Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/備崎経塚 20130211

備崎経塚 - ノート[編集]

選考終了日時:2013年23月25日 (月) 08:26 (UTC)選考期間延長。--ikedat76会話2013年2月21日 (木) 12:32 (UTC)[返信]

  • (自動推薦)2013年1月度の月間新記事賞受賞記事。--ikedat76会話2013年2月11日 (月) 08:26 (UTC)[返信]
  • コメント 「熊野本宮の経塚」と「備崎経塚」の関係がよくわからないです。備崎経塚の説明をするためには、先に熊野本宮の経塚に言及しておく必要があるものなのでしょうか。本宮の旧社地と川を挟んで向かいにあるから関連性がある、ということなのでしょうか。そのあたりの関連性の説明で補足が必要だと思います。--Tam0031会話2013年2月19日 (火) 15:29 (UTC)[返信]
  • コメント 本文中でも書いたことの繰り返しを含みますが、説明します。
    • ご指摘の力点が、「先に熊野本宮の経塚に言及しておく必要」という意味で構成についてなのか、「先に熊野本宮の経塚に言及しておく必要」でそもそも言及する必要があるのかにもよりますが、後者については必要ありと考えます。備崎経塚の発掘(大谷大学[2002])以降の時枝務([2011])・山本義孝([2006a][2006b][2007])らの文献ではいずれも、「熊野本宮の経塚」で記述している遺物(滝沢馬琴『兎園小説』で言及され、東京国立博物館に所蔵されている遺物2点)を取り上げた杉山([1983])・関([1990])らの文献を先行研究として取り上げていることがまず1点。備崎経塚の学術上の位置付けは、熊野本宮(というよりも修験道の成立史上最重要の山岳修行路である大峯奥駈道(吉野山~熊野本宮)の一方の端としての熊野本宮)との関連で与えられていること。以上の2点がその理由です。
    • 一方前者については(個人的な感覚ということをお断りしますが)まず先行研究なり研究史から記述が始まるという、いわゆる学術論文の記述スタイルが書く方にとっては自然なのでこの様な構成にしました。ご指摘を踏まえて、いくつかの理由から、構成を見直しました。1つ目は読者層の問題として、先行研究なり研究史なりというのを求める様な読者層は(語弊を恐れずに言えば)それなりに高めと思われます。その意味で、かならずしも最初から説明しなくてもいいかも知れないと考えました。2つ目は、「熊野本宮の経塚」で取り上げた遺物2点それ自体の問題。備崎経塚発掘以前の杉山[1990]の時点ですでに指摘され、時枝[2011]でも同様に述べられているとおり、東京国立博物館所蔵の遺物2点は真正性に疑問が寄せられており(注意していただきたいのですが、否定されたわけではありません)、本宮との関連性はいささか曖昧であること。3つ目に、重複する記述の整理。
  • 以上、回答とします。--ikedat76会話2013年2月19日 (火) 23:05 (UTC)[返信]
    • コメント Ikedat76さんの返答のうち、「備崎経塚の学術上の位置付けは、熊野本宮との関連で与えられていること」というのが、まさに求めていたことです。改訂された現状の記事を見ても、そのことに触れられていませんよね。そのために、なぜ備崎経塚の説明に当たってまず熊野本宮の経塚の説明から始まっているのかが、前提知識のない人間にはわからなくなっているのです。「発掘の経緯」の節で、熊野本宮の経塚は立地の問題もあってよくわかっていないのだ、という説明があってそれはわかるのですが、その後で「このように本宮の経塚の調査はほとんどなされていなかったが、(中略)備崎経塚の調査が重ねられた」とつながると、本宮の経塚と備崎経塚に何の関係が? となってしまうのです。ですから、熊野本宮の経塚が備崎経塚とどういう関係があるのかをまず最初に説明する必要があると思います。「研究史」節の冒頭で「備崎経塚を含む本宮の経塚の研究として最初期に属するのは」とあって、備崎経塚は本宮の経塚に含まれるらしいということはわかるのですけど、現状では前提知識のない読者にあまりに不親切だと思います。また、同じく「研究史」の節で「資料の再検討が求められている」までの文章は熊野本宮の経塚の研究について述べていて、「初の本格的調査である」からは備崎経塚の研究について述べているように読み取ったのですが、違いますでしょうか。であれば、そのあたりをわかりやすくできればと思います。--Tam0031会話2013年2月20日 (水) 14:45 (UTC)[返信]

コメント勝手ながら、修正に時間がかかる可能性が出てきましたので、選考期間の延長をお許しいただきたく。今回は、2013年2月19日 (火) 23:05 (UTC) の版を基準に回答します。

1つめ。「「研究史」の節で「資料の再検討が求められている」までの文章は熊野本宮の経塚の研究について述べていて」の件ですが、「熊野本宮の経塚」を東京国立博物館所蔵の遺物を指しておられるのであれば、ご理解のとおりです。そのように明確になるよう、微小ですが修正しました。

