Wikipedia:査読依頼/法解釈 20110710

法解釈 - ノート[編集]

出典の全く無い項目を全面改稿しました。全文章に出典の明記を徹底しましたが、事実上一人で書いたため文献表記の仕方や、構成・内容につき漠然たる不安があります。より客観的な評価や助言をいただきたいと思います。

なお、一見すると民法に偏っているようにもみえますが、法学概論的な書を除いては、古めの民法の教科書以外にはこういったことはほとんど書かれていないという面もありますし、他分野についても一般的な法解釈の内容として拾うべきことは拾っていると思います(改稿前の記事参照)。法解釈学はローマ法以来、民法の歴史と共に発展してきたのかもしれません(民法の項目参照)。改善の余地はあるにしても、その具体的方法につきご助言を頂きたいと思います。--Phenomenology 2011年7月10日 (日) 14:43 (UTC)[返信]

【査読】 ──専門家の方による審査結果。

コメント 法律実務家です。法学入門や教科書レベルの記載は優に超えた力作だと思います。気になった点を二点ほど。構成ですが、歴史的な観点が薄いように思います。法解釈学は、ドイツでは解釈学の一分野とされ、学際的な議論がなされています。ガダマー、リクールあたりで検索をかけるとオープンアクセスの文献が多数読めます。日本の法解釈という点に限定して読んだ場合でも、法解釈論争の成果が反映されていないのも気になります。今のままだと専門外の方は、いろいろな種類の解釈があってそれを専門家が理屈と人情の調和の名の下に便宜的に使い分けているというような印象を持つのではないでしょうか?--219.66.233.14 2011年7月14日 (木) 05:42 (UTC)[返信]

コメント ご助言ありがとうございます。Wikipedia:日本中心にならないようにに抵触しないように、かつ百科事典としての性質に反しないよう、ごくごく簡単に盛りこんでみました。個人的な理解では、日本の法解釈論争は19世紀末~20世紀初頭の議論のほとんど焼き直しに思えて仕方が無いこともあり、異様にあっさりしたまとめになってしまいました。あとは文献増補でしょうね。その他、判例・先例・学説の関係という「解釈者は誰か」の問題や、ラートブルフドウォーキンなどへの言及がなされるべきですね。
「いろいろな種類の解釈があってそれを専門家が理屈と人情の調和の名の下に便宜的に使い分けている」・・・実際、そういう人もいるのではないかとも思います。もっとも、中立的観点に配慮しつつ、数々の法解釈の手法は必ずしも矛盾対立する全然別個の法解釈方法ではない、という立場を基礎に書いているのですが、より具体的にはどうやって改善したものでしょうか?さしあたって理窟と人情の調和というフレーズは漠然としておりさほど一般的でもなく、ある種の思考停止を招きやすいとも考えられるため強調を外しました。
ところで、こちらに書くより、Wikipedia:査読依頼ないしWikipedia:査読依頼/法解釈 20110710に書いていただけると良いようにも思います。--Phenomenology 2011年7月14日 (木) 19:15 (UTC)[返信]
コメント Phenomenology様。記載場所についてはお詫び申し上げます。普段ROMっているだけでよほどのことがない限り書き込まないもので失礼いたしました。宜しければ適宜な場所へ転記をお願いします。「個人的な理解では、日本の法解釈論争は19世紀末~20世紀初頭の議論のほとんど焼き直しに思えて仕方が無いこともあり」とのことですが、これはPhenomenology様のかなり高度な専門的判断ですね。私は実務家で研究者ではありませんので、そこまでは正直よくわかりませんが、少なくとも日本で法解釈学を厳密な学たりえるのかと悩み多くの学者が議論をした結果の現在の学説の到達点を示すことが法解釈学が、決して「いろいろな種類の解釈があってそれを専門家が理屈と人情の調和の名の下に便宜的に使い分けている」のではないということを専門外の人にわかりやすく説明することになるかと思います。浅学非才ゆえの失礼があったやもしれませんが、平にご容赦ください。--219.66.233.14 2011年7月15日 (金) 01:42 (UTC)[返信]
