ノート:慰安所

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過去ログ[編集]

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テーマに無関係な挿入文の消去[編集]

>(この年華北では、ゲリラ活動だった共産軍の大規模な反攻があり、日本軍は共産軍を見直したとされる)<

この文章は何のためにあるのか? まったくテーマと無関係である上にソースが無さそうだが。 消去します。     --やましたやすひろ 2013年5月18日 (土) 21:41 (UTC)

分割の提案[編集]

記事の分量が増えて来たので、分割を提案させていただきます。 「各国の軍用売春宿」以下を、簡単な説明だけ残し「軍用売春宿」(military brothel)として、独立させてはどうかと思います。ご意見をお聞かせ下さい。--C-nation会話2021年6月13日 (日) 10:21 (UTC)[返信]

要出典への記入[編集]

頭書きの慰安所の説明で、「要出典」の表示がありましたので、出典先を記入しました。「売春宿」は、より正確には「貸座敷」です。「要出典」の表示が残っているので、どなたか修正してください。--Eyagi会話2023年2月19日 (日) 08:05 (UTC)[返信]

他意はないのですが、1937年の上海は日本軍の軍政下だったのですか?
>「慰安所(いあんじょ)は、日本国内(朝鮮地域や台湾を含む)で娼妓取締規則[1]等で所轄の警察署が管理できない軍政地域や戦闘地域の売春宿を旧日本軍が代わりに軍規則[2]等により管理した売春宿のこと」--C-nation会話2023年2月19日 (日) 10:34 (UTC)[返信]
軍政の意味は正確には理解していませんが、慰安所は実質的には国内法の「貸座敷(認可売春宿)」に準拠して設立され、国内での県知事や警察の業務を、領事館および軍(憲兵を含む)が担ったと理解していますが、間違っているでしょうか? したがって、同国民を海外で雇用する場合も国内法と同じ手続きを踏み、軍慰安所規則では国内法と同様に月1回慰安所営業者と慰安婦との貸借計算書を提出するよう定めています。--Eyagi会話2023年2月20日 (月) 05:51 (UTC)[返信]
書き落としましたので、追記します。Ramseyer論文撤去騒動で慰安婦問題に関心を持ち、この慰安所の記事を読みました。この英語版を開いてその内容に驚き、英語版を書き直すべきと思っています。もし、関心があれば手伝っていただけないでしょうか? こちらで案文を作るので、その査読と訂正をしていただけたらと思います。慰安婦の記事(英語版)も同様です。--Eyagi会話2023年2月20日 (月) 06:22 (UTC)[返信]
概ね理解できますが、「(軍)慰安所」に関して統一されたルールがあったわけではないだろうというのが、個人的な印象です。ただ、これは論文ではないので、ウィキペディアは「検証可能性」や「信頼できる情報源」に留意して記事を充実させて行くしかないと考えます。英語版も同じでしょう。--C-nation会話2023年2月20日 (月) 23:43 (UTC)[返信]
慰安所規則は、設立・運用と利用に大別され、相互に矛盾はありません。前者の代表例はマレー軍政規定集で、国内法と一致しています。後者はどれも同じ構成で、慰安所の経理、規律、衛生の管理責任者を定めています。慰安所と慰安婦に関する1次資料は、すべて日本語。これら資料の英語資料がネットで入手できないことが最大の問題と認識しています。慰安所規則については、Collection of Imperial Japanese Military Comfort Station Regulation - Wikisource を作りました。一度、Talk:Comfort women - Wikipedia に目を通してみてください。今の目標は、現在のComfort women or comfort girls were women and girls forced into sexual slavery by the Imperial Japanese Army in occupied countries and territories before and during World War II をComfort women" were women and girls who provided sexual services to Imperial Japanese military personnel and civilian employees at "comfort stations”. “Comfort stations" were "licensed military brothels"  established and operated under the supervision of the Imperial Japanese Military in combat zones and occupied territories.に書き換えること。
このためには、「日本帝国の認可売春制度」と「慰安所」のwikipedia記事を作ることが、当面必要と考えています。--Eyagi会話2023年2月21日 (火) 02:34 (UTC)[返信]
追加です。以前、日本帝国朝鮮の認可売春制度をwikipediaに投稿しましたが、掲載させないよう妨害されています。Draft:Licensed Prostitution System in Korea under the Japanese Empire - Wikipedia--Eyagi会話2023年2月21日 (火) 05:45 (UTC)[返信]

「慰安所」頭書きおよび概略改定の提案[編集]

1 提案理由

ウイッキペディアはみんなで作る百科事典。その内容は、中立的かつ信頼性のある出典(検証可能性)に基づくと定められています。慰安婦問題(慰安婦は性奴隷か認可売春婦かの論争)は、現在も国際的に関心の大きい話題。英語は、今は国際語。英語版ウイッキペディアの「Ianjo」記事は「Comfort women」にリダイレクトされ、「Comfort women」記事は「慰安婦または慰安少女とは、第二次世界大戦前および戦時中に、占領下の国や地域で日本軍により強制的に性奴隷にされた女性や少女」と記述。即ち、「慰安所は性奴隷施設」が国際的な認識です。


慰安婦問題は日本帝国時代の出来事であり、主張の根拠となる資料は米軍尋問・調査資料を除けば、当時の法令、施政統計資料、日本軍(規則、憲兵隊記録など)および行政機関(政府および地方自治体)発行の資料などで、これらはすべて日本語。したがって、日本語版はこれらの一次資料を引用し、正確でかつ英語に正しく翻訳できるような記事であることが求められます。ウイッキペディアは多くの人が記事の編集に加わるため記事内容は膨大かつ雑多で、一般に多くの読者は最初のページしか読まない。この視点から現在の記事を読むと、頭書き(3行)は誤訳の恐れがあり、概略は記事内容を要約していない。慰安婦問題の核心は、クマラスワミ報告書の「朝鮮人女性約20万人が日本軍により強制的に性奴隷され(パラ61)、その証拠は軍規則(パラ20)。14歳から18歳が大半(パラ30)、慰安所での残酷な取り扱い(パラ32)」など、マクドーガル報告書の「慰安所はレイプセンター(パラ1)、年齢の多くは11歳から20歳、虐待により生存者は25%、「慰安婦」を確保するために、日本軍は身体的暴力、誘拐、強制、詐欺的手段 を用いた(パラ7)」などの記述が事実か否か。概略はこれらの主張に答える内容を含む必要があります。


2 提案内容

1.  頭書きと概略は合体し、1ページ以内で「慰安所」記事を要約する。英語版のリードセンテンスに該当。

2.  出典は原則として1次資料(2次資料の場合は主張の根拠とする1次資料にさかのぼる)を引用する。

3.  内容は、自動翻訳で誤訳されないことを確認する。

4. 主文の「規則」は「公娼制度(または認可売春制度)と慰安所規則」に改名し、3歴史の後に置く。このための記事は、追加する。

5.  主文に「15慰安所に関する論争」を追加する。


3 変更案の合意

 変更原案はこのノートに投稿し、相互に修正してコンセンサスを得たのち、ページに投稿する。


以上に関し、みなさんからのコメントをお願いします。

--Eyagi会話2023年8月11日 (金) 07:10 (UTC)[返信]

横から失礼 横から失礼 - 私は管理者でもこの記事の主題に関心がある者でもないのですが、1点コメントよろしいでしょうか。
「管理者のコメントを…」とのことなのですが、Wikipedia:管理者#一般の参加者とどう違うのかをお読みになれば分かる通り、ウィキペディアの管理者は記事執筆においては特別な役割を果たしません。管理者よりもこの「慰安所」というテーマに詳しい編集者の方は少なからずいらっしゃるはずです。ですからここはコメントを募る相手を限定する必要は無いように思えます。
以上のことよろしくお願いします。Eyagiさんの誠意ある編集活動に敬意を表します。--有筆会話投稿記録 2023年8月11日 (金) 08:49 (UTC)[返信]
コメント有難うございました。この提案は、単なる加筆ではなく内容の修正なので、まず管理者または編集者の合意が必要かと思っていました。英語版の場合はComfort women記事に関し、編集者が認可売春婦の書き込みをブロックし、管理者が認可売春制度の投稿記事を「歴史修正主義者」のレッテルを張って削除しています。英語版Ianjo記事も同様で、書き込みを削除し、書き込みを防止するためにリダイレクトしました。
現在の日本語記事の見直しには、多くの人の参加必要です。管理者のみならず、多くの皆さんからのコメントをお待ちしています。--Eyagi会話2023年8月12日 (土) 01:58 (UTC)[返信]
国内における有力な学者の一人が、慰安所では公娼制度下で認められていた権利すら認められておらず、奴隷制度に他ならないと主張している事については、いかがお考えですか?--C-nation会話2023年8月12日 (土) 06:26 (UTC)[返信]
何を根拠にして主張しているのか、教えてください(資料があれば、資料名も)。私が理解している範囲では、このような主張の根拠は元慰安婦の証言のみで、客観的な証拠はありません。元朝鮮人慰安婦の証言は、すべて当時の法令に違反しています。その背景は、南北韓国政府が日韓併合条約は違法とし、戦後このような歴史教育をしたきた結果と推測しています。事実は、当時の資料から知る必要があります。
私の理解の根拠は、慰安所規則と憲兵隊報告書、売春制度規則と朝鮮総督府警察記録(略取・誘拐犯罪検挙率、貸座敷数、仲介業者数、娼妓・酌婦・芸妓人数など)、賃金などです。--Eyagi会話2023年8月13日 (日) 07:25 (UTC)[返信]
そういう事ではなく、この問題について英訳までされた著書があり、ニューヨークタイムズや日本の全国紙に寄稿したりインタビューを受けているような学者が、「慰安婦=奴隷説」を唱えていれば、どんなにバカげた主張だと思っても、ウィキペディアは中立を保たざるを得ず、少なくとも「慰安婦=公娼説」を絶対的に正しいものとして編集する、というわけにはいかない・・・という事です。--C-nation会話2023年8月13日 (日) 08:35 (UTC)[返信]
ウイッキペディアは百科事典だから、中立的な観点からの両論併記は当然です。吉見義明氏の「従軍慰安婦」を指しているのなら、単なる引用でなく、是非彼の主張の根拠を示してこの記事(「慰安婦」)に書き加えて
ください。参考までに、原案の最初の部分を以下に示します。現在よりも、より中立的な記述と思います。立ち合いの出典は、「従軍慰安婦」p.14-16 (未確認)。
「慰安所(いあんじょ)は、占領地および戦闘地域に設置された帝国日本軍軍人および軍属用の売春宿である。帝国日本軍は、1932年以来、上海で邦人(帝国日本人:内地人、朝鮮人および台湾人)が経営する認可売春宿(日本の法律用語:貸座敷:かしざしき)を日本軍人および領事館警察官立ち合いの上定期的性病検査を行う条件の下に軍用に指定して利用した。1937年7月、日中戦争の勃発により戦線が拡大。帝国日本軍は慰安所規則を制定し、1938年以後、慰安所の設置・運営を監督し利用した。1941年12月、太平洋戦争が勃発。慰安所は、東南アジアおよび沖縄にも設置された。慰安所は認可売春宿と性奴隷施設との2つの主張があり、現在も論争が続いている。」
この後、「認可売春制度」「慰安所規則と憲兵隊記録」「性奴隷施設の主張」の概要を記述する。是非、「性奴隷施設の主張」の部分を書いてください。--Eyagi会話2023年8月14日 (月) 05:15 (UTC)[返信]
そもそも上海からして、占領地・戦闘地域であったのかとか、日本の陸海軍は別組織ではなかったのかとか、慰安所のルール作りは、現地レベルで行われたのではなかったのかとか、他にもいろいろありますが、とりあえず、いきなりまとめ(概略)を書くのではなく、下位から少しずつ編集していかれてはどうでしょう?
それから、慰安婦関連の記事はどこも公娼制度について延々と書き込まれる傾向がありますが、公娼制度については専門の場がありますので、ここでは必要最小限に留め、後はリンクを張って読者を誘導して頂きたいと思います。--C-nation会話2023年8月14日 (月) 09:11 (UTC)[返信]
訂正です。日本軍を含めた各国の軍隊と公娼制度の関わりについては、こちら(近代公娼制)の方が相応しいかと思います。藤目ゆきの言うところの「軍隊慰安と性病管理を機軸とした国家管理売春の体系」についてまとめられています。--C-nation会話2023年8月14日 (月) 19:41 (UTC)[返信]
コメント有難うございます。原案を基に具体的に議論した方が、議論が前に進みますね。
1 下位からの積み上げ編集
異論はありません。ただし、現時点で全体像(要約)をノートで議論しておくことは、本文に書き加えるべき情報を把握する上で有用です。スタイルマニュアルによると、「最初の行で記事名の定義、続いて最初の節が始まるまでに記事全体の要約が示された、それ自体がひとつの小さな百科事典の記事になるようにする」と書かれています。
2 リンクの活用
異論はありません。問題は、既存の記事がすべて抽象的かつ散漫なこと。これらからは、何一つ知りたい情報(朝鮮での公娼認可条件、雇用方法、実数など)は得られません。すでに指摘したように、現在の国際的な認識は、元朝鮮人慰安婦は本人の意思に反して強制や騙しで慰安所に連れてこられ、慰安所では連日肉体的性的暴力を受けた性奴隷であること。慰安所を理解するための最低必要な情報は、入れるべきと思います。
3 今後の議論の進め方
原案を内容ごとに提示して、議論の上で合意に導いては如何ですか? 最初は、「慰安所」の定義。多くの人が参加しやすいように、新しくノートに投稿します。--Eyagi会話2023年8月15日 (火) 01:57 (UTC)[返信]

