ノート:牟田口廉也/過去ログ1

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英軍の評価が高いという情報ソース[編集]

どうも英軍の評価が高いという情報ソースが見当たらないので一部コメントアウトしました。高いのは人物的評価なのか作戦指導能力についてなのか・・・どなたかご存知でしたらソースをご提示下さいませ。当然、ソースが見つかり次第コメントアウトは解除で構わないと思います。486FR 2005年2月13日 (日) 12:22 (UTC)

保坂正康氏・半藤一利氏の著書などで見られたと記憶しています。

河辺正三大将[編集]

 できましたら、「ビルマ方面軍指令官の河辺大将はこのことに…」の 河辺大将を「河辺正三大将」とフルネームにして、同氏のwiki内リンクを 貼っていただきたいのですが。  牟田口中将についてはかなり書かれていますが盧溝橋でもビルマでも 上官だった河辺正三についてはほとんど書かれていないのが気になります。 他力本願で済みません。 --以上の署名のないコメントは、58.94.16.109会話/Whois)さんが 2006年8月13日 (日) 00:24 に投稿したものです。

ご希望どおりに、リンクを貼っておきました。この記事、全般的にごてごてしておりますので、そのうち整理した方がいいかもしれませんね。ゆう(matunami) 2006年8月13日 (日) 00:29 (UTC)

エピソードについて[編集]

2006年8月19日 (土) 05:10の版 (編集) Matunami (ノート | 投稿記録) (やや感情的な記述が目につきますので、修正しました。エピソードについては、「真偽」以前に出典が不明ですので一旦コメントアウトしました。)

エピソードは他の人物の項目でも扱ってる一般的な項目のひとつである。 それに出展をつけろという行為は他では見られない。 執拗に出展を要求してくる人が一部の項目の一部に見受けれ、ウィキペディアの百科事典としての信頼性を逆に貶めているのが現状である。

上記、203.138.22.173が2006-08-20 01:12:53 (UTC) の版で、本文に書た文章を移動 --Saaki 2006年8月20日 (日) 03:36 (UTC)

