Wikipedia:井戸端/subj/ウィキペディアのマニュアルや方針の記述について

ウィキペディアのマニュアルや方針の記述について[編集]

こんにちは。経験者というほど経験が豊富ではないんですが、なぜか井戸端に投稿するとサブページに移されるのでこちらに書き込ませていただきます。ウィキペディアのマニュアルや方針は、ガイドラインとして存在するためか、打ち消しの形による記述が目立つことに気づきました。じつは私は主に『仮面ライダーウィザード』と『獣電戦隊キョウリュウジャー』の編集に参加しているのですが、最近の仮面ライダーというのは、「なんとかライダー」に変身するだけでなく、なんとかライダーのAタイプ、Bタイプ、Cタイプというように、多彩な形態に変身するのですが、その変身形態の説明にまでエピソードが書き込まれる状態です。せっかくマニュアルがあっても、「何とかではありません」だとか「何とかはしないでください」と書かれていては、初心者が読むとどうすればよいのか分からず、結局真似をして説明にエピソードを書くことになり、これの繰り返しで説明がエピソードだらけになってしまいます。たとえば登場人物の説明の書き方であれば、「その人物の性格、職業、身分、くせ、行動パターンなど、その人物がどのような人物であるかが分かるように、特徴を簡潔にまとめることを心がけましょう」だとか、アイテムであれば、「そのアイテムが持つ機能や効果、役割など、そのアイテムがどのようなアイテムであるか分かるように簡潔に記述することを心がけましょう」というように、マニュアルや方針でどうすればよいのかを具体的に示して、行動を抑制するのではなく、「道しるべ」となるような記述を増やしたほうがいいと思うのですが、いかがでしょうか。--V5+c6-S3+w8=DDss会話2013年9月20日 (金) 17:59 (UTC)[返信]

例え話が専門的にすぎて若干意味の分からない部分がありますが、えーそう言ったことは、今回でしたらプロジェクト:特撮をご覧の上、必要でしたらプロジェクト‐ノート:特撮で議論を提議し、Wikipedia:コメント依頼を利用して人を集め、議論に入ってください。まずそもそも記述が確たる文献で担保されていなければなりません。髪型や色などは一次資料(DVDが出た時点で確認可能です。公式サイトでもok)か二次資料(そこらの雑誌・書籍・なんでも結構)で確認できますが、そこらで確認できないことを書いてはいけません(Wikipedia:検証可能性Wikipedia:独自研究は載せない)。また、どの媒体で具体的にどの辺りで確認したのかも明記しておくべきです(wikipedia:出典を明記する)。これを説明すれば、「ぼくのかんがえたかいしゃく」「ぼくのかんがえたうらせってい」「ぼくのかんがえたひっさつわざ」のかなりの部分は排除できます。また同時にWikipedia:ウィキペディアは何ではないかを参照して、ウィキペディアは百科陣点でありデータベースではないので、百科事典に掲載されるべきではない些末な事を掲載しないを理由に、そして別途Wikipedia:過剰な内容の整理を論拠として、些末な記述を除去できます。また、プロジェクト:特撮の上位プロジェクトにプロジェクト:フィクションがあります。当然そちらもご参照ください。特にプロジェクト:フィクション/登場人物と設定の記述は有用であり、これを励行すれば些末な情報で記事の品質を下げる事を抑制する効果が期待出来ます。一回だけ登場した何の変哲もないちょい役は除去すべきである場合が多いであしょう。またキャラクターごとにネタを書いてしまっては、時系列がまるでわからなくなってしまいます。初心者がストーリーの流れがわかりません。これは記事が単にファンの遊び場になってしまうことを意味します。非常にまずい状態ですので、Wikipedia:あらすじの書き方を参照し、キャラの記述はできるだけ取りあげ、あらすじを充実させてください。jawpでは大オチまで書いて構わないとされています。ただし余りに詳細すぎると著作権的な問題が発生します。あらすじは荒いからあらすじと言うのです。ここでも、適切な取捨選択が求められます。結局「なんでも書ゃいいってもんじゃないんだよ!」に行き着くわけですが、アニメマンガゲームラノベ特撮については、愛情溢れる余り「専門wikiでやれ」もしくは「長すぎて細かすぎて人類が読めない」「ファン以外は時系列不明のただのキャラまとめ」になっているものが非常に多く見られます。お気をつけを。以上のお話が今後の貴殿のご活躍の一助となりましたら、幸いです。--Hman会話2013年9月20日 (金) 19:21 (UTC)[返信]