「慰安所」の定義の見直し[編集]

1 問題点の所在(事実の認識)

・「慰安所」は、軍人・軍属用専用の売春宿(一般人の利用は例外的ービルマの例)だった。

・「慰安所」は、最初1932年に上海で設立され、邦人(実際には内地人と朝鮮人)が経営する貸座敷を、領事館警察官および日本軍立ち合いの下に定期的に健康診断(性病検査)を行うことを条件に、https://chuo-u.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=13921&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1 利用した]。

・ 慰安所規則が制定されたのは、1938年以降である。したがって、1932年から37年までは、軍は慰安所の経営には関与していなかった。

・ クマラスワミ報告書(パラ54、55)には、1937年以前に日本軍により強制連行あるいは騙して連れていかれて慰安所で肉体的性的暴行を受けたとの記載がある。上記の事実は、これらの証言が虚偽であることを示している。

・ 出典1はネット情報ではなく、ネット資料であるウイッキペディアには不適。

・ 自動翻訳(DeepL、Google)による英文表示:Comfort stations (ianjyo) are brothels in Japan (including the Korean region and Taiwan) that ~。主語が不明確なために、誤訳される。

2 変更案

「慰安所(いあんじょ)は、占領地および戦闘地域に設置された帝国日本軍軍人および軍属用の国内法に準拠した売春宿である」

・ 論点1: 軍政地域か占領地か。慰安所は沖縄にも設立された。第1次上海事件は、1932年1月28日に勃発。上海は占領地の一部との解釈は不適切か?

・ 論点2: 出典の引用は必要か? 導入部は、自己完結したミニ百科事典(要約)。したがって、「定義」の出典は導入部の中で引用すればよい。

--Eyagi会話2023年8月15日 (火) 04:47 (UTC)[返信]

ご存じとは思いますが、ウィキペディアは一次資料の使用を推奨しておらず、むしろ編集者が一次資料を解釈することを戒めています。よってこの場合、<慰安所とは国内の公娼制度の戦地版>とする秦郁彦と、国内の公娼に認められていた廃業の自由すらない<奴隷制度(国内法にも違反)>とする吉見義明という二人の代表的な論者の主張をまとめるということになるでしょう。個人的には、慰安婦を奴隷と呼ぶ感覚が日本人の常識にフィットするとは思いませんが、吉見氏の主張を支持する関係者も少なくない、というのも事実です。
頭書きは、少し前まで「慰安所(いあんじょ)とは、旧日本軍が公認した売春宿のこと」となっていましたが、下手に両論併記するより無難に書いた方がマシということです。--C-nation会話2023年8月16日 (水) 04:10 (UTC)[返信]
それから、大戦末期、内地(沖縄・小笠原を除く)にも慰安所が作られたという研究をどう考えておられるのか、ですね。木更津の六軒町とか。--C-nation会話2023年8月16日 (水) 04:29 (UTC)[返信]
具体的に、意見を述べていただけないでしょうか? 現在の記述でよいとの意見ですか? それとも、「国内法に準拠した」を削除すべきとの意見ですか? そうでないと、いつまでも意見が収束しません。後者の意見には異存ありません。「国内法に準拠した」は現在の記述を尊重して記述しました。
2次資料の重視は、理解しています。慰安婦問題には、政治も絡み様々な意見があり、資料は膨大です。形式論ではなく、執筆者はその主張が信頼性のある出典に基づいているか否かを判断して資料を選択し、記述すべきと思います。
wamの慰安所マップは、兵士と女性が利用または客は兵士だったと証言した貸座敷も慰安所と見なして作成。したがって、日本本土、朝鮮半島および台湾各地に慰安所があったと表示しています。兵士が利用した国内の貸座敷も慰安所との認識です。2次資料を用いるときは、その根拠をまず理解する必要があります。--Eyagi会話2023年8月16日 (水) 06:18 (UTC)[返信]
単刀直入に言うと、私はウィキペディアのルールに従う限り銘々が自由に編集すればよいと考えています。したがって、「出典は原則として1次資料」として合意を形成するというあなたの提案には同調しかねているわけです。なにより、一次資料重視は、ウィキペディアの方針に反しますからね。
Eyagiさんは、この記事を外国人向けのファクトチェック・サイトにしたいのではありませんか?英字版の状況に忸怩たる思いというのは、分かります。実は私も、外国人が読むかもしれないと思った時は、自動翻訳にかけても意味が通るよう文章を工夫しています。しかし、ウィキペディアはファクトチェック・サイトではありません。これを忘れてしまうと、いらん事まで書きたくなります。しかし、それでは記事として本来あるべき姿から外れてしまいます。
編集に関しては、私は本文を重視します。本文と冒頭の文章に齟齬があれば、指摘するか編集させてもらいます。--C-nation会話2023年8月16日 (水) 09:20 (UTC)[返信]
ウィキペディアは、信頼性かつ中立性のある百科事典を目指していると思います。確かにご指摘の通り、原則1次資料を出典すべきとの考えは不適切で、撤回します。現在はネット情報社会で、誰でも自由に他言語の資料を読むことができます。したがって、記事は自動翻訳によって誤解されない配慮が必要との指摘です。
木更津にも慰安所があったとする資料があるから、「占領地および戦闘地域」は削除すべきとのご意見ですか?--Eyagi会話2023年8月17日 (木) 02:38 (UTC)[返信]
どう書くかは結局のところ、出典(専門家)がどう説明しているかだと思います。--C-nation会話2023年8月17日 (木) 10:50 (UTC)[返信]

導入部:「定義」に続く説明の原案[編集]

以下は、定義に続く説明の原案です。


1932年1月、第1次上海事変が勃発。帝国日本軍は、上海で、内地人および朝鮮人が経営する認可売春宿(日本の法律用語:貸座敷:かしざしき)を日本軍人および領事館警察官立ち合いの下に定期的性病検査を行うことを条件として軍用に指定し、利用した。1937年7月、日中戦争が勃発し、戦線が拡大。帝国日本軍は慰安所規則を制定し、1938年以後、慰安所の設置と運営を監督し、これらを利用した。1941年12月、太平洋戦争が勃発し、慰安所は東南アジアおよび沖縄にも設置された。慰安所には、認可売春宿と性奴隷施設との2つの主張があり、現在も論争が続いている。--Eyagi会話2023年8月16日 (水) 08:25 (UTC)[返信]

「帝国日本軍は慰安所規則を制定し」とありますが、現地に駐屯する軍隊が自分の管理下にある慰安所の規則を決め、その規則の実物がいくつか現存しているという話であって、陸軍なり海軍(の中央)が「規則を制定した」ということはなかったのでは?(慰安所#規則)--C-nation会話2023年8月16日 (水) 10:51 (UTC)[返信]
例えば、「陸軍軍事警察月報」第4巻p.249に、北支那派遣軍憲兵隊司令官発行の報告書が掲載されています。この報告書には、軍法・刑法違反および非行(慰安所を含む)表が記載されており、その発送先は大本営、陸軍省、総軍などで、慰安所規則が軍部内部で共有されていたことは間違いありません。慰安所規則は、慰安所の設立と運営、利用に分類でき、前者は支那総軍で作成、利用規則は慰安所が設立された部隊の部隊長が作成。残存している資料からは、前者の代表例は馬来軍政監部発行の「軍政規定集第3号」(第3巻 p.21)、後者は数多くあり、内容は一致(慰安所の管理のため、経理、規律および衛生ごとに責任者を指名。利用者は、兵、下士官および将校の3区分にし、それぞれ利用時間、料金等を設定。慰安所内での飲食および暴力の厳禁、コンドーム使用の厳守など)しています。憲兵隊年報または月報が残っているのは、北支那方面軍と中支那派遣軍のみで、東南アジアではフィリッピンでのごく一部の非行表以外は見当たりません。
これら資料からは、慰安所での傷害や強姦などの刑法違反はなく、規則違反は飲酒酩酊により入所を断った受付やサービス不満による慰安婦への暴力や器物破損で、いずれも飲酒酩酊者によるもので、処罰(利用禁止、または営倉)されています。発生件数は月あたり0~3件程度(北支那、中支那軍の規模は十万人オーダー)。クマラスワミ報告書が、いかに根拠がない資料かが分かります。--Eyagi会話2023年8月17日 (木) 05:26 (UTC)[返信]
残念ですが、編集者には、一次資料を元に所見を述べるところまでは許されていないのです。
ちなみに、本文にもあるように、「陸軍経理学校では慰安所の経営についても講義があった」という事ですから、慰安所はどこも似たり寄ったりだったという事はありえるでしょうね。--C-nation会話2023年8月17日 (木) 09:47 (UTC)[返信]
編集者は中立的立場であり、所見を述べることができないことは理解します。私が1次資料と言っているのは、最初に説明したように、当時の法律・規則、警察や憲兵記録など、即ち政府・軍部などから発行された資料です。ウィキペディアには、「記事の出典には、信頼できる公刊された情報源を使用するべき」と書いてあり、一致します。
上記の記事を読めば分かるように、記事の出典は「信頼できる公刊された資料」であり、記事の内容は個人的な意見が入る余地はありません。編集者の立場からは、最終的には、1つの文章にまとめる必要があると思います。これからの議論によって、中立的でかつ信頼性のある百科事典になることを期待しています。--Eyagi会話2023年8月18日 (金) 05:52 (UTC)[返信]

