Wikipedia:査読依頼/大坂の役 20080131

大坂の役 - ノート[編集]

比較的史料が充実している出来事なので、かなり充実したものになました。中立性がとれているか、構成・経過に問題がある等、ご意見があればお願いします。各戦闘の記事についても査読をお願いします。--HI 2008年1月31日 (木) 01:34 (UTC)[返信]

【査読】 ──専門家の方による審査結果。
【検証】 ──参考文献などと照合しつつ正確性を評価頂いた結果。
【書評】 ──専門外の方による評価および助言。
【感想】 ──専門外の方による感想。
専門外ながら通読してみました。記事の内容を云々する以前に、記事を書く手続きに問題があるのではないでしょうか。
(1) まず、本文中の記述にほとんど注が付けられていないのが気になります。歴史学の書物を読むのはあくまで趣味で、歴史学の専門分野のスタイルはよくは知らないのですが、記述に対して裏付けを与える仕方はもっと厳密にするものではないでしょうか。
(2) 「史料が充実している」とのことですが、そうだとすると参考文献が質量とも不足ではないでしょうか。記事中の記述にきちんと根拠を与えることができていないのも、これが理由なのかもしれません。
(3) 「史料が充実している」のであれば、先行研究や研究史についても知りたいものですが、記述が皆無です。
(4) 「別冊歴史読本」や「歴史群像」のような通俗読物と史実に基づく歴史研究との境界線が曖昧で、内容に疑問符がつくものが「文献」として挙げられています。こうした文献の選定の仕方は、非常に記事の質を疑わしくさせます。少なくとも百科事典記事に相応する信頼性の確保に資するものではないと思えます。
(5) (4)で指摘した2点を除けば、大坂の役という戦役に関する文献が池上裕子『織豊政権と江戸幕府』と旧陸軍参謀本部の戦史しかありません。しかし、前者は『日本の歴史』という概説シリーズの一部であって専門書と呼べるかどうか微妙です。専門文献があるなら、きちんと挙げられているべきだし、当然にその文献に基づいて記事が編集されるべきです。
(6) 参考文献リストに挙げられているすべての書籍について言えますが、書誌事項がきちんと整備されておらず、文献を特定するのに不十分です。これでは参考文献リストの要をなしません。
主として文献の扱いに関する指摘ですが、満足のいかない記事のように見受けられます。Wikipedia:検証可能性Wikipedia:出典を明記するといった方針文書やスタイルガイドと照らし合わせても充実しているというのは難しいと思われます。百科事典記事としての充実という観点からすれば、もっと専門的・学術的な裏付けがあることが明示される必要があるように思います。--ikedat76 2008年2月17日 (日) 04:48 (UTC)[返信]


ご意見ありがとうございます。複数人による編集ですので、文章の引用がどこからについては私にも不透明な点があります。しかし大抵の場合は大坂の役に関する史料はその大半が参謀本部編纂の「大坂役」を典拠としています。特に合戦経過については歴史群像・歴史読本ともにこれを殆ど引用しています。
私はその中で「大坂役」に史料的に問題のある箇所を、原典史料を編年史で収録している「大日本史料」で修正という方針で編集しています。一つ一つの史料原典を記載するのは煩雑すぎる面があると思いますので、この点を冒頭に記載することで注釈の代わりとしたいと思っています。いかがでしょうか?--HI 2008年2月18日 (月) 01:36 (UTC)[返信]
穏やかに言えば「複数人」、悪く言えば“馬の骨”が寄ってたかって百科事典を作ろうというプロジェクトの性質上、記事の信頼性の確保のために文献・出典の明示は厳格に行われなければなりません。「複数人」だから出典は曖昧でよいとか曖昧でも仕方ないとかいう姿勢で記事の充実は決して望めないでしょう。ただ単に量が多ければよいというものではないのです。私の書き方が分かりにくかったのかもしれませんが、充実した記事にするための方向性が示されたとは到底いえないreplyです。
(1)「大抵の場合は」と言っておられますが、これも失礼ながらHIさんの推測だけではないのでしょうか(逆に裏付けが何かあるのでしょうか)。また、「歴史群像」「歴史読本」について改めて指摘すると、学術的な評価が得られた文献でもなんでもなく、信頼するに値する情報源とは認められません。もっと簡単に言えばダメな文献だ、と申し上げたはずです。
(2)また、参謀本部の「大坂役」ですが、これは一次史料ではありません。参謀本部で戦史編纂にあたったスタッフたちの取捨選択と解釈がまじえられた研究成果であって、そのようなものだけを元にして歴史学者たちが大坂の役を研究しているわけはありませんし、そのようなことをしている研究者がいたら、歴史学者失格と言われても仕方がありません。失礼ながら歴史学の研究の手続きについて何か誤解・不理解があるように見受けられます。
(3)「「大坂役」に史料的に問題のある箇所を(中略)「大日本史料」で修正という方針で」とも言っておられますが、この「史料的に問題のある(ない)」というのを判断しているのはなのでしょうか。HIさんならばそれは独自研究に該当します。問題があるという指摘(記述)を記事中でするにしても、それには信頼するに足る出典が必要です。
歴史上の事件についての百科事典記事に必要なのは何かもう少しよく考えていただく必要があるようです。充実を目指すにあたって必要なのは、歴史学の専門分野において認められた専門文献を参照して記事を再構成しなおすことです。今のままの記事は量は多いかもしれませんが、質について言う限り裏付けがほとんど皆無であって、充実などという言葉は間違っても使えるようなものではないと考えています。--ikedat76 2008年2月18日 (月) 16:17 (UTC)[返信]
お答えします。
大坂の役について、特に合戦の経過(つまり布陣や戦闘の経過)を記した文献資料は漏れなく参考資料として「大坂役」を挙げております。合戦背景や政治的駆け引き(例:方広寺鐘楼問題や堀の埋め立ての経過)などには「大坂役」の間違いを史料で指摘するという流れで修正が行われていますが、戦闘についての戦術的な考察は殆どなされていません。
つまり政治的事件としての「大坂の役」としての研究はなされていても、戦史研究は「大坂役」以上の研究は学術的にはされていないのが現状です。近刊での笠谷和比古氏の「関ヶ原合戦と大坂の陣 戦争の日本史17」でも戦闘経過は特に問題はみられないと言う事でそのままで記載されています。よって、鐘楼問題や堀の埋め立てについては注釈は出せますが、戦闘経過については専門家と同じように「大坂役」を参考文献とするしかないのが現状と私は考えます。
後、「大日本史料」を基にした私の修正箇所に付きましては、可能な限り原典の出典を記述する事にいたします。ただし、真面目に出典を挙げるとその量は膨大になる(「冬の陣」の「攻囲戦」だけで記載するべき項目は30程になります)のでその辺り、短絡しなければなりません。とりあえず、「攻囲戦」にのみ「大日本史料」の出典元を記載しました。
「大日本史料」に記載されている「大坂の役」に関する史料はそれ程、豊富なのです。--HI 2008年2月19日 (火) 00:34 (UTC)[返信]