ええと、さすがに私も、「出典」をお願いして文句を言われたのは初めてですので、少々戸惑っております(^^; 
お互い協力して編集活動を進める上で、あれ、これ、本当なのかな、という記述にぶつかったら、その「出典」を求めるのは当たり前の話。出典が提示されなければその記述は削除されることになるでしょうし、提示されたら、ではその記述は「出典」のニュアンスを正しく伝えているかどうか、「出典」の記述には信頼性があるのか、という「検証」に入ります。それだけの話です。
さて、この「牟田口廉也」の記事、私が編集を行う直前のバージョンは、これでした[1]。「しばしば過剰な自意識と自己顕示欲を示した」だの、「これには参列者も呆気にとらわれた」だの、編集した方の「私は牟田口が大嫌いだ」という「感情」が思い切り伝わってきますね。しかしこれは「百科事典」の記事なのですから、そんな「感情」は押し殺して、可能な限り淡々と、「色」を排した「客観的事実」を伝えるようにしなければいけません。これまた、当たり前の話です。
そこで私は、あまりに感情的な語句の修正を試みました。その時に、はたと困ったのが、「エピソード」です。いきなり「真偽不明」の語句。しかもエピソード自体、とにかく牟田口を貶めようとする意図がミエミエ。どこから引っ張ってきたかもわからない「悪口の羅列」では、とても「百科事典的」とは言えません。全部削除することも考えたのですが、「出典」を検証した上で記述を残す道もあるだろう、と考えて、「コメントアウト」の形をとりました。
そしてあなたは、それを「出典」を付して復活したわけです。Wikipediaの編集を行う上で、ごくまっとうな方法ですよね。中には、出典を示せ、と言われると、とんでもない出典(マンガとか、怪しげなプログとか)を持ち出す方もいらっしゃいますので。まあ、そこまではよかったのですけれど。
さて、提示いただいた「出典」は、いずれも安価、かつ容易に入手できるものでしたので、すぐに注文を済ませました。とりあえずは、この本の記述と比較してみて、問題がなければこのまま残しますし、原文のニュアンスが正しく伝わっていない、あるいは原文の信頼性が著しく低いと判断される場合には、必要な修正を加えます。ゆう(matunami) 2006年8月20日 (日) 04:42 (UTC)
類い希なる無能な軍人であった、という評は議論の余地がないほどに定着しており、今更再評価する必要はありません。独善的な編集はご遠慮ください。 --yfuruhata 2006年8月27日 (日) 08:10 (UTC)
ひょっとしたら、私が誰であるか、御存知ないのでしょうか?(^^)
参考までに、こちらをご覧ください。私のサイトの一部です[2]。ま、話はそれからで。
牟田口を批判するのは結構です。でも、ここは「百科事典」なのです。内容は、万人が納得できるようなものでなければいけません。出典も真偽もよくわからないような「エピソード」を並べるのでは、読者からは「編集者の感情」が目に付き、かえって逆効果であると思います。
ところで、出典については買え揃えました。これから、どこに「エピソード」があるのか、捜さなければならないのですが、よろしければその手間を省くために、各エピソードの出典とその該当ページをご提示いただけませんか?ゆう(matunami) 2006年8月27日 (日) 10:01 (UTC)
貴方がどこの誰かは存じませんし、必要も感じません。よもやヤクザ筋が使う「俺が誰だか判ってんのか」に類する問いかけと同義のものでしょうか? 私にはそうにしか見えませんでしたが。
ともかく、既にある記事を再評価の目的で削除したり、POV化する行為には同意できません。rvvの実施については予告しておきます。 --yfuruhata 2006年8月27日 (日) 14:51 (UTC)
結局リンク先を開いてもいただけなかったようですが、私の牟田口評も個人的見解としてはあなたとそう変わらないんだよ、と言いたかったまでの話です。「ヤクザ」扱いされてしまいそうでした(^^)
いずれにしても、「個人としてその人物をどう思うか」ということと、「百科事典としてどのように記事を執筆するか」ということは、分けて考えるべきでしょう。まずは「客観的事実」を積み上げる。「評価」については、世間一般で確実に合意が得られていることに限定する。そのあたりの判断は曖昧で難しいところではありますが。
「世間の合意」の範囲内で、牟田口に対して批判的な記述を行うのは、差支えないでしょう。しかし「百科事典」である以上は、「批判」にも一定の「節度」が必要となります。少なくとも、真偽不明のエピソードをずらずら並べるのは、百科事典的ではありません。最低限、「誰がどこで語った話であるのか」程度のデータは必要だと思いますし。
なお、Wikipediaでは「編集合戦」は推奨されません。rvの予告など、もってのほか。意見が違うのであれば、ノートで話し合いを行う。話し合いがつかなければ、第三者の意見を求める。場合によっては「投票」で決着をつける。Wikipediaの精神から言えば、そういうことになると思います。
さて、高木氏の本を読み出したところですが、どうもこれ、「ルポ」と「小説」の中間のような本ですね。さて、どこに「エピソード」が出てくるのか。「歴史」は逃げませんので、のんびりと確認することにします。ゆう(matunami) 2006年9月1日 (金) 23:12 (UTC)

これまでウォッチしてきましたがMatunami氏の書き込みはあまりに独善的すぎて同感できません。もし投票になったらYfuruhata氏を支持すると思います。Matunami氏は一度ご自分の書き込みを冷静に見直してみたらどうでしょうか? --以上の署名のないコメントは、222.225.126.225会話/Whois)さんが 2006年9月4日 (月) 22:54 に投稿したものです。