導入部:認可売春制度の要約[編集]

1 事実の認識

目的:風紀・良俗の維持と性病感染防止。売春の稼業場所(貸座敷)は府県知事が指定する場所(遊郭)に限定された。認可売春婦は定期的な性病検査の義務が課せられ、その住所は貸座敷、遊郭からの外出は警察への届け出が必要だった。

認可売春婦の対象者:売春の業をするときは、「娼妓」の免許が必要。「芸妓」および「酌婦」も、娼妓の免許(2枚鑑札)を得ることで、認可された料理屋(「貸座敷」の構造要件を満たすこと、遊郭内にあること)で稼業することができた。芸妓・酌婦は、その収入だけでは生活困難で、実際は2枚鑑札者だった。料理屋では、宿泊は禁止された。

規則:娼妓、芸妓、酌婦、貸座敷、料理屋などの認可手続き、認可条件、雇用主および認可売春婦の遵守事項などが定められた。日本本土では娼妓(内務省)以外の規則は府県知事が定め、朝鮮および台湾では統一して制定された。朝鮮では、料理屋飲食店営業取締規則、芸妓酌婦芸妓置屋営業取締規則、貸座敷娼妓取締規則が制定され、料理屋、飲食店、芸妓、芸妓置屋、酌婦、娼妓、貸座敷の数、娼妓、酌婦および芸妓の性病検査数と感染率などが内地人・朝鮮人・その他別に、朝鮮総督府統計年報に記載されている。

募集:仲介業者(別称:ポン引き、女衒など)が行った。認可には、雇用者との契約書(雇用期間、前渡金、売り上げの取り分、雇用主の費用負担(食費代・部屋代は雇用主負担)、疾病時の費用負担など)の写しが必要で、契約時には同時に雇用主と連帯保証人との間で、前渡金に関する「金銭消費貸借証書」が結ばれた。規則では廃業の自由はあったが、現実には前渡金の返済は困難で、前渡金の返済が終わるまでは廃業はできなかった。

年齢制限:日本本土18歳、朝鮮17歳、台湾16歳の認可年齢の差は、各地の風習の差(既存の性サービス業の実態)を反映した結果。

女性の賃金:下女(食事・部屋付き)の月給は、1942年末時点で、内地人17.52円(7.00~25.00の平均)、朝鮮人11.07円(6.00~15.00の平均)。陸軍給与(月給)大将550円、少尉70円、二等兵6円。

募集新聞広告は、前渡金3,000円まで・月収300円以上だった。米軍捕虜尋問書No.49によれば、前渡金は”a few hundred yen”、” This meant that in an average month a girl would gross about fifteen hundred yen.”(雇用主と配分する前の総売り上げ)

道徳観:日本、朝鮮は家父長下にあり、「子は親に従う」が美徳だった。本人の意思は、親の意思であった。


2 変更原案 日本帝国(日本本土、朝鮮および台湾)は法治国家で、認可売春は合法だった。認可売春制度は、日本本土[1][2]では1900年に、台湾[3]では1906年 に、朝鮮[4]では1916年 に制定された。売春の業の認可を受けるためには、日本本土では18歳以上、朝鮮では17歳以上、台湾では16歳以上であること、本人が貸座敷を所管する警察署に出頭し、親権者の同意書および雇用主との契約書写しなどを添えて申請する必要があった。仲介業者は稼業を希望する本人または親権者と雇用主間を仲介して契約[5] を締結し、両者から手数料を得た。契約は前渡金方式[6]で、契約が成立すると前渡金は親権者に支払われた。認可売春婦(日本の法律用語:娼妓:しょうぎ)は、住所および稼業場所は貸座敷に限定され、定期的に性病検査を受ける義務があり、不合格の場合は稼業が禁じられた。雇用主は、毎月娼妓との貸借対照表を作成し、相互に認め印を押す義務があった。酌婦[7]および芸妓[8]も、娼妓の認可を受けることにより、料理店での性サービス稼業が認められた。この制度は、それぞれの社会で定着した。朝鮮半島では、1939年末時点で、貸座敷主は内地人235人、朝鮮人303人、料理屋主は内地人597人、朝鮮人1,154人、娼妓は内地人1,845人、朝鮮人1,866人、芸妓は内地人2,226人、朝鮮人6,122人、酌婦は内地人351人、朝鮮人1,145人、仲介業者は内地人197人、朝鮮人3,380人だった。[9]

  1. ^ 内務省 「娼妓取締規則」 https://dl.ndl.go.jp/pid/2948471
  2. ^ 警視庁 「貸座敷、引手茶屋、娼妓取締規則」https://dl.ndl.go.jp/pid/1337477/1/58 
  3. ^ 藤永壮「日本帝国」の支配地域における公娼制度と接客業の実態分析 https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-14510372/ 
  4. ^ 「貸座敷娼妓取締規則」https://dl.ndl.go.jp/pid/2948471, https://dl.ndl.go.jp/pid/2958871/1/2
  5. ^ 馬来軍政部「軍政規定集」「(別冊)芸妓、酌婦雇用契約規則」https://www.awf.or.jp/pdf/0051_3.pdf, p.36
  6. ^ ラムザイヤー, マーク; 曽野, 裕夫//訳 「芸娼妓契約 -性産業における「信じられるコミットメント (credible commitments)」」https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/15533/1/44(3)_p206-160.pdf
  7. ^ (日本の法律用語:しゃくふ:宴席で客に酒を酌し対価を得る女性:日本帝国外では、娼妓を酌婦と呼んだ)
  8. ^ (日本の法律用語:宴席で客に古典の歌や踊りを披露し対価をえる女性)
  9. ^ 「朝鮮総督府統計年報 昭和14年」 https://dl.ndl.go.jp/pid/1452398/1/3

出典7,8は、注釈とすべきもの。--Eyagi会話2023年8月18日 (金) 06:10 (UTC)[返信]

導入部:慰安所の設置・運営・利用と憲兵隊記録要旨[編集]

1 事実の認識

目的:将兵の殺伐とした気風を緩和し軍規を確立のため、即ち戦地での強姦と性病感染防止ならびに防諜。

設置時期:1937年9月、陸軍は「野戦酒保規程」を改定し、「必要ある慰安施設をなすことを得る」と追記。12月在上海総領事館警察署は、関係機関と協議の結果、施設の前線各地に軍慰安所(事実上の貸座敷)を設置することを決定。

設置のための組織分担:領事館:営業申請者への諾否の決定、慰安婦の身元と稼業に対する一般契約手続き、渡航上の便宜取り計らい、営業主および慰安婦の身元その他の問い合わせに関し関係諸官署間の照会および回答、手続きを容易にするため「臨時酌婦営業許可願い」、「酌婦稼業承諾書」および「酌婦に対する調査書」の様式作成など。憲兵隊:領事館より引き継いだ営業主および慰安婦の稼業場所までの輸送、営業者および稼業婦の保護および取締り。武官室:就業場所および家屋等の準備、一般保険および性病検査

慰安所規則の制定:慰安所は、日本帝国外に設置された日本帝国軍軍人・軍属用の貸座敷であり、日本帝国の貸座敷および娼妓取締規則が適用された。現存する資料では、馬来軍政監部軍政規定集「特殊慰安所(慰安所)」規則がこれに該当する。慰安所の利用にあたっては、慰安所が設置された部隊ごとに利用規則が定められた。現存する利用規則は、中国7、フリッピン6、ビルマ1、オーストラリア・ニューブリテン島1、英領アマダン諸島1の16か所である。

慰安婦雇用年齢制限:内地人の娼妓取締規則の年齢制限は18歳であった。1927年に日本帝国(台湾、朝鮮および関東租借地は除く)は「婦人及児童の売買禁止に関する国際条約」に署名していたため、1938年2月、内務省は中国へ渡航する内地人慰安婦の年齢制限は21歳と通達した。中国には数多くの私娼があり売春は野放しであったため、日本軍は占領地でこれを取り締まる規則を制定し、中国人の認可売春婦(娼女)の年齢も台湾人と同様に16歳とした。したがって、慰安婦の年齢は、内地人21歳以上、朝鮮人17歳以上、台湾および中国人16歳以上であった。東南アジア各国にも多くの私娼ががあった。マニラ地区慰安所規則では、未成年者の芸妓および酌婦(実際は娼妓)の雇用を禁じ、メイドはこの限りではないとし、未成年のこれら女性を雇用するときは責任者の許可が必要と定めている。馬来政監部「慰安施設及旅館営業取締規則」第7条「慰安施設の経営者は邦人に限定することを本則とするも従業員は為しえる限り現地人を活用し、邦人の使用は必要最小限にとどめるものとする」と規定。東南アジアでは、できるだけ現地人を雇用した。

慰安所の設置・運営: 国内法に準拠。

・慰安所の利用:監督・実施責任者の指名:総括責任者は部隊長、経営監督責任者は主計将校、規律責任者は憲兵隊長、衛生責任者は部隊付き軍医で、部隊長が指名。営業時間・休日は一律ではなく、部隊ごとに異なる 利用時間・料金・支払い方法:一律に兵・下士官・将校の3区分に分け、それぞれ利用時間帯および料金を設定。宿泊は将校のみ。料金は一部の地域では、内地人・朝鮮人・中国人・比人別に定められた。料金支払いは、受付での現金支払いとチケット(部隊で事前に購入)。慰安婦への支払いは慰安所営業者。経営監督者は、毎週または毎月営業者から売上高・支出明細・慰安婦との貸借対照表などの提出を求め、チケット代金を支払うともに営業者の慰安婦への支払いと経営状況を監督した。チケットの販売目安は、慰安婦一人当たり、兵2枚、下士官1枚、将校1枚の割り当てだった。

営業者・慰安婦・利用者の遵守事項:営業者:日本軍以外の接客禁止、営業時間の厳守、料金および利用時間の明示、酒肴・飲食物の販売禁止、健康診断不合格の場合は稼業禁止、性交後の洗浄設備および洗浄薬品の維持、毎週または毎月収支計算書等の報告、その他。規則に違反したときは営業停止また営業許可取り消し。慰安婦:稼業許可証と健康診断書の携帯、酒・飲食物の接待禁止、定期健康診断の受診、健康診断不合格の場合は稼業禁止、許可された場所以外への外出は禁止、その他。規則に違反した場合は稼業禁止または解雇。利用者:酒気帯び者は立入禁止、酒・飲食物の持ち込み禁止、利用時間の厳守、営業者・慰安婦・その他従業員への粗暴な行為禁止、コンドームの着用および局部の洗浄、その他。違反者は利用禁止。

慰安所での軍規・刑法違反および非行行為:北支那方面軍および中支那派遣軍を所管する憲兵隊報告書によれば、慰安所での犯罪は、軍法・刑法違反(傷害・強姦・殺人など)はなく、飲酒酩酊による受付・慰安婦への殴打または器物損傷などの非行行為で、その件数は月当たり0~5件だった。