専門分野のたとえ話を出してしまってすみません。この問題はウィキペディア全体に関係があると思ってこちらに書かせていただきました。たとえば、Wikipedia:出典を明記するでは肯定の形で記述してあるので、出典を明記する必要があることがすぐ分かります。ですが、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかのように、ああではない、こうではないと打ち消しの形で書かれていると、初心者が「じゃあどうすればいいのだろう」と困惑するのではないかと感じたのです。じつは私自身、何度マニュアルや方針を読んでも今ひとつ理解できなかったんです。とりあえず人のまねをして編集していたところ、マニュアルや方針と矛盾する編集が出てきて、井戸端で質問をしていくうちに理解できたという経緯がございまして。それから、特撮分野での過剰な内容につきましては、ノートや編集内容の要約蘭にリンクを貼って誘導してはいるのですが、全く変化がないというか、そもそもWikipedia:五本の柱すら読んでないんじゃないかという編集がすさまじくて、しかもそのほとんどがアカウントを取得されていない方々で、直接対話することができないんですよねぇ。(愚痴になってしまってすみません)あらすじは、20話あたりまで観直してまとめている最中です。ストーリーが難解なので少し長くなりそうですが、Wikipedia:あらすじの書き方#非常に長い作品の場合を参考にサブセクションで区切ることも検討しています。全52話なので、この先どうなるかはまだ分かりませんが。あと、人物の説明・アイテムの説明のようなことは、ちょっと難しいんですよね。プロジェクト:フィクションプロジェクト:特撮プロジェクト:テレビドラマの全てに関係していて、それらが上位・下位関係なく独立していまして。とりあえず特撮のほうに議題を提出して、フィクションやテレビドラマにも参加を呼び掛ければよいのでしょうか。--V5+c6-S3+w8=DDss会話2013年9月21日 (土) 16:14 (UTC)[返信]
はい。私の認識では、参加者の恐らく過半数以上を占めるであろう、IP利用者、初心者の多くが「Wikipedia:五本の柱」すらお読みになっていないはずです。もっともはじめての方がちょっと加筆するくらいのものに、そう目くじらを立てる必要はないのですが、問題は継続参加する場合ですよね。
まず今回のケースに限って申し上げましょう。現実的な対策方法としては、連絡が付く方だけで、ノートで記事の方向性を議論してください。そこに可変IPさんが参加してくるなら、アカウントの取得をお勧めしてください。そして議論の結果、記事の適切な方向性について、確たる合意を形成してください。ただし、その合意がwikipediaの一般的なルールを逸脱していないか、第三者の目も有った方がいいでしょう。wikipediaの一般的なルールに反する合意は無効とされる場合が非常に多いです。その点につきましては、コメント依頼をご活用ください。
さて、それで合意事項が決まったら・・・まず何より議論参加者が、どんどん「大胆な編集」を行い、記事を良い形に直していってください。で、もし対話のしようもない可変IPによる合意に反する編集があれば、まずIPが変わる前に即座に会話ページでご案内を行って下さい。できるだけ慇懃に。記事の方はあまりにあまりな加筆であれば差し戻してOKです。ただし編集要約欄にノートへのリンクを貼りつつ、ノートでの合意形成をご参照ください、異論・反論等はノートで承ります、その様に書いて置いてください。可変IPによる余りに余りな編集が継続する様でしたら、記事をロックすることも可能です(一応IPを広域ブロックする手もありますが)。これは半保護と申しまして、Wikipedia:保護の方針をご参照の上で、Wikipedia:保護依頼で管理者に提案するかたちになります。保護を行うべきかどうかはほぼ完全に管理者の独断で決められています。「対話拒否」や「ノートでの合意事項を無視した強行編集」はブロック事由になります(可変IPはブロックに余り意味がないため、半保護か広域ブロックでの対応となります)。