2つめ。「改訂された現状の記事を見ても、そのことに触れられていませんよね」について。「そのこと」とは、備崎経塚と、本宮や大峯奥駈道、修験道史といったより広い文脈との関連ということでよろしいかと思います。そのうえで、基本的な構想として、関連項目の備宿との間で記事間での分担を図るというのが両記事の初版投稿者としての私の意図でした。つまり、備崎経塚は経塚遺跡としての発掘成果の記述に基本的に集中させ、備崎経塚がより広い文脈との関連でどのような位置付けを持つのかは備宿に分担させる、ということです。備宿#文化財である程度やっているようなことを、備崎経塚でもやるというのはひとつの案かと思います。いったんお考えを伺いたいと思います。

3つめ。「熊野本宮の経塚が備崎経塚とどういう関係があるのかをまず最初に説明する」については、微妙な問題があって、分かりやすく明快な関係をうたうことがむしろ題材に対して誤った理解を読者に与えるリスクのほうが高いと考えます(以下、長くなるかもしれませんがご容赦ください)。

まず、研究史で書いているように、東京国立博物館所蔵の江戸時代に出土と伝わる遺物2点は、すでに関[1990]や陶器研究者の矢部良明氏(『日本陶磁の一万二千年 - 渡来の技 独創の美』、1994、平凡社 ISBN 4582247210, p.188)によって真贋が問題視されており、後続の研究も贋物と断定する材料こそ欠くものの、扱いに注意を要する遺物として取り扱っています(時枝[2011: 211])。したがって、東京国立博物館所蔵の遺物と備崎経塚との間に、「分かりやすい」関係を結びつけることを許すような根拠は与えられていないと考えなければならないでしょう。

にも拘らず東京国立博物館所蔵の遺物2点が先行研究として扱われ続けているのは何故なのか。文献の読み込みにもとづく私の推測と感触でしかないので、割り引いて聞いて頂きたいのですが、ひとえに熊野本宮だからというのが答えになるのではないでしょうか。熊野本宮旧社地はかつて川の中州にあって、たびたび熊野川の氾濫に見舞われ、多くの史資料が失われただけと推定されているだけでなく、近代以降の出土状況のはっきりした遺物の発見もありませんでした。対するに、熊野三山として括られる新宮や那智山はどうかというと多くの経塚遺跡・遺物が出土しており、また、熊野詣の盛期と経塚造営の流行期が重なります。それゆえ、「本宮にもあるはずだ」と研究者たちも考えており、いわばその拠り所とでも云うべきものが東京国立博物館所蔵の遺物であった。そういったところなのではないでしょうか。その意味で、語弊を恐れずに言えば、東京国立博物館所蔵の遺物に関する研究が先行研究である、という言い方は史料不十分な時代の不充分な研究ということでもあるのでしょう。

実際、大谷大学の発掘調査を踏まえた時枝氏の論文でも、東京国立博物館所蔵の遺物と熊野本宮の経塚との関係は微妙にぼやかされた分かりにくい形で書かれており、(少なくともウィキペディアンとして従うべき原則からすれば)私としては、曖昧で分かりにくさを含んだ説明以上のことはするのは難しいと考えています。

強いて出来ることがあるとすれば、「発掘の経緯」の第1段落と第2段落のつながりを改善し、東京国立博物館所蔵の遺物が備崎経塚の発掘にリニアな関係を持つかのように誤解させない書き方を試みることでしょう。こちらは努力してみます。

もうひとつ、言うならば、たった一度の発掘調査しか行われておらず、遺跡保存が重んじられた等々から制約が付きまとったようです。この遺跡については、今の時点では、よく分かっているかのように書く事は、むしろ読者を誤解させるものでしょうから、できるだけ抑制的な書き方に抑えておいたほうがよいという判断をした部分もあります。

ここまで回答とします。改稿の結果が、ご納得いただけるものになるともお約束できませんが、お時間を頂戴することをご容赦ください。--ikedat76会話) 2013年2月21日 (木) 12:31 (UTC)誤字。--ikedat76会話2013年2月21日 (木) 12:32 (UTC)[返信]

コメント 得られる文献からでは関係性を独自研究にならない形で明確に述べるのは難しいということですね。では、「備崎経塚」節の冒頭に書いてある「大斎原と川筋を挟んで向かい合う位置にある」を、記事冒頭のところに持ってきて説明するのはどうでしょう。本宮町の熊野川左岸にあるとだけ説明されても、それが熊野大社の旧社地の向かいにあるとはわからない人が多いでしょうから、まずそこを説明すれば、熊野大社と関係するのかと思ってもらえるのではないでしょうか。--Tam0031会話2013年2月21日 (木) 17:02 (UTC)[返信]
遅くなりました。2013年2月22日 (金) 16:16 (UTC) の版でご指摘のかたちにあらためましたので、ご覧ください。--ikedat76会話2013年2月25日 (月) 05:09 (UTC)[返信]

賛成のみ3票の状態が48時間継続のため、早期終了・通過となります。--Tam0031会話2013年2月28日 (木) 14:53 (UTC)[返信]