Wikipedia:井戸端/subj/姉妹プロジェクトの活用

他のプロジェクトももう少し活用できないでしょうか[編集]

先ほど、ウィキメディア財団が展開している他のプロジェクトをいくつか見て回っていたのですがそこで、一部の内容が無駄に重複していたり適切でない投稿がされているように感じました。例えば、 Wikisources:アルプス一万尺 で歌詞が書かれているのに ヤンキードゥードゥル#“アルプス一万尺”の歌詞 にも歌詞が書かれています(s:君が代:君が代などもそうです)。また、速報性のある事象(事件・事故など)に関しては Wikinews に投稿すべきです。百科事典 (Wikipedia) と辞典 (Wiktionary) の違いもよく分かりにくいですし、教科書 (Wikibooks) や 引用集 (Wikiquote) とも一部重複していませんか(しっかりと見ていないので印象だけで話している部分が多少ありますが)。これらがすべて Wikipedia に集中して投稿されており(その分荒らしなども圧倒的に多くサーバにも管理者にも非常に負担がかかっている)、ウィキペディア日本語版は全言語版 Wikipedia の中で上位5位以内に入るくらいに規模が大きくなって活動も活発になっていますが、その一方で他の日本語版が存在するプロジェクトでは非常に過疎化しており、利用者がほとんどいない状態になっているように思います(それどころか訪問者さえほとんどいないんじゃと思わされてしまいます)。もう少し、他のプロジェクトも活用してうまく連携をとっていけないでしょうか。提案していてなんですがぼくにはよい案が思い浮かびません。あまり Wikipedia そのものと関係ない話になってしまったかも知れませんね。長い上に、読みにくくてすみません。 --Mzm5zbC3 2007年6月1日 (金) 17:43 (UTC)[返信]

何かしら事件・事故があると編集が集中しますね。『ウィキペディア(Wikipedia)』はニュース速報じゃないとテンプレ貼ってあってもお構いなしに憶測だろうがなんだろが書き込んでくる人がいます。書かないという編集もあるんですけどもねぇ・・・。それはともかく、編集が集中すると思われるページには即行で半保護を設定すると共に、一定回数以上の編集実績がないと書き込めないようにする必要があるかもしれませんね。そしてWikinews へのリンクを目立たせ、そちらへ誘導すると。最近の例で言えば松岡利勝坂井泉水などでニュース速報と勘違いしている編集が行われ、トラブルになったりなりかかっていたりします。本質的でないところでいがみ合うなんて非生産的ですよ。それを回避するためにも適切なプロジェクトへの誘導・案内をもっと積極的にやってもいいのではないでしょうか。赤い飛行船 2007年6月2日 (土) 11:13 (UTC)[返信]
これは英語版ウィキクォートの経験からいうのですが、誘導をすすめる方が誘導先のプロジェクトでアクティブでない場合は、結果的に不適な投稿がいったり、そうでなくてもフォーマットの違いなどを理解してもらえず、訂正や削除の対象になり、不快に思った人が向こうであばれる、ということになり、ただでさえ人数の少ないコミュニティが疲弊する、ということも起こりえます。誘導されてきたのだから受け入れて当然だというようなことをそこで主張されても困るわけです。誘導される方は、その辺を責任もって、誘導先の方針を理解した上で誘導や案内を行って欲しいと思います。あえていえば、わからないのだったら、手を出さないでほしいと、これは英語版ウィキクォートの経験から思います。--Aphaia 2007年6月2日 (土) 12:02 (UTC)[返信]
コメント、ありがとうございます。そうなんですよね。坂井泉水なんか、脚注は亡くなったことに関するニュースばかりですし(これは本来、n:ZARDの坂井さん転落死にあるべき内容だと思うんですよ)。勿論、各プロジェクトの方針や方向性などはちゃんと認識する必要があるだろうし、そもそも管理者もユーザー(コミュニティ)も異なるわけですからルールやら何やら違いはでています。特にウィキメディアプロジェクト全体の初心者はその辺りで混乱される方もいらっしゃるでしょうね。 Wikipedia は現在、 Yahoo! ニュースなどからのリンクや一部の辞典との連携等で知名度が圧倒的に増えており、利用者も倍増しています。その一方、他のプロジェクトはそういったことがなく、知らない人も多いと思います(ぼく自身も Wikipedia をよく利用するようになってから MediaWiki 及び運営母体であるウィキメディア財団やその他のプロジェクトの存在を知ったくらいですし)。一部、 Wikipedia の方針、及び他のプロジェクトを知らない人たちによって不適切な編集が行われているのはその辺りの誘導と案内が不十分であるという面もあるように思います。その一方で Wikipedia のユーザーの大半は他のプロジェクトの存在を知っていても詳しく知らないのでしっかりと誘導できないという面も問題になっているように思います。本当になんかいい方法ないでしょうかね。せっかく {{Wikinews}}/{{Wikibooks}}{{Wikiquote}}/{{Wikisource}}/{{Wiktionary}} などのテンプレートがあるのに活用し切れていないように思います(それ以前にせっかく各プロジェクトの日本語版があるにもかかわらず JAWP に投稿するということもなんか勿体ないなと)。 --Mzm5zbC3 2007年6月2日 (土) 14:40 (UTC)[返信]