コメント 許可を頂いたため転載させていただきました。「日本で法解釈学を厳密な学たりえるのかと悩み」、というのは、ご趣旨は良く分かります。第一次法解釈論争における川島武宜博士の「科学としての法律学」が有名ですが、実のところ富井政章博士などを中心に昔から議論されていたことで、例えば、富井・民法原論では、「法律の研究即ち世上一般に法律学又は法学と称するものは1つは科学(Science)なるや将た技術(Art)なるやに付ては従来議論なきに非ず」と指摘されています。しかし、Wikipedia:日本中心にならないようにを考慮する必要があり、日本における法解釈論争の歴史を長々と書くことはできません。日本における議論がベトナムカンボジアなどの東南アジアでの法学教育に反映されているとしても、論争によって何が後世に遺されたかをもう少しはっきりさせる必要があります。私見では、川島・来栖星野平井教授らの法解釈論争とは一体なんだったのか、何を遺したのかについては極めて懐疑的であるため、宜しければその点についての理解をお聞かせ願えれば幸いです。現時点ではおそらく、歴史的観点からというよりは、判例と学説の関係という観点から言及すれば足りるのではないかと思いますが、それですと職業的な立場の違いによって、「専門家」が法解釈の姿勢そのものを「便宜的に使い分けている」、ないしその必要があるというような記事にせざるをえないのです(梅謙次郎松本烝治が典型。その他、鈴木竹雄・伊藤正己・中野次雄・団藤重光・奥田昌道・藤田宙靖等)。--Phenomenology 2011年7月15日 (金) 14:26 (UTC)[返信]
コメント 私なりの理解ですが、法解釈の主観性・実践性というものを明らかにしたのが第一次法解釈論争だと思っています。だから、すべての論点で無罪とか有罪とか御用学者みたいな人がでるのはさけられない。でも、学説は法源ではない。裁判をあるべき姿にコントロウルするのが法解釈学であり、その限りで客観性はある。というところまではおおかた一致していると理解しております。その客観性を求める細かいところに現在の学説の分岐点と用語の混乱があるのかと。山田卓生「法解釈の主観性」『民法解釈の歴史と課題』東京大学出版会、1982。今仕事が急に忙しくなりしばらくコメントできないと思います。あいすみません。--219.66.233.14 2011年7月20日 (水) 04:18 (UTC)[返信]
コメント お忙しいところコメントありがとうございます。本文にも補足しておきましたが、「法解釈の主観性・実践性というものを明らかにした」のは「第一次法解釈論争」ではなく、自由法論です。それならどうやって正しい(客観的な)解釈というものを観念するんだ、ということで1世紀半以上にもわたって長年論争をやってきたのです。これは個人的な理解に限った話ではなく、碧海博士や平井教授など、法解釈論争の当事者自身の認めるところです(脚注文献参照)。また、「法解釈学を厳密な学たりえるのかと悩」んできたのも、何も日本に限った話ではない、ラートブルフによればドイツでは三十年戦争の頃からさえ確認できる話だそうです。日本の法解釈論争は、世界的観点からの記述が要求される本記事では、独立に記述するには特筆性が薄すぎるのです。
要するに、テーマがテーマだけにいくらでも膨張しうるものですから、バランスに気を使って簡潔に纏めることを心がけているわけですが、それでもやはりテーマがテーマだけに絶対に完璧になりえないというジレンマがあります。現状では「法と経済学」への言及だとか、文献特に外国文献が全然足りませんが、もうこの辺りが限界かなという気もしてきました。--Phenomenology 2011年7月20日 (水) 17:57 (UTC)[返信]
コメント 私の書き方が悪かったのでしょうが、上は若干誤解があるようです。ドイツで自由法学がでてご指摘のような議論がなされているのは知っています。ちょうどオイゲン・エールリッヒが法社会学を提唱した時期ですしね。ただ、日本では、それを単になぞった議論がなされたわけではなく、アメリカのリアリズム法学などの影響を受けて独自の議論がなされたと理解しております。第一次法解釈論争の後しばらくして、憲法で比較衡量論、民法で利益衡量論、刑法で機能主義刑法論などなどがほぼ同時期にほぼ全ての分野で発展しましたよね。こういう特異な発展の仕方をしてそれが一定の共通性をもっているというのは特筆性があるとはいわないのでしょうか?
