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Wikipedia:コメント依頼/Hisagi

利用者:Hisagi会話 / 投稿記録 / 記録について、コメントを依頼します。--Phenomenology会話2015年6月18日 (木) 22:32 (UTC)[返信]

経緯・依頼内容[編集]

第一点、信玄公旗掛松事件につき、ノート及び履歴をみていただければ一目瞭然ですが、記事の改善に何ら寄与するところの無い個人攻撃に終始しており、ノートページで根拠を逐一挙げているにもかかわらず、何ら具体的指摘をすることも無く、個人的な印象論のみを理由に「難癖」と決め付けています。そのような攻撃的編集の結果、信玄公旗掛松事件本文においては編集合戦を理由に記事保護にまで至っています。同人の個人ページを見る限り利用者:氷鷺会話 / 投稿記録 / 記録氏と同一人物のようですが、Wikipedia:コメント依頼/氷鷺 20121129Wikipedia:投稿ブロック依頼/氷鷺 20130406やご本人の会話ページ等々、こういう人物であることがわかっている以上、不慣れでも先にコメント依頼をすべきだったかもしれませんが、さて如何したものでしょうか、同ユーザーの関与した過去あまたの紛争事例においては、対話で解決せよと主張する方も毎回いらっしゃるようですが、対話で解決した事例は果たしてどれほどあるのでしょうか。さしあたり少なくとも第三者による同ノートページでの明らかに項目名にそぐわない発言の適切な場所への移動、記事本文の保護解除への合意形成、できれば個人攻撃的部分の削除・コメントアウトの措置などをお願いします。なおノートページでも書いていますように、既に主執筆者の方への再検討の依頼はしていますから、記事本文についての根本的大改修を自らする意思は今のところありません。

第二点、件のユーザーのいう理由はさておき、差し戻し行為それ自体の妥当性についてのご意見もあればコメントお願いします。

郷土史としては興味深い記事だと思いますし、訴訟の経過もかなり詳細ですからなるほどと思う部分もあったことはノートにも書いています。しかしながら、主として非法律家の手になったもので、専門的な見地からの十分な査読・検討を経たものでもないようですから同情の余地はありますが、こと法律・政治分野の文章としては内容の中立性正確性に無視しえない根本的な問題があると言わざるを得ません。ノートにも書いているように、どこまで専門的に突っ込んで書くべきかということはそれ自体難しい問題ですが、専門性がそれほど高くなくても内容的に無難であるということは不可能ではありませんから、本記事においては危なっかしい表現が散見されることを読み手に対してはっきり明示・警告すべきであって、それは単なる参考「意見」に過ぎないとはいえないと思います。もちろん、もし差し戻し行為それ自体が妥当であったとしても、個人攻撃を正当化する理由にはなりえませんから、あくまで別個の問題です。

なお、同記事のノートページでの私の発言・主張の是非については、該当のノートページがありますから、あえてこの場所でコメントを求める意図はございません。--Phenomenology会話2015年6月18日 (木) 22:32 (UTC)[返信]

被依頼者コメント[編集]

コメント[編集]

コメント 被依頼者の言動はざっくりし過ぎてよろしくないですが、ノートを見る限り依頼者のコメントも相当の分量で複数の問題点(資料表現の正確性の問題か依頼者が個人的に問題と捉えているかも幾分不明瞭なもの)を提示するものに感じられ、Wikipedia:秀逸な記事の選考/法解釈での被依頼者の意見を横目に見ると腑におちるところがあります、記事を良くする目的があっても主となる論拠がどれか不明確な意見を複数出されると何の嫌がらせかと思うこともあるでしょう。『誰某が信玄公旗掛松事件について何々と言ってるという資料』を持ってくれば妥当なんですが『資料に拠っているか判断しがたい意見』は扱いに困るところです、専門家の意見であっても資料に拠らなければWP:NOR的によろしくないというところでしょうか。依頼者の行動についてはノートで被依頼者のコメント除去したり会話ページで苦言も言わずコメント依頼したりWikipedia:投稿ブロック依頼/氷鷺 2回目から省みたほうがよろしいかと。--203.148.113.106 2015年6月19日 (金) 08:12 (UTC)[返信]

被依頼者が抵触しているルールについては、Wikipedia:正確性に疑問がある記事をご確認ください。過去の経緯や編集者の不完全を理由にすることは人身攻撃であり、理由になりません。--Phenomenology会話2015年6月21日 (日) 00:19 (UTC)[返信]
Wikipedia:正確性に疑問がある記事はあくまで『誰かが「記事の内容がかなり不正確だ」と判断した』ことを示すものです。Phenomenologyさんが疑問点範囲にされたところの多くは出典のある記述であり、ノートを見ると「出典確認しましたが違います」とかではなく「この資料のこの解釈は学問的にどーなのか」という話が多く、Wikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」にがっつり抵触すると思われます。
そもそもですね、『項目名にそぐわない発言の適切な場所への移動』(不適切と思うなら自分で分ければよろしい)、『保護解除への合意形成』(3RRなので数日で解除されます、その間に何が難癖か質問すればよろしい)、『個人攻撃的部分の削除・コメントアウト』(Wikipedia:個人攻撃はしないに準ずる手続きをすべし)、すべて他人をあてにせずに自分で行い、記事内容について疑問があるとコメント依頼をすれば被依頼者の過去の経緯を持ち出してコメント依頼を作る理由もないのではありませんか? --210.141.54.234 2015年6月21日 (日) 06:09 (UTC)[返信]
依頼文自体が人身攻撃に当たらないか?ということに関しては、後から私も思ったくらいですから正しいご指摘だと思います。もう一度考えて見ます。どのように節分けするのが一番妥当か、については、判断がつかなかったし、そもそも第三者によってコメントアウトされるべきではないのかと考えたからこそコメントを求めたのです。実際に、該当ページではどのような項目名にすべきかについての応酬があったくらいですから。
正確性のテンプレートを使うか、中立性のテンプレートを使うか自体は迷いましたから、後から両方を入れた警告を貼ったのですが、実際どちらかといえば正確性よりは中立性の問題だとは思います。学問的に違うことを言っている学者がいる、ということは、「真実かどうか」ではなく、中立的でないのではないのか、という問題ですから、Wikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」には抵触しません。しかし、明治民法は権利の濫用を知らなかったというのは旧896条さえ読めば専門家であろうがなかろうが判断がつく正確性の問題ですし、文章相互の矛盾についてもそうです。しかも、Wikipedia:正確性に疑問がある記事においては、「中立的な観点を守っているか」も含めて扱っています。学問的にどうなのかという話の方が多い、というだけの理由では、正確性のテンプレートを剥がして良いことの理由にはなりません。告知の方が適切だと思った、とか、ノートページでの問題提起に賛同しないと思った、という主観的理由だけで正確性のテンプレートを即断で剥がして良いとはWikipedia:正確性に疑問がある記事を何べん読んでもそのようには読めません。--Phenomenology会話2015年6月21日 (日) 14:39 (UTC)[返信]

まとめ[編集]

既にノート:信玄公旗掛松事件での議論に移行していますから、本項での議論はクローズにすべきかと思われます。冒頭依頼文の不穏当については、当方の至らぬところであり、この場を借りてお詫び申し上げます。--Phenomenology会話2015年6月21日 (日) 20:43 (UTC)[返信]