Wikipedia:コメント依頼/Koba-chan 20090308

利用者:koba-chan会話 / 投稿記録 / 記録 の管理者としての作業全般についてコメントを求めます。 By 健ちゃん 2009年3月7日 (土) 23:35 (UTC)[返信]

依頼理由[編集]

直接には koba-chan が GcG さんを 5年間の投稿ブロック としたことがこの依頼のきっかけです。

koba-chan のウィキペディアに対する真摯な姿勢は充分判るのですが、現在の利用者の多くが求める管理者の姿とズレがあるように思われます。それが何で今後どうすればよいかなど、管理者としての作業全般という範囲でコメントをいただければと思います。

Wikipedia:コメント依頼/健ちゃん 20070916kWikipedia:コメント依頼/健ちゃん 20080529kWikipedia:コメント依頼/赤井彗星 20071224 などのような、会話ページや井戸端などでは少し不適当だけれども広く意見を聞きたいという意図のものですのでその点をご理解いただいた上でコメントをお願いします。(追記 By 健ちゃん 2009年3月8日 (日) 02:23 (UTC)[返信]

GcG さんに対する5年のブロック[編集]

Wikipedia:投稿ブロック依頼/GcG 20090303 追認 に関連して、

  1. 5年という長期ブロックが裁量で行われたこと
  2. 追認依頼が本人ではなく user:miya さんによって代理投稿されていること

などの理由から複数の利用者がこのブロックが正当な権限行使だったか疑問を呈しています。ただし、追認依頼の中で koba-chan により、前者に対してはそもそもブロック解除自体が誤りだったためとの理由が示されており、後者に対しては手続きが不得手であるので代理での投稿を依頼したが文責は koba-chan 自身が負うものであるとの説明がされています。

対話(能力)不足[編集]

一時期、koba-chan に限らず管理者の権限行使について「説明不足」が言われていた時期がありました。

過去の Wikipedia:コメント依頼/Koba-chan でも裁量ブロック期間の長さと対話不足が指摘されており、今回も利用者‐会話:Koba-chan#Wikipedia:投稿ブロック依頼/GcG 20090303 追認 における貴殿の発言についてのような指摘がされています。

上記追認依頼の ブロック理由説明 では koba-chan 自身「一部では老害とも言われるような古参利用者の一人であるという自覚はあります。加えて、胡散臭くて、何を考えているのか分からない」と書いていますが、そのように言われる原因が実は判っていないのではないかとも思われます。

被依頼者コメント[編集]

お世話になります。Koba-chanです。ただ今、被依頼者の立場としてコメントの用意をしております。24時間程度のご猶予をいただきたく存じます。ご意見を寄せられるご予定の皆さまがたにあられましてはWikipedia:コメント依頼の主旨を十分にご理解賜り、無用な混乱を避けるためにも、私からのコメントが提出されるまでのあいだ、今暫く、ご意見はご容赦くださいますようお願い申し上げます。Koba-chan 2009年3月8日 (日) 01:57 (UTC)[返信]

今回のコメント依頼へのご回答に先立ち、起案者の健ちゃんさまにお尋ねします。2007年9月9日 (日) 13:23 (UTC)に、パンチョ後藤氏から起案されたWikipedia:コメント依頼/Koba-chanと、本コメント依頼のスケジュールについて、どのようにお考えなのでしょうか。また、コメント依頼を活性化し、広くコメントを収集する役割の進行役を、起案者の健ちゃんさまご自身が取り計らうご意志がおありなのでしょうか。前記2点について、お答えください。

斯様なことを冒頭でお尋ねする理由は、Wikipedia:コメント依頼では『提示されている場所での議論が終結するか、最後のコメントから1か月経過しているものは、下記のリストおよびWikipedia:コメント依頼/リストから依頼を取り除いてください。』と記されていることに拠ります。改めて、Wikipedia:コメント依頼の広く意見を募る主旨と、コメント依頼に至るまでの手順をご確認くださいますようお願い申し上げます。

現時点では、前回のコメント依頼の起案者は2009年1月8日を以って無期限ブロックされており、直接その結論なり終結しているかどうかをお尋ねすることが出来ない状況にあります。前回のコメント依頼は、2007年9月9日に起案され、2007年9月12日の投稿を以って「停止」したままになっております。審議なり、コメントなり、議論なりが終結したのかどうかにつきましては、被依頼者の立場である私からお尋ねする筋のものではございませんので、そのまま現在に至っております。さらに、その後、確たる終結宣言らしきものがあったとも思えません。

前回のコメント依頼そのものの継続性の有無や、コメント依頼の主旨である説明責任が果たされたか否かにつきましては、このコメント依頼が起案されるまでの時点で、あくまで私個人の感想を述べさせていただきますれば、コメント依頼の主旨が不明確なまま、うやむやになってしまっていると感じてます。

あくまで私個人の推測の域を出ませんが、前回の私へのコメント依頼が、停止後の経過も結論も曖昧なまま、今回のコメント依頼の起案理由の一つとして、前回のコメント依頼へのリンクを貼り、列記していただくことへの異存はございません。しかしながら、本コメント依頼をするに至った理由が冒頭に記されたように明確であったとしても、前回のコメント依頼が放置されつづけ、更に今回のコメント依頼の起案では、コメント依頼の掲げている主旨そのものを無視しているのではないかと感じます。コメント依頼はコメント用件を一つ一つ吟味し、その都度、終了していきませんと、その後に続く依頼あるいは起案が砂上の楼閣を積み上げるがごとく、合意形成のないままに無視した状態になってしまうように感じてます。