「限界」との表現がでたので一点ほど差し出がましい言い方を許してください。Phenomenology様は少し難しく考えすぎなのではないでしょうか。Wikipedia:ページの編集は大胆にともありますし、もっと気楽に編集してよろしいのではないでしょうか。--219.66.233.14 2011年7月22日 (金) 04:37 (UTC)[返信]
コメント お忙しい中コメントありがとうございます。平井教授のまとめは以下のとおりです。
「戦後の法解釈論における第一の論点は「法解釈は価値判断を含むか」、という問題である……戦前からすでにこの問題を肯定するのが、有力説であったし、自由法学・利益法学・リアリズム法学の主張からも明らかなように、国際的に見ても然りである。この間の提起が「異常な感銘と衝撃を与えた理由は、その当時の社会的状況と法律家あるいは解釈者としての自己反省という形をとった来栖教授の真摯さにあったと理解すべきであろう」。したがって、現在ではこの問については意見の一致があり、あらためて議論する必要はないと考えてよいと思われる。」
「論点の第二は、「価値判断の混入は主観性の導入を伴うか」である。……第三の論点は、「法解釈の主観性にいかに対処するか」である。……戦後法解釈論争でほぼ合意をみて解決されたと考えられるのは、第一の論点だけであり、第二及び第三の論点はほとんど解決されていないという評価を下してもよいであろう。しかも、第一の論点は、前述のように、わが国のみならず、どの国においてもほとんど争われていないのであるから、これを除外すれば法解釈論は全く――と言ってよいほど――問題を解決していないと考えるべきであろう。」(平井宜雄・ジュリスト918号102-105頁、括弧内カッコは碧海文献の引用)
「なお、憲法の分野では、balancing approachに対応する意味で「利益衡量論」の語が用いられるようであるが……これは基本的人権を制限する立法についての憲法判断の基準という、特定された意味をもっており、無論ここでの用語」(民法の利益衡(考)量論のこと)「とは関係ない。」(平井・ジュリスト916号98頁)
ということで、ドウォーキンあたりの動向も一応意識してこれを端的にまとめると、「今日では、幾度かの論争を経て、他の解釈学等の諸科学におけると同様、唯一絶対の正しい法解釈を具体的に観念することは不可能ないしは極めて困難であるとして、法律意思説を基本に各説の長所を採り入れようとする傾向が有力である」という本文のような素っ気ない表現になるわけです(広中・新版民法綱要第一巻総論64頁参照)。田中成明博士(教授?)もあまり法解釈論争には積極的な評価をしていなかったような気がします。
なお、利益衡量論的発想が「ほぼ同時期にほぼ全ての分野で発展」した、というのは、うやむやに終わった法解釈論争からというより第二次大戦後の英米法の影響や、或いは宮沢・芦部憲法学が基礎にあるのではないか、とも推測しています。田宮刑訴とか新堂民訴、鈴木商法あたりもその匂いがします。もっといえば、戦前に思考体系を確立した世代が第一線を退いた後の世代が、各分野で似たような傾向を示すのは日本法学独自の特異な現象に尽きるのか、疑問を感じないでもありません。もっとも、法解釈論争の評価は、法解釈学それ自体と同じく、解釈者が違えばその解釈も異なりうるのであって、正解は無いというべきかもしれませんね。
現状では百科事典の記事としてはやや講釈めいているのでもっと簡明にすべきにも思えますが、更に付け加えるとすれば、「立法者意思説と法律意思説」の節の後に、「刑法解釈の問題点」や「公法解釈の問題点」といったような独立の節を立ててリストケルゼン等を中心とする各論的問題につき説明したり、最後辺りに節を付け加えて20世紀から21世紀にかけての発展的な議論、特に経済法分野とか法と経済学に言及したり、といったような事になると思います。その中で日本法学の動向についての一節を加えることは勿論できるでしょうし、バランスを崩さない限り、それに反対する理由はありません。個人でやるには少々手に余るというだけです。もし気が向きましたら、時間の空いた時にでも加筆していただければありがたいことだと思います。--Phenomenology 2011年7月22日 (金) 10:44 (UTC)[返信]