慰安所の数と設置場所:wamは日本軍慰安所マップを作成しているが、その根拠は兵士(売春宿を利用した)と元慰安婦と自称する女性の証言(日本兵を接客した)を基にしている。即ち、日本帝国内外にあった売春宿も慰安所とみなし作成したもの。証言には、その信ぴょう性を裏付ける文書証拠が必要。日本帝国内では沖縄以外は戦地ではなく、慰安所を設置する理由がない。

慰安所営業者:米軍捕虜尋問書No.49記載の日本人営業者は、日本人名前の朝鮮人だった。中国には、朝鮮人が経営する慰安所が数多くあり、言葉の問題から朝鮮人慰安婦の雇用者は朝鮮人だった。

2 改定原案

1937年9月、陸軍は「野戦酒保規程」を改定し、必要な慰安所の設置を追記[1]。同年12月、上海総領事館警察署は「貸座敷」を設置することを決定[2]。以後、日本軍は慰安所規則を制定して慰安所の設立・運営を監督し、慰安所を利用した。治安の安定に伴い、中国へ渡航する貸座敷業者や性稼業を目的とする婦女が増加。1938年2月、内務省は1927年に日本帝国(朝鮮・台湾を除く)が21歳未満の売春を禁じた「売春に関する国際条約」に署名していることから、中国への性稼業を目的とした渡航者は21歳以上と通達した[3]。したがって、慰安婦の年齢は、内地人21歳、朝鮮人17歳、台湾人(中国人も同様)16歳以上だった。 慰安所規則[4]は慰安所の設置・運営と利用に大別される。前者は貸座敷娼妓取締規則に従い、慰安所営業者の遵守事項、慰安婦の雇用契約条件などを定め、後者は慰安所の経営、規律および衛生事項を監督する責任者の指名、利用時間と料金、利用者および慰安婦の遵守事項などを規定した。利用者は慰安所内での飲酒および暴力を禁止、コンドームを着用することなどが定められた。慰安婦は稼業許可証および健康診断書を携帯、定期的に健康診断を受診、健康診断不合格の場合は稼業が禁止された。利用者による慰安婦への傷害・強姦・殺人は刑法違反であり、刑事罰が科せられる。慰安所規則に違反した利用者は慰安所の利用を禁止され、処罰された。規則に違反した慰安婦は、稼業の一時停止または解雇された。 北支那方面軍[5]および中支那派遣軍[6]の軍事警察報告書によれば、慰安所において、慰安婦への傷害・強姦・殺人の報告はなく、主な軍規則違反は飲酒酩酊による受付や慰安婦への殴打または器物破損などだった。中支那派遣軍の場合、慰安婦への非行件数は、月当たり数件以内だった。


[1] 陸達第48号「野戦酒保規程改定に関する件」https://dl.ndl.go.jp/pid/2959709/1/10

[2] 在上海総領事館警察署「皇軍兵士慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件」https://www.awf.or.jp/pdf/0051_1.pdf, p.36 

[3] 内務省警保局長「支那渡航婦女ノ取扱二関スル件」 https://www.awf.or.jp/pdf/0051_1.pdf, p.69

[4] Collection of Imperial Japanese Military Comfort Station Regulation, https://wikisource.org/wiki/Collection_of_Imperial_Japanese_Military_Comfort_Station_Regulation#Regulations_for_Governing_the_Operation_of_Comfort_Station

[5] 北支那派遣軍憲兵隊司令部「陸軍軍事警察月報」(1945年8月4日)https://awf.or.jp/pdf/0051_4.pdf, p.247

[6] Table2,  https://wikisource.org/wiki/Collection_of_Imperial_Japanese_Military_Comfort_Station_Regulation#A.2_Central_China_Expeditionary_Army--Eyagi会話2023年8月19日 (土) 08:46 (UTC)[返信]

導入部:性奴隷施設の主張と反論要旨[編集]

1. 事実の認識

経緯:戦後日本では米軍、朝鮮では国連軍用の売春宿が作られ、国内外共に戦前の日本軍慰安婦には全く関心がなかった(No.49: A "comfort girl" is nothing more than a prostitute or "professional camp follower" attached to the Japanese Army for the benefit of the soldiers.)。1983年、吉田清治が済州島で朝鮮人女性を強制連行したとの体験記「私の戦争犯罪」を出版。1989年、韓国語版が出版。以後、朝鮮人女性が日本軍または官憲により強制連行されて慰安婦にされたとの論調が日本および韓国内に広がった。1991年8月、金学順が元慰安婦と名乗り出て、12月他の2名の元慰安婦および32名の元韓国人軍人軍属と共に、日本政府に謝罪と賠償を求めて東京地裁に提訴。1996年、国連人権委員会特別報告者ラディカ・クマラスワミは、「約20万人の朝鮮人女性が、本人の意思に反して日本軍および官憲により強制的または騙して慰安所へ連行され、慰安所では連日日本兵から肉体的性的暴力を受けた。慰安婦は性奴隷で、慰安所は性奴隷施設」と報告。1998年、同じくゲイ. J. マクドウーガルは、「慰安所はレイプセンター」、東南アジア人慰安婦も同様に性奴隷と報告。以後国際的に、「慰安婦は性奴隷、慰安所は性奴隷施設」との認識が広がった。2007年7月、米下院は、「慰安婦問題」について日本政府が歴史的責任を認め、公式に謝罪するよう求める決議を採択。

性奴隷主張の根拠:国連報告書は、「慰安婦は、本人の意思に反して強制的にまたは騙されて慰安所へ連行され、日本軍により暴力を用いて売春を強制された」。吉見義明は、「居住の自由、移動の自由、性交を断る自由、廃業する自由がない」こと、即ち、当時の認可売春制度自体が性奴隷制度と主張し、両者の主張内容は異なる。吉見は吉田清治著書はフィクションであることを認め、騙して連行(その証拠はNo.49。The nature of this "service" was not specified but it was assumed to be work connected with visiting the wounded in hospitals, rolling bandages, and generally making the soldiers happy. The inducement used by these agents was plenty of money, an opportunity to pay off the family debts, easy work, and the prospect of a new life in a new land, Singapore.)したのは広義の強制連行と主張を変更。No.49は、アジア女性基金報告書でも慰安婦を騙して雇用した証拠として引用。高額な雇用条件から世間常識としてありえず、事実とするなら親が子供を騙した。前渡金を受け取ったのは親。吉見の主張は、慰安所は日本軍が管理していたので、ポン引きの犯罪であっても最終的に日本軍の責任との考え。

論点:性奴隷と主張する根拠(証言、引用した文書証拠)が事実か否か。

2. 改定原案

1996年、国連人権委員会特別報告者ラディカ・クマラスワミは、「朝鮮人慰安婦は性奴隷で、慰安所は性奴隷施設」と報告。主張の根拠は、15人の元慰安婦の証言(パラ54-58)、北朝鮮政府の主張(パラ69)、G.Hicks著書(1995)、吉田清治著書(1983)および慰安所規則である。1998年、同じくゲイ. J. マクドウーガルは、慰安所はレイプセンターとし、東南アジア人慰安婦も性奴隷と主張した。2007年7月、米国議会下院は、日本政府が慰安婦を性奴隷にしたことを認め、公式に謝罪するよう要求[1]。その根拠[2]は、オランダ人1名および韓国人2名の証言、日本人捕虜尋問調書 No.49、吉田清治著書およびYuki. Tanaka著書で、慰安婦の大多数は朝鮮人との根拠に、河野談話を引用した。

この問題の論点は、慰安婦は性奴隷と主張している証言および引用した文書証拠が事実か否である。証言内容はすべて、当時の刑法(傷害、強姦、殺人、略取誘拐など)、認可売春制度関連規則および慰安所規則に違反し、オランダ女性の件を除き、これらを裏付ける証拠は見当たらない。オランダ女性の件[3]は軍規違反であり、違反を知った日本軍上官により慰安所は閉鎖された。吉田清治著書はフィクションであり、北朝鮮政府の主張、G. HicksおよびYuki Tanaka著書は、内容を裏付ける証拠が示されていない。河野談話は、「日本人を別にすれば、朝鮮人が大多数」と述べており、誤引用である。東南アジアでは、日本軍による強制売春や強姦犯罪関係者は、戦後裁判により処罰された。米国政府は慰安婦問題を受け、当時の資料を徹底的に調査したが、新たな資料は見つからなかった[4]。日本軍が慰安所の運営に関与したのは1938年以降であり、慰安所規則と憲兵隊記録は、元慰安婦の証言が事実ではないことを証明している。


[1]H.Res.121,  https://www.congress.gov/bill/110th-congress/house-resolution/121

[2] Larry Nickcsh,  Japanese Military's "Comfort Women" System , https://en.wikisource.org/wiki/Japanese_Military%27s_%22Comfort_Women%22_System

[3] Bart van Poelgeest, Report of a Study of Dutch Government Documents on the Forced

Prostitution of Dutch Women in the Dutch East Indies during the Japanese Occupation,

https://www.awf.or.jp/pdf/0205.pdf

[4] IRG, Final Report of the Nazi War Crimes and Japanese Imperial Government Records Interagency Working Group, https://www.archives.gov/iwg/reports/final-report-2007.html


以上が、導入部改定の原案です。記載内容の間違いの有無、記述のより読み易くかつ簡潔な表現への修正、出典の選択、削除または加筆箇所、より中立的な記述など、皆さんのコメントをお願いいたします。この原案は記述内容の出典をすべて記載し、出典はすべて「信頼できる公刊された情報源」に基づいています。


--Eyagi会話2023年8月20日 (日) 08:38 (UTC)[返信]

C-Nationさん、誰からもコメントがありませんが、原案(一部修正)は投稿してもよろしいでしょうか?
「規則」記事と投稿原稿を比較すると分かるように、現在の記事は間違いがあります。誰が訂正するのでしょうか?
ページへの投稿内容は、導入部に引用した出典に基づくより詳しい説明で、導入部の記事と矛盾する内容はありません。
以上、コメントお願いします。--Eyagi会話2023年8月23日 (水) 05:47 (UTC)[返信]

導入部の一部書き換え[編集]

既存記事の最初の一部を削除し、代わりに新しい記事を書き加えました。記事に間違い、不適切な記述、出典の不足などがあれば、ご指摘ください。出典(5)は、ネットで引用可能な情報が見つからず、それに代わる資料を用いました。どなたか引用可能な情報をお持ちでしたら、差し替えてください。

削除しなかった既存の記事は、文脈がなく、新しく書き加えた記事とかなり重複しています。今後読者に分かり易いよう、導入部全体の見直しが必要と思います。どのような手順で書き換えができるのか分からなかったので、そのままにしました。--Eyagi会話2023年8月28日 (月) 00:59 (UTC)[返信]

導入部記述の重複部分削除と「慰安所規則」とのリンク[編集]

前のノートで、導入部(要約部)の記述が重複しているので、書き換えが必要ではないかと提案しましたが、誰からもコメントがないので、重複していると思う部分を削除しました。

「慰安所規則」の部分の加筆を考えましたが、うまく編集できないので、新たに「慰安所規則」を作り、リンクさせました。

「慰安所」に記述されている内容と重複する部分があると思いますが、矛盾はないと考えています。内容に誤りがあれば、教えてください。--Eyagi会話2023年9月13日 (水) 07:33 (UTC)[返信]