姉妹プロジェクトの内容を出典元にはできる?[編集]

ところで、 Wikipedia において Wikipedia 内の記事を出典元として提示はできないようですが、 WikisourceWikinews などの姉妹プロジェクトを間接的(?)な出典元とすることもやはり同様でしょうか。制約上、仕方ないところもあるとは思いますが、そういう活用もできるとよりいいんではないかと。例えば、われは海の子s:我は海の子に全歌詞があるのに Wikipedia 内にも全歌詞載せて更に「原文があります」とリンクさせていますが、これって Wikisource 内にあれば Wikipedia には不要ですし、リンクだけでいいと思います(または歌い出しの一部程度ならいいかもしれませんが)。また、ある特定のニュース報道などの出典元としてリンク先を Wikinews にするとか。通常、日本のネットニュースってある程度時間が経つとサーバから削除されてしまうのでどうしても出典元としてリンクさせてもいずれデッドリンクになってしまいます。しかし、 Wikinews のニュースは著作権などの問題が発生しない限り(またはプロジェクトが頓挫するなどの可能性もありますがそうなると Wikipedia もただじゃ済まないだろうし)、半永久的にネット上に残ると思います。そういう意味では一番適していると思うんですけど。そもそも、日本のネットニュースってなんでそんな簡単に記事を削除するかな。韓国なんて数年前の記事も見られるのに(その日本語版も)。 --Mzm5zbC3 2007年6月8日 (金) 18:17 (UTC)[返信]

個人的には出典元にできると思いますし、そうする方が望ましいと思います。特にMzm5zbC3さんの挙げられたWikisourceWikinews はソースとして積極的に利用すべきと思います。反対意見としてはプロジェクトをまたぐことが閲覧者の負担になる(ようするになんだか面倒)というものがあるかと思いますが、編集に参加するには多少の負担にはなりますが、閲覧するだけならばそれほどの負担ではないと思います。ただ、下でも書きましたが、姉妹プロジェクトがインターフェイスや運営面で類似しているが故に、別プロジェクトであることを認識しづらく混乱の原因になるという面はあると思います。電気山羊 2007年6月9日 (土) 11:46 (UTC)[返信]
「姉妹プロジェクトとの提携」を謳うのであれば、例えばウィキソースにあるs:我は海の子の歌詞が、ウィキペディアのわれは海の子の記事内にインラインフレーム使用例)とかテンプレート形式のような形で表示できるようにならないと意味がないと私は考えます。わざわざ別のところに飛ばなければ読めないようなのは「提携」になっていないと考えます。もっとも、下で話題になっているように、姉妹プロジェクトは日本語の話者が思っているよりかなり独立性が強いものであるようなので、そうならないのは仕方がないのかもしれません。--Haruno Akiha loves blue. 2007年6月22日 (金) 14:53 (UTC)[返信]

辞典と百科事典の違い[編集]

辞典百科事典の違いって結局なんなんでしょうかね。#他のプロジェクトももう少し活用できないでしょうかにも書いたように、実際の所、違いが分かりにくいです。百科事典の項には

