説明をすればいい)。自身に賛同する内容ならば、図に乗って依頼者を罵るのではなく、議論を進めるための材料にすればいい。コメント依頼ってのは誰かを断罪するためでなく、第一者、第二者間で解決できない問題を第三者の意見(客観的な意見)を取り入れることで解決するためにあるんだよ。--Mkhcan487(Talk/Contributions) 2010年1月4日 (月) 02:25 (UTC)
コメント個人に対するコメント依頼は、個人を断罪する意味でなされるべきではなくて、個人対個人で説得できない場合、他の利用者の参加を促すものです。コメント依頼の場では、出した利用者、出された利用者双方が、コメント依頼での第三者のコメントに耳をかたむけるのが望ましい。出された側もコメント依頼を出す権利は同等にあるとしても、出すことが最善とは限りません。最初のコメント依頼を出すこと自体に問題があるなら、コメントに応じる第三者がそれを指摘するでしょうし、そのコメント依頼を出した利用者に依頼提出を含めて大きな問題があれば、誰かがその利用者のコメント依頼を出すでしょう。--Ks aka 98 2010年1月4日 (月) 03:35 (UTC)

ある程度意見が出揃ったようですので誰かまとめていただけませんでしょうか?私がそうするのは異論があろうと思いますのでお願いします。一般論としてまとまったところでこれを参考に自分自身の行動の判断としたいと考えています。--人権 2010年1月4日 (月) 09:52 (UTC)

(まとめ)「コメント依頼を出された当事者は、相手に対するコメント依頼を出してはいけない」というのが、ここに寄せられた一般論の総意だと思います。--人魚 2010年1月4日 (月) 13:37 (UTC)
(まとめ)「コメント依頼を出された当事者が相手方に対してコメント依頼を出してはいけない」なんていう簡単な結論はどこにもないと思います。その時々、それぞれの局面で、考えてベストの道を探ればいいじゃないでしょうか。
田中光二の『エーリアン・メモ』の「ドラゴン・トレイル」で、殺した相手の頭蓋骨を戦利品として持ち帰るために鍋で煮ているところをみつかったやつが乱闘騒ぎに巻き込まれるというシーケンスがあります。それについての裁定をまかされた部隊長が、「止めろとは言わん。しかし、もっとうまくやれ」と述べ、そのシーンを閉じます。そんな感じでしょうか。
止めろとは言わん。しかし、もっとうまくやれ。コメント依頼返しは、よっぽどうまくやらない限り、墓穴を掘ることになるでしょうからね。--Nekosuki600 2010年1月4日 (月) 14:01 (UTC)
(まとめ?)Wikipedia:コメント依頼/Tiyoringo(II)で述べたように、そのような次元以前の問題として、同一の事例を対象とした場合には議論がマルチポスト化するんですよ。だから、報復依頼は止めてほしい。依頼者が被依頼者が得するとか損するとか以前に、コメントをする第三者が損をする。
まあ、だけど、そのなんだね、どのような理由であれ報復依頼をすることは自滅行為以外の何物でもない。誰かが不当に得する行為ならともかく、自ら進んで崖に突っ込むなら禁止しなくても良いかとも思うし、そういう自殺志願者は禁止したところで崖から飛び降りるだろうし。--EULE 2010年1月4日 (月) 14:31 (UTC)

コメント皆さんの意見拝聴させていただきました。おおむね報復依頼については反対意見が主であることを確認させていただきました。貴重なご意見ありがとうございました。とくにNekosuki600のご忠告身に染みるものがありました。--人権 2010年1月5日 (火) 13:33 (UTC)

「利用者の行為についてのコメント」の提起制限について[編集]

利用者の行為についてのコメントについて、最近LTA:MIKIとおぼしきユーザから個人攻撃ともとれるコメント依頼が立て続けに発生しました。そのため、少なくとも「利用者の行為についてのコメント」については提起制限をかける必要性があると考えます。私としては「ブロック依頼提出権のあるユーザ」で行えばよいと考えています。--S-PAI 2010年1月4日 (月) 04:25 (UTC)