「慰安所」と「慰安所規則」との統合[編集]

Coblox様が、「慰安所」と「慰安所規則」記事が重複した部分を調整して、「慰安所」を再編集されました。この機会に、両者を統合することを提案します。「慰安所規則:ノート」で説明したように、ウイッキペディアでは、この「慰安所」が実質的に唯一の記事で、国際認識は「慰安所はレイプセンター」です。改定後の「慰安所」の目次案を下記に示します。改定する際の編集方針は、以下の通り提案します。

1 ウイッキペディアはネット百科事典なので、ネットで閲覧可能な出典をできるだけ引用する。

2 説明は、単なる著書、体験記、マスコミ資料などの引用ではなく、その根拠を把握したのち根拠を基に行うこととし、裏付けとなる数値を引用する(参考:「日本の慰安所問題」の表1)。

3 論争(性奴隷か認可売春婦か)に関連がないような事項、例えば「名称」などは簡単な記述にとどめる。

4 「導入部」は、本文やリンクを読まなくても全容が理解できる説明とする。

目次(案)
(導入部):小さな百科事典:記事全体の要約
背景

設立に至る経緯
日本の認可売春制度(「慰安所規則と同じ)

名称
目的
種類
設置場所
慰安所規則(「慰安所規則」と同じ)

設置および運営
利用

規則違反
運営状況

経営
生活
警護

慰安所および慰安婦に関する論争(「慰安所規則」と同じ)
慰安婦性奴隷主張の矛盾と疑問(「慰安所規則」と同じ)

目次は4項目まで分類できますが、上記は2項目までです。 以上について、ご意見ください。--Eyagi会話2024年1月27日 (土) 08:29 (UTC)[返信]

「導入部」の内容:「小さな百科事典」の合意
Wikipedia:スタイルマニュアルは、以下のように定めています。
  • 記事の冒頭の文章には、項目名、読み仮名(ふりがな)、定義を記述します。定義に続いて、最初の節が始まるまでに記事全体の要約が示された、それ自体ひとつの小さな百科事典の記事となるようにします。
導入部の記事内容については、2023年8月11日以降に議論済みで、「小さな百科事典」に書き換えられました。現在の記事(概略を含む)は1年前の記事に基づいて再び書き換えたとのことですが、その内容は編集方針を満たしていません。また、概略の項建ては不要です。同じ繰り返しを起こさないよう、まず、この合意が必要です。 --Eyagi会話2024年1月28日 (日) 06:55 (UTC)[返信]

編集方針の合意形成と削除への反論[編集]

現在、この記事は加筆、削除および差戻しが、「ノート」での議論もなく繰り返され、Wikipedia:編集合戦の一歩手前です。これを防止するためには、「編集方針の合意」が必要です。先に「導入部」の合意につて提案し、本文の書き換えの「編集方針」も提示しました。今後、加筆への削除、差戻しをする場合は、まず「ノート」でその可否を議論してください。C-nationさんによる削除と差戻しへの反論は、以下の通りです。

1.基本認識

・慰安所は公娼宿と性奴隷施設の意見があり、国際認識は後者。慰安所および慰安婦に関する公的な1次資料はすべて日本語。2次資料は、1次資料(根拠)に基づき作成

・慰安婦は性奴隷、慰安所は性奴隷施設との主張内容は、クマラスワミ報告書の「朝鮮人女性約20万人が本人の意志に反して強制的または騙して徴集され、慰安所では連日肉体的性的暴力を受けた」。日本語版は、これに答える内容が必要

2. 2次資料引用による記事は、その根拠を基に執筆すること

両者は、著書、マスコミ資料などでそれぞれの意見を主張。したがって、これらの資料を引用する場合は、何を根拠に主張しているかを理解した上で、その根拠を基に執筆すべき。

3. 独自研究との判断根拠の誤解

「独自研究」とは、検証性のない記事。削除した記事は、すべて「出典」を明記している。2次資料出典以外の記事は「独自研究」との判断は、誤解です。

4. 記事は論理性が必要

記事全容は目次が示し、論理性のある目次が必要です。

2月11日現在の記事への反論

  1. 「導入部」は、ウイッキペディアの編集方針:小さな百科事典の要件を満たしていない。
  2.  慰安婦問題の対象は朝鮮人女性であり、読者にとって朝鮮での慰安婦制度の説明は不可欠。「大日本帝国の認可売春制度」の項は、リンク(内容が散漫)と共にこの制度の要点を説明すべき。なお「娼妓取締規則」は日本本土の規則であり、貸座敷業者の規則は含まず、朝鮮での規則を基に説明すべき。契約書の有無は、慰安婦問題の大きな論点である。
  3. 「慰安所の種類」は内容が不正確(軍直営:兵站経営、カフェー・バーなど売春を兼業:不法でありそのような資料は存在しない)で、根拠不明な題名とは関係のない説明。
  4. 「歴史」「慰安所の経営者」は論理性がなく、「慰安婦」は内容が不在(リンク内容は膨大で、内容の理解は困難)。
  5. 「慰安所」と「慰安婦」の論争は、表裏一体。この記事を削除すると、国際認識に何も答えていない
  6. 「その他の慰安所」は慰安所の目的とは無関係な記事で、削除すべき

--Eyagi会話2024年2月12日 (月) 08:29 (UTC)[返信]

ここに来るようにというメッセージを頂いたので、顔を出しましたが、あなたとは既に話合いはしてますよね?あの時、いくつかの点で同意(合意)して頂いたと思ったのですが、その後のあなたのやり方を見ていると、これ以上の議論は無駄ではないかと思います。私は言うべきことは言いましたので、同じことを繰り返したくありません。--C-nation会話2024年2月13日 (火) 22:45 (UTC)[返信]
お互いに合意した内容は、8月17日の「ノート」ですね。再び一次資料引用に固執したのは、私の間違いでした。お詫びします。ただお互いに、「記事は事実に基づき書く」ことには異存がないと思います。ウイッキペディアは、「信頼できる情報源に基づいた、検証可能な内容」を記述するよう求めています。私が引用している政府や軍の資料(一次資料)は、信頼できる情報源ではないとのお考えですか? 今後加筆・削除の繰り返しを避けるために、このノートの場で、現在の記事で意見が異なる箇所について、その内容が事実か否かの議論をしては如何ですか? ほかに編集合戦を避ける方法があれば教えてください。--Eyagi会話2024年2月14日 (水) 00:03 (UTC)[返信]
あなたが、ウィキペディアを国際広報戦のツールと考えている限り、編集合戦は避けられないと思います。その事が本来のウィキペディアの姿を歪めていますから。--C-nation会話2024年2月15日 (木) 03:22 (UTC)[返信]
何度も繰り返していますが、2次資料の抜粋を書き並べるのではなく、根拠に基づいた事実を書くべきだと主張しているのです。あなたは、8月17日の「ノート」で、「<慰安所とは国内の公娼制度の戦地版>とする秦郁彦と、国内の公娼に認められていた廃業の自由すらない<奴隷制度(国内法にも違反)>とする吉見義明という二人の代表的な論者の主張をまとめるということになるでしょう」と述べています。何故、吉見義明の主張を記事にしないのですか?
編集者と自認するあなたが、「ノート」の場があるにも関わらず、理由の説明もなく一方的に記事を削除するのは、ウイキペディアの方針に違反していると思います。ぜひ「ノート」の場で、あなたの意見を説明してください。昨年8月以降の投稿実績を見ると、この記事の編集に関与しているのは、実質的にCobloxさんを入れて3人だけ。Colboxさんは、第3者の立場で記事を読み、重複部分を削除し、分かり易く書き直したのだと思います。導入部の削除とリンクの多用を除けば、異論はありません。結局編集合戦は、C-nationさんと私の間です。意見の対立がある項目順に編集合戦をし、どうしても合意ができない部分があれば両論を併記しては如何ですか?--Eyagi会話2024年2月16日 (金) 05:40 (UTC)[返信]
編集者には一次資料を元に所見を述べるところまでは許されていないと、8月17日に申し上げた通りです。
解釈を含む主張や分析、総合的判断を含む主張は、いずれも二次資料を出典とすべきであり、それらの記述に際して一次資料をウィキペディアンが独自に分析してはなりませんWP:PSTS)」。あなたや私の”意見”は、ウィキペディアにおいてはノイズでしかないのです。つまり、除去されます。
案の定、ループになっていますので、この辺でよろしいですね?--C-nation会話2024年2月16日 (金) 16:53 (UTC)[返信]
意見が合わない場合、正当な答えがないと繰り返が起こるのは当然です。ウイッキペディアには、続いて、「ウィキペディアにおいて一次資料を使用してよいのは、事実について率直な記述を行う場合のみであり、特殊な知識を持たない、普通の教育を受けた人が、その資料を参照して検証できる場合に限られます。」と書いてあり、出典を読むと誰でも理解できると思っていましたが。簡単に言えば、「「慰安所」は、戦場となった沖縄・父島を除き、日本軍が進出した施政権の及ばない地域に設置された日本軍用の貸座敷」です。
いずれにしても、Cobloxさんが削除した重複した記事を議論もなくすべて復元したり、既存の記事を一方的に他のサイトへ移したり、書き換えたりするのは、中立的と標榜するウイッキペディアンとしてはやりすぎだと思います。今までの会話からは、C-nationさんとこれ以上議論をしても得るものはないので、「ノート」に理由を書いて、C-nationさんが編集替えをした部分を再編集します。再度編集替えするときは、「ノート」にその理由を書いてください。それは中立的であるべきウイッキペディアンの務めだと思っています。--Eyagi会話2024年2月17日 (土) 07:43 (UTC)[返信]

導入部:「小さな百科事典」に再編集[編集]

Wikipedia:スタイルマニュアルは、「記事の冒頭の文章には、項目名、読み仮名(ふりがな)、定義を記述します。定義に続いて、最初の節が始まるまでに記事全体の要約が示された、それ自体ひとつの小さな百科事典の記事となるようにします」と定めています。

Wikipediaは、執筆者のための雑記帳ではありません。読者の目線からの編集が必要です。現在の記事は、記事全体(背景、名称、目的、設置場所と数、慰安所規則、慰安所および慰安婦に関する論争など)の要約ではなく、Wikipediaの編集方針を満たしていません。読者は、「導入部」を読むだけで、表題の全容を知ることを求めています。

--Eyagi会話2024年2月19日 (月) 04:46 (UTC)[返信]

「背景」:「日本軍と遊郭の関係」追加および「大日本帝国の認可売春制度」の差し戻し[編集]

この記事は、「慰安所」を理解する上で必須な基礎情報。慰安婦問題(性奴隷か認可売春婦かの論争)の主要な論点は、契約の有無。慰安婦雇用の法的手続きとその内容、契約方法とその内容、雇用主に課せられる義務、関係者の実数などを知ることは、後の記事内容を理解するために不可欠です。

この記事内容は、「貸座敷娼妓取締規則」、「芸妓酌婦芸妓置屋取締規則」および関連する統計資料を、読者に分かり易いよう要約したもの。この記事を他のサイトに移すことは、読者の視点を無視しています。このような基礎情報なしに、「慰安所」記事が執筆・編集されてきたことは理解し難く、編集に携わる人はその分野の専門知識が必要です。--Eyagi会話2024年2月19日 (月) 05:42 (UTC)[返信]