主に言葉と用法を解説する辞典辞書)とは異なり、写真や図を用いて総合的な解説を行うことを特徴とする。

と書かれていますが、ウィキペディア日本語版では著作権などの法上の問題等からほとんどの項目に画像を載せることができず(そもそも著作権などが現存し、法で守られているものを対象とした記事の存在自体がどうなのかとも思いますが)、またウィキメディア財団のプロジェクトには百科事典である Wikipedia とは別に Wiktionary という辞典プロジェクトがあります。百科事典というのは辞典を包容しているもの(通常の辞典よりより多くの事柄が掲載されている辞典)というイメージがぼくにはありますが、そうなると辞典の大半は百科事典と競合してしまうのではないかと思います(実際に百科事典をほとんど見たことがなくほとんど覚えていないのですが)。百科事典的/百科事典的でない、百科事典に向いている/向いていない、辞典に向いている/向いていないというようなことはどのように判断したらよいのでしょうか。 --Mzm5zbC3 2007年6月3日 (日) 15:52 (UTC)[返信]

単純に、辞典とは字義を記すもので、「百科事典的な概念」で言えば、定義のみで成立するものでしょう。用例があれば尚良し、という程度。
字典とは文字の辞典、又は事典。広義には漢和辞典も字典。ただし一般に漢和辞典と漢字字典とは区別していますね。字義的には漢和辞典は漢語から日本語に翻訳する辞典。漢字字典は文字そのものの事典。なので、本来の意味では国字が漢和辞典に掲載されているのはおかしい事になります。
事典とは総合的なもの。単語の字義に留まらず、その概念、背景、理論、その他に渡って既述されるもの。時系列的データベースは年鑑と呼ばれ、写真や図を中心に取り扱ったものは図鑑と呼ばれます。
著作権絡みに限らず、日本語版ウィキペディアには一般の「百科事典」と比べて欠陥が多いのは事実でしょう。また、英語版に対して卑屈な態度も見られると思われます。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年6月3日 (日) 16:24 (UTC)[返信]
回答ありがとうございます。基本的には辞典簡潔に言葉の定義のみを解説するもので、百科事典はそれだけに留まらず、総合的により広範囲に説明するものという認識でいいんですよね(そういえば確かに文章ではなく図解説するのは図鑑なんですね)。そうなるとやはり百科事典は辞典の機能をそのまま持ってますよね。それでは辞典が不要になるんじゃないかとちょっと疑問に思うのですが、百科事典だと事細かに説明されているのでちょっとした言葉の定義を調べるだけに百科事典を引くのは面倒で不便 (適さない) ということなのでしょうか。辞典には載せるが百科事典には載せるべきではない項目などその事細かな定義ってあるものなのでしょうか(例えば Wikipedia と Wiktionary では各ことわざとかが辞典的要素とされているようですが、普通の百科事典には通常ことわざって載っていないものなのでしょうか)。 --Mzm5zbC3 2007年6月3日 (日) 16:48 (UTC)[返信]
>ウィキペディア日本語版では著作権などの法上の問題等からほとんどの項目に画像を載せることができず
必ずしもそんなことはありませんよ。たしかに、ゲームやアニメなどの著作物を対象とした記事や、存命中の人物に対する記事は難しいかもしれませんが、それ以外の記事では図や写真は当たり前に使われています。Wikipedia:秀逸ピックアップなどを見ても、本人の写真がダメな場合でもGARNET CROWのように、図を使って理解を助けることも行われています。
>そういえば確かに文章ではなく図解説するのは図鑑なんですね
図がメインであれば図鑑ですが、文章を基本に図で理解を深める構成を行うのは、やはり百科事典です。--ikaxer 2007年6月3日 (日) 17:16 (UTC)[返信]
言っちゃあ難ですが、それはマスターベーションの如しです。まぁ、それで満足しているか、受け入れざるを得ないので了承しているか(どちらも実に日本人らしい)、お蔭で日本語版が成立している(ように思っている)のですが。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年6月3日 (日) 17:25 (UTC)[返信]
(編集競合してしまいました)あ、そうですね。 GC の項目は確かに分かりやすいです。さすがに秀逸な記事に指定されただけありますね。出典だけでなく図解説もしっかりとやっていると。本来はこれくらい質の高い記事が望ましいんですけど、(自分も含め)質の低い編集をしている人が多すぎですね。英語版などを始めとして日本語版以外の Wikipedia は著作権が存在しているのでさえ商標などを当たり前のように使いまくっていますが「本当はまずいんじゃ...」とも思います(まあ、こちらからは干渉することはできないでしょうけど)。 --Mzm5zbC3 2007年6月3日 (日) 17:46 (UTC)[返信]
「図がメインであれば図鑑ですが、文章を基本に図で理解を深める構成を行うのは、やはり百科事典です。」 > それは分かってます。説明不足でした(単純に図鑑も辞典などと同様の系統であることには気がついていませんでした)。図鑑を見てみたところ他の言語のリンクが一切ありませんね。海外では図鑑ってないんでしょうか(調べてみると英語では picture book とか illustrated book というみたいですが、どちらかというと絵本のことらしいです)。 --Mzm5zbC3 2007年6月3日 (日) 17:46 (UTC)[返信]