続いて「今後継続的な参加が見込める初心者に対してwikipedia文書がどう対応していくべきか」ですが、これは私もそうなのですが、恐らく少なからずの利用者が現状の案内文書やその構造では不足と考えていらっしゃるはずで、できればどんどん解りやすく改訂していくべきと考えて居ます。仮にこれを「現実主義者」や「革新派」と呼びましょう。
ところが、そうお考えでない方々もいらっしゃいます。リンクを辿れば最終的に全ての方針文書にたどり着けるはずだ、指示の肥大化は避けよと言っている、細かく明記しなくても「方針の精神」を理解すれば自明なはずだ、文書に書いていないところは逐一議論(口喧嘩)すれば良い。「理想主義者」または「保守派」と申せましょうか。
私などはそこら中不備だらけであり大幅なテコ入れが必要と考えておりますのであからさまに前者に属する訳ですが、結局理想主義者・保守派の合意が得られる範囲でしか、変更等はできないわけです。新たな初心者対応文書など、2,3年の経験のある利用者がほんの数人でチームを組めば、相応な時間をかけいちから作り直すことは十分可能ですが、通るかわからないもののために時間を割く訳にもいきません。よって現行の情勢では改訂はどうしても小規模なものにとどまります。
例えば編集画面にですね、2013年9月現在は「必ず検証可能性を満たすようにしてください。」とだけ書いてあります。こんなもの、初心者が見てわかるわけがないんですね。もっと強調表示し、平易かつ最低限の説明を加えないといけない。検証可能性を満たさない記述はwikipedia側としてもごめんだし、IP/初心者さん側も、せっかく書いた物を消されたり怒られたりとろくでもないことである。事前の広報に勝るものはないため、目立つ形で・・・と以前提案したのですが、実際に却下されています。どちらが正しいのか?それは私にもわかりませんし、ケース・バイ・ケースでもあります。保守的に行った方が良い部分もあれば、革新していった方が良い場面もあるでしょう。
というわけで、氏が2,3年のウィキペディア歴を重ねられた後には(できれば特撮以外でも経験を積まれることが望ましいです)、この様な根本的なところでの改訂作業を手伝ってみる、と言うのも良いでしょう。2,3年後には情勢も変化しているかもしれません(なお、私は既に余り口を出す立場では有りません。たまにこうしてご案内することくらいはございますが、既に(諦めて)リタイアしたロートルであり、全く記事を書いていません)。
プロジェクトについては、フィクションが最上位で、他にアニメマンガドラマ映画その他が横並び、と考えれば良いのではないでしょうか。もし場所違いでしたらツッコミが入るだけですので、まあ最初は余り深刻に考えなくていいです。なお、あらすじについては、えーDVD化が確実と見込まれるのであれば黙認されることも多いのですが、現状では真偽を第三者が検証できないため、DVD化前には最小限に抑えられるべきです(もしくは二次資料を用いるべきです)。ただし最近はネットで合法的に視聴が可能な場合もあり、それが可能な場合にはこの限りではありません。--Hman会話2013年9月21日 (土) 17:41 (UTC)[返信]
コメント Wikipediaが扱う分野は非常に幅広いですので、全ての分野・領域でご提案のように「Aの場合はこうしましょう」「Bの場合はこう書きましょう」「Cの場合は…」というように、あらゆるケースを網羅して「道しるべ」を用意するのは現実的に難しいですし、少しでも状況が変われば直ちに影響を受け修正を余儀なくされます。このため、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか最低限守るべきことを示しているのだと考えてみてはいかがでしょうか。ここで言う最低限とは、それで十分という意味ではありません。「望ましいこと」と「こうしてはいけないこと」との間には幅があり、1か0かで判断すべきではありません。V5+c6-S3+w8=DDssさんや(私を含む)多くの利用者はその幅の中で悩んだり時には衝突が起こったりといったことを経験する訳ですが、その中で得た結論や知見を積み重ねて行き、「ルール」(方針)や「道しるべ」(ガイドライン)を作っていくことは可能です。そして今回の事例のような特定分野の「道しるべ」を定める役割を担うのはウィキプロジェクトだと理解しています。特定分野に関心のある人が集中的に議論することによって、「よくあるケース」の絞り込みや状況変化への素早い対応が可能になります。但しウィキプロジェクトで扱うのはあくまでも「道しるべ」、つまり推奨であり、可能性を狭め柔軟性を損なわないように最大限注意を払わなければならないと思います。