そういった意味で、コメント依頼を円滑に進めていくためのスケジューリング、何かしらの結論に導くための審議進行等々のご意志が起案者である健ちゃんさまにおありなのかをお尋ねする次第です。

このお尋ねへの直接のご回答は不要の性質のものかもしれませんが、これまで、毎回、色々な場面場面で依頼系の起案が起こるたびに、その議論に参加するために作られたと思しき利用者がウンカやイナゴのようにして押し寄せて来ては書き捨てていくコメントの数々を少しでも減らしたいと願ってきているからです。

起案者の健ちゃんさんにあっては、この時ぞとばかりに落書き帳にするのがコメント依頼の目的なのか、諸官庁が行なうパブリックコメントのように期間と理由を正確に伝えて広く意見を求め、多岐にわたる要素があるのなら、その一つ一つを整理していくコメント依頼なのか。

起案者がパブリックコメント相当の利用者からの意見を、最後まで審議を収束する方向性を明らかにしつづけ、且つ、方向性を持たせるように努め、コメント依頼の最後ではまとめをして頂けるものなのかどうか、そしてそのまとめたものは、未来に向けての先達からの贈り物になるのかどうかを問うものです。

もしも、パブリックコメントの性質をもたせることができず、落書き帳に堕した場合、それにかかるヒューマンリソースの損失責任の一部は当然ながら起案者にも掛かるという点もお忘れなきようにお願いする次第です。

まとめる気持ちもなく「書きたい人が書けば良いんじゃないすかぁー」「交通整理は俺の役目ではないよん」とも受け取れるお考えが少しでもあるのなら、起案者自身がコメント依頼をイナゴの大群そのものに仕立てている状態にもなると私は考えます。

そうした場合、起案者の立場は、コメント依頼の名を借りたコミュニティへの時間泥棒でしかありません。この点につきましても、はっきりとコメント依頼の主旨を思い出していただいて、ここまでに寄せられたコメントを含め、以降の進行について責任を持って進行していただけるとお約束していただけますのなら、相当の時間が掛かるとは予想していますが、全ての疑義に対してお答えする用意があります。

逆に、コメント依頼が円滑に運用されない状況をお作りになるつもりであるのなら、本来、ウィキペディアに百科事典作りでご参加されている利用者へのヒューマンリソースの浪費を促すきっかけにもなりますので、その原因をお作りになった起案者に対して、ウィキペディアの目的への軽視、及び、基本方針の無理解として、ブロック依頼することもやぶさかではありませんので、より一層の慎重なご回答。あるいは、コメント依頼の主旨に則った、パブリックコメントを求めるに当たっての手段まで含めて、円滑な進行にご留意いただけることを期待してやみません。

私は、常々、ウィキペディアにおける議論は、互いの悪いところを指摘して、追及しながらも、史上最大の百科事典を作るという同じ目的に向かって、ベスト・ソリューションを模索し、その時々に応じた答えを導き出す手段であると考えております。健ちゃんさまにあっては、これまでに、コメント依頼の進行がどのようなものであるのかを実際に目にすることができなかったという経緯があったのかもしれませんが、今回の私へのコメント依頼の場を用いて、起案目的を明確にし、問題点を洗い出し、収束させ、最後にはまとめて未来への贈り物にしていただくことを念頭においた進行を期待しています。Koba-chan 2009年3月8日 (日) 09:36 (UTC)[返信]


コメントを寄せられた皆さまのここまでのお話を伺った限り、現状の方針による運用のされ方や解釈、得られるコンセンサス、重要視している要素には、ギャップがあることを改めて感じました。もう一度、そして、今後も、これまでに寄せられた意見をゆっくり読んでみたいと思うと共に、色々なご意見を頂戴したことを感謝いたします。ありがとうございました。Koba-chan 2009年3月10日 (火) 01:44 (UTC)[返信]

コメント[編集]

