Wikipedia:井戸端/過去ログ/2004年4月

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こうなってしまったら?[編集]

実際はそうなっていないと思いますが、もしAという記事がBに対してリダイレクトしていてBという記事がAという記事に対してリダイレクトしている場合完全に止まってしまうでしょう。なぜならばA⇔Bでリダイレクト合戦がAとBの間で繰り返されその結果クライアントもサーバーもフリーズ。これでは危険かもしれません。はっきり言って実験は無理でしょう。そんなことをしたら膨大な負荷がこのWikipediaにかかりこのサイトの運営が不可能になるでしょう。皆さん、返事をお願いします。Mh35 13:41 2004年4月2日 (UTC)

そういう場合、最初に行った記事のリダイレクトページでredirect=noが実行されるのでループは起きません。実際ためされてみては?すぐに結論はでますよん。[[利用者:Rai koku|来 孫太郎]] [[ ノート-履歴 ]] 13:59 2004年4月2日 (UTC)

ゴシック体について[編集]

ゴシックへのREDIRECTになっていますが、ゴシックの記事が「あいまい回避」+「ゴシック体」のような体裁になってしまっています。 ゴシックとゴシック体を分けたほうが良いと思いますが、正しい手順がわかりません。 けんち 01:51 2004年4月25日 (UTC)

ゴシック体はまだ一度も変更されたことがないので、ゴシックゴシック体に移動することが可能です。
その上で改めて、ゴシック体を単なる曖昧さ回避ページに作り直すのはいかがでしょう。Sampo (ノート) 08:15 2004年4月25日 (UTC)
修正完了しました。 けんち 09:56 2004年4月25日 (UTC)
ごくろうさまです。: ) Hans castorp81 15:09 2004年4月25日 (UTC)

差別的な記事に関する提言[編集]

差別用語を記事中で使うことは特に禁止されていませんし、私もそれを否定するつもりはありません。その背景や歴史的事実を述べるのに欠かせませんから。

ただ、記事や記述内容のうち、

  1. 明らかに差別的意識に基づいているもの
  2. 不当な差別を助長する恐れの強いもの
  3. 被差別者に苦痛を与えかねないもの

については一定の歯止めをかける必要があると考えます。(1)については中立性という点からも規制できるわけですが、(2)(3)は今のガイドラインではあやふやです。

これは、被差別者への人道的な配慮という意味があるだけでなく、抗議運動などの結果としてウィキペディアの社会的評価が悪化するリスクを減じるためという意味もあります。 これらをガイドラインに加えることについて、皆さんはどうお考えになりますか? (より具体的に記事名を挙げてしまうと、[[在日コリアン一覧]]を存続させることの是非です)Sampo 05:48 2004年3月3日 (UTC)

おおむね賛成ですが、3番については法的なリスクを恐れすぎて、過剰に歯止めを掛けられたり、「言葉狩り」を行われることを警戒します。歯止めを掛けすぎて、差別語として扱われてきた語彙を項目名で使うだけで差別的だという意見を受け入れることになりはしませんか。そういうことにならないよう、きちっとしたルール作りが必要だと思います。Kzhr 05:56 2004年3月3日 (UTC)
そうですね。行きすぎを止めるための「これはセーフ」例も決めておいた方が良さそうですね。先日も、どの記事だったか忘れましたが「これは差別語!」と編集合戦になりかけていたのを見かけましたし・・Sampo 06:03 2004年3月3日 (UTC)
ノート:在日コリアン一覧にも書いたのですが、リクエストがあったので、こちらにも書きます。要旨としては、たとえば極端な話、「在日コリアンの犯罪者」のような記事ならば削除すべきでしょうけど、各界で活躍している在日コリアンを並べたからといって、どうして差別を助長したり、どうして当事者に苦痛を与えてしまうのか、いまいちピンときません。
つまり、一覧の内容が憶測や何らかの意図に基づいている不正確なものならともかく、少なくとも自ら在日コリアンであることを認めていたり、マスコミ等で世間的に幅広く認知されているのならば、問題ないような気がします。もちろん、この場合も例外を除いて、犯罪者をはじめとするネガティヴな人物は極力除くべきでしょう。事実だとしてもそういう一覧は不快さを与える可能性が極めて高い上に品位を欠いていると考えるので。これは何も在日コリアンに限った話ではなく、たとえば「早稲田大学」の著名な中退者の欄に「和田真一郎」とあるのは若干気になります。ただ、この場合は全体に占める割合を考慮すれば許容範囲なのかもしれません。
話が脱線しましたが、「ピンとこない」のは当事者じゃないからなのかもしれないので、もちろん当事者の主張は尊重すべきでしょう。しかし、一方で削除という手段は、「在日コリアン」をタブー視することで差別感情を持続させようとする意図にも結びつきうるものであることも十分留意する必要があります。
また、差別用語については品位を落とさない程度で言及するのは構わないと考えます。客観的な視座に立つことで初めて差別を相対化できるんでしょうし、それを体得するためには客観的で中立的な説明を読むことは一つの効果的な方法でしょう。少なくとも隠蔽したり、タブー視することで得られるものではない、と。--Nul 10:41 2004年3月31日 (UTC)

