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Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/斉国 20200411

斉国 - ノート[編集]

選考終了日時:2020年4月24日 (金) 15:27 (UTC)

  • 条件付賛成 賛成 Wikipedia:査読依頼/斉国 20200326にて査読依頼し、ノート:斉国にてカラさんに査読を行ってもらい多少の修正中です。修正が終わり次第、賛成票に転じようかと思っています。--ポータル王朝の編集者会話 2020年4月12日 (日) 10:04 (UTC)[返信]
  • 条件付賛成 気になった点をいくつかコメントします。1.これは、GA選考とは比較的関係のないことかもしれませんが、「斉国」は時期的には「姜斉」・「田斉」の2時期に分かれるのですが、個別の記事をみるとほとんど同じ内容になっていて「姜斉」+「田斉」がほぼそのまま「斉国」の内容になっていることが気になります。ならばいっそ、「斉国」ひとつにまとめてしまった方がよくないかと思います。2.内容的に、年代記的な歴史・事件史に偏っているのではないかという点。姜斉と田斉を通した「斉」についてということであれば、もっと社会経済的なことや文化的な事象、山東省の地域性を盛り込んだものにすべきなのではないかということ。特に、秦の始皇帝によって文字や銭貨・度量衡・暦の統一がなされる前は、斉は独自のそれを用いていたはずなので、これらについての言及・説明がほしいと思います。支配体制や政治制度、外交政策、地方官制や軍制などについても、現在わかっている範囲で説明していただければ、と思います。3.脚注の付け方ですが、漢籍がズラリとならんでいて、得意な人にとってはわかりやすいのかもしれませんが、私のような教養のない者にとっては骨が折れ、また、ウィキペディアが初学者も読む百科事典がをめざしていることからすると少し不親切な感じがします。また、一文や一節につけられているのではなく、人名をはじめとして「単語そのもの」に付されているので、「出典を明記する」という趣旨からすると少し外れているように思います。「〇〇という人物については、史記や春秋左氏伝ではこのように記載されていますよ」という情報は、「出典」ではなくむしろ「注釈」です。要するに、漢籍の部分は、現代日本語に翻訳して(または現代日本語訳と原文を併記して)「注釈」の方に移すべきではないかと思います。2.と3.について改善がみられたら、歴史記載については過不足なく800年の歴史をまとめられており、斉の歴史を要領よくまとめた良記事として推すことができると思います。--Greenland4会話2020年4月15日 (水) 00:40 (UTC)[返信]
  • 反対 中国史のかなりの記事に共通して感じる点なのですが、物語調の叙述スタイルが百科事典として見た時にどうか、という点が気になります。これは歴史叙述が整理された状態で多く残っている、という中国史の史料上の特性にもよるのだとは思いますし、また『史記』や『左伝』の権威の大きさもあるのだとは思いますが、例えば「懿公は驕慢となって人心を失ったため、斉人はその子を廃した。」「晏嬰は常に社稷(国家)を第一に考えて上を恐れず諫言を行い、人民に絶大な人気を誇り、君主も彼を憚った」といった記述は、史料上そう書いてあるとしてもそのままそれを本文叙述として用いるのは、現代の歴史学においては普通無いスタイルの書き方です。
  • 例えばですが、山川出版社の『世界歴史大系 中国史1』ではまず、春秋時代の各国を周王室との結びつきの強さや地理・農業体系の差異から北方グループ(晋・斉・宋・秦)と南方グループ(楚・呉・越)に分類してそれぞれのグループにおける政治体制の特徴や同盟関係の解説を行っています。これはあくまで一例ですが、このような歴史学的視点(視座)からの解説が必要であり、古代の史料の記述を追った形になっている現在の状態は出典の用い方、叙述のスタイルともに改善すべき点が多いかと思います。中国史の知識は私は相対的に乏しいのですが、自分が普段書いている分野で例えば「ペルシア」や「古代エジプト」の記事で出典の大半がヘロドトストゥキュディデスクテシアスプルタルコス、そしてマネト、という状態だったとすればやはり間違いなく反対しますし、現時点の本記事はそれに近い状態であると考えます。
  • また同じく出典の問題として『入門 中国の歴史-中国中学校歴史教科書』は、出典としては不適当であると思います。--TEN会話2020年4月15日 (水) 05:33 (UTC)[返信]
  • 反対 こまごました内容はさておいて、最大かつ致命的な問題は、「歴史」節から「人物」節に至るほとんどの部分が、 史記春秋左氏伝のような古記録を直接参照し、かつそれのみを出典として(現代の文献を参照せず)記述されているという点です。たとえ、これらの古記録は現代の歴史学の研究者から見て信頼性の高い資料と考えられているとしても、このようなスタイルは、Wikipediaの記事としていただけません。
「遺跡」節や「文化」節は現代の研究者による文献を参照しているようですが、これらの節に限らず、基本的に歴史的事項に関するWikipediaの記事は、すべて現代の研究者による文献を出典とすべきです。たとえば、「 いついつに、これこれがあり、あれこれの事件が起った(出典『史記 巻いくつ』)」という記述ではなく、「『史記』によれば、いついつに、これこれがあり、あれこれの事件が起った」と記述すべきであり、さらにこのような記述にしてもそれ自体の出典は「史記」の該当部分ではなく、現代の資料において「『史記』によれば...」と記述されている部分を参照しなければなりません。
更なる問題点として、ノートページで「実際、脚注で挙げられている『史記』の記述をよく読むと本文中の記事の出典となっていないものがいくつか見られます」とコメントされていますが、まったくその通りです。これでは「出典」であるはずの古記録さえちゃんと参照していないということで、たとえ『史記』などを直接出典として使うことが認められていたとしてもやはりこれではWikipediaの記事として失格です。
とりあえず全般的に現代の資料で補強していただかないと、とうてい良質な記事にはなり得ないと思います。--Loasa会話2020年4月15日 (水) 12:07 (UTC)[返信]
  • 返信 作成者です。
    • まず、単語に出典が掛かっているというのはここなどのことでしょうか?
    • 出典になっていないという部分は、中国語版からだと思いますね。確認していませんでした。脚注に史記が多いのも、その影響です。文化節についての記述が、少ないのも中国語版の記事に記述されていないことによります……。まぁ、この状況下では現代の資料で加筆できそうにないですね……。
  • 現代の資料で、今のところでもできそうな所や、ウェブページを用いて加筆しておこうかと(`・ω・´)ゞ。--ポータル王朝の編集者会話 2020年4月22日 (水) 12:28 (UTC)[返信]
  1. ^ 6Needham, Joseph. Science and Civilisation in China, Vol. 1, pp. 95 f. Cambridge University Press, 1956. ISBN 052105799X, 9780521057998. Accessed 2 Nov 2012.
  2. ^ Sato, Masayuki. The Confucian Quest for Order: The Origin and Formation of the Political Thought of Xun Zi. Brill (Boston), 2003.

選考終了時点で賛成1票、反対2票のため、今回は見送りとなります。--Tam0031会話2020年4月25日 (土) 14:21 (UTC)[返信]