  • (コメント)一連の事態については私は関与していませんし、Koba-chanさんに対しては面識はありませんでした。しかし、Wikipedia:コメント依頼/Koba-chanの件があったにもかかわらず再び同種の問題を起こしたこともありますし、Wikipedia:管理者への立候補/koba-chan 20070105ではCheckUser係に推薦・立候補されたのにも関わらず質問に回答しないなど、無責任な行動が目立つ印象があります。たいへん申し上げにくいことですが、今回の件を見て私の脳裏には「解任」の二文字がよぎったことをKoba-chanさんにお伝えします。--Ziman-JAPAN 2009年3月8日 (日) 00:02 (UTC)[返信]
  • (追加)とはいっても、後手を踏んでいるとはいえ今回のブロックについて説明責任を果たそうという姿勢をみせていらっしゃいますので、今後ともそれを続けていただけるのであれば、時間はかかりますが信頼は回復できるのではないか、とも思っています。--Ziman-JAPAN 2009年3月8日 (日) 00:23 (UTC)[返信]
  • まず始めに、健ちゃん様により本依頼の提出を歓迎します。管理者が誤った権限行使を行ってもそれが別の管理者によって正されるどころか、意味不明なかばい合いに走る傾向が少なからず見受けられる現状において、現職の管理者がこのような依頼を出されたことは、Kinori様による裁量ブロック解除→通常の投稿ブロック依頼提出というオペレーションと並んで、大変意義のあることと考えます。
    さて本題。今回の一連の件ですが、Wikipedia:投稿ブロック依頼/GcG 20090303 追認にKoba-chan様ご本人から寄せられたコメントに、今回の一連の件の問題点が集約されていると思われます。以下抜粋し、少し長くなりますが、1つ1つに対し私の見解を述べさせて頂きます。
    >複数の管理者に一見すると逸脱したようにみえる今回の措置を事前に打診し...
    複数の管理者に打診するくらいであれば、なぜ最初から通常の投稿ブロック依頼を出してコミュニティに諮らないのか。一部の管理者をコミュニティよりも重視する、換言すれば、コミュニティを一部の管理者よりも軽視する姿勢が見て取れます。
    >私自身が各種手続きを苦手としているため...
    各種手続きが苦手なのなら、投稿ブロックという措置自体もご本人が行わず、他の管理者に任せたほうがよろしかったのではないでしょうか。そもそも、「各種手続きが苦手」などと平然と述べるような人が、いつまでも管理者をやっていていいのか、という疑問も残ります。
    >小学生にいきなり高等数学を教えても理解できないのと同様に、現在の皆さまのご判断と私自身のブロックに至るまでの判断が異なるのは明らかです。
    この発言以前に票を投じた投票者を小学生、自分を高等数学を教える教授か何かに喩えているこの喩えは、投票者に対して非常に礼を欠いたものであると言えます。これもまた、コミュニティ軽視の現れと言えます。
    >端的に言えば、言って分かる性格ではございません。
    人に対して評価を下す場合は、Focus on Behavior(行動に着目せよ)というのが鉄則です[1]。態度や性格といったものは、他者からは推し量るしかなく、主観が入るからです。この発言からは、本管理者はこの鉄則すら理解できていないのではないかという疑念を抱かざるを得ません。
    >それでもなお、対話を繰り返せということでしたら、それは解除票を投じた皆様の役割です。
    対話を行うのは、あくまで投稿ブロックを行う側・求める側の役割です。この発言は解除票を投じた利用者への責任転嫁と言えるものです。発言のタイミングによっては、解除を求める利用者を必要以上に萎縮させ、解除票を投じることを躊躇させるものであり、審議の妨害ともなり得るものです。
  • この問題多数のコメントに加えて、当該投稿ブロック依頼ページのノートページでの対応は、対話を行っていると言うよりは、自己正当化のための論破に走っていると言うほうが正確なのではないかと思えるようなものであります。
    本件に関して、こういった事実を1つ1つ精査しますと、やはり本件の一連の騒動には、健ちゃん様がご指摘なさっている対話不足ないし対話能力不足に加えて、コミュニティ軽視という問題が根底にあるように思えます。この一件を以って解任がどうの、という話になるのか否かは判りかねます(少なくとも、私は自発的に動議を提出する気はありません)が、もし他の方によって動議が出されるような事態になるのであれば、動議提出を積極的に止めようとも、解任に積極的に反対しようとも思いません。勿論、Ziman-Japan様が上で仰っているように、どんなに時間をかけても説明責任を果たそうとする姿勢を継続し、改善してくださるのであれば、「解任」よりもそちらのほうが望ましいことは、言うまでもありません。二十歳過ぎまでに治す気のない習慣はそうそう簡単に治るものではございませんというのが持論のようですから、今からでも直す気になって、簡単に直らないと思うのであれば大いに苦労して、直していただければと思います。Yassie 2009年3月8日 (日) 01:09 (UTC)[返信]
    • (追記)先ほどの被依頼者によってコメント依頼の主旨(ママ)をご理解賜り、無用な混乱を避けるためにもと称して、コメント停止要請がなされたようですが、コメント依頼の趣旨というのは、第三者の意見を広く集めることにあります。これが通常記事であれば、大幅な改稿(ないし全面改稿)にあたって編集競合を避けるためにTemplate:工事中を用いることもあり得ますが、コメント依頼はその趣旨を考えれば、たとえ24時間といえども、否、たとえ1秒であっても、被依頼者が他者のコメントを止める権利はありません。この行動に対しては、こういった基本的な方針の理解すら不足、ないし欠如しているのではないかという疑念すら抱かざるを得ないということを、追記させて頂きます。Yassie 2009年3月8日 (日) 02:41 (UTC)[返信]