具体的には Wikipedia (百科事典)と Wiktionary (辞典)の棲み分けにはなんか曖昧な点があるように感じたのでより、適切にプロジェクトを選べるような何らかの体制が必要だと思います(そもそも Wikipedia 以外のプロジェクトはあまり知られていないため過疎化しています)。 --Mzm5zbC3 2007年6月3日 (日) 17:46 (UTC)[返信]
私はあんまり英語には詳しくないですが、ちょっと調べてみると、どうも図鑑(illustrated book)というのはやはり子供向きの、いわゆる「どうぶつずかん」とかそういった感じのニュアンスがあるようですね。ただ、調べていくと(アマゾンとかで洋書の名前を見ていくと)一種専門的なものではこんな感じのものがありました[New Illustrated Encyclopedia of Firearms]。つまり、日本で言うところの大人向きの図鑑は、Illustrated Encyclopedia(絵つき事典)といったり、題名の中にIllustrated (絵つき)といれたりするようですね。英語版にはこんな本の記事がありました(en:The Illustrated Science and Invention Encyclopedia)し、ほかには[1]のようなものも見つかりました。
さて、ちょっとずれましたが、日本語において事典と辞典のすみわけはどうしてもあいまいになってしまうと思います。なぜならば、これは日本で一番有名な国語辞典が、百科事典的内容をかなり含んでいるからです。戦後の辞典(dictionary)は、このもはや日本限定小規模百科事典みたいなものに従属する感がいなめず、どうしても事典的な要素をどの辞典もいれてしまっています。なので、本来的な辞典はむしろ英和辞典や英英辞典を想像したほうがわかりやすいでしょう。ためしに手持ちの電子辞書でシェークスピアを見ると、英和、英英辞典は読みと1行程度の説明しかありませんが、広辞苑には出身地まで書いてあります(もちろん本来的な辞典は前者で、英英ですら自言語の最有名人の一人に一行の説明しかあたえていないわけです)。おそらく、Mzm5zbC3さんと似たような混乱を、多くの人がおこしていることが、日本語版ウィクショナリーとの境界があいまいになったりしているのでしょう。--koon1600 2007年6月4日 (月) 08:49 (UTC)[返信]
だとしたら何なのだろう。それが日本語に於ける「じてん」であるならば、日本語版は使用言語が日本語である故にそうあって然るべきなのか。それとも、他言語版に合わせて「百科事典」と「日日辞典」と明確にあるべきなのか。外語版に倣う必要は無いというスタンスであるならば前者の考え方が正しい事になります。しかし英語版で作られたウィキペディアは字引ではないに倣うならば後者になるでしょう。私は今の「時点」ではどちらも是であると考えます。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年6月4日 (月) 09:25 (UTC)[返信]
(インデント戻し)だんだんと範囲が広くなって分かりにくくなってきたので一度要点をまとめます。そもそも、疑問に思ったことと質問内容としては以下の理由がありました。
  1. 辞典と百科事典の違い (これに関してはある程度、理解できたつもりです)
  2. 百科事典が辞典の内容を包容しているなら辞典の必要性はどこにあるのか
  3. Wikipedia を見ているとたまに百科事典的でないという理由により削除依頼または即時削除テンプレートが貼られていることがあるが
    1. 百科辞典的/百科事典的でないというのはどういうことか (百科事典には辞典に掲載されている項目は基本的に収録されているべきではないか)
    2. 逆に辞典に向いている内容・向いていない内容はどのようなものなのか
この辺りです。いくつか明確に示していなかったため意図が伝わりにくかったかも知れません。すみません。要は辞典は基本的に言葉の定義のみを簡潔に示すだけで、詳細は書かない、百科事典は定義はおろかより詳細に説明するということだと思います。その面では、例えばことわざとかならことわざの意味だけを説明するなら辞典で、その語源(成り立ち)とか、より詳細に説明するなら百科事典ということでしょうか。もし、百科事典的でないというのなら、削除するのではなくそういう説明を追記すべきなのではないでしょうか。
Wikipedia:ウィキペディアは字引ではないWikipedia:ウィキペディアは何でないかは説明不足すぎのような気もします。ただ、どういう風にすればいいのか難しいですね。その違いを認識しにくく、更に知られていないこともあり、棲み分けを完全に明確にできていないように思います。また、本来は Wiktionary や Wikinews などに投稿すべき内容が Wikipedia に投稿されることがあるのを何とかできないでしょうか(完全にすべてを防ぐことはできないでしょうけど)。なんか自分でも書いてて又分からなくなってきた(書けば書くほど混乱して分からなくなる)。
あと、辞書辞典へのリダイレクトになっていますが完全に同一の意味なのでしょうか。wikt:辞書辞書へのリンクがありますがこれは無意味な気がします(wikt:辞典があるので)。 --Mzm5zbC3 2007年6月4日 (月) 11:09 (UTC)[返信]