う~ん。ちょっと議論がかみ合っていない感があります。ここで、第二次法解釈論争の一方当事者の平井先生を引用するのは公平感を欠くように思います。その意味で多数の文献がある中であえて上では山田論文を挙げました。私も専門家の端くれですので、だいたい会話の相手のレベルは想像がつきます。失礼かもしれませんが、Phenomenology様は司法試験の合格レベルを遙かに超えているので、比較的若い民事法の研究者ではないかと想像しています。ただ、下でT34-76氏が指摘しているように、ご指摘される文献に偏りがあるように感じます。批判ではなく、単なる意見と受け止めていただければ幸いです。--219.66.233.14 2011年8月5日 (金) 01:45 (UTC)[返信]
コメント いつも誠意あるコメントをありがとうございます。「議論がかみ合っていない」のは、失礼ながら、219.66.233.14さんが――おそらく無意識的に――本稿を純粋の学術論文としてみておられるからではないか、と思うのです。なるほど、確かに日本において法解釈一般に関する論文を書くとすれば、法解釈論争はある程度大きく取り上げて論ずべきトピックでしょう。しかし、「ウィキペディアはマニュアル、ガイドブック、教科書、学術雑誌ではありません」。記事を書くにあたっては、「日本中心にならないように」、かつ「中立的な観点」を守らねばなりません。
テーマの性質上、これが大変厄介なものです。事実の羅列をすれば薄っぺらと言われ、掘り下げて書くと百科事典的でないと言われ、あるいは自分の理解と違うと言われてしまいます。そこで、もし星野英一博士を始め、日本の法解釈論争の文献を中心に据えて執筆するとどうなるでしょうか。非「中立的」かつ「日本中心」の記事にならないでしょうか。219.66.233.14さんはおそらく法解釈論争世代でいらっしゃるのでしょう、法解釈論争を大変重く受け止められているようで、それはそれで一つの見方として尊重されるべきです。しかし、問題は「百科事典」の一記事として量的・質的に過不足がないかどうか、ということなのです。そういう意味で、百科事典の記事としてそろそろ限界(過大)ではないかと思えてくるのです。
なお、T34-76氏のご意見が的を得たものであるかは疑問ですし、文献に偏りがある旨の指摘ではないようにも思えますが、問題意識そのものは正当な部分もありますので、その後の加筆により不文法や国際法解釈、「英米法」の近時の議論にまで言及し、「歴史的」にもローマ法の継受から書いています。加えて、法解釈論争の当事者である星野・川島・平井教授らの文献も引用し、関連他記事への誘導もはかっています(立法者意思説と法律意思説の節)。実務と学説・学問の関係についても加筆しています。もっとも、日本語版の記事なので、外国語文献はWikipedia:検証可能性の観点から現時点では採用していませんし、文献が十分だとは決して思いませんが、相対的に見れば、全wikipedia中でもここまで出典の明記がされたものはそう無いのであって、これでもまだ「百科事典」として足りない、偏りがあるといわれるとちょっと困ってしまいます。ただ、山田論文は見てみることにします。
