Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/大友克洋 20091017

大友克洋 - ノート[編集]

  1. チェック 初期の作品は「アメリカン・ニューシネマの影響が強く、ロックやジャズ、ドラッグといった70年代の文化を背景とした日常を淡々と描いたものが多かった」とありますが、多いのであればいくつか作品名を挙げることが望ましいと思います。
  2. チェック 「大友以前・大友以後」ですが、これは大友氏のデビューの以前・以後という意味なのか、それともある時期(作品)を境に「大友以前・大友以後」と言われるような手法が確立されたのか、そのことの判別がつくよう加筆することは可能でしょうか?また、影響がいつ頃どのような形で(どのような作品に)表れたかについても記述することは可能でしょうか?
  3. チェック 同じく「大友以前・大友以後」節内で言及されている表現手法の代表例を挙げることはできないでしょうか?「パロディと批評性」の節ではパロディの例が具体的に挙げられていますが、できれば同じように例を挙げることが望ましいと思います。-- 2009年10月18日 (日) 12:14 (UTC)[返信]
  • (コメント)主執筆者です。最近はほとんど関わっていませんでしたが、せっかく推薦いただきましたのでできる範囲で対応させていただきます(推薦ありがとうございます>マクガイアさん)。
  1. 初期作品の例を挙げられないか考えて見ましたが、大友の初期の短編群は「初期の作品」として括られて言及されていることが多く、特に代表的と考えられるものが判別できませんでした。初期の短編は50近くあり、私の判断で2、3選ぶのは難しいです。また「ニューシネマの影響~多かった」というのは特定の作品がそういうものを題材にしているというより、初期の作品全体がそうした文化的背景のもとで描かれているという風に考えたほうが正確ですので、ここで作品名を挙げてしまうと作風の説明に限定的なニュアンスを与えてしまいそうです。その代わりといっては何ですが、初期の作品にどのようなタイトルがあるのかわかるように大友克洋の漫画作品一覧を別途設けました。補足記事として考慮に入れていただければと思います。
  2. ここは多分、前節が「初期の作風」となっているので、この節で説明されている手法が初期からのものであるのかその後確立されたものなのかわからない、というご指摘かと思います。この節で述べているのも要するに前節にある「76年-78年頃にはすでに作風を確立し」というところの作風のことで、作品集の刊行で名前が知られるようになってからさらに影響が広がっていったということですので、その点がわかるように文面を修正しました。合わせて影響の具体例も前節の方に脚注で示しておきました。作品名はちょっとわかりませんでしたが、出典から当時影響が表れた作家名を記しています(脚注9)。
  3. 出典のほうに手塚と大友の手法の違いを具体的に述べている部分がありましたので、具体例として(本文にうまく収まらなかったので)脚注の方に引用文を載せておきました(脚注15)。

以上よろしくご検討ください。--Metronome 2009年10月20日 (火) 14:24 (UTC)[返信]

  • チェック コメントMetronomeさん、ありがとうございます。2点目と3点目については疑問点が解消しました。1点目に関連してですが、「初期の作風」節の1段目の「アメリカン・ニューシネマの影響が強く、ロックやジャズ、ドラッグといった70年代の文化を背景とした日常風景を淡々と描く(作品・物語)」イコール2段目の「70年代のヒッピー的な文化を背景とする物語」で、そのような特徴をもつ初期の作風が「Fire-Ball」以降変化していった、という理解した(「Fire-Ball」付近が初期とそれ以降の境界線?)のですが間違っていないでしょうか?もしそうであるならば1段目と2段目は別の節にし、2段目の書き出しは1段目の説明と対応させて「前述の……作風(物語)」という感じで書き出した方がわかりやすいと思いました。-- 2009年10月21日 (水) 11:37 (UTC)[返信]
  • (コメント)ご理解に関してはおっしゃるとおりです。「ヒッピー的」という表現は今見るとちょっと意味的に危ういような感じがするので「70年代的な文化」に書き換え、「前述のように」も加えて前後のつながりが明確になるようにしました。「Fire-Ball」が初期の作品群の一種の境界線を成しているというのもおっしゃる通りなのですが、この節の2段落目は「『初期の作風』がどのように変化していったか」(あるいは、「『初期の作風』とそれ以後との違いは何か」)ということの説明という意味で「初期の作風」の節に記述しましたので、私は現在の構成のままにしたいと考えています(正直に言うと、あまり細かく節を分けるのは好きではありません)。また「初期」に厳密な定義があるわけではありませんが、一般的には『童夢』以前の作品として「Fire-Ball」も「初期の作品」に含まれると考えられているようにも思います。例えば出典としてあげている『BSマンガ夜話』の作品紹介では、「Fire-Ball」を含む作品集『彼女の想いで・・・』は「初期のSF作品集」として紹介されています。--Metronome 2009年10月21日 (水) 14:36 (UTC)[返信]
賛成 早速改変して頂き、ありがとうございます。確かに構成については好みの問題なのかもしれませんね。私なら「初期の作風の変化」節を下位の節として組むところですが、2段目が作風の変化について記述していることは読めばわかることですし、こうしなければならないという性質の話ではないでしょう。疑問点はすべて解決しましたので賛成票を投じます。ちなみに「作風と影響」節の充実ぶりから現状でも良質な記事には十分だと思いますが、「経歴」の節にも加筆の余地はありそうです。主な作品(『AKIRA』は知っていましたが『童夢』も多くの賞を取った出世作のようですね)についてや、(高校時代の夢が叶い)映画の分野で活動するようになったことについて大友氏がどのような思いを抱いているかなどについて加筆ができるかどうかご検討ください。とくに『AKIRA』は知名度の高い作品だと思いますし。-- 2009年10月22日 (木) 09:00 (UTC)[返信]
  • (コメント)丁寧に査読していただき感謝します。確かに細かい経歴や映像作品へのスタンスなどの記述は手薄ですね。もともと漫画の表現方法上の功績を記述したくて調べたものですから、インタビューなどの資料はあまり探しませんでした。この辺りは加筆できる自信がないので、あとでノートにその点のコメントを残しておこうと思います。--Metronome 2009年10月22日 (木) 16:03 (UTC)[返信]
  • (賛成)良質な記事だと思います。ササキバラ・ゴウの『<美少女>の現代史』(ISBN 4-06-149718-9 , p.154-)にて大友克洋が後の(ゲームやアニメ、模型などを含む)作品に与えた影響について立体表現という観点からの言説があります。秀逸化へ向けた記事の補強として一度ご確認いただけたらと思います。--R.Lucy 2009年10月22日 (木) 12:56 (UTC)[返信]