ウィクショナリーでも活動している電気山羊です。率直に断言しちゃいますけど、他のプロジェクトが理解できないのは、実際に手を動かして他のプロジェクトに参加していない上に、あまりにウィキペディアの視点にとらわれすぎているからです。姉妹プロジェクト側としてももう少し積極的なアプローチが必要なのでしょうけど、他のプロジェクトを理解するつもりがあり、活用したいと本当に考えているのでしたら、 想像に基づいて議論するよりも実際に参加してみた方がわかりやすいでしょう。というよりも、実際に参加してみないとたぶんわかりません。参加してみたらわかるか、というと、保証はしませんが、少なくとも私の場合はウィクショナリーにしばらく参加してからようやくわかりました。その後ウィクショナリーは編集方針がわりとしっかりと作られましたので、ウィキペディアとの違いはわかりやすいんじゃないかと思いますけど、読まれましたか?

さて、誤解を具体的に指摘しますと、「百科事典が辞典の内容を包容しているなら」という仮定あるいは前提、「要は辞典は基本的に言葉の定義のみを簡潔に示すだけ」という理解は誤りです。少なくともウィキペディアとウィクショナリーについては違います。例えば、ウィキペディアに活用、訳語、用法、例文などを書いたらくどいと思いませんか?ウィキペディアに個々の動詞、形容詞、副詞、接続詞の項目が必要でしょうか?have to は「〜しなければならない」という意味を持ち同義語として must があるということをウィキペディアに書くべきでしょうか?辞書として書くべきことかつ百科事典に書くべきでないことは多数あります。ウィキペディアにとらわれているとその辺りに気づきません。

姉妹プロジェクトが作られた背景にはそれなりの理由があります。多くの人はそれを理解する前にあるいは考えるのをやめてしまっている、あるいは考えるに至っていない、あるいはウィキペディアに満足してしまっているんじゃないかという印象をもっていますが、どうでしょうか。たしかにプロジェクト間には重複があり、また今ひとつ活性化していません。ただ、そこを問題にするよりも、それぞれを補完するようにしていくのが良いんじゃないかと思います。もちろん、そこを考え抜いた上で、ウィキペディアでよし、という結論に至ったのならば、それもありだと思います。