(明確に反対)制限の必要性を感じません。現状でも、問題があるコメント依頼は、依頼者が逆に叩かれたり、依頼者が長期荒らし系列としてブロックされてコメント依頼も強制終了になったりするため、問題なく機能しているはずですよね(手間が多くかかってしまうこと自体は否定しません)。そもそも、制限を加えるということは最終手段のはずですが、それを一部のLTA事例を持って提起するのはいかがなものでしょうか(絨毯爆撃のようにコメント依頼が乱立してしまって、どうしようもないという状況なら、まだ理解できますが、現状ではそこまで行っているとは思えません)。--かげろん 2010年1月4日 (月) 06:26 (UTC)
反対 投稿制限をする理由が自由な発言を許容するウィキペディアにそぐわないと考えます。かげろんさんの仰っているとおり手間はかかりますが、現状では制限するほどのものではないと考えます。投稿ブロック依頼は発言の権限を取り上げる審議ですから、コメント依頼とは性質が異なりますのでブロック依頼提出権ユーザーという条件はやりすぎ感があるなと思います。利用者の行為についてのコメントを求める際の注意事項を少し増やすのには反対しません。(どういう場合は提起されるのか、どういう場合は除去されるのか・・・とか)--アルトクール 2010年1月4日 (月) 08:32 (UTC)
反対 その利用者の行為に問題があるかどうか、あるとしても投稿ブロックの必要がある程の問題かどうか第三者に意見を求めるのがコメント依頼の目的ですから、依頼は誰でも出せるようにすべきです。あからさまに問題のあるコメント依頼が出された場合は、他のページに対する荒らしと同様に、即時ブロック等で対処してもらえば済む話ですし、現状ではそういう依頼は月に数回以下だから、規則を変えなくても対処可能なはずです。もし制限するにしても、同一人物かどうか特定できるように「ログインユーザー」か「自動承認された利用者」限定にしておけば十分だと思います。--人魚 2010年1月5日 (火) 00:42 (UTC)
(コメント)ソックパペット行為が露骨に繰り返されるものは、Wikipedia:即時削除の方針 全般3 を適用して新規コメント依頼ページを即時削除してかまわないと思います。どなたか真っ当な他ユーザーさんがコメントをつけた時点では適用外となりますが。--Su-no-G 2010年1月9日 (土) 06:36 (UTC)
(条件付賛成)2010年が始まってまだ10日しか経っていないというのに、既にMikihisaのソックパペットに今年3度目のコメント依頼を出されたYassieですこんばんは。確かにコメント依頼は第三者に広くコメントを求めるのがその趣旨ですから、提起制限というのはあまり望ましくなく、S-PAI様の仰る「ブロック依頼提出権のあるユーザ」というのは流石に行き過ぎかと思います。しかしながら、ソックパペットによる荒らしが続いている以上、それを防ぐ手立ては必要かと存じます。私としては、サブページの作成はソックパペットによる乱発を防ぐため「自動承認された利用者」限定、またコメントは発言者の同一性を確保するため「ログインユーザ限定」くらいが妥当な線かとは思っております。とにかく、何らかの手は打って頂きたいです。いい加減疲れました。Yassie 2010年1月10日 (日) 09:04 (UTC)
コメント 制限するより先にLTAの通報アクション起こしたらどうですか?通報が面倒だからウィキペディアで制限しろは本末転倒です。--アルトクール 2010年1月10日 (日) 10:50 (UTC)
コメント 「提起制限」というのはコメント依頼の本旨からすればナンセンス極まりない策であることは明らかでしょう。そんなことをするぐらいならば、管理者権限をお借りする形になりますけど「(長期)荒らしと認定された利用者による依頼については原則即時終了・無期限全保護・依頼ページからすぐに除去とする規定」でも設けた方がよっぽど建設的になると思います。あと、Yassieさんにおかれましてはとても面倒なことだったと思います。--かげろん 2010年1月10日 (日) 13:38 (UTC)
たしかに長期荒らしを防ぐという意味では即時終了というのを明文化するのはいい案だと思います。--S-PAI 2010年1月10日 (日) 15:00 (UTC)
反対 なんだか、毒をもって毒を制しようとして、さらにきっつい毒をまかれているようですね。まぁ、新規記事(特にいわゆるns:0,1以外)の作成を登録ユーザのみにするってのなら賛同せんわけでもないですが。--Goki 2010年1月10日 (日) 14:51 (UTC)
当初の提案は厳しすぎで反対という意見が多いため今回の「提出権をブロック依頼提出権のあるユーザにする」という導入はなしにしようと思います。しかしながらLTA:MIKIにより再度出されたため、「自動承認された利用者(jawikiでは登録後96時間以上経過したログインユーザ)」に限定すべきだと思いますがどうでしょうか。当面「Wikipedia:コメント依頼/Yassie」が含まれるページをMediawiki:Titleblacklistで半保護依頼をしたいと思いますがどうでしょうか。--S-PAI 2010年1月10日 (日) 15:00 (UTC)--追記--S-PAI 2010年1月10日 (日) 15:03 (UTC)
反対 繰り返して申し上げますが、「提案制限」ということ自体がコメント依頼の本旨に適合しませんし、ナンセンスなことです(厳し過ぎなんてもんじゃない)。まず、制限をかけずに済むような建設的な対応策を考えて実行するべきであって、それをやっても効果がなかったときに初めて「制限せざるをえないか」と考えるというのが本来の筋じゃないですか? 正直な話、そういう観点が本提案には欠けているとしか思えません。あと、半保護依頼のことに関しては、依頼を出すのであればお好きにどうぞ、というところです(特に、賛成も反対もしません)。--かげろん 2010年1月10日 (日) 15:32 (UTC)