「チャンコロ」ですね。でも蔑称等が羅列された記事ができてしまったりすると差別書き込みと大差無くなるので、差別に対する記述ができるまで蔑称等の追加は避けるなどの編集上の配慮も欲しいと思います。医療関連の項のような警告文も欲しいと思います。Johncapistrano 09:36 2004年3月3日 (UTC)

反応が無いうちに羅列記事ができてしまいましたが、(差別用語)合意形成を願います。羅列は不適当だと私は思います。Johncapistrano 20:04 2004年3月18日 (JST)

今はほとんど使われていないものまでたくさん知っていますが、さすがにここに書く気はいたしません (^^;;)。現在書かれている中にあるみんな知ってるようなものではなくて、エスキモーとかインディアンとかのように、何気なく使っているけど実は……というものだけに絞り込むようにはできないものでしょうか。もっとも、イヌイットとエスキモーは同じではないとかで、彼ら自身の中でもこの言い換えに反対される人たちもいるやに聞き及んでおりますが。Kadzuwo 11:34 2004年3月18日 (UTC)

差別的な記事・差別用語・差別を助長する記事 は、一部では重なりますが全部が同一とは限らないと感じます。また、差別用語に対して放送界などで代わりに用いられている単語についても一過性にすぎない言い替えに終わっているものもあると感じます。例えば障害の言葉ひとつをとっても先天的か後天的かで扱いが変わることもありますし、身体の不自由な方たちの一部では健常者(という言葉も差別的なイメージを与えます)と区別されることが差別だと嫌う人もいます。真面目にこれらを論じるとかなり幅広い知識が求められます。合意形成は必要だと思いますし、下手をすればイタチごっこになるやもしれませんが、差別 に書かれている「無知・恐怖・偏見・差別」に対して正面から解説してみる試みも必要ではないでしょうか。加えて、建築用語には数多くの差別用語とされている言葉が隠語としてではなく正規に用いられていますので、あまりに縛りが強くなると却って語彙数を減らし正しい意味を伝えられなくなることも予想されます。(^^; Koba-chan 12:33 2004年3月18日 (UTC)

正しい部分は区別して正確に書いて頂いて、その上で差別的に使われる場合について但書きをして頂けたらと思います。どういう言葉を想定されているのか分かりませんが。Johncapistrano 06:45 2004年3月21日 (UTC)
例えば、このような例は如何でしょう。
[[つんぼ桟敷]]: 元来は舞台用語・建築用語。
平屋建ての建物が多かった江戸時代に各種演目を公演する劇場等の施設で天井桟敷または天井桟敷席と呼ばれる天井裏若しくは二階で観覧する席が存在した。現代のようにマイク・スピーカー等を用いた演技者の補助音声設備が存在せず、音の反射・吸音・残響等の音響設計の概念がなかった時代、演技者の声は平場の座席または土間に座る観客に向けて水平方向に発せられ、上方への音の伝達は期待できず、その結果、演技は見えても音声が聞こえない一部の客席が生まれた。これらの席は特に天井桟敷部分に多いことから音声が聞こえない、または聞き難い座席の一部をつんぼ桟敷と呼ぶようになった。これから転じてつんぼ桟敷は楽曲・音声等が聞こえない箇所を指すことから、事情を知らされない状態、局外に置かれる、仲間外れのような使われ方が一般化し、元来の意味を知ることなく差別用語として一人歩きし、扱われるようになった。演劇、特に歌舞伎の場合は演目のあらすじ・せりふ等を暗記した者は費用の安いつんぼ桟敷を好み、いわゆる大向うから役者の屋号を呼んだ。
これを舞台設計で解説する場合には前記の説明に加えて、音響の図絵を用いて音の方向を示す矢印などを書き入れたものを用意する必要があります。
[[めくら]]: 孔または穴の空いていない状態を示す慣用語で、あなの大きさには左右されない。古くより平面に点が存在する状態を目(め)と称し、目が塞がった状態をめくらと呼ぶ。電気設備における電灯の入り切りを行なういわゆるスイッチ等のスイッチプレート、あるいは電源を取るためのコンセント・プレートなどでスイッチやコンセントの器具が見える状態に対して、配線・配管が内側にあってもコンセントが見えない場合に用いる蓋をめくら蓋、またはめくらプレートと呼ぶ。公共施設等ではめくらを差別用語として認識しているもののこれに代わる呼び名として表パネル等が提案されているが正確に意味が伝わらず普及するまでには至っていない。 Koba-chan 09:24 2004年3月21日 (UTC)

