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国道18号

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一般国道
国道18号標識
国道18号
地図
地図
総延長 233.2 km
実延長 233.2 km
現道 193.3 km
制定年 1952年昭和27年)
起点 群馬県高崎市
君が代橋東交差点(北緯36度20分0.15秒 東経138度59分29.28秒 / 北緯36.3333750度 東経138.9914667度 / 36.3333750; 138.9914667 (君が代橋東交差点)
主な
経由都市
群馬県安中市
長野県小諸市上田市長野市
新潟県妙高市
終点 新潟県上越市
下源入交差点(北緯37度9分55.08秒 東経138度15分23.46秒 / 北緯37.1653000度 東経138.2565167度 / 37.1653000; 138.2565167 (下源入交差点)
接続する
主な道路
記法
国道17号標識 国道17号
国道19号標識 国道19号
国道8号標識 国道8号
テンプレート(ノート 使い方) PJ道路
全ての座標を示した地図 - OSM
全座標を出力 - KML
国道18号起点
群馬県高崎市 君が代橋東交差点付近
国道18号終点
新潟県上越市 下源入交差点

国道18号(こくどう18ごう)は、群馬県高崎市から新潟県上越市に至る一般国道である。

概要

関東地方長野県北部、新潟県上越地方相互間を結ぶ重要な幹線道路である。全線でしなの鉄道妙高はねうまライン等と並走している。また、概ね上信越自動車道と並走しており高速道路ナンバリングでも「E18」を継承している。上信越自動車道の開通後はその役割を譲りつつあるが、現在でも主要幹線道路として重要な役割を持っている。

群馬県内では碓氷川に沿って走り、碓氷峠を越えて長野県へ至る。長野県内では千曲川沿いに軽井沢や上田、長野、黒姫高原といった高原盆地を通過し、妙高高原から新潟県に入る。新潟県内では関川沿いに緩やかに下り、妙高市を通って日本海に面した港町である上越市直江津に至る。

路線データ

一般国道の路線を指定する政令[1][注釈 1]に基づく起終点および重要な経過地は次のとおり。

歴史

国道18号は、高崎市から北佐久郡御代田町中山道、北佐久郡御代田町から上越市北国街道を継承する路線である。前者には、箱根峠とともに難所とされた碓氷峠を含んでいる。

碓氷峠は、1878年明治11年)に行われた明治天皇巡幸にあわせてとりあえずの改良がされたが、が降ればすぐにぬかるみになってしまうような簡易なものであった。実際、明治天皇巡幸の前日にも雨が降り、輿を通すことができずに天皇は輿を降りて自らの足で峠を越えることとなった。1883年(明治16年)2月より本格的な改良が行われ、翌1884年(明治17年)5月20日にいったん落成した後、1886年(明治19年)に碓氷新道が完成した。工事に際しては長野県が国庫補助を受けて担当し、工費およそ8万をかけ、人員は延べ30万3千人に上った[4]

現在の国道18号にあたるこの新道に沿って1893年(明治26年)に信越本線が開通した。当初は、主要地方道下仁田軽井沢線が通っている和美峠ルートでの敷設が有力視されていたが、新道の開通により資材運搬がしやすいという理由で新道に沿ったルートに変更されたものである。なお信越本線の開業前の1888年(明治21年) - 1893年(明治26年)には、新道上に馬車鉄道碓氷馬車鉄道が敷設されていた。

1932年昭和7年)10月から翌年10月にかけて全面的な改良が行われ、工費37万8千円が費やされて延べ21万1千人が工事に従事した。これによって幅員が6.4 mに広がったほか、勾配は15分の1以下、曲線半径は12 m以上となり、一部の区間について1車線分をコンクリート舗装している。この工事の記念碑が県境に建てられ、内務大臣山本達雄が題字を書いている[4]

碓氷峠の区間は1956年(昭和31年)から拡幅や改良・舗装工事が進められていたが、屈曲部が184箇所もある事などから交通量に限界があり、南の入山峠を通る碓氷バイパス建設1966年(昭和41年)から始まり、1971年(昭和46年)11月に開通した。日本道路公団管理による有料道路となっていたが、2001年平成13年)11月11日をもって無料開放された。

年表

  • 1885年明治18年)の内務省告示第6号國道表では、国道5号「東京より新潟港に達する路線」(現17号、18号、8号経由)に指定された。
  • 1920年大正9年)施行の旧道路法に基づく路線認定では、高崎 - 長野は国道10号「東京市より秋田県庁所在地に達する路線」(現17号、18号、117号、8号経由)、長野以北は国道11号「東京市より石川県庁所在地に達する路線(甲)」(現17号、18号、8号経由)となった。
  • 1952年昭和27年)12月4日 - 新道路法に基づく路線指定で一級国道18号(群馬県高崎市 - 新潟県中頸城郡直江津町(現・上越市))として指定された。
  • 1965年(昭和40年)4月1日 - 道路法改正によって一級・二級の別がなくなり一般国道18号となった。
  • 1974年(昭和49年)7月28日 - 未明に国道の西方に位置する新潟焼山が噴火。中郷村、新井市付近の路面には火山灰が堆積。タイヤで巻き上げられた灰により極端な視界不良となり、それに起因する交通事故も発生した[5]
  • 1976年(昭和51年)1月20日 - 豪雪のため上越市高田地区の上下線で約600台が立ち往生。22日から自衛隊が救援に当たり23日午前までに解消[6]
  • 2011年平成23年)4月1日 - 指定区間の起点が高崎市並榎町457番の1から高崎市並榎町457番6に変更された[3]

