Wikipedia‐ノート:信頼できる情報源/過去ログ3

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

映像ソフト・音声ソフト・ゲームソフトについて[編集]

一般の企業から販売されている映像ソフト(テープ、DVD、Blu-ray Discなど)・音声ソフト(テープ、CDなど)・ゲームソフト(機種問わず)は、信頼できる情報源ですか? また、そうである場合、一次資料ですか? 二次資料ですか?--Mikouma 2011年6月19日 (日) 04:45 (UTC)

情報の伝達を目的としたDVD、例えば[1]などは、その作品の主題(この場合は有孔虫)を執筆する場合において書籍と変わりがありません。
ゲーム記事を書く時にそのゲーム自体を出典にできるか、という話ならば、
あたりの議論をまず見て下さい。- NEON 2011年6月19日 (日) 05:09 (UTC)
ゲームソフトについては、一次資料でしょう。ただし、そのゲームソフトの記事以外には使えない(使う機会があるかは分かりませんが)と思います。
映像ソフトは一般にはあまり使わないほうがいい資料ですが、どうしてもそれ以外ない場合、使えるものかなと個人的には考えてます。一次か二次かは状況によりますが、:たとえばテレビ番組をdvd化したものであればその番組についての一次資料だと思います。
音声ソフトも、ゲームソフトの場合と同様一次資料なんじゃないでしょうか。間違っていたら訂正お願いします。--リネン 2011年6月19日 (日) 05:13 (UTC)
以下のようなケースはありでしょうかね?ということを≪そのゲームソフトの記事以外には使えない≫と発言されているリネンさんにお聞きしたいです。
  1. ゲームソフトに出演する実在人物のプロフィールに基づく記述(参考1参考2参考3
  2. ノート:麻雀のローカル役#ローカル役の掲載基準」に基づく、記載に値する麻雀ローカルルールとしての条件制定上の、ゲームソフトでの使用。個々のローカルルールがゲームソフトで用いられているかどうかに関する議論があり、その中で≪プロもしくは麻雀の専門家が制作過程に関わっているゲーム≫とか、複数のゲームで取り上げられているとかいったところが話し合われました。
  3. クイズ分野のゲームソフトを出典としたもの(参考)。
クイズ分野のゲームソフトについて補足しておきます。これは、その監修を行った団体、つまりは書籍分野では査読を行った団体にあたると思いますが、そこの信頼性に依拠すると考えています(このゲームソフトでいえば鉄道フォーラムが鉄道分野においてどの程度信頼できるか、ということ)。尤も、再検証性のほうに引っかかってくるかもしれませんが、ここでは「信頼できる情報源」の観点でご意見いただければありがたく。一応書いておくと、クイズゲームの出典は、より上質な出典までの中継ぎとしてあってもいいかなと思って、「有意ではあるから記載されて然るべきである」記述であって「出典がないよりはマシである」という理由から出典付与しています。蔑称などのより強く出典が求められるものについては質の低い出典は避けるべきだろうと思いますので、そういう特殊事情があるものについては抜きにして、より一般的な範囲でご意見いただければと。--NISYAN 2011年6月19日 (日) 06:17 (UTC) 番号付きに変更 --NISYAN 2011年6月19日 (日) 20:18 (UTC)
こんにちは。私が答えられる範囲で答えてみますね。
AKB48のゲームに関することですが、これはやはりゲームと言う性質上、あまりゲームを出典にした記述があるべきではないと思います。ただ、リンク先を見る限り、AKB48のゲームは実在のAKB48メンバーを題材としたもので、おそらくNISYANさんが書いているように脚色ではないのでしょう。こういう場合、やはりゲーム以外から同じ情報を拾ってくるのが理想だと思うのですが、そもそもこのAKB48のゲームはプロデューサーも関わっているようなかなり「自己公表情報」に近いものだと考えられるので、ゲームがソースだからと言って即時除去されるような性質のものではないと思います。
あと、これはこの話題に関係ないことですが、どんな記述であれ、よほどのことが無い限りまずはノートで除去提案や議論をするのが適切で、NISYANの記述を除去した方にはそのことを気をつけて欲しいですね。
次の麻雀の話ですが、私は麻雀に全く詳しくないのでなんともいえないというのが正直なところです。しかし、プロや専門家がいる麻雀というゲームの性質を考えれば、そういった種類の人々が関わっているゲームならば利用しても良いのではないかなと思います。
最後のクイズゲームについては、NISYANさんが仰られているように監修団体がどの程度信頼できるかということに拠るでしょうね。
例になっている鉄道フォーラムは、確かにそれ単体としてみればあまり信頼できる情報源とは言えないですが、知識王というゲームで情報源として採用されたという事実があれば、一定程度の信頼性は持っていると考えられると思います。
最近のゲームソフトはある種の審査を通ったものが流通していますし、ましてや知識王というゲームは同人ゲームやフリーゲームのような類(審査がないもの)ではないのですから、この場合は鉄道フォーラム、及び知識王を出典とした記述は問題ないかなと思います。--リネン 2011年6月19日 (日) 07:14 (UTC)
監修団体が信頼できるなら信頼性はあるでしょうけれど、ゲームは解かないと次に進めないということで、器用であったり物知りである、あるいは上達することが要求されるためパスワードと同じで、障害者やお年寄りなど万人が見れませんので、残念ながら検証性を満たさない使えない情報源です。 よく見かけるエンディングがどうなると解説する記述も本来はNGです。 ただしゲームをスタートして出てくる情報は一次情報源として使えるかも知れません。 ゲームそのものよりもそれの回答集、ゲームのラストまでクリアするDVDが出版されていれば、それがエンディング等の検証性を満たす出典として使えるでしょう。 一般の企業から販売されている映像ソフトは1次情報源です。テロップの情報は使えますし、特別な解釈なしに分ることは使えるかも知れません。クイズ番組を収録したものは信頼できる二次情報源になるかと思います。--219.115.63.199 2011年6月19日 (日) 19:54 (UTC)