おそらく、「偏りがある」というのは、デルンブルヒ・石坂・鳩山といった、戦後の研究者があまり見ない、もしくは色眼鏡で見る文献が主要参考文献として多数引用されていることへの違和感だと思いますが、これら伝統的な立場をきちんと引用しなければ、ただ漠然とドイツ概念法学はけしからんということになって、自由法論との連続性は見過ごされてしまい、中立的な観点を欠くことになりかねません。これらの文献はネット上で簡単に読めるため、検証可能性の観点からも有用と考えられますし、こういう古い本だからこそ書いてある情報というのも少なくないのです。
ところで、相当な学識をお持ちの方とお見受けしますが、こういった議論がネット上でできるとは望外の幸せであり、厚く御礼申し上げます。良質な記事の選考にもかけてみましたので、場合によってはそちらにもコメントをお願いします(IPユーザーは投票権無しですが)。もとより強制するものではありませんが、加筆修正も引き続き歓迎します。--Phenomenology 2011年8月6日 (土) 14:15 (UTC)[返信]
追記。最初にご指摘の「いろいろな種類の解釈があってそれを専門家が理屈と人情の調和の名の下に便宜的に使い分けているというような印象を持つのではないでしょうか?」についてですが、「さもなくばご都合主義に堕してしまうからであり[225]、これらの解釈方法によって便宜的に文理をねじ曲げるというものではなく、それが規定の本来の持つべき意味のそのものであるにほかならないと論証することが望まれる」という本文の記述により対応させていただきました(拡張解釈・縮小解釈の節)。ありがとうございます。他により良いご提案がある場合はご教示ください。とにかく、一度山田文献を見てみることにします。--Phenomenology 2011年8月6日 (土) 18:22 (UTC)(削除)--Phenomenology 2011年8月23日 (火) 20:13 (UTC)[返信]
コメント 件の山田論稿による総括は以下のとおりです。
「来栖先生による問題提起は、多岐にわたり、要約しにくいが、次にようにまとめられる。
(1)法の解釈の正しさを客観的に決定することはできない。
(2)法の解釈は、複数可能であり、ある解釈は、そうした中からの個人の主観的価値判断による、選択である。
(3)法の解釈には、一定の枠があるが、その枠も、唯一の解釈しか許さないというほど厳格なものではない。
(4)ある法の解釈の選択は、認識の問題ではなく、政策の問題であり、解釈者は解釈の結果に対して、政治的な責任をもつべきである。
(5)法の解釈は、法規からの論理的演繹によるのではなく、実際の社会関係の観察・分析によって汲みとるべきである。」(山田卓生「法解釈の主観性」加藤一郎編『民法学の歴史と課題』(東京大学出版会、1982)97頁)
これらの問題提起は、当時は、きわめてショッキングなものとして受け取られた」といいますが(同・山田98頁)、「政治的な責任をもつべきである」という表現がやや独特な位で、川島・星野文献も含め、実際の所ラートブルフの価値相対主義をはじめとして、本文中に引用したラートブルフ・法学入門、富井・原論、石坂・研究上、我妻・民法案内Iなどに説かれている内容を何ら踏み越えるものとは思えません(色眼鏡で見ている人は引用文献を読みもしないで異論を唱えるであろうけれども)。
また、来栖博士の問題提起にはじまる"法解釈論争"によってどれだけの実際上の遺産が遺されたかというと、来栖博士の大著『契約法』を除けば、「法解釈の主観性ということがあまりに当然視され……条文からかけはなれ……一般的には、あいかわらず「自分はこう考える」という意見の開陳だけのもの」が蔓延する「傾向がみられる」というだけに過ぎません(同・山田97頁)。実際、「通説・判例は私見と異なり妥当でない」式の学者の"信仰告白"は特に珍しいものではありませんからね(判例の社会的必然性を説く我妻法学や、形式的な文理解釈に拘泥する初期の判例実務を、学理的解釈によって克服しようとし、判例もまたこれを直接採用していた石坂法学などとはまるで意味合いの異なるものだというべきでしょう。梅謙次郎・民法総則(自第一章至第三章)309頁、大判大正6年11月14日等参照)。