慰安所の種類:正確な記事に書き直し(差し戻し)[編集]

吉見義明および秦郁彦著書を引用した記事は不正確で、軍発行資料に基づき書き直す必要があります。

1. 軍直営の慰安所

[[大日本帝国陸軍]]の編成は、総軍(軍団)総軍方面軍師団集団旅団およびそれらを構成する連隊(聯隊)や大隊からなり、軍は部隊の集合体である。軍資料に、軍単位で慰安所を直営したとする資料は存在しない。波集団(第23軍)司令部資料では、「軍において統制するもの約850名、各部隊郷里より呼び寄せたるもの約150名と推定す」と記述。正確には、「軍」は「部隊」とすべき。

2. 軍が監督・統制する軍専用の慰安所(特定の部隊専属のものと、軍が指定したものとに分けられる)

 ()付き説明は意味不明で不要

3.  一定期間軍が兵員用に指定した民間の売春宿(民間人も利用)

この説明も意味不明。具体的に、どこの慰安所を指すのか説明が必要。慰安所の民間人利用は例外的措置であり、軍の利用は信頼性のある性病検査の実施が絶対条件である。3は上海の事例で、軍・領事館警察立ち合いの性病検査実施を条件に指定した民間の売春宿と書くべき。

4.  民間の売春宿

具体的には、海軍が指定した釧路の貸座敷。陸軍が指定したとの史料は見当たらない。

5.   料理屋、カフェー、バーなど売春を兼業した施設

表2に示すように、カフェー・バーの女給は定期性病検査の対象者ではなく、軍が利用することはあり得ない。カフェー、バーなど売春を兼業した施設は削除

ここでの説明は、この5種類の慰安所がどこにあったかを記述すべきで、表題と関係なく、かつ根拠不明な現在の記事は削除すべき。--Eyagi会話2024年2月19日 (月) 06:30 (UTC)[返信]

歴史:再編集[編集]

前史・軍と遊郭

この記事の趣旨は、陸軍の駐屯地や海軍基地周辺には、軍関係者を顧客にした遊郭が作られたこと。この説明は「背景」に移し、1行程度の記事にとどめ、細かい説明は内容が散漫で削除。

慰安所の誕生、本格設置の始まり

「背景、設置に至る経緯」と重複し、削除。

--Eyagi会話2024年2月19日 (月) 07:30 (UTC)[返信]

慰安所の経営者:再編集[編集]

「慰安所規則:慰安所営業者の資格」と重複。記述内容は散漫で、体験談が主な内容。「経営:損益管理」で説明されているように、軍が関与した慰安所では毎月損益をチェックし、ぼろ儲けができない仕組みだった。削除。

問題業者

何を主張したいのか意味不明で、削除。取締基準などは、他の場所に記述済み。

組合

組合の設立は貸座敷娼妓取締規則に記載されており、いろいろな資料を引用して書くほど重要な内容ではない。他の場所で簡単に記述。

慰安所管理人の日記

この日記に基づく主張は、日記を発掘した安秉直は「性奴隷状態」、崔吉城は事業の一つと異なる。後者の主張のみ引用するのは不公平で、この項は削除し出典の一つとして利用するのが妥当。したがって、この項は削除。

軍直営の慰安所

「慰安所の種類」と重複し、削除。秦引用の記事は間違い。「慰安所管理人の日記」には、朝鮮人経営の慰安所が兵站管理に移管されたことが記述されている。ここに例示している例は、いずれも部隊による経営で、軍直営ではない。--Eyagi会話2024年2月19日 (月) 07:45 (UTC)[返信]

従業員、慰安所と軍の関係:再編集[編集]

従業員は、「運営状況 経営」の項に移し、簡潔に記述。

慰安所と軍の関係は「慰安所規則」と重複し、削除。--Eyagi会話2024年2月19日 (月) 07:59 (UTC)[返信]

慰安所規則:再編集[編集]

秦著書引用の記事は間違い。「利用」を参照。この項は慰安所規則を説明する場所であり、国連報告書を引用して議論するのは場違いで削除

規則制定者

利用規則の制定者が部隊長であったことは、数多くある利用規則を読めば明瞭。吉見義明以下の記事は、この項とは関係がなくすべて削除

娼妓取締規則:設置および運営に戻す

この項建ては論理性がなく、書き加えた内容も間違いです。慰安所規則は、規則制定者が異なる設置・運用と利用に大別し、以下この項別にしたがって記述すべき。娼妓取締規則は日本本土の規則であり、貸座敷取締規則を含んでいない。日本本土では貸座敷規則の制定者は府県知事。慰安婦および利用者(軍人軍属)共に大日本帝国国民。C-nationさんが慰安所規則は大日本帝国法令の下に作成されていないと主張するなら、その根拠を示すべき

(貸座敷娼妓取締規則については、「娼妓取締規則」を参照のこと。)は、削除。C-nationさんが削除した内容は、娼妓取締規則には書いてありません。削除した記事は戻します。--Eyagi会話2024年2月19日 (月) 08:04 (UTC)[返信]

その他の慰安所:設置目的外の施設で削除すべき[編集]

その他の慰安所は、軍用の慰安所とは目的が違い場違いです。「慰安所は日本軍用の売春宿」との認識が国際的に定着しており、これ以外の記事は別の表題で記述すべき。--Eyagi会話2024年2月20日 (火) 23:06 (UTC)[返信]

「進駐軍の慰安所」「産業慰安所」について元に戻す[編集]

もともとこの記事には、日本を含めドイツやフランスなど各国の慰安所について解説されていました。それを日本関連の情報と、日本以外の「軍用売春宿」とに記事を分割したという経緯があります。ですから、「産業慰安所」や「進駐軍の慰安所」を新たに別の記事として独立させるのは結構です(なお「特殊慰安施設協会」と進駐軍の慰安所はイコールではないので、ご注意下さい)。しかし、丸ごと削除するというような乱暴はお止め下さい。--C-nation会話2024年2月23日 (金) 07:52 (UTC)[返信]

「慰安所」の設置目的と全く違う記事を、わざわざ書き加える理由が理解できません。読者の立場で判断してください。繰り返しますが、「慰安所は日本軍用の売春宿」が国際認識です。現在は言語間の壁はなく、記事は国際的な観点か執筆すべきと思います。--Eyagi会話2024年2月25日 (日) 23:15 (UTC)[返信]

「慰安所の種類」 吉見・秦・ソー説に差し戻す。[編集]

「不正確」との理由で「軍発行資料に基づき書き直す必要がある」として書き替えられていたものですが、Eyagi氏は、まず自分の見解を、適切な場に発表してから、ウィキペディアに書くべきです。秦・吉見とEyagi氏のどちらが正しいにしろ、少なくとも現段階では、Eyagi氏の研究はウィキペディアでは有効と見なされません。

軍が把握していない慰安所の存在を指摘した秦とソーの見解を削除した件についても、差し戻させてもらいました。日米の代表的な研究者が揃って指摘する内容が、削除される理由はありません。軍の上層部が把握していなかった慰安所の存在は、なぜEyagi氏の一次資料至上主義がダメなのかも教えてくれます。軍が把握していなかった慰安所での出来事は、当然、軍の公文書には残らないからです。--C-nation会話2024年2月24日 (土) 11:50 (UTC)[返信]

繰り返しますが、Wikipediaは事実の記述を求めています。出典を引用して書く記事は、その主張の根拠に基づくべきです。代表的な研究者の意見が正しいとの考えは間違っています。正しいのなら、意見の対立は起こりません。対立は、同じ根拠となる資料について、お互いの解釈の違い、即ち意見の相違があるから。根拠が不明確な出典の引用は避けるべきです。軍が把握できない慰安所があったと執筆するなら、執筆者は単に著書の引用ではなく、その根拠に基づき書くべきです。差し戻すなら、出典が主張する根拠を書き加えてください。それができないのなら、削除すべきです。--Eyagi会話2024年2月25日 (日) 23:40 (UTC)[返信]

「慰安所の管理・運営方針を規定した公文書」に関する秦の説明、ほかを復元[編集]

「慰安所の管理・運営方針を規定した現地軍の公文書のうち、以下の三つは、原文が残されている」以下を戻しました。ソースとして秦の著書が示されています。これにより、この種の公文書の全てが現存しているわけではないことが、分かります。また3という数の出所が秦(1999年)だと分かります。削除する理由は、なかったと思います。言うまでもないことですが、秦やクワラスワミの分析が妥当かどうかは、この際関係ありません。

後段で、Eyagi氏が女性基金の資料を元に、数をカウントしていますが、政府調査以後にも新資料が発見されているという主張もあり、編集者が数えた結果を確定された事実のように書くのは問題があるように思います。が、それについては、今は深入りしません。--C-nation会話2024年2月25日 (日) 02:34 (UTC)[返信]

執筆者が秦著書を引用して書いたこの記事は、明らかに間違っています。著名な研究者が書いたから正しいとの思い込みが間違っている例です。間違っている記事を、著名な研究者の著書を引用しているとの理由で差し戻すのは不適切で、削除すべきです。--Eyagi会話2024年2月25日 (日) 23:55 (UTC)[返信]

「軍直営の慰安所」について元に戻す[編集]

秦、吉見、そして林博史は軍直営の慰安所が存在したと言い、Eyagi氏の研究によれば、「軍資料に、軍単位で慰安所を直営したとする資料は存在しない」という。では、両論併記で・・・とはならないのがウィキペディアのルールです。まして、編集者の独自研究をもとに専門家の見解を消すというようなことは、あってはなりません。

Eyagi氏は、「」を連隊師団といった軍隊の単位の事と勘違いしてますが、ここで専門家が言っている軍とは「軍民共用」程度の意味です。

Eyagi氏の勘違いは、「軍が監督・統制した慰安所は、慰安所規則に基づき設置・運営され、設置されたのは1938年以降である」といった彼の主張(編集)にも現れています。まぁ、彼の反応からして、すでに気づいているのでしょうが。--C-nation会話2024年2月25日 (日) 21:23 (UTC)[返信]