Hmanさんが直上のコメントの中ほどで仰られていることについては、先日の速報に関する議論(Wikipedia:井戸端/subj/速報に関する措置について)でもお話しましたが、初心者向けドキュメントやメッセージの整備の必要性については同意見です。但し、小さな字でびっしり書かれている約款のように、せっかく用意しても肝心の利用者に読んでもらえなくては意味がありません。現状でも長々と書かれた方針・ガイドライン文書があちこちで散見されますが、優先順位付けや階層分け、事例集やFAQ集など、様々な工夫をこらし、本当に伝えたいことが伝わるよう十分な配慮は必要です。長大・難解な文書を用意しておき(場合によってはその成立過程まで読ませ)何か事が起きてから「ホラ、ここに書いてあるでしょ」と言う(言われる)より、できるだけ多くの利用者が事前に共通認識を持てるようにした方が有益ですよね。--Penn Station (talk) 2013年9月22日 (日) 10:50 (UTC)[返信]
特定の分野だけでなく、全体的に見直していただきたかったのですが、リンクを辿っていったら、初心者に対しての配慮については、いろんなことが話し合われていたんですね。おっしゃる通り経験を積まなければマニュアルや方針に安易に手を加えることはできそうにありませんね。一か所変更するだけでもそれに関連する多くの方針・マニュアルに影響が出そうですし。
まずは自分ができる小さなことから始めようと思います。たとえば、初心者に分かりやすいようにマニュアルの意味をかみ砕いてノートページで説明するようなことならすぐにできますし。特定の分野の問題につきましては、折を見て改定案を提出してみようと思います。皆様のご意見はとても参考になりました。どうもありがとうございました。--V5+c6-S3+w8=DDss会話2013年9月22日 (日) 15:34 (UTC)[返信]
はい。Penn Station氏のおっしゃるとおり、頂戴で見難くなってしまっては、それこそ現在の状況と大差はありません。おこなうべくは改善なのですから、必要なことを見やすく、平易に、をモットーとして改善を進めていくこと。全くおっしゃる通りであり、これについて全く異論はございません。V5+c6-S3+w8=DDssさん、jawpは色々と大変なところですが、ひとつ、とてもいい点があります。「締め切りが無く、いつ参加するも、撤退するも、全て自由」な点です。のんびりやってもいいので、第三者の心無い発言にイラついたらとりあえず3日間wikipediaを放置してみてもいいんです。気に入らなければその記事は放り出してもいいんです。気負わず、参りましょう。余り根を詰めるとパンクしますよ、ほんと^^;←パンクした wikipediaはあくまで趣味です。気楽に参りましょう。今後の長期間に渡るご活躍をご祈念申し上げます。--Hman会話2013年9月23日 (月) 00:06 (UTC)[返信]
コメント温かいお言葉をおかけくださりありがとうございます。確かに少し気負いすぎてたかもしれません。出典のために買った雑誌が未読で山積みになったまま、睡眠時間を削って手直しして体調を崩したりしていました。ペース配分に気をつけようと思います。どうもありがとうございました。--V5+c6-S3+w8=DDss会話2013年9月23日 (月) 07:16 (UTC)[返信]
コメント 期を逸しているような気がしていますが。
Wikipediaのガイドラインは、基本的には、「それまでおこなわれていた慣例を、洗練して精度を高めてから明文化したもの」みたいなものであると思っていただけると、いいと思うのですね。なので、一足飛びに「ガイドラインを作ろう!」と思っても、なかなか難しかったり、浸透しづらかったりするように思います。しかし、逆に考えれば、例えば「特撮のページはこのように作られるべきだ」という記事をある程度の数作ってからであれば、そこからガイドライン化したりしやすくなるわけです。ガイドラインを作ろうと思えば、基本的にはプロジェクトで話し合うことからスタートすることになるのではないかと思いますが、それにしたって、ベースとなる記事があるかないかでは具体性が全然違うわけです。