提案は反対多数ということでいったん引っ込めさせていただきます。しかし、「Wikipedia:コメント依頼/Yassie」が含まれるページをMediawiki:Titleblacklistで半保護依頼する件については再発を鑑み荒らしへの対処として依頼させていただきます。--S-PAI 2010年1月17日 (日) 04:17 (UTC)

(報告)「Wikipedia:コメント依頼/Yassie」で始まるページを作成半保護にしていただきました。また、LTA:MIKIについてノートでチェックユーザ依頼提案を行いました。--S-PAI 2010年1月17日 (日) 11:10 (UTC)

依頼の書式を整理してより見やすいページにしては?[編集]

はじめまして。根川孝太郎というものです。思うのですが、このページは「依頼のページ」にもかかわらず、依頼が見にくいような気がします。そこで、改名提案分割提案でも提案しましたが、書式用のテンプレート、またはそれに類似する物を作成し、見やすくてはどうでしょうか?。

ただ、どちらでも「テンプレートは好まれない」と言われましたので、現在一つのページにまとめてある「議論活性化のためのコメント」「合意形成のためのコメント」「利用者の行為についてのコメント」「その他のコメント」の4つを、サブページ方式で話題別に分割するのもアリだと思います。皆様の意見をお待ちしています。--根川孝太郎 2010年5月21日 (金) 07:59 (UTC)

すみませんが、どう見にくいのかもっと具体的にお願いします。あなた自身がしたいと思われることも今一わかりづらいですし、それ(サブページ展開)によって何が見やすくなるのかとか全然見えてこないのです。書式用のテンプレート(かそれに類する物)あるいは、それを提起したノート(トーク)を提示しながら、やっぱりそれは好まれないから・・・とか、何がしたいのかよくわかりません。--EULE 2010年5月21日 (金) 08:22 (UTC)
改名提案での議論のときは、分割提案での議論の流れを書いた方がよいとは申し上げましたが、提案しないことは書かれないようお願いします。「私は本当はテンプレートにしたいのに...」では論点がぼやけます。 さんはテンプレートはわかりやすいものだというお考えなのかもしれませんが、テンプレートは補足情報であるから目立ってわかりやすいのであって、ページ内全てをテンプレートにすることは好ましくありません。
また、「見にくい」だけでは主語なく、仰ることが伝わって来ませんので、「記事名と理由が同じ太さ・大きさなのが見にくい」「目的別にはなっているけれども、分野別になっていないのはわかりにくい」といった主語がある理由をお願いします。--けいはんな 2010年5月21日 (金) 14:05 (UTC)--けいはんな 2010年5月21日 (金) 14:32 (UTC)
コメント本文よりも大きなフォントで、一文字ずつ色を変えて、しかも自身の利用者ページや会話ページへのリンクを外してしまうような方が、「見にくい」と言っても、一つも説得力はありません。こちらの方が、よっぽど見づらく、機能性を損ない、しかもリソースの無駄遣いなだけですので、まずは署名の改善を求めます。--Dr.Jimmy 2010年5月21日 (金) 14:44 (UTC)