この差し戻しは、C-nationさんの「著名な研究者の意見は正しい」との思い込みの典型的な例です。「独自研究」とは検証性のない個人意見。私が書いた記事は、「南支那23軍(波集団)司令部によると、1939年4月の時点で、慰安所の稼業婦は約1,000人。このうち軍は850人を統括し、各部隊が残り150人を管理した」を根拠に書きました。この出典は、明確に「軍」と「部隊」を区別しています。C-nationさんが削除した記事は、個人意見ではありません。
「慰安所の種類」では、読者の誤解を招かないように「軍」と「部隊」は、混同しないよう書くべきです。1と2を共に「軍」と書くと、読者は「軍」単位で直営の慰安所があったと理解します。「軍」規模で慰安所を直営したとの史料は存在せず、現存する史料はいずれも「部隊」単位です。2の説明も、意味不明。部隊は軍の下部組織、「指定した」「指定しなかった」にどんな違いがあるのか。
慰安所の主たる目的は、性病感染防止。軍が性病検査に立ち会わない売春施設の利用は考えられず、3はあいまいな記述。5の「カフェー、バーなど売春を兼業した施設」はあり得ません。「カフェー・バー」の女給は法的に性病検査の対象者ではなく、売春従事者は私娼。軍は、私娼の利用を厳しく禁止しています。料理屋の芸妓・酌婦は、表2に示すように法的に定期性病検査の対象者。
この5項目に続く4行の記事は、「慰安所の種類」とは関係がなく、また、その根拠が不明。書くなら別の項で、その根拠を示して執筆すべき。この項では、1~5に該当する具体例の説明が必要。特に3は、読者にとって、具体例の説明がないと内容が理解できません。
「軍が監督・統制した慰安所は、慰安所規則に基づき設置・運営され、設置されたのは1938年以降である」が勘違いとの理由を説明してください。私の理解は、1932~1937年の期間は、3に該当(性病検査に、軍・領事館警察立ち合いを条件に民間の売春宿を利用)。この意見の相違は、編集上最も重要な論点です。--Eyagi会話2024年2月26日 (月) 01:58 (UTC)[返信]
「部隊は軍の下部組織」・・・話になりません。--C-nation会話2024年2月26日 (月) 04:27 (UTC)[返信]
こちらからの反論および質問に、具体的に返答してください。そうでないと、議論が成立しません。
1.部隊直営を「独自研究」と断定する理由。引用した出典を読めば、軍直営と書いた方が「独自研究」です。
2. 執筆者には執筆責任があります。3に該当する慰安所を例を挙げて具体的に説明してください。
3.「 勘違い」と指摘する理由を具体的に説明してください。
4. 引用した「カフェー、バー・・・」の記述は、正しいのか否か、答えてください。
5.「・・・話になりません」を具体的に説明してください。
6. 差し戻した4行で引用した出典が主張する根拠を説明してください。根拠を説明するのは、引用した執筆者の責任です。
なお、両論併記と書いた理由は、「軍直営」「部隊直営」のような場合ではなく、同じ根拠とする資料について解釈が違う場合。例えば、日本人捕虜尋問書No.49のように。「1 軍直営」「2 軍統括」と並べて書けば、読者は同じ軍単位と理解します。--Eyagi会話2024年2月27日 (火) 07:26 (UTC)[返信]
お互いの理解のために、慰安婦関連事項について、意見が違う例を列挙します。詳しくは、「日本の慰安婦問題」表1を見てください。
日韓併合条約、併合期間の状態、道徳観、戦前の公娼制度(吉見:奴隷制度)、慰安所、慰安所規則、民族大多数(吉見:大多数朝鮮人)、元慰安婦証言(吉見:真実)、尋問書No.49(吉見:騙しの証拠)、日本軍慰安所管理人の日記、文玉珠貯金(吉見:インフレで無価値)など。読者は、これら意見の相違の理由と何が事実かを知ることを求めており、執筆者は、これらの理由と事実を分かり易く執筆する必要があります。「1次資料の引用はWikipedia違反、Wikipediaは2次資料(著者の意見)で書くべき」とのC-nationさんの考えは、基本的に間違っています。1次資料は、証言・体験記・個人意見(検証性のない意見)など事実との裏付けを必要とする資料と法律・統計・公文書など信頼性のある資料の両者を含みます。この間違いを認め改めないと、今後とも同じことの繰り返しになります。現在のWikipedia執筆の考えを、説明してください。--Eyagi会話2024年2月29日 (木) 02:24 (UTC)[返信]

「慰安所管理人の日記」を元に戻す[編集]

この日記は、慰安所の管理人という立場の、しかも朝鮮人が残した当時の記録ということで、大変貴重なものとして、公開時日本や韓国でニュースになりました。「慰安所」をテーマにする本記事に相応しい内容だと思いますが、一方の評価だけで「不公平」だという理由で、削除されたものです。そう思うなら、書き足せばいいだけの話です。理解に苦しみます。--C-nation会話2024年2月27日 (火) 00:52 (UTC)[返信]

分かりました。そのようにします。--Eyagi会話2024年2月27日 (火) 07:27 (UTC)[返信]

「慰安所の前史」について元に戻す。[編集]

慰安所が登場する以前から、公認の売春宿が日本軍の周辺に存在したというのは、藤目ゆきの研究。さらに、朝鮮半島では日本軍がほぼ独占使用する売春宿があったというのは、金富子らの研究。それらの関係者が戦地で支店を出していたというは、山田清吉の証言。山田は中国で慰安婦や業者の対応にあたった軍人で、その証言は研究者にも引用されています。朝鮮の遊郭が、米軍の「基地村」に変わったというのも、金らの研究。いずれも、この分野では名前が知られた人々で、ソースとしても内容からいっても、削除されるいわれのないものと思います。

繰り返しますが、編集者は藤目や金の説の正しさを保証するものではありません。異説があるなら、加筆は歓迎されます。--C-nation会話2024年2月28日 (水) 23:18 (UTC)[返信]

編集者は、執筆者ではなく読者の立場で編集すべき。軍施設周辺に遊郭ができたのは、単に需要があったから。この記事は、後の「大日本帝国の売春制度」と重複し、もっと簡潔に記述すべき。「前史」の題名も大げさ。差し戻す場合は、以下のように編集替えすることを提案します。
・「大日本帝国の売春制度」を最初に配置。
・「前史」は、例えば「軍施設周辺への遊郭の形成」のような内容が分かる表題に変更。
・1行目不要:削除
・「西洋式・・・入れつつ」:削除
・「日清・・・行った」:意味不明:削除
・「こうした遊郭は・・・(「娼妓取締規則」):読者の理解困難:削除
・「日本統治下の」「公娼制度が導入され」:重複:削除
・「こうした遊郭・・・研究者もいる」:説明の重複:削除
・「戦時中は、・・・ケースもあった」:わざわざ記事にする内容ではない:削除--Eyagi会話2024年3月1日 (金) 05:21 (UTC)[返信]

「慰安所の経営者」について元に戻す。[編集]

経営者について、朝鮮人が半数を占めたという安秉直の研究。吉見の資料から、中国人やフィリピン人の経営者が存在したという事実。前述の長沢元軍医や慰安所管理人朴の証言による民間人による慰安所の経営権の譲渡等の事実。こうした業者を「ハイエナ」と評した当時の新聞記者や長沢と、公務という意識で真面目に事業をしていたという一見矛盾した崔吉城の研究。復員兵で戦場の語り部として活躍した小野田寛郎の証言。西野瑠美子による業者の親族に対するインタビュー・・・いずれも「重複」を理由に出典ごと削除されたものですが、重複の事実はありません。元に戻しました。--C-nation会話2024年3月5日 (火) 22:31 (UTC)[返信]

この記事の大部分は、崔吉城を除いて根拠が不明な個人の意見や伝聞に基づいており、記事の信頼性を著しく損ねています。「経営者」(「規則」記載の用語は「営業者」)に関する記事は、記事の構成上「経営」の中に含めるべきです。何度も繰り返していますが、「吉見の資料に書いてあるから事実との認識は、根本的に間違ってます。単に、吉見の意見に過ぎません。
経営者:
慰安所の目的の一つは「防諜」で、中国人慰安婦雇用の慰安所があったことは事実ですが、台湾人が営業したと理解するのが自然。朴日記にも書かれているように、慰安所の営業者は監督者である軍との折衝が多く、日本語が堪能でないと務まらない。朝鮮人慰安婦雇用の慰安所営業者は、日本語が堪能な朝鮮人(殆どの人は日本語名字)と同じ構図です。
伝聞に基づく「ハイエナ」との批判は、すでに事実に反していると指摘しました。軍は毎月収益管理をチェックし、暴利を貪るような経営は不可能だった。朴の日記帳を引用して、「数百万円を扱う貿易商になった」は誤引用。事実は、慰安所経営以外の事業で成功したこと。
根拠の説明がない著書を引用した記事は、削除すべきです。
軍直営の慰安所:
この記事は、「慰安所の種類」で記述すべき内容。経営者と同様に、根拠の説明がない著書(秦、林)を引用した記事は、削除すべき。部隊直営の慰安所の説明では、中国の場合のみを書いてありますが、セレベス島のケースは東南アジアの例として追加することは合意します。朴日記には、いずれも朝鮮人営業者による慰安所「一富士楼、兵站管理になる(43.7.20)」「インセンの慰安所2ヶ所が兵站管理になる(43.7.26)」の記述があり、ビルマでも部隊による直営がありました。
なお、林博史著書の根拠はこのセレベス島の資料と推測され(「日本軍慰安所マップ」参照)、説明が重複しています。
慰安所管理人の日記:
この差し戻しは、合意済み。記述場所は「経営」の項。
これまで差し戻した記事について、各「ノート」で反論しましたが、それらへの返信がありません。こちらからの反論に合意したと解釈してよいのですね。--Eyagi会話2024年3月10日 (日) 05:38 (UTC)[返信]
もちろんダメです。しかし、同じ人に同じ事を言うのは、二度までにさせて下さい。
「根拠の説明がない著書(秦、林)を引用した記事は、削除すべき」・・・それにしても、貴方は、それこそ何を根拠に、こんな事を言っているのですか?--C-nation会話2024年3月10日 (日) 08:33 (UTC)[返信]
根拠は明確です。Wikipediaは、事実を記述する。事実とは、信頼性のある1次資料に基づいた検証性のある事柄。2次資料(著者の意見)は1次資料に基づき作成。執筆者は2次資料を引用するときは、その根拠となる1次資料を合わせて説明すべきと指摘しているのです。この指摘が正しいか否か、答えてください。
また、議論の対象になっている項目について、それぞれ「ノート」で具体的に反論しているのに、何故答えないのですか?--Eyagi会話2024年3月11日 (月) 01:44 (UTC)[返信]
「ウィキペディアに執筆してよいかどうかの基準は『真実であるかどうか』ではなく『検証可能かどうか』です(WP:V)」--C-nation会話2024年3月11日 (月) 06:29 (UTC)[返信]
「真実」は、人によって見え方や捉え方が変わるもので、「事実」は、揺るぎようのない、実際に起こった客観的な出来事のみを指します。「ノート」を読めば分かるように、一度も『真実であるかどうか』など言ったことはありません。終始一貫して、『事実であるかどうか』を議論しているのです。論点をそらさないで、きちんと答えてください。--Eyagi会話2024年3月11日 (月) 07:34 (UTC)[返信]
貴方がすべきは、「Wikipediaは、事実を記述する」ものであることを証明することです。その為にショートカットが用意されています。--C-nation会話2024年3月12日 (火) 08:08 (UTC)[返信]

「従業員」について、復元しました。[編集]

城田すず子の回顧録は、慰安婦問題が社会問題化する遥か前の1971年の出版。宋神道文玉珠の(特に文の)証言には批判もありますが、こういった日常生活を語った部分では、特に問題視はされていなかったと思います。そして、慰安所管理人朴の日記。あとは、<慰安所における>慰安婦の生活についての、秦の<一概には言えない>という分析ですが、いずれも出典にも内容にも問題はないと思います。

文章は若干変わっています。また、朴の帰国は終戦前ですので、その点は修正しました。--C-nation会話2024年3月11日 (月) 23:57 (UTC)[返信]