ここでは「信頼できる情報源」の観点でご意見いただきたいと思っていましたが、一応個別事情を書いておきます。1はプロフィール欄を確認するだけですから、何ら器用であったり物知りであったり上達する必要はありません。2はインストカードやオープニングに書いてあったり、最近のオンライン対戦型の場合はオープニング画面から辿ることができるルール説明や公式サイトなどに情報があります。3は、誤答した場合でも解説が表示されます(誤答した場合に正しい情報を知り得ないクイズゲームがあることは判ります。たまたま今回はそうではありません。)。障害者やお年寄りなどという部分がどういったケースを意味しているかうまく掴むことができていませんが、例えば視覚に問題を抱えているといったことであれば書籍においても同じですし、書籍の読み上げに相当する代替手段を取っていただく(介助者に代わりに見てもらうというのでもいいでしょう)だけで検証性を満たすのではないでしょうか。アクション性のあるものについて検証可能でないという点は一つの検討要素ですが、ここに挙げたものはアクション性皆無のものがほとんどだと思います(2は、一定時間以内に捨牌する必要があるという点に若干リアルタイム性を要求される要素がありますが、インストカードやオープニングを確認するなど、ゲーム本編に入らない範囲においてはアクション性を要求されません)。--NISYAN 2011年6月19日 (日) 20:18 (UTC)
3の例題「知識王」シリーズ トレインマスターのように誤答して(その時に正解が分って)、再チャレンジというパターンのクイズゲームは、誰もがチャレンジできる第一回目のテストの出題範囲ならそれで良いかも知れないが、上級テストに出題される出題範囲の問題は、上達を要求するので、出典にはできませんよ。--219.115.63.199 2011年6月20日 (月) 01:32 (UTC)
1問目は必ず同じテストというわけではありません。内部レベル1に属するクイズが出題されます。内部レベルは、1回のゲーム内での正答数に依存して上昇するものですので、内部レベル2以上のものについての検証可能性に異議を唱えること自体は判らなくはありません。ただ、当該ゲームの場合、大半の場面には時間制限は設けられていない(時間制限があるのはおさらいクイズパートのみで、問題数で全体の1/7程度)という事情から、出題された問題と答え(誤答の場合でも正解が判るというのは既に書いた通り)をノートに書き留めておき、以降の回答に利用すれば、内部レベル2以上に到達するにあたってプレイヤーが知識的な意味で上達する必要はありません。ノートに書き留めておくなどといった手間が掛かりますので、検証容易でないという考えはあるでしょう。ただ、検証可能でないというのは言い過ぎかなと思います。--NISYAN 2011年6月24日 (金) 21:29 (UTC) 記載位置を移動 --NISYAN 2011年6月24日 (金) 22:26 (UTC)、補記 --NISYAN 2011年6月24日 (金) 22:34 (UTC)
コメントWikipedia:信頼できる情報源#情報源」にあるように、一次情報源の定義は「書こうとしている対象の状況に非常に近い情報源」とされています。つまりゲーム本編から得られる内容は、ゲームそのものを記事の主題とする記事では一次情報源となりますが、ゲーム本編とは直接関係ない記事では「二次情報源からの言及」となると考えます。いずれにせよ、それが信頼できるゲームメーカーから販売されたゲームであるなら、一次情報源としても二次情報源としても使用できると考えます。もちろんフィクションと現実を区別する必要があることは言うまでもありませんが。
クリアするのにある程度ゲームの腕が必要な内容については、過去の議論にもありますが、分別ある大人が攻略本を用いて根気強くプレイすれば確認することができる内容は検証可能だと考えます。少なくともゲームをクリアするまでに必ず出現する出来事や、特定の条件を揃えるための方法が攻略本に書かれているものに関しては、問題ないでしょう。出典テンプレート{{Cite video game}}なども使用すると良いと思います。クイズゲームでの出題確率が極端に低い問題などは、再現性が困難にも思えますが、出版社から出された攻略本などでその問題の存在を確認できるのであれば十分に検証可能だと考えます。--Kanohara 2011年6月20日 (月) 00:07 (UTC)
純粋なRPGゲームの場合は攻略本とゲームがセットで出典になりえますが、純粋なRPGゲームは、幼児用を除いて最近あまりないですね。 戦闘モードに切り替わって、運的要素やミニアクションゲームが入ってる場合はそこまで知りえた情報は出典にできますが、その先は攻略本のみが出典になるでしょう。--219.115.63.199 2011年6月20日 (月) 01:32 (UTC)
検証可能性がないことと、(最低限の検証可能性はあるが)検証容易でないことの狭間の、利用者間での見解の違いのような気もします。ゲームも一律で検証可能であるとか一律で検証可能でないとかいうものでもないと思いますので、作品個別の事情を考慮しながら考える必要があろうと思います。ただ、いずれにしても、ここの主題である「信頼できる情報源」の範囲からは大きく外れるように思います。--NISYAN 2011年6月24日 (金) 21:29 (UTC) 補記、記載位置を移動 --NISYAN 2011年6月24日 (金) 22:26 (UTC)