えっと、そもそもIPユーザーに「投票権」が与えられることはないと思いますが・・・。
それで、私の編集および発言の、どこがどのように「独善的」であるのか、具体的にご指摘いただけないでしょうか。事実として、私が編集を自粛している間に、いつのまにかIPユーザーによる編集が重ねられていることを指摘しておきます。
いつのまにか「これらのエピソードは常軌を逸しているものが多く俄かには信じがたいため真偽の程が疑われるが」なんて語句が加わったり(何でそんなもの、百科事典に載せるの? というのが素朴な疑問)、出典に「・・・等をはじめとする関連書籍」の語が加わったり(・・・(^^;)、苦笑せざるを得ない編集もありましたが。
IPユーザーばかりで誰が誰なのかさっぱりわからなくなりましたが、Yfuruhataさんの投稿履歴を追う限りでは、少なくともこの方については、私は十分に「対話可能なユーザー」であると判断します。要するに目的は、「より百科事典らしいしっかりとした記事をつくること」です。人によって考えが違うのは当り前。「考えの違い」を埋めるのが、「対話」であり、「議論」なのです。ゆう(matunami) 2006年9月5日 (火) 21:38 (UTC)

感情的な表現という点で「大量の餓死者を生んでしまったジンギスカン作戦だが、戦後、牟田口は自らレストランを開き「ジンギスカンハウス」と名付けている。自分のした過ちを全く反省してないようである」というくだりは単なる個人的感想の域を出ないものであり、削除するのが適当だと思います。牟田口が無能で厚顔な指揮官であったことは疑う余地がないと思われますが、少なくても辞書として記載すべき事項ではありません。ご意見があれば伺いたいと思います。 --1052 2006年10月29日 (日) 21:23 (UTC)

「出典」として挙げられている本を4冊ばかり購入したのですが、あまり面白い本ではなく、他に勉強したいこともできましたので、なかなか読み進むことができません。そのためこちらへの編集からは、ちょっと引いた形となっています。

1052さんのご意見には、全面的に賛成です。百科事典なり教科書なり、ある程度公的な性格を持つメディアの文は、可能な限り「感情的表現」を排したものであるべきです。例えば皆さんが使っている歴史の教科書に、「稀に見る愚将」なんて表現が載っていますか?

そういう視点から見ると、この記事は明らかに「行き過ぎ」です。牟田口を批判するにしても、一定の「節度」は必要でしょう。ゆう(matunami) 2006年10月31日 (火) 12:18 (UTC)

ジンギスカンハウス云々は戦後のエピソードでそういうものを作ったという記述にとどめておいて、あとは読者の感性に任せる程度でいいのではないかと思います。
ただ、愚将という評価に関しては記述しておいてよろしいのではないでしょうか?泥沼の日中戦争に日本を引きずり込んだ決定的な謀略事件を引き起こした張本人でもあり、世界の軍事作戦を見ても数少ない無謀極まる作戦を強行、指揮して大失敗させ、近代稀に見る大損害を出したことは紛れもない事実ですから。それに対して大した戦果を挙げたこともなく、誉めるに足るエピソードが全くといっていいほどない将軍ですし。将軍としてというより上司、指揮者としての器でなかったことは戦後の行動が物語っていますし、凡将揃いだった当時の陸軍の中でも例えば今村均将軍のような行動を取った方もいたことを考えれば牟田口将軍を愚将と記述しても何ら問題はないかと。
私としては富永恭次と牟田口廉也は彼らの行動が引き起こした結果に対するそれ相応の評価を記述するべきだと思います。--GF 2006年11月14日 (火) 16:46 (UTC)
私も、富永、牟田口などの行動ははなはだ憤りを禁じ得ませんが、ウィキペディアが百科事典であるという性格上、「愚将」という言葉は感情的であると言えると思います。本文を読めば普通の人はどういう評価か理解できると思いますので、愚将はコメントアウトして「否定的評価をされている」などと書き換えさせてもらいました。--怪蘇 2006年11月15日 (水) 23:06 (UTC)
私も「愚将」という言葉に感情的な意味合いが含まれることは否定しません、がしかし彼を評する場合に「愚将」という言葉以上に彼の人となりを適切に表現する単語を知りません、というか他に適切な単語があればご教示願いたいくらいです。従って牟田口将軍の項目を記述する場合に愚将という言葉を使用することは避けて通れないのではないでしょうか?「インパール作戦研究者の間では愚将という評価が支配的」といったような事実を記載する程度なら問題ないのでは?以上の署名の無いコメントは、アンダーソン会話履歴)氏が[2006年12月21日 (木) 01:03 (UTC)]に投稿したものです(GF 2006年12月21日 (木) 05:14 (UTC)による付記)。