なので、まずは、既存項目を少しずつ改善するとか、そういうところからスタートするのが良いのではないかなあと思います。特に、特撮であるとか、アニメであるとか、そうした分野はトリビアが書き込まれがちですし(情報の方向性としてどうしてもそういう「軽い」情報が多いジャンルでもあるので、それをふるい落とすこともしなければならないわけですからそれも大変です)、記事の質を上げるという点については(日本語版では活発な分野でありながらも)まだまだ途上です。私も声優記事を多く見ますけれど、エピソード集か、あるいは端役までも網羅された長大な出演リストに終始しがちなこのジャンルの記事について、悩ましく思うことも多々あります。私としては、ひとり、非常に突っ込んで書いていける声優さんがいますので、まずはその方の記事を良質な記事にすることを目指して、資料収集に励んでいるところです。その記事を通して、どのような記事が望ましいのかを例示できれば良いのかなと。
まあ、私も、資料収集をこの数年ずっとやっていたりしますし、時間かけてもいいやと実は思っていたりしますし、あせらずやられるのが良いと思いますよ。井戸端で拝見するに、V5+c6-S3+w8=DDssさんは出典などに気を使っていらっしゃる方であるようなので(そうした方は、全体からみれば私もまだまだ少数だと思います…残念ながら)、是非とも根を詰めてリタイア、等ということにならないようにしていただければと思います。 -- -- いすか (talk/wikimail/contributions) 2013年10月3日 (木) 08:10 (UTC)[返信]

コメント(インシデント戻します)ご意見をお寄せいただきありがとうございます。これはどう説明すればいいのか難しいのですが、テレビ・ラジオ・雑誌などで分かったことをそのまま書いてくる大勢の方々には、最低限「Wikipedia:五本の柱」を読んでくださいとしか言いようがないのですが、せっかく方針やガイドラインを読んでくださっていても、それを理解していらっしゃる方が少ないのがどうにかならないものかと思いまして。ノートページに「ここにも出典が必要ですよ」と書くと、「そんなところにまで出典が必要とは知らなかった」という返事が返ってきたり。過去の作品では「出典をつけるように」と正論を述べている方のほうがが叩かれているのも拝見いたしました。出典について気にかけているのもそんな経緯があってのことで、私の活動は「編集」というよりもっぱら「出典係」なんですよね。

そんなことに嫌気がさしてやめていかれた方のことも存じ上げておりますので、そうした方々のためにも気持ちとしてはリタイアはないと思うのですが、じつは幼少のころから病弱で、年々症状が悪化していて、つい最近の検査では赤血球と白血球の数値が基準値を下回るという事態になりまして、体のほうがリタイアしないうちに何とかしたいという気持ちもあって難しいんですよね。

それで、最近は気づいたことをノートや会話で積極的に呼びかけるようになりました。これなら手軽にできますし。煙たがられていなければよいのですが。--V5+c6-S3+w8=DDss会話2013年10月3日 (木) 16:17 (UTC)[返信]

コメントうーんと、「そんなところにまで出典が必要」というのは、ウィキペディアのかなり特殊な事情だと思うんですね。参照した文献は示すということを承知している研究者ですら「そんなところまで」求められるのか、と感じることが多いようです。論争が多いところは出典を示すけど、常識的なところは書かなくていいと考える人は少なくなくて、それはそれで、一般的には間違っていないんだけど、ウィキペディアではむしろ常識的なところの参照先を付けるところからはじめたほうがいい。番組自体を参照していればそれで足りる、そのほうが確かな情報源なはずなのに、その他の情報源を期待される。テレビ番組の執筆者であれば、「確かめられるようにするのかあ」「出典書くんですね」とかいうところから始まる人も多いでしょうから、そう簡単に理解できるもの、実践できるものではありません。特撮番組の百科事典記事を書いたことがある人なんて、(たぶん)いないわけです。テレビ、ラジオを見ている人が、少しずつテレビ・ラジオで流れているものについての、インターネットで共同作業な百科事典記事を書く人になっていく。そういうものだ、と、あらかじめ認識しておく必要があるんです。