分かりにくい提案で申し訳ありません。混乱を招くようなのでテンプレートの件は取り下げます。(確かにテンプレの乱造といわれるかもしれません)私としては、4つある依頼を「依頼別サブページに分割しては」と考えたのです。あと、けいはんなさんの言う「主語がある依頼を」に関してですが、「記事名と理由が同じ太さ・大きさなのが見にくい」が当てはまるかもしれません。また、署名は直しておきました。--根川孝太郎 2010年5月22日 (土) 01:37 (UTC)

了解しました。特に理由のない単なる思い付きだったというのがよくわかりましたので、この提案には反対いたします。--EULE 2010年5月22日 (土) 02:07 (UTC)

コメント依頼の依頼文について[編集]

表のページで「誰の依頼文を掲示するか」ということをめぐって編集合戦がおこり、これに関連してWikipedia:コメント依頼/Gladneed‎を提出しました。最初の依頼者に依頼文の占有権があるのか、というようなことに対してコメントを求めています。表ページにも掲示しましたが、コメント依頼の運用全般に関わることですのでこちらにも記載しておきます。--頭痛会話2013年4月27日 (土) 16:37 (UTC)

コメント依頼のガイドラインについての確認[編集]

Wikipedia:コメント依頼のガイドラインについて若干確認したい点があります。Wikipedia:コメント依頼への依頼そのものについて合意が必要とされているか否かという観点も含めて、Wikipedia:コメント依頼での依頼先や依頼内容について当事者間で対立した場合には調整を図る必要があると思うのですが、現行のガイドラインではどのような扱いがとられているのか確認したい点があります。

  • (考え方1)Wikipedia:コメント依頼への依頼そのものに事前の合意が必要とされている。
    • (1-1)依頼そのもののほか依頼先・依頼内容について常に事前の合意が必要である。
    • (1-2)当事者間に対立がある場合には依頼先・依頼内容についても事前の合意が必要である。
    • (1-3)その他
  • (考え方2)Wikipedia:コメント依頼への依頼そのものには事前の合意は不要である。
    • (2-1)依頼先・依頼内容について異議が出た場合には提出済の依頼はそのままでノートで合意し、その合意に沿って修正を行う必要がある。
    • (2-2)依頼先・依頼内容について異議が出た場合には提出済の依頼に暫定的な修正を加えた上でノートで合意し、その合意に沿って修正を行う必要がある。
    • (2-3)依頼先・依頼内容について異議が出た場合には提出済の依頼をいったん取下げた状態にした上でノートで合意し、その合意に沿って再提出を行う必要がある。
    • (2-4)依頼先・依頼内容について異議がある場合には提出済の依頼を修正することができる。
    • (2-5)依頼先・依頼内容について異議がある場合には提出済の依頼に追記することができる。
    • (2-6)依頼先・依頼内容について異議がある場合にも提出済の依頼に修正・追記を加えることはできない。
    • (2-7)その他

現行のガイドラインではどのような扱いになっているのでしょうか。コメント依頼の要件等の考え方について若干疑義があるように見受けられます。以上について確認したいと思います。--Jizwf会話2013年4月30日 (火) 20:23 (UTC)