路線状況

バイパス道路

上田バイパス
国道144号との交差)
長野県上田市住吉
上新バイパス
北陸自動車道 上越IC付近)
新潟県上越市三田新田

別名

  • 中山道
    • 起点の高崎市から東京方面からの中山道を国道17号から引き継ぐ形となっており、起点に近づくにつれ、上り線において、高崎から国道17号東京方面へ進むことを意識した案内となっている(長野県上田市以東では主要都市までの距離を案内する道路標識に「東京」までの距離が表記されている。群馬県内では各種道路標識に安中市内では「熊谷」、高崎市内では熊谷に加え「本庄」が登場する)。
  • 北国街道
  • 善光寺街道
  • サルビヤ通り
  • アップルライン[7](長野市)

重複区間

国道141号との重複
長野県小諸市丙
  • 国道142号(長野県北佐久郡軽井沢町・中軽井沢交差点 - 小諸市・平原交差点)
  • 国道141号(長野県小諸市平原・平原交差点 - 小諸市柏木・四ッ谷東交差点)、
  • 国道141号(長野県小諸市西原・西原交差点 - 上田市国分・国分1丁目交差点)
  • 国道143号(長野県上田市下之条・下之条北交差点 - 上田市上塩尻・上塩尻東交差点(上田坂城バイパス))
  • 国道403号(長野県千曲市杭瀬下・杭瀬下交差点 - 千曲市粟佐・粟佐交差点)
  • 国道117号(長野県長野市青木島町・大塚交差点 - 長野市豊野町蟹沢・浅野交差点)
  • 国道406号(長野県長野市東和田・東和田交差点 - 長野市柳原・柳原北交差点)

道路施設

橋梁

道の駅

道路情報ラジオ放送区間

  • 群馬県
    • 安中市松井田町松井田
    • 安中市松井田町横川
    • 安中市松井田町入山(長野方面)
  • 長野県
    • 北佐久郡軽井沢町長倉(高崎方面)
  • 新潟県
    • 上越市寺町

地理

通過する自治体

交差する道路

一般国道・高速道路

関東地方整備局管内

北陸地方整備局管内

県道

主な峠

  • 群馬県
    • 碓氷峠(標高958 m):安中市松井田町 - 長野県北佐久郡軽井沢町
    • 入山峠(標高1,030 m):安中市松井田町 - 長野県北佐久郡軽井沢町<碓氷バイパス>
  • 長野県
    • 野尻坂峠(標高666 m):上水内郡信濃町 - 新潟県妙高市

最高地点

  • 長野県
    • 標高1,003 m(北佐久郡軽井沢町大字追分、標識あり)

ギャラリー

脚注

注釈

  1. ^ 一般国道の路線を指定する政令の最終改正日である2004年3月19日の政令(平成16年3月19日政令第50号)に基づく表記。
  2. ^ 2003年9月1日に、更級郡上山田町・埴科郡戸倉町と合併して千曲市が発足。
  3. ^ 2005年4月1日に、中頸城郡妙高高原町、妙高村を編入し、「新井市」から「妙高市」へと改称。
  4. ^ a b c d e f 2022年3月31日現在

出典

  1. ^ 一般国道の路線を指定する政令(昭和40年3月29日政令第58号)”. e-Gov法令検索. 総務省行政管理局. 2019年10月30日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 表26 一般国道の路線別、都道府県別道路現況” (XLS). 道路統計年報2023. 国土交通省道路局. 2024年4月2日閲覧。
  3. ^ a b 平成23年3月30日政令第45号(官報平成23年3月30日号外第63号、p.8)
  4. ^ a b 倉田 1979, p. 67.
  5. ^ 「焼山、25年ぶり噴火 山ろく、灰に埋まる」『朝日新聞』昭和49年(1974年)7月29日朝刊、13版、19面
  6. ^ 600台が脱出 国道18号『朝日新聞』1976年(昭和51年)1月23日夕刊、3版、11面
  7. ^ 浅井建爾 2001, p. 62.

参考文献

  • 浅井建爾『道と路がわかる辞典』(初版)日本実業出版社、2001年11月10日、62頁。ISBN 4-534-03315-X 
  • 倉田正「峠物語 碓氷峠」『道路』 464号、日本道路協会、1979年、65-70頁。 

関連項目

外部リンク