編集者は、投稿された記事が事実か否かを判断するだけの知識が必要です。「従業員」の記事は、間違っています。執筆者は、朴日記を読んでいないし、慰安所の職務を理解していない。
1. 「管理人、英語:manager,、 administrator」は、朝鮮語の日記の題名を直訳した言葉。朴の職名は「帳場人」。
2. 朴は、経営者(英語:manager、法律用語は「営業者」)になるよう2度要請されたが、2度とも断った。理由は、慰安所経営には関心がなく、より高い収益が期待できる他の事業に参入することを模索していたから。シンガポールでは、経営者が他の事業と兼務していたため、営業者が行うべき仕事(収益管理、監督機関との折衝、組合の業務など)を代行しただけ。
「治安が安定した都市部で営業した慰安所(駐屯地型)」と「駐屯地」とわざわざ説明を付記する理由を説明してください。ビルマ・ミッチーナーやマニラは、戦場になった。要は、慰安婦の生活は、慰安所が設置された時の治安状況や戦況で異なったのであり、都市部とその他と線引きして説明する理由が理解できません。
編集者の役割は、投稿された記事の掲載可否(事実か否か)の判断、掲載する場合は読者の立場(論理的な文脈)からの編集、投稿者と意見が分かれたときは「ノート」による合意形成の3点だと思います。現在の記事は先祖返りで文脈が欠如し、「ノート」での指摘に返答していません。各「ノート」に、キチンと答えてください。
3月10日の返答「もちろんダメです。しかし、同じ人に同じ事を言うのは、二度までにさせて下さい」は何を指すのか、具体的に説明してください。--Eyagi会話2024年3月14日 (木) 02:54 (UTC)[返信]

──────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────── 報告 Eyagiさんに対しWikipedia:投稿ブロック依頼/Eyagiにて投稿ブロックを依頼しました。--かしわのはみん会話2024年3月14日 (木) 16:02 (UTC)[返信]

ブロック依頼以前に、その理由を「ノート」に投稿し、両者の言い分を明確にするのがWikipediaの方針と理解しています。「繰り返し同じ意見を投稿し編集を妨害している」がその理由のようですが、繰り返しているのは、記事の内容が事実に基づいているか否かの議論。繰り返しの原因は、当方の意見に返答がなく合意を妨げているから。基本的な意見の相違は、ウイッキペディアンは「2次資料のみを引用」して書くべきとの立場に対し、当方は「信頼性のある1次資料(当時の法令、統計資料、政府・軍が発行した資料)を引用」すべき、2次資料を引用するときはその根拠を説明すべきと主張。その理由は、2次資料(著者の意見)の主張が対立しており、読者の立場から、その主張の根拠を明確にする必要があると考えるから。
慰安婦関連の記事のみに投稿し偏向しているとの指摘は、慰安婦問題(公娼か性奴隷かの議論)は国際的な議論であるにも関わらず、当事国である日本語版記事があまりにも貧弱なことを知ったからで、他の記事に投稿していないから偏向との批判は偏見です。
「Wikipediaは、事実を記述する。事実とは、信頼性のある1次資料に基づいた検証性のある事柄。2次資料(著者の意見)は1次資料に基づき作成。執筆者は2次資料を引用するときは、その根拠となる1次資料を合わせて説明すべきと指摘しているのです。この指摘が正しいか否か、答えてください」は、3月11日附けC-nationさんへの質問ですが、返事がありません。かしはのはみんさんの意見を教えてください。また、「ノート」は記事内容向上のための場であり、どの部分が編集を妨害しているのか、具体的に「ノート」に投稿してください。--Eyagi会話2024年3月15日 (金) 04:57 (UTC)[返信]
返信 私の会話ページにも書きましたが、両者の言い分を明確にしたところで"具体的に説明してください"などと人工無能のような返答を繰り返して何度も同じ説明をさせたり、挙げ句の果てには (既に投稿ブロック依頼で指摘しましたが) この発言のように専門的知識を共有していないことを強調するなど個人の経験を理由として議論への参加を阻害することは容易に想像できます。あなたの一番の問題点は「繰り返し同じ意見を投稿し編集を妨害している」ことではなく、根底となる参加動機が日本側に偏った記述の記載を通して自身の思想を広めるためであることです。あなたは二次資料に基づいて相反する意見を両方記載することには肯定的なようですが、最終的には"その主張の根拠を明確にする必要がある"などとして一次資料を新規に解釈し、ウィキペディアを通して二次資料を批評することにより、日本側に偏った記述、具体的には慰安婦は職業売春婦であるという特定の観点を推進しようとしているのは明らかであり、この行為はWP:PSTSWP:SYNTHESISに明確に違反しています。"他の記事に投稿していないから偏向との批判は偏見"とのことですが、あなたの"貧弱"という言葉は単にご自身の考えに反するものとなっていることを指しているとしか思えず、やはり慰安婦関連の記事のみに投稿しているという状況もそれに伴うものだと考えます。
ご質問の件についてですが、既にノート:慰安所規則にて同様の質問に答えています利用者:C-nation会話 / 投稿記録さんとの会話においても言えることですが、質問される前に確認してください。あなたの読解力と記憶力の低さに配慮する責任は我々にはありません。"返事がない"などと他人を指摘する前にご自身の発言を振り返ることをお勧めします。--かしわのはみん会話2024年3月15日 (金) 12:18 (UTC)[返信]
何故、返答しないのですか? あなたの主張は、「事実であるかどうかは信頼できる情報源が判断することであり、我々が判断することではないと思います。ウィキペディアに執筆してよいかどうかの基準は「事実であるかどうか」ではなく「検証可能かどうか」です(WP:Vを参照)」。私の主張は、上に書いてあるように「Wikipediaは、事実を記述する。事実とは、信頼性のある1次資料に基づいた検証性のある事柄。2次資料(著者の意見)は1次資料に基づき作成。執筆者は2次資料を引用するときは、その根拠となる1次資料を合わせて説明すべき」。どちらの意見が、正しいのか?
Wikipedia:検証可能性に書いてあることは、「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」。お二人は、「事実」と「真実」を混同しています。「ノート」を読めば分かるように、私は一貫して「事実」を書くべきと主張。議論をするには、基盤となる共通の知識が必要です。記事の内容を理解しないで、自分の主観でレッテルを貼り、ブロックする行為は理解に苦しみます。レッテルではなく、具体的に記事のどの部分が「独自研究」および「情報の合成」に該当するのか、「ノート」で説明して下さい。--Eyagi会話2024年3月16日 (土) 02:42 (UTC)[返信]
追記:「貧弱」は不適切な表現なので、2023年8月11日「ノート:「慰安所」頭書きおよび概略改定の提案」を読んでください。これが、執筆動機です。Wikipediaは信頼性のある百科事典を目指しており、執筆者は自分の記事が事実に基づいていることを確認した上で執筆する責任があります。私が執筆に参加する以前の慰安婦関連記事は、C-nationさんの執筆方針(1次資料引用はWikipedia方針に違反、2次資料に基づき執筆)を反映しています。今年2月23日、「日本の慰安婦」の「ノート」に「現状の認識と今後の編集方針の合意」を投稿しています。現在まで誰からもコメントがありませんが、C-nationさんは受け入れていると解釈しています。かしわのはみんさんが合意できない場合は、その理由とそれに代わる執筆方針を示してください。--Eyagi会話2024年3月17日 (日) 00:02 (UTC)[返信]
返信 そちらにつきましても同様に答えています。質問する前に確認してくださいとお伝えしたばかりなのですが。呆れてものも言えませんね。
"どちらの意見が、正しいのか?"と問われましてもお答えいたしかねます。あなたに言わせればこれも"自分の主観でレッテルを貼る"行為なのでしょうから。ただあなたの投稿ブロック依頼に寄せられた第三者からのコメントを見る限り、私の考えが正しいように思います。
「事実」と「真実」を混同しているとのことですが、字面のみを機械的に捉えて自身への批判から逃げる行為はおやめください。WP:Vは現実世界で実際に起こっていることに対して直接言及するのではなく、複数人による校閲を経た信頼できる情報源を通して間接的に言及することにより、個人の主観が記事に入り込むことを防ぐための方針です。"現実世界で実際に起こっていること"を指す語として"真実"が偶発的に割り当てられているにすぎず、実際にWP:Vを参照しますと"事実"という語も一部で用いられているのがお分かりいただけると思います。
そもそもあなたは本当に事実と真実を明確に区別しておられたのでしょうか。ノート:慰安所規則においてもあなたは十分な期間があったにも拘わらずこのような指摘を一度もされていませんし、単なるこじつけといったところでしょうか。"議論をするには、基盤となる共通の知識が必要"とのことですが、ウィキペディアを編集する上で最も基本となる方針への理解が不足しているあなたが指摘することではないでしょう。自身がこのような状況に陥った理由について"理解に苦しんでいる"ようならば、我々はあなたをプロジェクトから排除せざるを得ません。
具体的に記事のどの部分が「独自研究」および「情報の合成」に該当するのか、「ノート」で説明しろとのことですが、私がコメントした慰安所規則に関して言えば既に十分説明していますよ。ここでの議論には参加しておりませんので慰安所についてはお答えいたしかねます。私はあなたに関連する各種ページに報告を差し上げたまでです。
執筆動機についてですが、"概略はこれらの主張に答える内容を含む必要があります"などとおっしゃっている時点であなたが日本側に偏った記述の記載を通して自身の思想を広めるためだけにプロジェクトへ参加しているのは一目瞭然です。合意できない場合は、その理由とそれに代わる執筆方針を示せとのことですが、私に対してこれだけの要求を突きつける前に被依頼者コメント欄でご自身の考えを説明してみてはいかがでしょうか。--かしわのはみん会話2024年3月18日 (月) 05:48 (UTC)[返信]

──────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────── 報告 利用者:Eyagi会話 / 投稿記録 / 記録Wikipedia:投稿ブロック依頼/Eyagiにおける審議の結果、無期限ブロックされました。--かしわのはみん会話2024年3月23日 (土) 08:37 (UTC)[返信]

目的外利用者による編集の差し戻し提案[編集]

前述の通り、利用者:Eyagi会話 / 投稿記録 / 記録Wikipedia:投稿ブロック依頼/Eyagiにおける審議の結果、無期限ブロックとなりました。当該利用者はウィキペディアを通して二次資料を批評することにより、日本側に偏った記述、具体的には慰安婦は職業売春婦であるという特定の観点を推進しようとしており、結果として当該利用者が関与した記事は日本側に偏向したものとなっております。既に当該利用者の投稿ブロック依頼等で指摘しましたように、慰安所につきましても記事の導入部が当該利用者の国際社会に対する反論に差し替えられており、中立的な記述に書き戻す必要が生じていると考えますので、当該利用者が積極的に関与する前の版である 2023年7月24日 (月) 10:30 (UTC)の版差し戻すことを提案します。--かしわのはみん会話2024年3月23日 (土) 10:10 (UTC)[返信]

  • 賛成(提案に賛成します。)
--C-nation会話2024年3月23日 (土) 20:14 (UTC)[返信]

──────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────── 終了,チェック WP:CONで定義されている合理的な期間内に異論がありませんでしたので、合意が形成されたものとみなし2023年7月24日 (月) 10:30 (UTC)の版差し戻しを行いました。よろしくお願いします。--かしわのはみん会話2024年4月3日 (水) 13:36 (UTC)[返信]