取り下げ 先日述べましたようにWikipedia:コメント依頼での依頼先や依頼内容について当事者間で対立した場合に調整を図る必要があると思い、現行ガイドラインの考え方を確認した上で、疑義を払拭する意味でも現行ガイドラインに既にある「このページ自体が議論の場になることを防ぐ」という点に加味する形で一定の基準化を行ったほうがよいのではないかとは思ったのですが、次のような点を考慮した結果、現段階での基準化を断念しました。
  • 当初、依頼内容について当事者間での対立を防ぐためには合意を基礎とすることが最善とも考えました。ところが、Wikipedia:コメント依頼への依頼そのものに事前の合意が必要なものとガイドラインに明記すると、当事者間で合意できない限りWikipedia:コメント依頼への提出が困難という結果になるように考られるようにも思われ慎重に検討すべきと思います。当事者間に争いがある場合の依頼については事前に依頼内容等について調整することが理想と思いますが、ガイドライン上の明文で事前の「合意」を厳格に要求するとWikipedia:コメント依頼への提出が実質的に困難になるおそれがあるという点についても考慮が必要かと思います。仮に現行のWikipedia:コメント依頼のガイドラインにおいてそのような厳格な事前の「合意」を必要としているとすれば「合意が必要」と明記する必要があるかと思うのですが、以下のように現行の各類型に即して考えると妥当でないと思います。
    • 議論活性化のためのコメントの場合 - 議論活性化のためにはWikipedia:コメント依頼を積極的に活用すべきかと思います。そもそも議論が活性化する気配がなく議論参加者が1人の場合には合意というものを観念することが困難です。一定期間(例えば1週間)ノートで反応が無ければコメント依頼への依頼について合意があったものして扱うといった対応は考えられますが、コメント依頼のための1週間を待つよりも早期にコメント依頼をして議論を活性化したほうが有意義かと思われます。現行ガイドラインでも一定期間ノートで反応が無ければコメント依頼への依頼について合意があったものして扱うというような趣旨の規定はなく、ガイドラインの依頼理由の一つとして「多くの利用者の意見を聞きたい」が含まれており、そもそも、そのような手続が要求されているとは思えません。
    • 合意形成のためのコメントの場合 - 当事者間で合意形成することが困難なほどの段階にある場合には第三者からの意見が幅広く寄せられるほうが望ましいと思われ、Wikipedia:コメント依頼を活用すべきですから、(少なくともコメント依頼へ提出するかしないかという点に限って言えば)当事者間の合意云々の問題ではないように思います。仮に当事者間の合意が必要と考えると、例えば対立を生じている当事者の一方(もしくはコメント依頼が必要と考える第三者)がWikipedia:コメント依頼で合意形成を図るべきと考えた場合にその相手方が拒否するとコメント依頼が困難ということになります。
    • 利用者の行為についてのコメントの場合 - 依頼の性質から考えて被依頼者の合意が無ければ提出不可というのでは具合が悪いように思います。
当事者間で依頼内容について対立を生じるような事態を避けるための仕組みを設けつつ、コメント依頼そのものについては有効に機能するような何か良い方策はないものかとは思ってはいます(依頼内容について異議が出された場合にはノートページへのリンクを残したまま依頼文面のみを暫定的にコメントアウトして調整を図ることなども考えましたが、現行では依頼には常に理由が付いた状態であることが前提とされているようなので難しいのかなとも思いました)。Wikipedia:コメント依頼については「このページ自体が議論の場になることを防ぐ」という点を整理し、依頼先や依頼内容について当事者間で対立した場合の調整規定を盛り込む必要があるのではないかと思ってはいますが現段階での基準化については断念しました。--Jizwf会話2013年5月3日 (金) 06:00 (UTC)

ガイドラインの表示について[編集]

現行のコメント依頼では、議論活性化のためのコメント、合意形成のためのコメント、利用者の行為についてのコメント、その他のコメントの4つに類型化されています。そして、これら4つの類型のうち、議論活性化のためのコメント、合意形成のためのコメント、その他のコメントのガイドラインにおいて次のように文言が設定されています。

(現行)

  • 利用者名付き署名(~~~や~~~~チルダ3-4個など)をしないようにしてください。詳細も書かないようにしてください。これは、このページ自体が議論の場になることを防ぐためです。利用者名をつけない署名の仕方は、チルダ5個(~~~~~)で行えます。

しかし、これらの遵守事項の説明部分については視認性が低いように思われます。そこで議論活性化のためのコメント、合意形成のためのコメント、その他のコメントでの説明を次のように組みかえ補足してはどうでしょうか。

(改定案)

  • このページ自体が議論の場になることを防ぐため以下の事項を遵守してください。
    • 利用者名付き署名(~~~や~~~~チルダ3-4個など)をしないようにしてください。利用者名をつけない署名の仕方は、チルダ5個(~~~~~)で行えます。
    • 依頼理由では論点を端的にまとめ詳細については書かないようにしてください。

