Wikipedia:井戸端/subj/貧弱なあらすじと過剰な登場人物・用語解説

ストーリー・登場人物解説の分量の、異常なアンバランスさ[編集]

物語の記事において、登場人物や作中用語の解説が過剰と言えるほど充実しているのに対し、あらすじやストーリーの解説は導入部分の話をさらっと書いた程度で済まされる傾向の強い現状に疑問を抱いています。それでいて登場人物解説でストーリーを追えてしまうような例もあり、それはどうかなあ、と。

以前どこかで「細かいあらすじは不要。小説の中身を全部載せている百科事典がどこにある、ファンサイトか何かと勘違いしていないか」という意見を目にした(気がする)こともあり、ひょっとしてぼくのような考え方をするウィキペディアンは異端なのか? と気になってきたので、ちょっと意見を募ってみたいと思います。

ちなみに、あらすじ解説に『ベルセルク (漫画)』くらいの分量は欲しいなあと考えています。--meekcharat 2007年6月4日 (月) 01:34 (UTC)気のせいではなかったので修正--meekcharat 2007年6月11日 (月) 16:46 (UTC)[返信]

今の「ベルセルク (漫画)」くらいなら『細かいあらすじ』というほどでもないでしょう(もっとも、あれの半分くらいでも構わないとも思いますが)。総じて、あらすじが貧弱であるというよりも登場人物の記述が過剰なのだ、と思います。皆さん、マトモな作品解説を見たことが無いんじゃないでしょうか。ファンロード以来のキャラクタ辞典形式を紹介と思ってるのかもしれない。 -- NiKe 2007年6月4日 (月) 01:51 (UTC)[返信]
あらすじを登場人物及び作中用語の解説並に充実しようとすると過度のネタバレに抵触するし、場合によっては著作権侵害になる恐れがあります。物語の全体像がつかめるぐらいのあらすじならいいけど、物語の結果まで書き記してしまうと過剰なあらすじと言わざるをえません。登場人物については百科事典である以上、必要でしょうがその分量が適切であるかは疑問を感じます。--にゃんぴー 2007年6月4日 (月) 02:16 (UTC)[返信]
以前から導入部しか書いてないあらすじは百科事典として違うんじゃないかと思っていましたが、最後まで書くとネタバレ部分をまとめて書いたりしにくいんですよね。だいたいどこまで書いたらネタバレなんだか。--辞典の虫 2007年6月4日 (月) 07:04 (UTC)[返信]
程度ってもんがあると思う…「Wikipediaは宣伝はなおのこと、布教の場でも批評の場でも願望とか脳汁を垂らす場でもない」に尽きる気がします。--夜飛/ 2007年6月4日 (月) 08:53 (UTC)[返信]
個人的には、ストーリーの内容的は話は「作品紹介」であって「宣伝的」と感じるんですけどね。例のベルセルクのストーリーの節なら『○○編』『○○の章』にて構成されている。あるいは各キャラの初登場がどこの巻かだけに留め、中身に触れる必要は無いと思うのですが。その上でどうしても専門用語や昔あったような作品引継の友情出演の絡みでが必要であれば(例えば、オスカルルパンに手袋を投げつけたとか!!)最低限記述するのは構わないでしょうけど。--秋月 智絵沙 2007年6月4日 (月) 09:19 (UTC)[返信]
横からすいません。「七人の侍」はどうでしょうか? 「あらすじ」があらすじでないので。--ねむりねずみ 2007年6月4日 (月) 13:16 (UTC)[返信]
七人の侍みたいな古典なら、まあ許せるかな、と思う。ラストはいちおうネタばれしてないとこなんかは、リスペクトがあると思うし (羅生門だとどうなるんだろう:-O)。荒野の七人でこれをやったら、少なくとも日本語版ウィキペディアではだめでしょうね。
友情出演とか合作のたぐいは漫画ではよくある手法で、制作上しばしば重要な要素でもあるので、それ自体が一項を設けて解説されるべきことだとおもう。「本歌取り」は、特に漫画では重要な要素です。ただし、書くなら現代ものだけでなく、水木しげるボッシュからのインスパイア(パクリとも言う)とか、そのへんから歴史的記述をやってほしいです。
ベルセルク』は、現時点でストーリー紹介しても意味ないでしょ(ばっさり)。 --Hatukanezumi 2007年6月6日 (水) 17:43 (UTC)[返信]
いきなりばっさり切られても理解のしようがありません。理由を教えてくれると助かります。--meekcharat 2007年6月11日 (月) 16:46 (UTC)[返信]

完結した作品について考えれば、批評や個人の感想にならないあらすじ文を書くことはそう難しいことではないと思います。未完結のものであっても、例に挙げたベルセルクのような感じで大きな区切りごとに書くことはできるのではないでしょうか。

理想はにゃんぴーさんのおっしゃられた「物語の全体像がつかめるぐらいのあらすじ」ですね。流れをつかめるのであれば、長くない記述でも問題ないと思われます。また、そのためにネタバレを躊躇する必要はないかと。今はSpoilerとかもありますし。一番上の概要節で物語の導入に触れ、ネタバレテンプレート以下に置いたストーリー節でやや詳細な話の流れを記述する、というのはどうでしょうか。

以下、特に気になった点への返答です。

> Nikeさん
Wikipediaにおける物語の記事はどういう方向へ進めばいいのか、ぼくもよくわかっていません。よい指標、見本となりそうなWikipediaの記事はありませんかね?