「執筆者」は、どうしても自分が中心になります。そうでない、運営寄りの熱心な参加者は、問題記述や問題利用者を取り締まるようなところに目を向けることが多いです。それらもそれらで、しょうがないところがある。で、英語版から主だった方針やガイドラインを取り入れ、現実に混乱したりすれば修正はされてきました。そういうなかで、「出典係」や「サポート係」「説明係」、「方針類のメンテナンス」を担ってくれる人は、なかなか出てこなかった、というようなところだと思います。ウィキペディアでは多様な参加形態が認められています。無理のない範囲で、ご協力いただければ幸いです。
方針については、「革新派」はいるけれど、革新する上で、理想主義者・保守派の合意が得られる範囲でしか、変更等はできないのは当然で、無茶な提案や、プロジェクトの理念から離れるもの、現実的に有効でない、予想される混乱に手当てが出来ない、というものは却下されます。そこら中不備だらけであり大幅なテコ入れが必要だからといって、テコ入れによって別の大きな不備が生じては困るわけで。「現実主義者」は、おいおい修正していく、場当たりで解決して、可能なら成文化していくということになるでしょう。「理想主義者」は、まず何が理想なのかを考えるところからスタートしたりしますから、その主義を発揮する場面は余りありません。「保守派」というのはあまりいないんじゃないかな。提案によって、これまでのほうがいい、という人は出てくるでしょうけれど。ウィキペディアは多様な分野を含む新しいプロジェクトなのですから、それほど細かいところまでは決めると衝突を招くものも多いですし、可能性を狭めることにも繋がります。V5+c6-S3+w8=DDssさんがやろうとしていうのを考えると、分野ごとのプロジェクトをうまく活用して、プロジェクト自体を活性化しつつ、ボトムアップで方針やガイドラインを変えていくのがいいんじゃないかと。--Ks aka 98会話2013年10月5日 (土) 05:44 (UTC)[返信]
コメントそれがどうやら2つの思い違いがあるようなんです。まず、「百科事典」だから分かっていることは細かいことまで全て書き込まなければならないと思っていらっしゃる方が多いらしいということ。もう一つは、「Wikipedia:スタイルマニュアル (フィクション関連)#一次情報」に書かれている「フィクションに関する記述はフィクション作品そのものを情報源として使用する」というのが、「出典は必要ない」という意味だと思ってらっしゃる方が意外と多いようなんです。
細かいことを言えば、特撮のテレビ番組の場合ですと、「特撮」・「テレビドラマ」・「フィクション」・「放送番組」の各プロジェクトに書き方が分散されているので余計に理解されにくいのも問題だと思うのですが。
しかし、これらは「五本の柱」を各プロジェクトに合わせて細かく説明したに過ぎず、ウィキペディアの本質を理解していれば問題ないと思うんですよね。ところが、最初の「百科事典」の意味を取り違えられてしまうと各プロジェクトでいくら細かく説明しても理解されなくなってしまいます。
それでノートや会話で説明することになるのですが、私から見れば似たようなパターンであっても、ご本人からするとそれぞれの問題について個別に細かく説明してもらえないと理解されないみたいで。で、あっちへ行ってはあれを説明、こっちに来てはこれを説明、という感じです。
「説明係」と「出典係」と「手直し係」と今書いている「あらすじ担当」の4人の自分がいないと、とても手が回りません。
べつに苦痛ではないのですが、一番心配なのは、私のこうした説明で「編集を楽しむ」ことができなくなるかもしれないということなんです。もちろん「編集を楽しむ」以前に、まず「五本の柱」を理解する必要があるのですが。いちいち説明されて嫌な思いをされている方もおられるのではないかと。
それで、できればもっとかみ砕いた表現で明文化してほしかったのです。まあ、そのためには、今はこうした地道な作業を繰り返すしかなさそうですね。--V5+c6-S3+w8=DDss会話2013年10月5日 (土) 14:22 (UTC)[返信]
「思い違いが」…「意外と多い」んじゃなくて、まあ、多いんだな、と。前に書いたとおり、「そういうものだ、と、あらかじめ認識しておく必要があるんです」。