なお、現行の4つの類型のうち、利用者の行為についてのコメントのガイドラインにのみ他の類型のガイドラインにはある前記の文言(「利用者名付き署名(~~~や~~~~チルダ3-4個など)をしないようにしてください。詳細も書かないようにしてください。……」)が盛り込まれていないのは、その性質上、依頼理由を表現しにくくなるおそれがあるということによるものでしょうか。しかしながら、「論点を端的にまとめ詳細については書かない」というレベルであれば依頼理由を表現する際に支障をきたすおそれもないと考えられ、ガイドラインの一貫性という観点からも同様の表示があってもよいのではないかとも考えられます(利用者名付き署名をしないという点について、現行では他の類型のガイドラインでは明文+書式の例示という形をとっているにもかかわらず、「利用者の行為についてのコメント」のガイドラインのみ明文がなく書式の例示のみの形をとっています)。この「利用者の行為についてのコメント」のガイドラインでの問題については提案段階ではひとまず保留しますが、御意見があれば今回の案に含めることも考えたいと思います。--Jizwf会話2013年5月17日 (金) 00:00 (UTC)

報告 異論なくガイドラインを一部修正し反映しました。--Jizwf会話2013年5月24日 (金) 00:03 (UTC)

利用者へのコメント依頼で本人への通知推奨の明示化[編集]

Wikipedia:コメント依頼/Cossy~jawikiWikipedia:コメント依頼/Ikedat76 20151105などで目にしたのですが、最近、被依頼者にコメント依頼提出のお知らせが行われていないケースがあります。利用者へのコメント依頼ですので被依頼者本人が知らないと言うこともどうかと思います。場合によっては誤解に基づいた議論が行われる場合などもあるわけです。欠席裁判のようになるのもいかがなものかと思います。したがって利用者の行為についてのコメントの手順に「被依頼者への通知は出来るだけしましょう」と盛り込むことを提案します。義務ではなく推奨です。ことによると通知しないほうがいい場合もあるかもしれない。また、本人への通知が無いから無効だという議論がでるかもしれない。ですので本人への通知は義務ではなく推奨。--ぱたごん会話2015年11月8日 (日) 11:29 (UTC)

  • ああ、そうですね。アラート機能がありましたね。アラート通知機能が出来て以降、自分がコメント依頼をだされたことが無かったもので失念していました。なるほど、ログインさえしていれば被依頼者が気が付かないということは無さそうです。もっともログインをしばらくしていない場合でも会話ページに書かれるとメールが来る(設定していればですが)。アラート機能ではログインしないと気が付かないわけで、推奨と言うことならあってもいいでしょう。--ぱたごん会話2015年11月8日 (日) 13:11 (UTC)
    • コメントWikipedia:バグの報告#通知の不具合?」にもある通り、通知機能は万全ではありません。そもそも第三者による確認が不可能なものを根拠に「通知があったはずだから云々」というのは余計な問題を生むように思います。--Frozen-mikan会話2015年11月8日 (日) 15:00 (UTC)
    • コメント もうひとつ。利用者の言及は[[利用者:xx]]とリンクされたときに通知されます。{{User2}}などで置かれた場合は通知機能が働かないことがあります。あくまで通知は受動的なシステムですが「利用者の言及の通知」は完全にパッシブな機能であって、他の利用者からの感謝のように何かの動作によって機能するものはありません。ですので、アラートがあるからコメント依頼を出した/出されたという通知を推奨にするというのはしないほうがよいと考えられます。--アルトクール(/) 2015年11月8日 (日) 15:16 (UTC)
アラート機能があるから義務ではなく推奨というわけではありません。どんなケースがあるか想定しきれないので、原則通知するべきだが、個別事情によって配慮しても良いということです。--ぱたごん会話2015年11月9日 (月) 11:22 (UTC)

基本的な反対はないようです。では、文面は「通知機能は万全なものではないので、控えるべき格別の理由がないかぎり、出来るだけ被依頼者の会話ページにコメント依頼を提出した旨を通知しましょう。」でいいですか?--ぱたごん会話2015年11月11日 (水) 17:09 (UTC)

特に反対も無いようですので追記いたしました。[1]--ぱたごん会話2015年11月21日 (土) 09:37 (UTC)