> にゃんぴーさん
登場人物及び作中用語の解説は過度のネタバレにならないのですか?

> 夜飛さん
もちろんその通りです。例えば、ねむりねずみさんの挙げられた『七人の侍』のあらすじは、さすがに冗長すぎるように思えます。何事も節度を持って、ですね。ただ、作品の解説を「宣伝」と切って捨てられては、定義以外になにも記述できなくなってしまうと思います。

> 秋月 智絵沙さん
中身について触れるべきではないと申しますか。ストーリー節ではそれが許されず、登場人物節では許されるのはなんでなのでしょうね。
「『(作品名)』は『○○編』*nごとに分けられている。」と解説するのは概要節の仕事であり、それだけでは物語の解説にならないでしょう。 また、秀逸な記事になるための条件として「必須の点だけをわかりやすくカバーしただけでは不十分」という点が挙げられています。そうでなくても、必要以上に記述を削りすぎると寂しい記事になってしまいます。

> ねむりねずみさん
あまりこの話と関係ないのですが、『七人の侍』に関してはモロに著作権侵害っぽいです(あらすじ節の冒頭が作中の文からの引用、それ以外も台詞を引用しすぎでは……)。

--meekcharat 2007年6月4日 (月) 15:58 (UTC)[返信]

引き合いに出させていただきますと、文学作品『源氏物語』は物語としての総体説明ページ、全54帖の解説ページ(54ページ)、登場人物一覧ページ、個々の人物ページと体系だっていますが、いずれもよく出来ていると思っています。 もっとも、meekcharatさんのおっしゃりたい「物語」とは漫画アニメコンピューターゲームライトノベルのいわゆるオタク文化の中核を占める物語の事と思います。 私はこれらの記事のストーリーはプロローグ程度は必要だと思っています。キャラクター紹介部分でオチまで説明したいのなら、それに応じてストーリー構成を説明しないと百科事典の体を為さないと思います。今オタク系の作品記事はおしなべて知らない人に説明する事典というより、ファン・マニアの為の備忘録・トリビア保管庫としか思えません。NiKe さんのご意見に付け加えるのなら、近年の多いのが「~は~のパロディ」「~の名前のネタは~」「~は~のオマージュ」という項目がやたらに多く、それも問題だと思います。--べっ甘七みつ・たけタカひろ 2007年6月5日 (火) 12:13 (UTC)[返信]

クロノ・トリガーなんかは逆にあらすじ(記事では「ストーリー」と表記)がめちゃくちゃ長くて、一人一人の登場人物の解説はそれほど長くありませんね。まぁこっちはゲームだからそうなってしまうのかもしれませんけど。--春野秋葉 shining blue 2007年6月7日 (木) 05:03 (UTC)[返信]

クロノ・トリガーはその長いあらすじを削る削らないで編集合戦の末に保護されました。。保護中にクロノ・トリガーのストーリーに分割されてます。(削除審議中)同様に登場人物も保護中に個別記事が作られてます。。(クロノ (クロノ・トリガー)など)--怪盗蓬月 2007年6月7日 (木) 11:17 (UTC)[返信]

ファンサイトではない、というノートでの記述はテイルズオブジアビスのことでしょうか。ストーリーも商品価値ととらえてしまうと、キャラクターもぜんぶ商品になってしまい下手するとネタバレそのものが商品価値となって書くことすらできなくなってしまいます。ある程度なら許されると考えるべきでしょう。キリがありません。それなのにかかかわらずキャラクター紹介が膨れ上がっているのはなんででしょうか。わたしも気になります。ストーリーの書かれた記事がたくさん取り上げられては長すぎると批判を受け、キャラ紹介すら長すぎるといわれつつもなにも進展がない状況。少なくとも、プロローグだけの情報やどんなストーリーかもつかめない適当な(といってはなんですが)ストーリーは避けるべきだと思います。 実際のところはわたし私自身もはやWikipedia自体が膨れ上がりすぎて百科事典というよりなんでもありの専門書の集まりのように見えてきた訳ですが・・・ 百科事典て結局どんな姿なんでしょう。--しくすい(Talk | contribs) 2007年6月8日 (金) 03:14 (UTC)[返信]

どうやらその通り、うろ覚えな発言の出所はアビスのノートだったようです。冒頭の発言を修正しておきました。--meekcharat 2007年6月11日 (月) 16:46 (UTC)[返信]

以前からこの件についてはとても気になっていました。Wikipediaとしてどうあるべきかというガイドラインがほしいところではありますね。現状、私はとても過剰であると感じています。データベースではないという定義がある以上、登場人物紹介などの記述内容については、実際にその作品のファンサイトもしくは実際の商品(本、DVDなど)を手に入れれば自ずと判ることで、WIKIにそういった内容を書き連ねていく行為は定義から外れていると思います。また、やもすると編集する側の知識の披露の競い合いになっていて、百科事典としてそのものについて少し調べたいというような場合、まったく機能していないように思います。もちろんどこまで書くべきかというのは個人の考え方もあるでしょうし、対象によっても異なるので難しいとは思いますが、現状は過剰であり冗長であり編集側が読み手側にたっていないと重ねて記させていただきます--Rendezvous602 2007年7月4日 (水) 08:11 (UTC)[返信]