加えて、山田論稿を含む加藤博士編の同書では、(第一次)法解釈論争が民法以外の法解釈に与えたインパクトも確認できませんでした。やはり、多少の例外はあるものの(同書・平井72頁)、ほとんど戦後の「日本民法学史」(同書・星野2頁)の枠内に留まるものにすぎないように思えます(同書・平井70、84頁参照)。民訴法における利益衡量論的な新訴訟物理論であるとか、刑法の「機能主義刑法論」等々は、法解釈論争発祥ではなく、戦前の演繹的・体系的思考方法(いわゆる概念法学)に対するアンチ・テーゼとして出てきたものであり、法解釈論争はその源流であるというよりも、派生であると理解すべきでしょう。なお、それならばなぜ戦前の法解釈学がなぜ演繹的思考を重んじたかについては、本文中に言及済みです(概念法学と自由法論の節、法解釈の新たな展開の節)。社会が変われば法解釈の傾向もまた変わる、というわけです。要するに、日本の法解釈論争は、星野博士も認めるように、日本の法解釈論争の「論議はまだ決着をみていない」、「一種の膠着状態に陥っている」(同書・星野1頁(平井論稿の引用))に過ぎないのであって、これをイスラム諸国にすら一定の影響を与えたという独仏法学と並べて"本記事で"論じる程の特筆性があるとは言い難い、「それでは、「法の解釈」論は、ますます民法解釈学方法論になってしまう」(同書・平井70頁)というべきでしょう。ただでさえ民法中心の記事になっているわけですからね。
勿論、民法解釈学はローマ法以来の法解釈学の基本ですから、219.66.233.14さんをはじめとして、日本の法解釈論争が個々の解釈者の法的思考回路の形成に与えた影響は或いははかりしれないものであったことでしょう。その限りにおいて、「法解釈論争の成果」は確かに認めることができるのです。--Phenomenology 2011年8月9日 (火) 17:55 (UTC)[返信]
  • 法制史的観点(歴史的)からの記述が薄いという点に同意です。法源を制定法として、法律=条文という前提で法の解釈を書いてる点、英米法系から多くの影響を受けている現代の司法制度から見ればかなり不満な内容(古い)だと思ってしまいます。例えば、現在日本の頻繁な商法改正ですら追いつけず「現実と法律の乖離を埋めるために、法解釈という手法をもちいて、国民の意思のないところで、法解釈というかたちの法の創造が行われている」など。つまり法解釈が何故なされるのか?の根本に触れていない点で、単なる制定法の解釈の分類程度に終わっている点でかなり不満です。これは、帝政ドイツや大日本帝国のように近代化の遅れた国が国力をつけるためにとった、議会軽視行政主導の国家体勢と、その下の司法を歴史的に見ていないところから来る問題でしょう。一人で書いたのはすごいですが、批評家的にこき下ろせば、内容的にはBーーです(すいません)。--T34-76 2011年7月15日 (金) 12:52 (UTC)[返信]
コメント 貴重なご意見ありがとうございます。以下は反論ではなく質問です。
まず、「法源を制定法として、法律=条文という前提で法の解釈を書いてる」とのことですが、本文では「法源は法典を始めとする明文の法に限られないから、不文の法たる判例法や慣習法についても、解釈は必要である」、云々としています。「商法」のような技術的な法律についてはある程度成文法による迅速・複雑な立法的解釈をせざるをえない(がそれでも限界はある)、という点は言及すべきかとも思いますが(穂積・法典論)、そのほかどのように改善すべきでしょうか。なお成文法(本文にいう「法令」)が政令などを含むことは脚注で拾っています。