「ウィキペディアの本質」とか、「百科事典とは」とか、まあ十全にわかってる人はいないです。ぼくの歳だと百科事典ブームに重なってるから百科事典とはどういうものか、というのはなんとなく形になっているけど、情報系の若手の研究者さんで、従来の百科事典を手にしたことがないって方もいらっしゃいましたよ。はじめて本文を読んだ百科事典がウィキペディア。もっと若くなると、総合的な学習とかになるのかな。百科事典とは何か、というのは難しくて、扱っている本や論文もほとんどない。手頃なのはたとえば、岩波文庫の『百科全書』や吉見俊哉「新百学連環論序説――エンサイクロペディアとCMSのあいだで」(『東京大学大学院情報学環紀要:情報学研究』第70号、65‐87頁[1])、バークの『知識の文化史』、ディドロ著作集、エーコの『記号と言語哲学』、あとは『リテラリー・マシン』とかかな。「検証可能性」の背景にはウィーン学団とランドの客観主義と(まだよくわかんないんだけど)プラグマティックな認識論があります。
で、既存の百科事典と、ウィキペディアで違う部分も多々あります。同時代的な「特撮」の記事を共同作業で作るなんてことは、過去行われてきていないわけで、既存の百科事典を理解している人なら、そんなもの記事にしなくていいと言ってもおかしくない。改訂後の最新版は見ていないけど、平凡社の88年ごろの版ではビートルズも美空ひばりも記事になかった。百科事典の「作品記事」で、あらすじを情報源を示しながら書いているようなものもたぶんないでしょう。そういう既存の百科事典、それを支える学問の世界や、いわゆるマニアや在野の研究者といったものの慣習や価値観と、ウィキペディアの間を、うまくとりもつ必要がある。それが方針やガイドラインやプロジェクトなどの文書ですよね。それで十分でないところは、人が補う。
「噛み砕き方」は、分野によって、相手によって変わってきます。
たとえば、あらすじに情報源がなぜ必要かというと、(1)書籍で言うところの「版」によって相違がある(原作とアニメで違う、初回放送時、再放送時、パッケージ作品で違うなど)可能性があり、執筆時点でそれが把握できているかどうかわからないということや、(2)作品そのものを享受しようとするのではなく、ある場面やある事柄についての情報を得たい場合に、DVD数巻におよぶ作品からその場面を切り出す労力を避けることができること、(3)作品自体から確定的に読み取れる部分、説明の益となるために設定集などから補完している部分、執筆者の常識的に妥当な、または独自の推測で補完している部分の区別をすること、などが考えられる。
百科事典に掲載されることが妥当と考えられるような、ある程度の評価がなされている近代文学作品なら、(3)で考慮しなければならないようなことは研究者によって切り分けられているし、(1)で扱われるようなことも先行研究があるでしょう。ですから、そうした二次資料を用いることを想定しておくのが適切で、詳細に一次情報との関係を示す必要は、あまりない。どのように要約するかを、文学事典などにある「あらすじ」を参照していくという作業もあり得る。同時代的な、あるいは進行中の特撮やアニメは、そういう先行研究がない。想像される執筆者像も違う。近代文学と特撮作品で、どちらかの方法論を他方に強制すると、記事の発展や質的な担保を阻害しかねない。ですから、特撮の執筆者向けの「噛み砕き方」はプロジェクトで検討して、共通点がありそうなアニメほかと整合性を図ったり相違を明確にしたり、共有できるものはノンフィクションとして、またはテレビ番組として共有する。今、分散されているものを、整理しなおすというのを先に進めてみるのがいいのかもしれませんね。
その上で、相手によってわかってないポイントも違うし、持ってる知識も違う。その人が、遠慮がちに編集しているか、自分の正当性を疑わずに編集しているか、そうした態度は、実際にその人が持っている主題の知識やウィキペディアの方針やガイドラインの理解に対して妥当なものか、で、対応の仕方も変わってきます。状況によって、方針とかのどこが効いてくるのかとかも違うので、説明の仕方も変わる。ここは、人力でやりつつ、プロジェクトにフィードバックさせていく。
最初は/説明が得意でない人は、とりあえず方針やガイドライン、チュートリアルやガイドブックなどを案内する。それで、うまく理解されていないようなら、その問題点に応じて解説をするという流れでしょうか。それでも、フィクションのあらすじなら、たいていは作品そのものが情報源なのですから、詳細な対応付けをしなければ、示す必要はそれほど高くないですよね。他の部分では情報源を示しているなら、あらすじについてはスルーすることで執筆者のモチベーションを保とうとして、スルーでもいいと思います。そこらへんはおのおのの「説明係」にお任せ。モチベーションを保ちつつ、理解してもらうことができる説明係が登場すれば、それをノウハウ化して共有していくのが理想でしょう。