私代弁者ではありませんので、上の方は天井桟敷が元でしょうか? やはり警告を付けてもう一寸建築・演劇とそれ以外を分割して欲しいですね。下は目からの慣用ですね。マイナスの意味で使われている訳ではなさそうですが、それ以上の判断はつきません。視覚障害者のWikipedia利用者は来ますかね。Johncapistrano 12:26 2004年3月21日 (UTC)

劇場建築では土間の席に対して一段上がった観客席を桟敷(さじき)と言い、天井桟敷は天井裏や天井間近の観客席です。人の声の届く距離はせいぜい十数mで、明瞭に聞き分けることのできる距離はもっと短いので、天井桟敷に限らず音響的に不都合の生じるいわゆるつんぼ桟敷は現代の劇場においても存在します。ただ、不都合を補う放送設備があるので気付かないだけです。音響設計ではつんぼ桟敷の位置をコンピュータでシュミレートして各種放送設備を設えます。なので、天井桟敷でも起こりますが、イコールではないし、ニアリーイコールとも言えません。記事内容の分割についてはつんぼ桟敷自体の本来の意味があまり知られておらず、誤用から始まったような気がしますので、どちらを先に書けば良いのか頭が痛いです。
目に付いてはフィジカルな眼球を示す目(め)だけでなく囲碁などの目(もく)としての意味もあります。手元の辞典にはめくらは目暗から始まったと書かれていますが、建築用語としては単に目をつむった状態を指しているような気がしてきました。あらかじめ目と呼ばれるものの定義を含めて多面的に説明をしておかないとマズいかもしれません。
警告文について
ご注意: ウィキペディアは中立的な観点で内容記述に努めている百科事典プロジェクトですが、本記事では差別用語・蔑称の一覧をはじめとして差別全般を解説しています。本文をお読みになって差別扇動や差別を助長する内容、または誤まりや迷信と思われる記述があった場合はできるだけ具体例を掲げて公平な立場で編集加筆を行なってください。Koba-chan 04:53 2004年3月23日 (UTC)

さて、話が少々拡散してしまったようです。Johncapistranoさんの主張がよく見えなくなってきたので、もう一度まとめていただけませんか?Sampo (ノート) 12:42 2004年3月31日 (UTC)

私は肉体的欠陥(「特徴」という言い換えも嫌なので、敢えて「欠陥」といいます。)についての表現は必ずしも差別とはいえないと思います。 何を欠陥といい、何を普通とするかはそれ自体が面倒な問題を含んでいます。それをぎりぎりまで詰めるよりは、寧ろ欠陥を隠さず、憐れまず、おおらかに語り合えるほうが遥かによいと思います。 問題はそれを語るときに差別感情があるかどうかであって、言葉そのものには罪はありません。 「めくら」という言葉は「目が見えない」状態を表現しているに過ぎず、それを「視覚障害者」とか「目の不自由な方」と言い換えたところで、「目が見えない」状態を表現していることには変わりありません。「目が見えない」状態を表現したいときにいちいち躊躇しなければならないとしたら、眼の見えない人々に対する理解は絶対に進みません。 また、差別感情を解決しないまま言い換えだけをしたところで、「言い換え語」がまた差別語の批判を受けて使えなくなってしまいます。 つまらぬ言い換えにばかり神経を使って言葉のインフレーションを引き起こし、後には差別語の山が築かれるというのは言葉の不幸です。 要は相手の触れてほしくないことは話題にしないという配慮があればそれで足りると思います。(~~~)