【宣伝】ウィクショナリーに興味をもたれた方いらっしゃいましたら歓迎します。慣れるまである程度はフォローすることが可能ですので、参加してみてください。慣れたらウィキペディアとは違う楽しみを見いだせると思います、たぶん。電気山羊 2007年6月4日 (月) 13:02 (UTC)[返信]

p.s. 単なる質問でしたら構いませんが、議論のつもりであれば、何の為の議論なのかはっきりさせないと拡散する一方ですよ。電気山羊

姉妹プロジェクトが作られた背景にはそれなりの理由があります。」そうかもしれません。否、そうでしょう。しかし、飽く迄も個人的な意見ですが、細分化され過ぎている気もします。そのせいで個々のプロジェクトの違いが見えづらく(少なくとも判り易いとは思えない)、結果として非活性化に繋がっているとも思われます。尤も、このような話はメタレベルのものかもしれませんが。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年6月4日 (月) 17:07 (UTC)[返信]
追記。ぶっちゃけてしまえば、我々がモノを調べる時、『広辞苑』や『大辞林』、『知恵蔵』や『現代用語の基礎知識』を引くのは、とりあえず大抵のモノは何でも載っているからです。それに誰もの家に『世界大百科事典』がある訳でもないのです。つまり、この辺りは「じてん」の同一視です。一方で、日本人の我々は図解入りの資料で調べたければ「図鑑」で調べます。しかし図解に拘らない文章的な資料が欲しい時には「百科事典」を調べます。が、「図鑑」の項にもあるように、図鑑という概念は日本独特のものらしく、仮にウィキ事典、ウィキ図鑑といったプロジェクトがあったとしても、英語圏の人にはその違いが釈然としないかもしれません。彼らにとっては事典も図鑑も同一視なのです。これに宜しく、恐らく殆どの人にはウィキスピーシーズとウィキペディアの動植物関連項目、ウィキブックスとウィキペディアの学術項目との違いは判らないのです。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年6月4日 (月) 17:22 (UTC)[返信]
そうなんですよね。特にこのプロジェクトを知ったばっかりの初心者には本当に違いがまったく分からないでしょう。理想は誰でも簡単に理解できることなんですが、やはり難しいですね。これは日本独自の文化というか考え方というか事情もあるでしょうけど(あくまでプロジェクトの発案と立ち上げをしているのは英語圏の人たちなので、 Unicode などと似た問題があるのかも知れません)。
ところで、 Wikibooks 日本語版は wikibooks:ja:メインページb:メインページ ですよ (meta:Help:Interwiki linking/利用者:Mzm5zbC3#各プロジェクトの接頭辞)。
基本部分は同じとはいえ各プロジェクトで細かな方針の違いなどはあるようなのでその辺も含めて勉強していきたいなと思います。少しずつ参加プロジェクトも増やしていく予定です(時間がないのでほとんど活動しませんが次に登録するのは Wiktionary になると思います)。 --Mzm5zbC3 2007年6月4日 (月) 19:56 (UTC)[返信]
えー、まずMzm5zbC3さんのコメントに対して。「基本部分は同じとはいえ各プロジェクトで細かな方針の違いなどはあるようなので」というコメントを読みまして、私が言いたかったことはあまり伝わっていなかったかと思いましたので、言い換えをしてみます。ウィキペディアとウィクショナリーは全く違うものです。ちょっと大げさですが、たぶんその方が実際に参加したときに逆に混乱しないんじゃないかと思います。ウィキペディアという概念が理解できるなら、ウィクショナリーという概念自体はそんなに難しいものではありません。しかし、ウィキペディアという概念にとらわれているが故に、Mzm5zbC3さんを含め、たぶん多くの人がウィクショナリーという概念に頭を変換させることが難しくなっているのだと思います。また繰り返しますが、それを理解する一番良い方法は、実際に参加してみることだと思っています。ソフトウェアが同じなのでそのインターフェイスが同じで、それから中立的な観点やGFDLの採用が同じ、という意味でしたら「基本部分は同じ」です。しかし、百科事典、辞書、教科書など、入れ物や目指す方向は全く違うのです。そんなわけで、まずはまあ、ウィキペディアを一回忘れて、ウィクショナリーは全く新しいもの、と考えてください。ともあれ、私としては「ウィクショナリーへようこそ」にはウィキペディアとウィクショナリーの違いを書いた方が良いということを実感したことが収穫です。
 ٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥さんのコメントは確かにこのセクションの話題からははずれて、メタレベルのものだと思いますが、興味深いと思います。おっしゃるように文化的背景の違いはあって、例えば議論の末に日本語版ウィキブックスは締めましょう、とか、incubator: で試して日本語版はウィキ図鑑を作りたいと申請してみたり、というのもありだと思います。私も姉妹プロジェクトは「できたから使う」というよりも、本当に需要が生まれてから始めた方がよかったのではないかとも思っています。プロジェクト全体としてもウィキニュース以降はで需要と供給を確認してから開始という流れになっています(そのために incubator というシステムが新たに作られました)。ただ、それ以前に始まっている実際問題としては動き始めたものを止めるのはなかなかに大変で、むしろ私は参加して発展させる方向を選択しています。それなりに住み分けはでき、エネルギーを注いでやれば活性化も可能だと考えています。
 そんなわkで、姉妹プロジェクトの連携については以前から考えていますし(wikt, books)、単に待っているだけではなくもっと積極的なガイドをした方がいいんだろうと思っています。ただ、ちょっとなんだかもったいないからどうにかしたい、というインセンティブだけではどうにかすることは難しく、プロジェクト横断的に広く、俯瞰的かつ深く、さらに長期的に考えることが必要で、なかなか腰が重いというのが現状です。電気山羊 2007年6月5日 (火) 12:14 (UTC)[返信]
他力本願で難ですが、Wikidasなる概念・理念を創案した春野秋葉さんが議論に参加されないかなぁ…等とも思ってみたりします。姉妹プロジェクト間の連携にあたって、何らかのヒントが得られそうな気がするのです。彼にしてみれば自分の発想をボコボコに貶められたようなものですから、こうした期待は都合が良過ぎる事は承知の上ですが…。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年6月6日 (水) 04:03 (UTC)[返信]
春野秋葉でございます。上で電気山羊さんが述べていらっしゃるように「ウィキペディアとウィクショナリーは全く違うもの」であるとすると、同じような言い回しでウィキダス計画を表現するなら「ウィキダスはウィキペディアを補完するもの」ですので、その意味では位置づけは姉妹プロジェクトと全く異なり、ウィキダスのほうがウィキペディアとの関連がより強いことになります。
日本語の話者が必要としていると思われる「記事の集合」を「現代用語の基礎知識」のようなものを基準として仮定したとき、それらのうちかなりの数の記事が、「Wikipedia:ウィキペディアは何でないか」などのウィキペディアの公式方針によってウィキペディアから漏れてしまうことに私は気づいてしまいました。そのため、そのようなものの受け皿となるものとしてウィキダスを計画したわけです。一時はmetaのほうにも持って行こうとしたのですが、metaの某管理者によって即時削除となり、その他の理由もあってウィキメディア・プロジェクト内でウィキダス計画を進行するのを断念せざるを得なくなったのも、思えば上記の位置づけの違いによるものだったのかもしれません。結局ウィキダス計画はめぐりめぐって現在の日本ウィキアとなり、私がその管理者を務めている次第です(チョコッと宣伝)。場所は違えどウィキダス計画はまだ現在進行中の計画なのです。
ただ、日本ウィキアには姉妹プロジェクトと異なる大きなハンディキャップが課せられております。それは、姉妹プロジェクトと異なり、ウィキペディア内ではおおっぴらに「日本ウィキアを活用してください」ということすらできないという点です。これも公式方針の「外部サイトの宣伝は絶対禁止」によるものです。テンプレートですら強い反感を買って、姉妹プロジェクトと同じ土俵に立つこと(この場合はテンプレートをTemplate:Wiktionaryのようにボックス型にすること)すら許されなかったくらいに、ウィキペディア内では姉妹プロジェクトと外部プロジェクトを厳然と峻別しているのです。これは日本ウィキアだけではなくウィキペディアにとっても損だけで何の得もないことであり、その点についてはなんとか改善してもらえないだろうかと私は今でも思っております。--Haruno Akiha loves blue. 2007年6月22日 (金) 14:37 (UTC)[返信]