とりあえず、今日現在の評価、という形で記載してみました。陸軍の愚将は何も牟田口一人に限ったことではないですし、今村、栗林のような名将と呼ばれる将軍達と区別するためにもある程度マイナス気味の記載は必要ではないかと。--GF 2006年12月21日 (木) 05:14 (UTC)

「ジンギスカンハウス」について[編集]

然るべきソースが見あたらないためコメントアウトしました。 ソースをご存じの方があれば、追記の上でコメントアウトを解除願います。

同氏の死亡記事が新聞に載った際にジンギスカンハウスに関する記述があったという情報提供がありました。詳細は未確認です。--Kbv 2006年11月15日 (水) 23:29 (UTC)

再度記述があったのでコメントアウトしました。新聞の紙名、日付、掲載欄が提示されるまでは解除すべきではないと考えます。--Akitsumaru 2007年2月15日 (木) 09:24 (UTC)

別冊宝島による本項記事の無断転載があると思われます[編集]

宝島社の発行する別冊宝島1513 太平洋戦争秘録 勇壮!日本陸軍指揮官列伝(ISBN:978-4-7966-5926-0)の内、伊藤龍太郎氏の執筆部分にライターの転載によるGDFLライセンス違反があると思われます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%82%92%E6%83%85%E5%A0%B1%E6%BA%90%E3%81%A8%E3%81%99%E3%82%8B%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%88#.E3.82.A6.E3.82.A3.E3.82.AD.E3.83.9A.E3.83.87.E3.82.A3.E3.82.A2.E3.82.92.E6.83.85.E5.A0.B1.E6.BA.90.E3.81.A8.E3.81.97.E3.81.A6.E3.81.84.E3.82.8B.E6.97.A8.E3.82.92.E6.98.8E.E8.A8.98.E3.81.97.E3.81.A6.E3.81.84.E3.81.AA.E3.81.84.E3.82.B5.E3.82.A4.E3.83.88.E3.83.BB.E5.87.BA.E7.89.88.E7.89.A9 「ウィキペディアを情報源としている旨を明記していないサイト・出版物」の項目 にも記載いたしました。

従って同書をソースとする編集作業にはくれぐれもご注意ください。また本逆に本項が同書からの転載記事であると誤解される恐れがあります。 --1052 2008年5月9日 (金) 21:26 (UTC)

余りにも的外れな記述について。[編集]

> 平成の牟田口廉也 北京五輪・日本代表監督の星野仙一の敗戦の言い訳に対し、「平成の牟田口廉也」と揶揄された。

この記述ですが、どこからの引用か知りませんが全く的外れの批評ですので削除します。
牟田口が今日において特に批判されているのは無謀な作戦立案、拙劣な作戦指揮だけではなく、その結果を全て部下の責任として自己の責任逃れに終始したことです。
星野氏の人選、そして采配に対しては確かに拙劣と批判されても仕方が無いことではありますが、少なくとも彼はその責任を全て選手の責任とするのではなく、自己の責任に対して言明、謝罪した上で、戦後の続投要請についても固辞するなど責任をとる態度は明確にあります。
ここに書かれている牟田口廉也の言動、行動については複数の証言がある上、書物にも多数載っているのでほぼ事実と考えて間違いないでしょう。
こういった唾棄すべき行動、言動と、今回の星野氏の一連の行動が本当に同等か、ちゃんと考えてから記述をしていただきたいものです。
脊髄反射的な記述はご遠慮ください。少なくとも、これまで数多くの賞賛すべき逸話がある星野氏を捕まえて、牟田口廉也と同等などとはまかり間違っても言えない筈ですが。
そして小生としては、ただ1回の失敗をしただけでそれまで持ち上げていた人間たちが、掌を返したように貶める行為を唾棄すべきもの、即ちそれまで褒め称えていた(少なくとも批判してこなかった)人間が、失敗の責任を全て他人に押し付ける行為は、牟田口と同等だと思っている次第です。--GF 2008年12月12日 (金) 13:23 (UTC)

