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Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/御匣殿 (西園寺公顕女) 20200731

御匣殿 (西園寺公顕女) - ノート[編集]

選考終了日時:2020年8月14日 (金) 13:48 (UTC)

  • (推薦)月間新記事賞に漏れた記事です。一連の鎌倉時代末期から建武の新政期の記事と同様、いろいろな文献を参照して現状で分かっているところをうまくまとめられているものと思います。--Tam0031会話2020年7月31日 (金) 13:48 (UTC)[返信]
  • 賛成 :推薦者票。--Tam0031会話2020年7月31日 (金) 13:48 (UTC)[返信]
  • 賛成 十分な品質であると思います。--TEN会話2020年8月10日 (月) 16:39 (UTC)[返信]
  • 賛成 実在した人物としての人物像と物語の中の登場人物としてのそれをしっかりと言及し書き分けており、良質な記事としては十分かと思います。冒頭分や本記事への誘導となっている尊良親王の記事の尊良親王#御匣殿との恋愛譚の節では、尊良親王の恋を「二次元コンプレックス」と表現しており実際現代の価値観だとそういう表現が相応しいとは思いますが、無出典ではやや独自研究的であり、実際に「二次元コンプレックス」と評した論評などを出典として付ける必要があるように思いました。--totti会話2020年8月12日 (水) 02:33 (UTC)[返信]
    • 返信 記事執筆者です。選考およびご指摘感謝いたします。鎌倉時代後期から南北朝時代にかけては、かたいものでも書籍も論文も少なく、ましてサブカルチャーに結びつけるような文はまず見かけないため、直接二次元コンプレックスに結びつける言説を探すのは困難かと思います。ただ、鎌倉時代後期当時、『源氏物語』は300年前に書かれた学問的対象として研究されていただけではなく、当時の宮廷の恋愛観にも影響力のある小説としても読まれていました。後醍醐天皇も世間に流布する人物像では権力と戦争以外に興味のない独裁者みたいな感じですが、実際は余暇に『源氏物語』のキャラの家系図作って喜んでるようなタイプの人間だったりします。後醍醐の息子の尊良親王の恋愛譚も(事実かどうかはさておき)その延長にあるかと思います。その意味で、たまたま表層的に現代の現象と近似したのではなく、本当に現代の価値観とさして変わらなかったのではないかと思います。まあ前述の通りその部分の直接的な典拠を示すのは困難なのですが、『源氏物語』の中世宮廷における恋愛事情に対する影響力について注釈で追加し、間接的に理解の補助となるようにいたしました。--Senu会話2020年8月13日 (木) 13:31 (UTC)[返信]
      • 返信 お返事ありがとうございました。素人ながらに「もしかしたら尊良親王は識者の間で二次元コンプレックスとしてネタにされてたりするのかな~」と思って、それこそ「くだけた文脈」で触れられてたりしないのかな、と思ったのですが、そういうわけでは無いんですかね。菅原孝標女の例などからも薄々思ってはいましたが、源氏物語は当時の大ヒット作品で、日本人の気質は今も昔もあまり変わらないのかもしれませんね(笑)--totti会話2020年8月13日 (木) 14:29 (UTC)[返信]
        • 返信 『太平記』は英霊・楠木正成が死後に女体化して出てきたりとか、正直変な話がたくさんあるのですが、何故かほとんど取り上げられなくて勿体ないですね。でも尊良親王が主祭神の神社の公式キャラクターである金崎宮の香恋ちゃんは、特にサイトには書いてないですが、もしかして御匣殿がモデルなのかな?と思ってしまいます(笑)--Senu会話2020年8月13日 (木) 15:07 (UTC)[返信]

賛成のみ3票以上の状態が48時間継続のため、早期終了・通過となります。--Tam0031会話2020年8月14日 (金) 14:54 (UTC)[返信]