「大手通販サイト」の価格情報は「信頼できる情報源」か[編集]

以前ここで以下のような提示[2]を行い、ガンプラ関係の記事においてローカルルールの制定[3]を行ないました。ですが、それを無視する編集者がいて、この件に関して以下の様に[4]発言しています(その編集者はローカルルールに基づいた情報の提示は行なっていません)。メーカーや模型雑誌では未だ価格に関しての情報が出ていない状況で「大手通販サイト」での価格情報がここウィキペディアにおいて「信頼できる情報源」足りうるのでしょうか。御意見をお願いいたします。--ステイシア・ボーダー 2011年7月17日 (日) 13:37 (UTC)

そもそも論になって申し訳ないのですが、WP:NOPRICESを見る限り、ガンプラの価格は「現在販売されている製品について述べた記事で市場価格に言及すべきではありません」という文章に抵触しており、掲載する必要の無い瑣末な項目に思えるのですがいかがでしょうか?--Web comic 2011年7月17日 (日) 14:02 (UTC)
ローカルルールは方針やガイドラインを都合よく変更するという意味内容であれば、残念ながら作っても無効となってしまいます。 一般的にその出典が信頼できるにせよ、ガンプラに限らず、物の市場価格の掲載というものは、(よほどのことでない限り)、百科事典的でないということで除去されてしまうのだと思われます。 (ちなみにアマゾンや楽天の価格情報は出典にできません。) 一方通販サイトであっても、内容が広告的でなく、そこにしかない情報源ということであれば、一律出典無効というわけでもないと思います。(一般的には通販サイトの出典は嫌われて除去されてしまう傾向はあります。) --Dictionwolf 2011年7月17日 (日) 14:28 (UTC)
個別に指摘すれば、該当のローカルルールの 2.1 & 2.2 の表示例で価格を表示しておいて、それを根拠に価格を何ぼでも載せられるという解釈になるなら、その部分は恐らく作っても無効であろうと思われます。 --Dictionwolf 2011年7月17日 (日) 14:54 (UTC)
以前ですが「Wikipedia:削除依頼/ガンプラの一覧」が出され、そこにおいて「記載の価格は、販売カタログ(販売を目的としたカタログ)に記載されている小売店価格(特定の店舗・時期の市場価格)のそれではなく、製品カタログ(製品の紹介を目的としたカタログ)に記載されているメーカー希望価格であり、当該一覧は禁止されている販売カタログにはあてはまらない。また仮に、価格情報の記載が不適切だとしても、価格情報を編集除去すればいいのであって、削除する必要は認められないでしょう」とあり(4行DAさんの発言)、存続となっています。現在「ガンプラの一覧」などで書かれている「価格」はアマゾンや楽天での実売価格ではありません(厳密に言うと「『メーカー希望小売価格』の『税抜き』金額」となっています)。--ステイシア・ボーダー 2011年7月17日 (日) 14:44 (UTC)
現状では「○○という商品が○月に発売される」という情報は模型誌で記載されていますが、「いくつかの『○○という商品の価格』」は通販サイトのみに記載されている、という状況です。現状では「いくつかの『○○という商品の価格』」の情報が「通販サイトの出典」であろう、ということを問題としています。模型誌による情報によって記載することは問題としていません。
「価格の記載は不要」という意見に対して「いや必要だ、削除に絶対反対」とは言いません。私自身は「ガンプラの一覧」などの作成そのものは行なっておらず(編集は多く行なっていますが)、当初からの価格の記載をそのまま続けているだけです。価格の編集除去にしても、議論してからの方がいいのでは、と思います(価格の編集除去提案を私自身が積極的に出す気はありません)。--ステイシア・ボーダー 2011年7月17日 (日) 15:14 (UTC)
百科事典に価格の記載は不要です。ステイシア・ボーダーさんの挙げられた削除依頼でも、価格は編集除去すべきという意見が多数です。メーカー希望小売価格がその製品を語るうえでとくに重要であり、特筆すべき事項である場合(極端に高くて大きく話題になったとか)には、個別に価格の記載を検討してもよいと思いますが、一律に記載するのが百科事典的とは思えません。--Trca 2011年7月17日 (日) 14:52 (UTC)
Wikipedia:削除依頼/ガンプラの一覧での議論は噴飯ものでした。他の編集者が訪問しないWikipediaページの特性を良くあらわしていると思いました。大和屋敷も個人的には残したいページですので編集参加者の方は深刻に対立せず仲良く工夫してやってくださいませ。--大和屋敷 2011年7月18日 (月) 04:53 (UTC)
「価格の記載の是非」は別に考えてください。記載している現状で「通販サイトを出典とすること」が適切がどうかに関してのご意見をお願いいたします。--ステイシア・ボーダー 2011年7月18日 (月) 09:45 (UTC)
(価格は書かないとして)これは、執筆しようとする内容と、サイトの運用者がどんな人物か(あるいはどんな団体か)によるのです。 これはもうケースバイケースであって、通販してるから一律禁止ということではありません。しかし、なるべくは専門誌とかの方が、批判も出にくくて安心できるという傾向があるくらいのものです。--Dictionwolf 2011年7月18日 (月) 10:29 (UTC)