なお、「英米法系から多くの影響を受けている現代の司法制度から見ればかなり不満な内容(古い)」とのことですが、日本の民法は穂積陳重博士を通して見た目以上に英米法系から多くの影響を受けており(穂積・法典論)、ドイツ民法草案をフランス民法典よりはマシだが成文法主義に偏っているものとして批判し(梅)、より広範な判例学説の発展に委ねるという起草態度で編纂されています(民法 (日本)の項目参照)。つまりその時点で「立法的解釈を重視するか、後述する学理的解釈に多くを委ねるべきかは成文法を中心とする大陸法における根本問題の一つである」(本文)、という、英米法系から大陸法系に投げかけられた問題意識は受けているのです。主要参考文献が異様に古いのは確かですが、現代の「法解釈論争は19世紀末~20世紀初頭の議論のほとんど焼き直し」という理解を前提としたものです。「現代の司法制度から見」た新しい問題として何があると考えられるのでしょうか、ご教授賜れば幸いです。
次に、「法解釈が何故なされるのか?の根本に触れていない」とのことですが、本文では「文字に表された抽象的法則は、一見極めて明瞭なようでも、千変万化の具体的事象に適用するに当たっては、必然的に多くの疑義を生む。故に、法律を暗記してもそれだけでは役に立たず、ここに法解釈の必要が生じる」とした上で、各論部分において、「法的安定性」と「具体的安定」の調和の問題という形で繰り返し説明をするよう意図しています(我妻・星野)。現状では法制度の歴史的「沿革」の考慮が文理解釈についてしか触れられていないのは問題があると思いますが(具体的として日本民法・刑訴が挙げられるべきでしょう)、その他、具体的にはどのように改善すべきでしょうか。
「帝政ドイツや大日本帝国のように近代化の遅れた国が国力をつけるためにとった、議会軽視行政主導の国家体勢と、その下の司法」というのは一つの興味深い見方だと思いますが、本文ではむしろ「立法者たる議会の尊重によって裁判官の不当な自由裁量を防ぎ、社会的弱者が害されることを防ぐべきことが主張されていた」が、ドイツにせよフランスにせよ、「資本主義の発展に伴う社会の変動・複雑化が」そのような立場の「維持を困難にした」という説明を採用しています(ヴィントシャイト、我妻)。また、大津事件に見られるように、「議会軽視行政主導の国家体勢と」司法の態度とが必ずしも結び付くとは限らず、刑法や民事訴訟法なども立法的に手当をかなりしていますし、民法も富井・穂積重遠博士を中心に改正作業が進行していました(穂積・読本)。もし司法が議会を軽視するというなら、個々の裁判官に極めて広範な裁量を認め、客観的な法文解釈の形式にいちいち拘束されること無く、フランス法的な自由法論を展開すれば良いではないか、とも思われるのです。できれば参考文献をお教えいただきたいと思います。
コメント この点について追記。鈴木禄弥博士は、次のように指摘されています。「一般に、明治三〇年からのドイツ法学については、自由民権運動の没落と官僚体制の確立とによって、前者に支えられていたフランス系法学が没落し、後者に奉仕するドイツ系法学が興隆したのだ、と説明されている。もし、終局的客観的にはそうであったとしても、公法における穂積八束等のドイツ=プロイセン的学風が自覚的に官僚支配に奉仕したのと異なり、私法学におけるドイツ的学風は、諸法典の論理的内容を明らかにし、抽象的法秩序を具体的論理的な形で整理し安定化するという歴史的役割を果し、また厳格な論理的訓練という近代法学の方法的基礎づけを導入することによって、法律学の発展に欠くことのできない遺産を後世に遺したのであった。この学風こそは市民社会における基本的ルールを確立したものであって、このルールの習得が、法学の基礎訓練として不可欠なばかりでなく、今日の社会が強い変質をうけつつもなお市民社会たることをやめないかぎり、このルールは、われわれの法的思考の根底に厳然として保持されている、ということができよう。」(潮見俊隆・利谷信義編『日本の法学者』法学セミナー増刊292頁(日本評論社、1974年))