では案として、

  1. 悪質な差別書き込みは直ちに削除する。(松本智津夫のような例です。方法はユダヤ教の時のような方法でも構いません。)
  2. よくある偏見については警告(中立的な観点)を付けて、偏見である旨を明記して記述する。
  3. 差別事例、虐待事例についても警告(ショックに注意、中立的な観点の両方)を付けて、被害者のプライバシーを守る。
  4. 蔑称・差別用語とされている語について、警告を付し(ショックに注意、中立的な観点の両方)語源変遷等について記述する。肯定的な意味がある語は段落を分けて記述する。
どうでしょうか?Johncapistrano 13:24 2004年3月31日 (UTC)
残念ながら、それは中立的ではありません。なぜなら、被害者一辺倒に過ぎるのです。警告と言うのは、効果がない(対応していると言う振りにもならない)うえ、被害者が可哀相だから何々、と言う私情が大いに混ざっています。百科事典として取るべき姿勢であるように思えません。ウィキペディアは差別被害の回復を求める場ではありません。
また、悪質な書き込みは削除と言うのは、それがその項目に関係なく書き込まれているのなら同意しますが、例えば削除依頼にこの前出てきたちゃんころなども、削除の対象ではないでしょう。差別を受けた人たちは、その語を使って差別されたために心を痛めるのであって、その語そのものによってではないのです。Kzhr 13:35 2004年3月31日 (UTC)
なるほど。では講評させていただきます。1.についてですが、これまでも削除依頼経由ではあってもスピード削除の対象となっていましたから妥当でしょうね。
2.ですが、偏見が存在しているという事実について客観的に書くのは従来のルールの応用例のひとつですから特に異論もないでしょう。
論点は3.4.の警告をつけるかどうかという点に集約されているわけですね。
正直言って、警告をつけるのはそんなに重要なことではないと思っています。文脈上、それが明らかでないようならすでにアウトなので。ですから、わざわざ警告文を張って画面をうるさくする必要性もそんなにないのかなあと。
ただ、一部の過剰に反応する人々が記事の一部分だけ見て「こんな差別がここで行われている!」と騒ぎ出すのを予防するには目立つサインでウィキペディアの立場を表明しておくのも悪くないかも知れませんね。Sampo (ノート) 13:41 2004年3月31日 (UTC)
こんにちは。お招きありがとうございます>Johncapistrano
Johncapistranoさんのご提案について、私の個人的な意見を述べさせて頂きます。
1.について。誰が見ても明確である、という前提でしたら即時削除に賛成です。
2.賛成です。
3.4.ですね。やはり。Sampoさんのご指摘におおむね同意なんですが、形としての注意書きは必要かと思われます。Wikipediaは便宜上こういう言葉を使っているけれど、こういう言葉を使うのはあくまで時代背景など説明に必要だったからで、その立場を支持するわけではありませんよ、というニュアンスの表明は必要だと思います。このような対応は書籍等で行われておりますが、その例にならうという形で良いと思います。
それから、Kzhrさんのご意見なのですが、ある特定の言葉が差別に使われた経緯がある、という事なら削除に至らないまでも多少の留意は必要だと思います。確かにどんな言葉でも差別はできるし、それで全て削除なら言葉狩りになってしまうのですが、集団的、社会的に知られた差別語というのなら、記事内で用いられている時点でそれなりの正当性が問われるかと思います。百科辞典というのは確かに現状を反映していなければならないし、名誉回復の場ではないけれど、差別をうっかり助長するような事に対しても慎重であるべき、と認識しております。Sol 21:08 2004年4月12日 (UTC)

さて現在の所での合意は何処までとれているのでしょう? 松本智津夫は小泉への名誉毀損の虞という事で対処されたようで私としては疑問ですが。Johncapistrano 21:22 2004年4月12日 (UTC)

差別に対して一定の合意がなされれば、ルールとして明確に残した方がいいと思いますが(「Wikipedia:ウィキプロジェクト 差別」など?)どれくらい合意に至っているのでしょうか。Skylab 17:15 2004年4月24日 (UTC)

質問のみをして自分の意見を書かなかったことをお詫びします。さて、私の意見ですが、1、2に関しては賛成します。問題の3、4ですが、確かにウィキペディアは被害者を擁護する場所ではないですが、差別用語の記事を書くならばそれなりの責任を持ってかくべきだと考えます。もちろん百科事典ですので客観性に欠けていてはいけません。差別の背景、実態などを書くべきだと思います。それを読んでどう受け止めるかは利用者に委ねられるべきです。そうは言っても差別というのは、加害者にそんなに罪悪感がなくても被害者はかなりの傷を負うことも少なくありませんから、助長されうる表現などは判断を厳しくして(過ぎたるは及ばざるがごとし、ですが)即対応を求めます。過剰な被害者意識にも注意が必要ですが。警告文はあまり派手には行わない方がいいでしょう。余計な扇動を起こしかねません。差別に関するウィキペディアの立場を記述するのは賛成です。意見を多数求め、改変していく必要もあるかもしれません。Skylab 16:28 2004年4月25日 (UTC)