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Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/音戸の瀬戸 20170211

音戸の瀬戸 - ノート[編集]

選考終了日時:2017年2月25日 (土) 00:07 (UTC)

  • (自動推薦)2017年1月の月間強化記事賞受賞記事。--Trgbot会話2017年2月11日 (土) 00:07 (UTC)[返信]
  • 賛成 小さな海峡一つに、実によく調べて書き込まれているものと思います。「地理」の「概要」節に、「古来からまったく繋がっていない海峡」と書いてあり、これは暗黙に両岸の土地が繋がっていないということを言っているのでしょうが、両側の海が繋がっていないともとれるので、暗黙の前提を置かない書き方に改めるほうが良いかと思います。「橋梁」のところは、詳細は橋梁の単独記事に振っているのでしょうが、せめて橋の全長くらいはこちらにも書きたい感じがあります。--Tam0031会話2017年2月17日 (金) 14:23 (UTC)[返信]
  • 賛成 以下にコメントするように、§3 歴史節に大きな欠落がありますが、同海峡の地誌的な重要性や規模などから見れば、記事自体は十分な内容であると思います。歴史説の欠陥部分については、その時期に地域史や日本史に大きな影響を及ぼすほどの出来事、あるいは知名度の高い出来事があったわけではなさそうなので、その部分については今後の加筆に期待します。以下、細かい点についてのコメントです。
§2.1 音戸瀬戸航路
  • 「可航幅は...が設けられている。南北双方とも...音戸大橋になる。」
 運河でもないのに、「設けられている」とか「入り口が橋桁になる」とかの表現が不可解でしたが、最後の「現在の航路は1957年までに運輸省(現国土交通省)が掘削整備したもの」でやっと意味がわかりました。ここは文章を逆にして、最初に「現在の航路は...掘削整備したもの」と書いてから、航路の説明をしていただいたほうがわかりやすかったと思います。「道路」であれば何もいわずとも人工的に作られたものであることは明白ですが、海運に詳しくない読者としては、「航路」も人工的に整備するもの、という意識が薄く、ましてやこの記事のメインテーマは「航路」ではなく「海峡」なので、なおさら人工的作為には考えが及びにくくなります。
  • 写真キャプション「南口。このように北側から来る船舶を目視できない。」
 図で橋や海峡南口の位置関係を確認すればこのキャプションでもわからないことはないですが、やはり説明不足です。「このように護岸が海峡入り口への視線を遮るように位置するため、北側から来る船舶を目視できない。」としたほうがよいと思います。
  • 「南側は約90度変針して幅500m×長さ1,000mの航路筋があり」
 すみません。「変針」の意味がわかりません。これは航路が90度折れ曲がっている、という意味でしょうか。また、幅500m×長さ1,000mの航路筋というのは、南側出口から先の、変針部分も含めた航路筋のことでしょうか。また、この航路筋というのは北行、南行両方合わせた航路筋なのか、それともどっちか片方の航路筋のことなのか、文章を見ても下の図を見ても、どちらとも解釈できそうで不明です。
以上の本節に関する疑問点は、海上交通に詳しい方にとっては常識の範疇なのだろうと思います。しかし、海上交通に関する知識は、陸上交通の知識ほど一般的に知られているとは言いがたいので、もうすこし解説の文章を工夫していただければ、と思いました。
§2.2 渡船・橋梁
Tam0031さんもコメントされているように、橋梁についても詳しいことは橋梁の記事に任せるにしても、わざわざ節を設けるならば数行程度の概要は書いてあっても良いと思います。
§3.1 隠渡
  • 「当時海岸はすべて砂浜で、警固屋と幅3尺(約0.9m)の砂州でつながっていた。」
 しかし実際には概要節にあるように、過去に繋がっていた時期があったとは認められていないのですよね。であれば、「砂州でつながっていたとされ、...」としたほうが良いと思います。
§3 歴史
 中世からいきなり近代にすっ飛んでますが、戦国時代にも各地の戦国大名水軍やら海賊衆やらが割拠していたはずです。戦国時代の資料もそれなりあると思われるので、それにまったくふれていないのは歴史解説としては致命的欠陥と思います。もちろん江戸時代についても記述が欲しいところです。
--Loasa会話2017年2月23日 (木) 04:21 (UTC)[返信]
  • 賛成 まず、他の方がおっしゃっていることと重複するのですが、歴史節で「近世」がないので、そこには加筆発展の余地はあるのだろうと思います。(Loasaさんのおっしゃるように、「近世」のなかにこの主題に欠かせない重要な話題があるぞ、ということではないのですが。)「現代」節もないのですが、こちらについてはおそらく主要な話題は音戸大橋でカバーできているのだろうと思います。
Tam0031さんが既にご指摘なさっていますが、海峡が「古来からまったく繋がっていない海峡」と表現は何か改めたほうが良さそうには思います。確かにこれだと「つながっていない=海峡が閉塞している」と読めてしまう(全体の文脈を見ればそう読み誤ることもないのでしょうけど)余地もあり、うまい言い回しがなにかほしいところです。また、「古来」というのがあやふやです。氷河期とか、あるいはもっと地質的な年代でみれば、「両岸がつながっていた」時期は(たぶん)あってもおかしくない(日本列島が大陸と地続きだった時代だってある)。しかしポイントは、「清盛」以前は陸続きだったかどうかなので、そんな地質時代まで遡る必要はないわけで、「縄文時代以降」とか、なにかここも推敲の余地がありそう。出典のpdfは「縄文時代から清盛の時代にいたるまで」と表現していますから、意味を外さないようになにか別の表現が思いつけばいいのですが。なお、ここは概要節なのでざっくりでもいいかなとは思うのですが、それならば本文中で詳説する箇所があっても良いように思います。概要部分では「地理学」「地形学」「歴史地理学」という言葉が並んでいて、わかるようなわかんないような感じもします。出典で示されているpdfでは、「自然地理学」「地質学」などの語も使われており、同じような書き方なので仕方がないのですが。そこらへんは表現の選択肢の問題なのでどう書いてもいいのですが、たとえば「文献史料による調査でも、自然科学的調査でも、縄文時代から平安時代の間にここが閉塞していたという証拠はない(否定されている)」みたいな感じ。
総合的な感想です。執筆者さんはこれまで瀬戸内海の島々の記事を手がけていくつも良質な記事を送りだされており、その選考でも私はたびたび同じことを言っているのですが、使用されている出典の多くはインターネット経由で確認できるものです(今回は『音戸町誌』とかも使われているので100%ではないですが)。私個人は図書館・紙の本を手に取りたい派ですし、そういうものを使えばきっとまだ伸びしろはありそうだ(角川や平凡社の地名事典を使えば、「近世」はカバーできそうだとか)とは思うのですが、それをやらなくてもインターネット利用でもここまで立派な記事ができる、ということの良い手本のような記事だと思います。--柒月例祭会話2017年2月24日 (金) 05:55 (UTC)[返信]

賛成3票/反対0票のため、選考通過となりました。--Yapparina会話2017年2月25日 (土) 00:25 (UTC)[返信]