公法学についても、以下のように指摘されています。「成文法絶対主義からの脱却の強調……は、明治末期より大正期・昭和初期にかけて顕著であった動向で、その由来は、自由法運動にほぼ対応するものと思われる。美濃部達吉博士をその代表とするが、田中二郎博士の法解釈方法論も、基本的にこの延長線上に位置付けられると言えよう。……このような解釈方法を通じて、当時の制定法の文言のみからは導かれ得ぬ臣民の自由の保障を進めようとする、実践的な意図に由来するものであったことについては、すでに多くの指摘が為されている」(藤田(2002)・135頁)→本文中に言及済
穂積八束博士においては、ご本人曰く以下のとおりです。「予の国体論は之を唱ふる既に二十年、而も世の風潮と合はす、後進の熱誠を以て之を継続する者なし、今は孤城落日の歎あるなり」(潮見=利谷112頁、但し上杉慎吉博士の帰国前)
ファシズムのような権威主義的法解釈だからといって、同じ方向性に向かうとは限らないことも言及しておきました。ところで、「帝政ドイツ」が「近代化の遅れた国」であったという見方は、果たして一般的な理解であるのか疑問ではあります。--Phenomenology 2011年7月30日 (土) 09:49 (UTC)[返信]
なお、あくまで法解釈学の項目なので、プラクティカルな「制定法の解釈の分類」等の説明に重きが置かれ、近接する「法制史」などの基礎法学分野についての「記述が薄い」のはご指摘のとおりだと思います。碧海文献くらいは参照すべきでしょう。全体としてのバランスを崩すこと無くそういった情報を盛り込むための具体的なアドバイスなどありましたらお願いしたいと思います。--Phenomenology 2011年7月15日 (金) 14:21 (UTC)[返信]
追記。「国民の意思のないところで、法解釈というかたちの法の創造が行われている」とのことですが、法律は人民の一般意思の現れであるのか(サヴィニー、石坂)、単なる人民意思と離れた立法者独自の意思を観念すべきであるのか(富井)、そうだとしても議会の命令であるのか(ヴィントシャイト)、主権者の命令であるのか(オースティン、松波)、という形で大昔から議論がされていますが、英米法系の影響から来る新たな議論というのがあるのでしょうか。
それにしても、法解釈はテーマも大きく、様々な立場がありますので、内容を充実させつつ、百科事典としてのバランスや中立的観点を保った記事にするのはなかなか困難ですね。--Phenomenology 2011年7月15日 (金) 23:27 (UTC)[返信]

コメント 追記。ご指摘の問題意識を簡潔に反映するよう努めました。ありがとうございます。現状での問題点としては、英米法系のdistinguishの理論をはじめとして、判例の解釈方法についての記述が不足していることであるように思います。--Phenomenology 2011年7月17日 (日) 05:41 (UTC)[返信]

コメント 多数の画像を加えてみたり、国際法や法と経済学にも言及したり、色々と加筆して全体を有機的に関連付けることを試みてみましたが、やはりテーマがテーマだけに主観的には許しがたい欠陥(構造、バランス、文章表現.etc)が目立つように思われます。おそらく何をやっても未来永劫無限の批判をなしうるように思います。もとより完璧な記事はありえないのであって、百科辞典として最低限抑えるべきことを的確にまとめられればよいのでしょうけれども。--Phenomenology 2011年7月30日 (土) 09:49 (UTC)[返信]
【検証】 ──参考文献などと照合しつつ正確性を評価頂いた結果。
【書評】 ──専門外の方による評価および助言。
【感想】 ──専門外の方による感想。
【その他】 ──表記・文体など