この記述を行った者ではありませんが、出典元に関し知識がありますのでご紹介します。
この表現を行ったのは、政治学者の櫻田淳氏です。雪斎の随想録 2008年8月25日 野球の重み
櫻田氏は、拙劣な作戦指揮に加え、上層部が彼の責任を問わずワールドベースボールクラシックでも代表監督を務めさせようとしたことをもって、平成の牟田口という表現をしたようです。
なお、星野氏が「部下に責任転嫁をしなかった」か否かについては、また議論の余地もあるところでしょう。
私見として、本項目に本件記述は不要であり、削除することに対しては、異はありません。--ミッドランドライダー 2009年1月26日 (月) 16:32 (UTC)
上層部が責任を問わずそのままという点では、牟田口だけではなく日本陸軍では辻政信中佐とか日本海軍の南雲忠一中将や、山本五十六GF長官等今思い浮かぶだけでも日本陸海軍で両手に余る方々がいらっしゃいます。そういう点では星野を責めるのではなく、むしろ上層部のほうが問題だと考えるべきでしょう。件の評論を書かれた氏がどれだけ牟田口のことを知っていて書いたのかは知りませんが、ちょっと飛躍しすぎかなという感じもしますね。昔敵前逃亡安部晋三のリンクを張られたIP氏もいらっしゃいましたが、マスコミやちょっとした評論を鵜呑みにして脊髄反射的に記述することは百科事典としては避けた方が良いでしょう。マスコミの評論自体が脊髄反射に基づいて書かれているものが少なくないわけですから、特にBlog程度のソースから引張ってくるのはちょっと拙いでしょうね。Wikiの方針としても出典を個人HPにすることは認められていませんしね。--GF 2009年1月28日 (水) 09:34 (UTC)

反論[編集]

GF氏の記述は明らかな事実誤認がありますのでここで記述しておきます。星野仙一が公式の場で明確に自身の采配について謝罪したことはありません。また、WBCの監督に関しても当初はやるともやらないともいえない日和見的な姿勢に終始しており、不可解な選考で監督に選ばれるのが確実になったとき世論の猛反発やイチローなどのメジャー選手の反発によりやむなく辞退したに過ぎません。星野は今度の北京オリンピック以前においても阪神タイガースSDの立場にいながら自身を巨人の監督に売り込むような卑劣な行為を行っています。これまで数多くの賞賛すべき逸話があると書かれていますが、星野の美談の大半は彼自身の大仰なパフォーマンスを彼子飼いのマスコミが美談に仕立て上げたに過ぎません。無論、GF氏のおっしゃる通り今まで持ち上げてきた人間が急に批判を始めるのは大きな問題ですが、星野に関しては江夏豊氏や張本勲氏は一貫して批判しています。このように星野は日本のプロ野球を食い物にする極めて問題のある人物であり牟田口と同一視されるのは当然のことです。もちろん牟田口廉也の項に星野の記述をするかどうかは議論の分かれるところですが、GF氏の話は大きく的外れです。--ちっぽ 2008年12月15日 (月) 17:50 (UTC)