  • (コメント)コメントの被依頼者によってコメント猶予要請が出され、しかもそれが通ると思っていること自体が挙動不審です。これまでの管理業務の実績云々に関しては存じ上げないことも多いので特に申し上げませんが、先日のブロック追認関連ですとか、今回のコメント猶予要請ですとかを見るにつけ最近身体的にか精神的には変調があったのかと心配になります。Koba-chanさま、どうかご自愛ください。--Himetv 2009年3月8日 (日) 07:07 (UTC)[返信]
  • Wikipedia:井戸端/subj/東京工業大学ほかの広域ブロックについておよび、Wikipedia‐ノート:広域ブロック#井戸端での議論のやりとりの続き(井戸端/subj/東京工業大学ほかの広域ブロックについて)において管理者裁量範囲の是非や方針、また方針に検討されていない足りない部分はどんなものなのかと、各方面に渡って検討と討議をだいぶ進めつつある討議者のひとりとなります。広域ブロックにおいても管理者裁量や方針に沿った進め方、方針から逸れてしまった場合にいかにリカバリーするかにおいて、各種方針/合意形成などを精査して議論内に投じた一節ではありますが、個別ブロック時にもなんら変わらずにご適用できる考えに至り、こちらのコメント依頼に一文を僭越ながら投じさせていただきます。・インシデントを起こさない方法とは、粛々と定められた方式(ルール)を守り誠意ある管理方法で行うことが一番の方策であり、人間ですからルールを万一外れかかった場合に、管理者同士の相互監視および利用者からの監査を受けられる、情報公開とそのフィードバックによってのみインシデントにまで至らぬうちに修正していくことが可能になると考えます。これは少数のもので行えるわけではなく、管理者集団、そして利用者からの監査を受け入れていただき、それらのフィードバックによってより良いWikipediaコミュニティが発展していくのではないでしょうか。罷免審議やブロック依頼によって蓋をしていくのは簡単です。他人からの忠告に耳を貸しそのフィードバックをいかに生かすかは茨の道でもあります。しかしあえて茨の道を歩んでいただきたい、とたかだか一ヶ月ほどの新規利用者登録者ではありますがコメントを残させていただきます。--Justia 2009年3月8日 (日) 10:20 (UTC)[返信]
  • (コメント)私自身、被依頼者に2週間の投稿ブロックを受けています。Wikipedia:投稿ブロック依頼/Tamago915 追認ですが、もととなる利用者‐会話:Tamago915/2007年10月から2008年3月まで#心配ですから3日後(おそらく2ちゃんねるでの書き込みが原因でしょう)に、ウィキブレイクを取らせるという名目でブロックし、反論を認めないと自ら対話を拒否しました。コミュニティとして追認されていますが、今回のGcGさんのブロックと同じく独善に走り、説明責任を果たそうとしない姿勢だったと判断しています。--Tamago915 2009年3月8日 (日) 15:50 (UTC)[返信]
    • (コメント)件のブロック追認依頼を精査しましたが、そこにはあまり問題は感じられませんでした。コメント依頼は、自らをブロックした管理者への逆恨みを述べる場ではないということをご理解ください。Yassie 2009年3月8日 (日) 15:58 (UTC)[返信]
  • (コメント)Wikipedia:投稿ブロック依頼/GcG 20090303 追認でのご発言[1]と、このWikipedia:コメント依頼/Koba-chan 20090308でのご発言[2]に端的にあらわれていますが、koba-chanさんは、ご自分は「いろいろ考えているが、これだけしか言わない。分からないのは、あなたたちの問題」という態度を高圧的にとられるにもかかわらず、他人にはご自分に対して主張や行動の根拠を明確に説明するよう追及されるようです。
    つまり、他人に厳しく、自分に甘い。
    なお、いま、挑発的な態度でこのコメント依頼の手続きの瑕疵や趣旨の不明瞭を追求することは、さらに混乱をもたらすだけです。そもそも、GcGさんへの投稿ブロックの件によって、koba-chanさんがウィキペディア日本語版コミュニティを疲弊に陥りかねない混乱に導くことがなければ、このコメント依頼は提出されなかったでしょう。余計なことをして、あるいは適切なやり方をしないことによって、他の利用者を疲弊させているのはご自分だとご自覚ください。--mizusumashi月間感謝賞を応援します) 2009年3月9日 (月) 11:04 (UTC)[返信]
  • (コメント)私は裁量ブロックから追認依頼へのコメントまでの順序が正常でなかったことはあまり気にしていなかったのですが、上記コメントを見て率直に言ってかなり不信感を抱きました。コメント者に24時間の猶予を要求しておきながら、出された長文の自コメントが専ら依頼者への抗議に終止し、他者から寄せられている懸念への釈明が一切ないというのはどういうことでしょうか?
    昔のことは知りませんが、少なくとも私が参加するようになって以降のJAWPでは一箇月以上新たなコメントがなかったコメント依頼は明確な終了宣告がなくても自動的に終了したと見なされるのが慣例になっています。それほどまで前回のコメント依頼が終了宣告されていないという形式上の問題が気になるのでしたら、GcG氏へのブロックも正常な手続きを踏んで行えばよろしかったのではないでしょうか? 被依頼者がブロックまでちらつかせて依頼者に抗議するなどとはとてもまともとは思えません。「これまでに、コメント依頼の進行がどのようなものであるのかを実際に目にすることができなかった」のがどちらなのか、よくお考え下さい。
    それから会話ページ及び本件依頼でIch57さんとYassieさんがそれぞれ指摘されている、「小学生にいきなり高等数学を教えても理解できないのと同様に、現在の皆さまのご判断と私自身のブロックに至るまでの判断が異なるのは明らかです」という、投票への参加者を愚弄するかのような文言は私も極めて不穏当なものと考えます。依頼者を攻撃するかのような長文コメントを書いている暇をお持ちなら、この点についてしっかり釈明して下さい。--sergei 2009年3月9日 (月) 15:08 (UTC)[返信]