あとは、手が回らないものは手が回らないものとして、いろんな係を抱え込まないようにしてください。これまで、体調を崩された方も、ときどき出てきているようですから。--Ks aka 98会話2013年10月6日 (日) 06:14 (UTC)[返信]
コメントすみません、ちょっと意味を勘違いしていました。確かにその通りですね。じつはこっそり「プロジェクト:フィクション#一次情報の扱い」に「あらすじに出典をつけずとも作品そのものを出典にしているのは明白」だとか「登場人物の性格などには出典をつけるべき」なんてことも書いてあったり、「プロジェクト:テレビドラマ#キャストの表示方法」に「人物の説明に出典をつけるように」と書かれていたり、また、「プロジェクト:フィクション/登場人物と設定の記述」では「設定を解説することが目的ではない」ということも書かれていたりするので、書かれていることの意味を把握できれば書き方も分かるようになっていたりするのですが。で、今は「ここにちゃんとこう書いてありますよ」と誘導はしているのですが……なぜかあまり効果がなくて悩んでました。「百科事典」という言葉が持つイメージがかなり強くて、しかもそれがウィキペディアからそれている。書き方よりも、参考にすべき秀逸な記事があればすぐに書き方が伝わるのにそれがない。皆さんが書き方を理解できないのもうなずけますねぇ。まあ、体調ならすでに崩しているので、だましだましやっていこうかな、と思っております。えー、こんなことを書いているうちにまた問題が発生したので行ってきます。貴重なご意見をどうもありがとうございました。--V5+c6-S3+w8=DDss会話2013年10月6日 (日) 10:38 (UTC)[返信]
秀逸な記事には選ばれていませんが、特撮分野で参考にすべき記事ならあります。以前紹介されていた[2]のですが、獣拳戦隊ゲキレンジャーです。これを手本にしてみてください。--Wolf359borg会話2013年10月6日 (日) 10:59 (UTC)[返信]
コメントありがとうございます。あっちへ行ったりこっちへ行ったりで忙しかったので、あらすじを先に書いてから見ようと思っていました。ですが、キャラクターの表記なども非常によくまとめられていますね。とりあえずこの記事を目指してガイドラインなどと照らし合わせながら、いろいろな提案をして少しずつまとめていこうと思います。どうもありがとうございました。--V5+c6-S3+w8=DDss会話2013年10月6日 (日) 13:31 (UTC)[返信]
効果が無いのは当たり前です。ウィキペディアでちゃんとルールや作法を把握して行われている編集は、恐らくいいとこ、3割くらいです。全体からすれば、継続的にかつディープに参加している人の方が少ないのですから、それも当たり前です。新人さんやIP利用者、ライトユーザーの方が数が多く、しかも彼らへの基本方針の告知が全然足りないのですから無理もない話です。従って構造的な改革が行われない限り、V5+c6-S3+w8=DDss氏はずーーーーっと、ルールをご存じない方を教導する行為を続けなければなりません。特に貴殿は人気分野に興味をお持ちの様ですので、そういった所にはふらりと来られた方や年少者・熱烈なファンなどが集まりがちで、日々ツッコミと修正を行うことになります(人気のない記事ですと楽なものです。私が書いた段階から全然動かないのはザラでしたw)。「どうすればいいでしょう」ではなく「どうしようもない」ので、せいぜい肩の力をお抜きになり、「そんなもん」だと思って、ストレスを溜めない程度に、うまく世渡りを行って下さい。そうですね、仮にアレな記述が行われればそれは除去せねばなりませんが、すぐにやる必要もありません。例えば二週間に1回掃除する、くらいでも、相当に心身の負担は減少するはずです。とりあえず、あなた一人で何かを改革しようとか、そういうのは無理です。ですが、いずれ志を同じくする方何名かと知り合えるかもしれません。その時にはなんらかの解決策について、アイディアが出て来たりなんなり、するかもしれません。--Hman会話2013年10月6日 (日) 18:13 (UTC)[返信]
コメントアドバイスありがとうございます。そう言われてみると思い当たる節がありすぎるくらいでした。少し気持ちに余裕を持って行動したいと思います。どうもありがとうございました。--V5+c6-S3+w8=DDss会話2013年10月7日 (月) 10:42 (UTC)[返信]