んー、もう一度自分が書いた文章を読み返されることをお勧めします。結構感情的に星野を批判しているようにも見受けられます。貴方が言ったことが全て客観的に事実だとして、それがどういう風に牟田口と結びつくのか、そこが一番の問題でしょう。私個人としては、星野という人間は故島野氏がいてこその星野監督だったとは思っています。
それはさておき、貴方の主張ですが、まず阪神タイガースSDだった星野氏が巨人監督に売り込むようなことが、何故に卑劣なのでしょう?野球人としてただ単に現場に戻りたかったと解釈もできますし、それを何故卑劣だと決め付けることが出来るのですか?WBCの監督の続投云々にしてみても、何も言わなかったのは「敗軍の将、語らず」を貫いたとも解釈できます。星野氏は今までの行動から考えて日和見を決め込むような人間ではないことは明らかでしょう。むしろ私としては何も語らなかったことには裏があると見ていますが。星野氏の美談の大半がマスコミによって作り上げられたとも仰いますが、ならば阪神優勝時のあの選手談話は何だったのか、あの阪神ファンの熱狂は何だったのか。江夏、張本氏の批判は知っていますし、私もほぼ同意見でした。むしろ北京前の選手発表で、既に日本代表は駄目だと確信していたので、負けても当然だろうと特に憤慨することもありませんでしたから。だからこそ、端から見てはっきり言って北京以後の星野叩きは、それまで持ち上げていた人間たちが自分たちの責任を回避するためや、勝手に押し付けていた過度な期待を裏切られた鬱憤を晴らしているようにしか私には見えません。先ほども書いたように星野氏の行動にはまだ好意的に解釈できる余地はあります。一方で、牟田口にはそれが全くといっていいほどないのです。この両名を同等に扱うこと自体おかしいわけで、そんな不正確な文は削除すべきだと思いますが如何ですか?--GF 2008年12月17日 (水) 10:00 (UTC)


 仰るとおり星野は島野氏あっての監督だったと思います。それ以上でもそれ以下でもなく、並みの監督であって決して名将などではありません。にもかかわらず2003年以降阪神ファンならびに関西メディアは星野を神のごとく持ち上げてきました。この連中を除く多くのプロ野球ファンは星野の多くの言行不一致(巨人のFA補強を批判しながら自身が監督のとき大型FA補強を行う、体調不良を理由として阪神監督を辞任したにもかかわらずCMに多数出演しあげくのはてにオリンピックの監督になる、阪神移籍を有力視された広島の黒田投手が残留を決めた際に立派な行為だと褒めたが一年後同じく広島の新井選手の阪神移籍については何も言わないなど)に不満を持っていました。しかし前述の異様な持ち上げの前にして江夏氏や張本氏などを除いて表立った批判ができませんでした。そして、今度の北京での惨敗で降り積もっていた不満が爆発しバッシングにつながったのが真相だと考えられます。今回のバッシングで残念だったのは今までさんざん星野を持ち上げた阪神ファンや関西メディアの責任が問われなかったことです。
 私は牟田口と星野の共通点は以上のような言行不一致行為です。私自身は牟田口の項目に星野の記述をするかどうかはどちらでもよいと思っているのであとは他の皆様のご判断にお任せいたします。--ちっぽ 2008年12月20日 (土) 22:07 (UTC)
 共通点云々という以前に牟田口氏と星野氏は直接関係はなく、関係性を論じた文献もないようですので、敢えて本項に記載すべき事項でもないと思います。--1052 2009年1月1日 (木) 18:48 (UTC)

単純な修正について合意を求めます[編集]

Wikipedia:保護の方針#単純な修正に沿って、Category‐ノート:日本の軍人#カテゴリ:大日本帝国陸軍軍人の合意に基づき、Category:日本の陸軍軍人Category:大日本帝国陸軍軍人に書き替えることについて合意を求めます。3日経過して反対がでなければ、管理者伝言板に依頼します。--rshiba 2010年6月27日 (日) 10:24 (UTC)

合意成立なので依頼します。--rshiba 2010年7月1日 (木) 07:59 (UTC)

再度、単純な修正について合意を求めます[編集]

Wikipedia:保護の方針#単純な修正に沿って、Category‐ノート:日本の陸軍軍人#「将校」と「将官」のカテゴリの合意に基づき、Category:大日本帝国陸軍軍人Category:大日本帝国陸軍将官に書き替えることについて合意を求めます。3日経過して反対がでなければ、管理者伝言板に依頼します。--rshiba 2010年7月12日 (月) 05:26 (UTC)