    • 被依頼者コメントの件は、管理者としての作業全般という本依頼の趣旨範囲から外れますのでこちらでの継続はお控えいただければと思います。 By 健ちゃん 2009年3月9日 (月) 16:19 (UTC)[返信]
      • (コメント)被依頼者は自分がコメントを用意しているという理由で他の利用者のコメントを抑止しようとした上に、未だそのコメントはなく、あまつさえ依頼者を論難しようとしています。これは管理者権限がコミュニティの信任の上に与えられているという前提に基づけば、自らの意思に反する利用者への攻撃的態度は決して管理者としての作業全般から外れた話題ではないと思いますが。私も、被依頼者に関しては、裏で権力を行使して政治ごっこをやりたいだけではないかという印象を持ったことがあります。また一連の対応でその印象を強く致しました。--Mt.Stone 2009年3月9日 (月) 18:31 (UTC)[返信]
  • (コメント)私が被依頼者コメントについて言及した趣旨は上でMt.Stoneさんが仰っているのとほぼ同じです。「これまでに寄せられた意見をゆっくり読んでみたい」とのことなので、今後もコミュニティーの信頼に基づく権限行使に努めて下さるようお願いします。--sergei 2009年3月10日 (火) 09:36 (UTC)一部をノートに転記。--sergei 2009年3月12日 (木) 12:08 (UTC)[返信]
  • 個別案件へのみ言及しているコメントは依頼趣旨範囲から外れますので ノート へ転記しました。 By 健ちゃん 2009年3月12日 (木) 11:59 (UTC)[返信]
  • (コメント)多少杓子定規気味に方針を運用した方がいい。ただちに止めねばならないレベルの破壊行為を行っていなければ、会話ページに警告した後、それを無視した場合のみ、ブロックせずに通常のブロック依頼を出すよう、以後気をつけられたし。--MadCat 2009年3月13日 (金) 02:37 (UTC)[返信]
  • (コメント)Ks aka 98は、ブロック依頼において反対票を投じた立場にあることを、まず明らかにしましょう。今もその判断は変わりませんが、自身の判断を脇に置けば、あら金さんやY tanbeさんの意見は説得力があると思いますし、MLの投稿や要約欄などの暴言を理由とするブロック賛成意見についても、判断としては理解できるものだということも、明らかにしておきます。本コメント依頼では、GcGさんの振る舞いへの判断は、できるだけ排したつもりです。長くなりますが、最下部の『「現在の利用者の多くが…』以下が、まとめとなります。
    • 裁量ブロックおよび追認依頼の代理の手続きについて
      • 代理の追認依頼について。代理で依頼を出すことについては別途方針の手直しが必要だと思いますが、ここでは触れません。急用が入るなどの事情があれば、追認依頼を他者にお願いすることはやむをえないと思いますが、追認依頼の手続き程度を苦手とされるようであれば、追認手続きが必要な対処は、以後慎んでいただくのがよいかと思います。
      • 一見すると逸脱したようにみえる」という自覚があるのでしたら、裁量による対処は適切ではないでしょうし、十分な説明が必要でしょう。
      • また、ウィキペディアがどうあるべきか、どんなポリシーが採用されるべきかなどについては、一般の利用者の意見よりも管理者の意見の方が重要だということはありません(Wikipedia:管理者#一般の参加者とどう違うのか)。複数の管理者に打診することはあってよいと思いますし、そうすべき場面も多々あると思います。また、管理者として信任を受け、権限行使にまつわる作業の経験をつんでいるという分は、管理者であることに信を置くこともあると思います。しかし、だからといって、通常のブロック依頼を通さない理由にはならないと思います。
    • 裁量ブロックの判断について
      • 今回のような「振り出しに戻す」という措置そのものはウィキペディア上に決まり事としては存在いたしませんので、別の場所であらためて検討の余地があると感じます。」ということであれば、「その期間につきましては、管理者フラグを委ねられた者の立場として、裁量の範囲内の結論であり、裁量は交えておりません」とは言えないと思いますし、あらかじめブロック依頼で検討する場所を作るか、裁量時の判断として振り出しに戻すのではなく、追認・延長依頼の場で、ひとつの意見として述べるべきであると思います。
      • 「ここで、個人的な裁量が、もしも、許され、感情的な部分を一切無くした上であっても、GcG氏は今後も同様のことを繰り返す方だと確信しております」という一文は意味が取れませんでした。「確信に至った理由」が「前回のブロック審議で記しております」とのことですが、「理由」といえそうなものは見つけられませんでした。「大抵の問題を起こす人はウィキペディア外でも同様のことをしていると想像しています。ウィキペディアで悪戯をする人はウィキペディア以外の場所でも似たり寄ったりのことをしていると想像しています。おそらくは心の中のタガが緩んでいると想像しています。」というのが理由であれば、豊かな人生経験から得たものであったとしても、想像の域を超えるものではなく、いかに「確信」したとしても、裁量による対処の判断材料とするべきではないと考えます。なお、「期間については「ウィキペディアの基本方針」の理解と「ウィキペディアの目的」の理解の二点を踏まえた上で、今回と同様の行為をしてしまった他の者に対して諌めたり、説得できる自信を持てるようになるまで」というのは、ウィキペディアでの慣習といえるようなものではなく、「個人的な判断基準を敢えて書かせて頂きますと「今に始まったことではない」と考えていますので(実年齢÷2)以上の年数です。」という期間を示されています。この追認・延長依頼は、一週間の裁量ブロックの追認にあわせて、「一週間では短いのではという懸念を持ったため、投稿ブロックの延長依頼を同時に提出します」として提出された依頼であり、このほか、「年単位で延長もしくは期限を定めないのどちらでも賛成」「最低でも6~9ヶ月ほど」「無期限相当のブロックには反対」などのほかは、数ヶ月単位が2、期間を示さず延長に賛成している票が6、延長反対が6、解除2という意見であり、5年という期間で依頼が閉じられていることをあわせても、Koba-chanさんの示す期間は、コミュニティの判断からは離れていたように思います。そのような確信を基にしているのであれば、なおのこと、裁量で、一見すると逸脱するようにみえる、決まり事として存在しておらず、検討の余地があるような対処は慎んでいただきたいと思いました。
