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Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/伊勢暴動 20110813

伊勢暴動 - ノート[編集]

選考終了日時:2011年8月27日 (土) 08:35 (UTC)

  • (推薦)2011年7月の月間新記事賞で次点だった記事です。--Pastern 2011年8月13日 (土) 08:35 (UTC)[返信]
  • 賛成 推薦者票。記事のテーマである事件について社会的背景や研究史を含め丁寧に解説され、検証可能性も高いレベルで担保されているなど、良質な記事の目安は十分に満たしていると思います。--Pastern 2011年8月13日 (土) 08:35 (UTC)[返信]
  • 賛成 伊勢志摩を中心とした地域記事を執筆なさっている、Miyuki Meinakaさん渾身の記事です。伊勢暴動の展開を表した地図も同氏による制作で、明治初期に勃発した“一揆”の広がりを理解する一助になっています。暴動前後の情勢の変化、代替名称である「東海大一揆」について、「竹槍でドンと」と「竹槍でちょいと」の表現の差異、首謀者「大塚源吉」についての考察など、今後の研究の進展により更なる加筆が見込めるものと期待しています。--もかめーる 2011年8月13日 (土) 10:26 (UTC)[返信]
  • 賛成 コメント 私は理系だったのでこの明治初期に一揆が勃発したことすら知らなかったので興味深く読めました。良い記事だとおもいますし賛成しても良いのですが、一つ。暴動前の社会情勢節を見ると「1875年(明治8年)の方が1876年(明治9年)よりも米価が高かったため、南勢の農民の不満の種となった」これで木戸田説が間違えで後から木戸田自身が説を撤回したのは分かります。そして木戸田の言葉の引用と「巨視的にみれば」以下が繋がるのもわかります。しかしその間にはさまれている大江志乃夫の言葉『問題は地租改正そのものでなく、地租改正の過渡的な措置から発生した。』。大江の言葉の引用の後は木戸田の説の顛末しか述べられていらず、なんだか大江の言葉が出てきたのが唐突で中に浮いてる感があります。大江の言葉は木戸田の言葉のように具体的でないし、大江の引用は無くても良いのではないでしょうか?条件付賛成みたいなものですが、私の読解力不足のせいかも知れないので単なるコメントにしておきます。もちろん大江の言葉の出方に納得がいけば賛成に切り替えます。--ぱたごん 2011年8月14日 (日) 12:30 (UTC)大江の発言について私の貧弱な読解力でも分かるようになりましたので賛成票に切替ます--ぱたごん 2011年8月15日 (月) 11:30 (UTC)[返信]
  • 条件付賛成内容的には申し分無い記事だと思います。概要節が「伊勢暴動」の概要になっていないため、ここが修正されれば賛成票へ切り替えたいと思います。--R.Lucy 2011年8月14日 (日) 12:33 (UTC)[返信]

コメント R.Lucyさんのご意見と関係しますが、中高教科書での扱いを解説するのはどのような意図でしょうか。この記事は伊勢暴動の記事であって、「日本の学校教育における伊勢暴動の扱い」ではないので、教科書でどう扱われているかではなく、この暴動自体を解説するべきだと思います。教科書での扱いに何か特筆すべき事項があるとしても、節を設けて補足的に解説する程度でよいでしょう。--Trca 2011年8月14日 (日) 17:05 (UTC)[返信]

  • コメント 良質な記事に推薦いただきましてありがとうございます。初版執筆者です。ご指摘いただいた点につきまして、簡単ではありますが修正させていただきました。「概要」のセクションは後で補強しようと思っていたところ、書きたかった内容が教科書のくだり以外はすべてそれ以下のセクションに納まったため、教科書のことだけが「概要」に残って妙な形になってしまった次第です。今回のご指摘を受け、「概要」は経緯を簡単にまとめたような内容とし、教科書のくだりは教科書が研究の成果であると解釈、「研究史」に移動しました。また、「研究史」のセクションにある大江氏の言葉は、有元氏の著書の中で、木戸田氏の説と並べて示されていたので、私もそのまま並列して記載したものです。--Miyuki Meinaka 2011年8月15日 (月) 06:53 (UTC)[返信]

賛成のみ3票以上の状態が48時間以上継続のため、早期終了・通過となります。--Tam0031 2011年8月17日 (水) 14:15 (UTC)[返信]