3日経過しましたので、合意成立とし、書き換えを依頼します。--rshiba 2010年7月14日 (水) 09:25 (UTC)

軍歴について[編集]

軍歴が「軍歴 1933年-1945年」となっていますが、任官からが軍歴と思われます。 同時期の宮崎繁三郎中将の場合は「軍歴 1911-1945」記載されています。 執筆者の方のご見解を頂けると幸いです。

記事牟田口廉也#軍歴を見ますと、1933年(昭和8年)、陸軍歩兵中佐で参謀本部総務部庶務課長を務めていた所から始まっており、その前の記載がありません。
秦郁彦編著『日本陸海軍総合事典』、東京大学出版会1991年(平成3年)、142頁
に、牟田口廉也の略歴(年・月のみ)が下記のように記載されております。同書の他の頁を参照した場合は、その旨を注記しました。
  • 佐賀県立佐賀中学校、熊本地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1910年(明治43年)5月28日[1]、陸軍士官学校卒業(22期)。歩兵科の恩賜5名には入らず[1]
  • 1910年(明治43年)12月、陸軍歩兵少尉。歩兵第13連隊(熊本)附。
  • 1913年(大正2年)12月、陸軍歩兵中尉。
  • 1917年(大正6年)11月27日、陸軍大学校卒業(29期)。席次は25位(総数57名)。[2]
  • 1918年(大正7年)7月、参謀本部附(船舶班[2])。
  • 1920年(大正9年)4月、陸軍歩兵大尉、参謀本部部員。
  • 1926年(大正15年)3月、陸軍歩兵少佐、近衛歩兵第四連隊附。
  • 1926年(大正15年)8月、近衛歩兵第四連隊大隊長。
  • 1927年(昭和2年)5月、陸軍省軍務局課員(軍務課)。
  • 1929年(昭和4年)2月~8月 フランス出張。
  • 1929年(昭和4年)8月、参謀本部部員。
  • 1930年(昭和5年)8月、陸軍歩兵中佐。
  • 1933年(昭和8年)12月、参謀本部総務部庶務課長。
ここから先は、現在、記事牟田口廉也#軍歴に記載の軍歴と一致しております。
現段階では追記が出来ませんので、恐れ入りますが、記事牟田口廉也の保護が解除されたら、上記を牟田口廉也#軍歴に追記して頂ければ幸いです。もちろん、私宛に会話で保護が解除された旨をご連絡頂ければ、自分でいたします。--Pooh456 2011年7月28日 (木) 15:58 (UTC) (微修正)--Pooh456 2011年7月29日 (金) 08:30 (UTC)

脚注(仮)[編集]

  1. ^ a b 『日本陸海軍総合事典』、596頁
  2. ^ a b 『日本陸海軍総合事典』、536頁

保護ページへの編集依頼提案[編集]

参考文献節に{{参照方法|section=1}}が貼付されていますがこれには貼付時期が明記されていないため{{参照方法|section=1|date=2010年9月}}とする編集を管理者伝言版に提出することを提案します。--Himetv 2011年7月22日 (金) 15:28 (UTC)

賛成 タグが貼られたのは 2010年9月25日 (土) 10:17 (UTC)であることも確認しました。--しまあじ 2011年7月22日 (金) 16:40 (UTC)
賛成 必然性のある妥当な編集ですし、また「単純な編集」は明らかであり、恐らく依頼も受理されるでしょう。--Hman 2011年7月22日 (金) 16:42 (UTC)
報告1週間待って賛成意見が複数あり反対意見がないため、Wikipedia:管理者伝言板/保護ページ編集に依頼を提出しました。--Himetv 2011年7月28日 (木) 16:43 (UTC)
報告2011年7月28日 (木) 17:26(UTC)に編集が行われました。--Himetv 2011年7月29日 (金) 19:43 (UTC)