      • Wikipedia:投稿ブロックの方針#即時投稿ブロック手続きでは、「短時間に継続して投稿しつつあるため通常の手続き完了を待っていては被害が拡大することが予想される場合」に適用されるものであって、「書き手一人ひとりを疲弊させる行為」あるいは「見過ごせる性質のものではない」という理由でなされるものではないと考えます。また、「確信的な荒らし行為の場合、対話に応じない」を理由とされていますが、ここで想定されるのはまったく対話に応じない明確な荒らしに限られると考えます。今回は、明確な荒らしとは異なり、挑発的なところはあるもののまったく対話に応じないわけではありません。GcGさんの編集意図が「過去のブロック理由なども踏まえますと論争の元になる種を、今回は要約欄に植え付けていき、百科事典の品質を故意に低下させようとする意図」であるという意見には与しません。
      • 「円滑な運営を妨げる利用者の行動は、長い目で見た場合、ウィキペディア全体の破壊につながります。今回の編集を見た場合、短期的に、あるいは近視眼的には、破壊とは映らない方もおいででしょう。しかし、長期荒らしと同じ原因になる種を故意に植え付けようとした事実は変わりありません。短期的には破壊には映らなかったとしても、長期的に見た場合には、堤防の蟻の穴同様に、ウィキペディア全体の環境を悪化し、破壊を導く発端を作ったと判断」するのであれば、これは個人が判断し、権限を行使するものではなく、コミュニティに判断を仰ぐべきことかと考えます。
      • 「Wikipedia:投稿ブロックの方針/改定案」の「賢明ではあるが方針に拠り所のないブロック」と確信されてのブロックとのことですが、「論争の的となるブロック」であることには変わりなく、通常のブロック依頼を通すのがよかったかと存じます。また、追認依頼の状況から見ても、結果的にはその確信は適当でなかったと考えていただくのがよいかと思います。
    • 以上を踏まえて。
      • まずは、以後、よほど明らかな荒らしや、緊急性のあるものでなければ、ブロック依頼を出すことを優先させ、やむをえず裁量ブロックを行う際には、手続きや説明を尽くすようお願いします。裁量ブロックおよび追認依頼の手続きは、じょじょに形成されつつあるもので、追認依頼の位置づけなども、じゅうぶん明らかではなく、コミュニティに共有されているものでもないと感じています。いちおうの合意と言えるものは「Wikipedia:コメント依頼/Lonicera 20071029」にありますが、今回のような対処があることは、今読み返しても想定していなかったと思います。今回の裁量ブロックについて、ブロック理由やブロック期間の理由は、裁量による対処時のものと異なっていることは強調しておきますが、結果としてブロック自体はコミュニティに認められていますし、MLへの投稿や暴言を主な理由として挙げ、1ヶ月の裁量の追認と延長という形をとっていれば同じような結果となった可能性はあるでしょうから、今回の件について、権限行使に当たって適切な判断ではなかったと考えますが、権限の濫用とまではいえないと考えます。
      • 被依頼者は、管理者立候補時CU立候補時にも、対話能力や権限の認識についての指摘を受けていますし、やはり裁量ブロックについて依頼がなされたWikipedia:コメント依頼/Koba-chanでは、『手続き及び理由等に不備』があるとご理解いただいて解除となっていることを踏まえ、今回の対処を見ると、改善されるつもりがあるのかどうか、疑問に思うところもあります。
      • 利用者‐会話:Koba-chan#Wikipedia:投稿ブロック依頼/GcG 20090303 追認 における貴殿の発言についてでは、Ich57さんから「貴殿の発言において、貴殿は意見を寄せた他利用者を小学生に譬えられている、と解するのが相当と考えてよろしいでしょうか。」という問いかけがありますが、まだ回答をされていないようです。「小学生にいきなり高等数学を教えても理解できないのと同様に、現在の皆さまのご判断と私自身のブロックに至るまでの判断が異なるのは明らか」という発言は、自らを高等数学を教える立場に置き、解除の判断をしている他者を小学生にたとえているように、ぼくにも読めます。この発言は、Yassie さんが言う「礼を欠いたもの」「コミュニティ軽視」にとどまらず、自らの判断や振る舞いの正当性を省みることなく、他者の発言を封じるものであって、看過できるものではありません。Wikipedia:独自研究は書かない#専門家にも表れていますが、ウィキペディアでは、どのような立場であっても、そのような特権を得ることはないと考えます。判断力に相当の差があるということであれば、説明を行うことも容易でしょうし、コミュニティは自ずと耳を傾けることでしょう。
    • 「現在の利用者の多くが求める管理者の姿とズレがあるように思われます。それが何で今後どうすればよいかなど、管理者としての作業全般という範囲でコメント」という依頼に即して、まとめるなら、作業全般として、という意味では、ズレが生じるようなことの頻度は低く、明らかな荒らしへの裁量ブロックも含めて、ほぼ堅実に作業をされていると思いますが、誰でもが理解できるように説明できないようなことについて裁量で権限行使することをコミュニティは認めておらず、Koba-chanさんは自覚しつつも裁量で権限行使することを自らに認め、権限を行使することがているという点でズレがあり、これを是正していただきたいと考えます。是正する事ができないということはないと信じますが、是正するつもりがない、是正しなくともよいと思っていらしゃるのかもしれません。会話ページでのIch57さんからの問いかけへの返答をお待ちしています。また、小学生云々の発言については、撤回されることを望みます。--Ks aka 98 2009年3月23日 (月) 04:14 (UTC)[返信]

(コメント)んーと、Koba-chanとは以前から何度か(主にこばちゃっとで)語り合ったこともあり、CU立候補時にも賛成票を投じました。だからと言って特別に擁護するつもりはないのだけど、今回の一連の動議については、私はむしろKoba-chanの判断が正しかったんじゃないか、と考えています……というか、そっち側からの視点が欠落してて、そもそもKoba-chanからの反論についてきちんと取り上げてた上で議論してる人が少ないように感じてますので、いくつか指摘しておくことにします。「管理者としてのあり方」を問う上で、この部分については明確にしておかなければならない部分だと思いますので、先にそこから指摘します。

  • まず今回のKoba-chanのGcG氏に対する対処については「明確な方針違反はなかった」と判断しています。ルールの読み落としがあるかもしれないので、もしそうならば指摘していただきたいのですが、
    1. そもそも管理者は緊急の場合等に裁量ブロックを行うことが可能であり、その判断基準は各管理者の裁量に委ねられる
    2. この裁量ブロックは1週間を超えて行うことも可能であり、その期間の上限については明確な規定がない
    3. ただし1週間を超える場合には追認依頼を必要とする。誰が追認を出すかについては明確な規定がない
これらのことから、ぱっと見にはKoba-chanの対処の方が方針を無視して行われたかのように見え、「もっと杓子定規なくらいにルールに則って対処せよ」と言ってた人もいるくらいなのに、実はKoba-chanの対処の方がまさに「杓子定規にルールに従った対処」であったという、ある意味ややこしい状況だという。
おそらく争点になりうるのは「緊急性があり、即時ブロックの必要があったかどうか」という点ですが、これについてKoba-chanは「少なくとも、判断を下した時点ではその必要があると判断した」と述べています。この部分は、元々管理者の裁量に委ねられている以上、たとえこの理由であっても「少なくとも不適切と断じることもできない(議論を要する)」と考えます。この点について言うと、私は、この部分については現在はKoba-chanがそう考えたのも妥当だったのかもしれないと考えており(理由は後述します)、むしろ、特に理由を述べることなく「間違い」と断定的に主張したYassieさんや、あるいは不適切と判断して裁量解除したKinoriさんの判断の方が、「自己無謬」に陥っているような印象すら感じています。また、むしろ方針文書を「杓子定規に」解釈するならば、Kinoriさんの裁量解除の方が怪しかったというか……この部分は、実はKoba-chanが「他の管理者の裁量によるものとして尊重する」という声明を出したことで、(いわば「論敵から」)フォローされたのだ、ということは指摘しておきたいと。
  • 次に「方針上は違反でないとしてもGcG氏に対する5年ブロックという判断は誤りだったのではないか」という点についてですが、これについては、結果的にGcG氏に対しては6年ブロックという処置がとられました。「この結果から判断するに」Koba-chanの処置は(5年と6年の違いはあれ、概ね)妥当であった、と言わなければならないでしょう。基本的に「GcG氏に対する対処については、Koba-chanによる手続き的な問題とは切り離して行う」ということで進められたわけです。つまりKoba-chanが対処したままだろうが、途中でKinoriさんが解除して進めようが、もし最初にKoba-chanが短期ブロックして追認依頼してようが、おそらくは最終的なブロックの結果は変わらなかったのではないか、と思います。
    • 上でKs aka 98さんはGcG氏のブロックに対して異論を述べておられますが、正直言うと私にもその気持ちは十分に理解できます……というか、元々「荒し」と「荒しでないもの」については、「善人と悪人」の違いよろしく、明確な線引きが出来ないグレイなケースも存在し、今回のケースはまさにそれに近いものだったろうと考えるからです。例えば「50%荒らしで50%がそうでない」利用者に対しては、見る人の半分は「荒しだ」と思い、残りの半分は「そうでない」と判断するかもしれませんし。今回のケースで言えば私は「荒しに準じる」と見なしたし、Ks aka 98さんが「そうでない」と判断した、というだけかもしれませんが、グレイでもどちらかに結着させざるをえないケースはある、ということで。
    • ただしGcG氏に関しては、何と言うか「元々そういう傾向のあった」利用者であり、今回までのブロックなど「管理者との対立」によって「荒し化」したのか(意見は異にしますが、この可能性についてYassieさんが言及されたことは非常に高く評価してます)、というとそうではないのではないか、と私は考えてます……むしろ「ぎりぎりの記事執筆を許容しつづけることで増長する」面を持った利用者の可能性もあるのではないかと……「管理者の強硬な対処が荒しを生むのだ」と主張する方々もいますが、むしろそういう「ブロック反対側」の主張が荒しを増長するケースもある、要は「どっちもどっちだ」ということは、各位認識しておいていただきたい、と思ってます。
    • 加えて今回のケースで危惧を表明しましたが、GcG氏の場合「対話に応じた姿勢を見せる」「善意にとる」といった部分を悪用した疑いがある、と思います。まぁ私も前回の追認依頼の時にコメントを出してはいたのですが、直前の解除依頼に賛成した方々も含めて、要は「GcG氏に、まんまと手玉に取られてた」とも言えます……ほとんどの人が騙されたのにも関わらず、しかしKoba-chanは騙されなかった。私も、当初のKoba-chanの対処には正直「とうとうヤキが回ったかな?」とか考えたのだけど(失礼w)、結局ふたを開けてみると、Koba-chanの判断の方が正しかった……だから今回の件で私がもっとも痛感してるのは、「人を見る目はあるつもりだったけど、結局、Koba-chanの方が見る目があったなぁ」ということです。この点については、実は以前、GcG氏に対して、海獺さんが述べてたコメントにも同様に感じてて、最初読んだ当時は「えらく厳しく当たってるなぁ」と思いましたが、今に至って、海獺さんの方が人を見る目があったんだなぁ、と実感してます。「慧眼恐れ入りました」とでもいうか。…まぁこれはあくまで「個人の感想」なので、皆そう考えろ、というものではありません。ただ、ここらへんは社会経験の差なんかからでも「騙されやすい人、騙されない人」というのは存在するし、何より「自分に限って騙されない」という人に限って騙される、というのが世の常なので、自分の問題点と考え、自覚しておくことも有用だろうと思います。……まぁともかく、「多くの人がまた騙される(可能性が高い)状況」において、予防的に即時ブロックをかける、という裁量判断は、まぁありだったんじゃないかな、と。実際ブロック審議中は、かなりの警戒を要しましたので。
  • 以上のことから、今回のKoba-chanのGcG氏に対する対処については問題がなかったどころか、「管理」という観点から言うと、(1)問題になる行為を事前に察知し早急に解決を図った、(2)最終的な判断も妥当であった、という点から、むしろ「『プロジェクトの管理者』としてはむしろ誉められるべき行為」であった、と考えてます。
  • ただ…こっからようやく少し踏み込んで考える部分になりますが…、そもそもウィキペディアのようなオープンソース的なプロジェクトにおいて「管理」には、二つの典型的なあり方が存在してます[3]。一つは「優しい独裁者」モデル、もう一つは「合意に基づく民主主義」です。実際には、どちらも「完全に徹底されているケース」というのは、特に大規模なプロジェクトでは少なく、両者が混じり合った形で実施されているプロジェクトが大半だと思いますが。
今回のケースから言うと、Koba-chan(や海獺さん)はまさに「優しい独裁者」モデルの管理者であり、このモデルにおいては申し分なく優秀で、その責任を果たしてくれている、と私は判断しています。これに対し、後者の「合意に基づく民主主義」のケースでのウィキペディアの管理者像としては…誰か妥当な人がいるかは判りませんが…いわゆる「ボタン押し係」と呼ばれるような管理者、ということになるんじゃないかと思います。
では、もともとウィキペディアにおいては、「どちらの管理者像」を規定しているのかというと……実はこれは「優しい独裁者モデル」の方なんです。元々はジンボを中心とした「優しい独裁」体制があり、そこから段階的に権限に制限が加えられた階層の一つとして、「裁量権を多めに委ねられた者」として管理者が存在します。またWP:NOTでも、明確に「民主主義の実験の場ではない」と述べられていますが、この規定は結局、ここにつながってくるのです。もし誰かが「管理者(あるいはCU、ステュワード)の『独裁』は許せない!」と主張するのであれば、それはそもそも「ウィキペディアの基本方針に対する無理解」なのであり、どっか別のところで別プロジェクトを建てて好きにやってくれ、ということになります……もちろん「ある行為が『優しい』独裁なのか、『横暴な』独裁なのか」については議論の対象になりますが(その点ではYassieさんの日頃の活動は、そういった監査的なものとして、評価してます)
ただし、上の外部リンク先でも述べてあるように、管理スタイルというのはプロジェクトの進捗によって「優しい独裁者モデル」から「合意に基づく民主主義」に変化していく傾向があります。実際、ウィキペディアもまさにそうして徐々に「優しい独裁者モデル」の体制から離れつつあります。ただ恐らく管理者の作業は完全に自動化することは困難だと思いますので、「完全なボタン押し係」に到達することはなく、この両者のモデルの間でふらふらしながら徐々に「独自裁量の割合を減らしていく」方向に、何となく(方針文書などでの明文化などなしに)落ち着いていくんじゃないかなぁ、と。
  • まぁぶっちゃけて言うと、Koba-chanの「小学生云々」というのについては(他の人はともかく)、自分自身に省みる限りでは、反論のしようがないなぁ、というか「一本取られたなぁ」とか、そんな感じではあります。少なくとも、私より「人を見る目があった」わけだし、こういったトラブルへの対処に関しては、Koba-chanの方が一枚上手なんでこれからも頑張ってくれるとありがたいところです。ただまぁ「結果的には正しい(と考えている)対処」であったにせよ、今回みたいにグレイゾーンっぽく、その手続きでクレームが付く可能性がある部分については、「周囲が、その正しい(と考えている)結果に、すぐに思い至れない」可能性まで考えていただけると、今回のようなトラブルは防げたのではないか、と考えます。もちろん、今回のKoba-chanの対処自体に問題があったとは考えませんが、余計なトラブルを起こしたという点では、やはり「最善の策」とは言えない、次善の策だったのではないか、と(まぁ咄嗟の判断にそこまで要求できるものではない、というのは重々承知の上で敢えて無理を言います……すでに以前のコメントでこの点は自覚していると思いますが)。次回もし、似たような案件があったら、是非「最善の対処」になるよう、今回の教訓を活かしていただければ、と。また上に書いた「管理者モデルの推移」についてもご一考いただければ、と思います。--Y tambe 2009年3月23日 (月) 09:17 (UTC)[返信]
    • 取り急ぎ、ひとつだけ。ぼくは「裁量ブロック」に関して、その「裁量」の部分について異論を述べていますが、GcGさんの振る舞いへの判断を含まざるを得なくなる「ブロックに対して」は、ほとんど述べていないつもりです。そのように読めるところもあるかもしれませんし、そのようになっているところもあるかもしれませんが、よろしくご確認ください。--Ks aka 98 2009年3月23日 (月) 13:22 (UTC)[返信]

締め[編集]

  • それでは、先に予告したようにこの辺で締めることとします。koba-chan からは既に 2009年3月10日 (火) 01:44 (UTC) のコメントを頂いておりますし、他の管理者の方も、また管理者でない方も、管理者の権限行使について一考頂ける機会になったのではないかと思います。なお、依頼タイミングが必ずしも適切ではなかったことや依頼趣旨の不明確さについて指摘を頂いたことをお詫びすると共に、それにもかかわらず依頼の趣旨を汲み適切なコメントをお寄せくださった皆さんに感謝いたします。 By 健ちゃん 2009年3月23日 (月) 13:34 (UTC)[返信]

[編集]

  1. ^ Quinn, Robert E. et al. Becoming A Master Manager. 2nd Ed. pp.52-54. John Wiley & Sons, Inc. New York, New York, United States. 1996. ISBN 0-471-00744-7.