記述の除去に関する表現について[編集]

細かいことですが、出所の不確かな素材節の

「あなたが本当に記述が信じられないならば、その記述を除去して、ノートページで情報源を要求してください」

の記述ですが、この一文だけをみて「俺は信じてないからな」という理由だけで除去する人が出てきそうです(というか今、実際にそういう行動をする人の相手をしているので)。 節名を見ればわかることではありますが、書いてある内容が強いので、冒頭を

「出所の不明な記述があり、かつあなたが本当にその記述を信じられないならば」

にしませんか。--s-kei 2011年11月27日 (日) 21:32 (UTC)

ちょっと状況がよくわからないですが、自分が信じないという理由だけで出典のない記述を除去されても、文句は言えないというのが WP:V では。あとの部分で「ノートページで情報源を要求してください」とあるので、この文は情報源が何もない記述を対象としていることはもともと明らかなように思われます。ですので二重の表現となってしまうのではないでしょうか。またこの文は前の「しかし、あなたが真実であり常識であると~」を受けているので、それとのバランスも取る必要があると思います。少なくとも、前記を加えるならば、「かつ」は省いてもよさそうです。なお今やってしまってすみませんが、さっき本文を若干推敲しました。というわけで、変更するならこのような文を提案します。
「そのような出所の不明な記述について、あなたが本当にその記述を信じられないならば、それを除去して、ノートページで情報源を要求してください」
--Calvero 2011年11月28日 (月) 15:15 (UTC)
バッチリだと思います。ありがとうございます。--s-kei 2011年11月28日 (月) 15:30 (UTC)
補足ですが、出典があっても「自分が信じられない」という理由で記述を除去(編集)する人が出そうだと感じた(&この文章を見たせいかどうかはわからないけど、実際にそういう行動を繰り返す方の相手をしている)ために提案した次第です。強く思い込まれてる方は、都合の良い前半部分だけに目が行ってしまうと思いますので。--s-kei 2011年11月29日 (火) 02:41 (UTC)

「流通業者様(販売店様/問屋様)向けの資料」は「信頼できる情報源」足りうるか[編集]

ガンプラの一覧においてこれを元にした、もしくはこれを紹介したプログなどを元にしたと思われる編集が行なわれました[5]。この資料は「信頼はできる」ものではあるでしょうが、現在のWikipediaにおいて「信頼できる情報源」足りうるものなのでしょうか(本資料に「画像を含めた内容の無断転載、二次使用はご遠慮ください」とありますので、リンクそのものが問題でしたら、リンクのある版の削除をお願いいたします)。ご意見をお願いいたします。--ステイシア・ボーダー 2011年12月4日 (日) 03:29 (UTC)

コメント 誰でも書店で買える書籍や公式サイトで公開された資料ではなく、限られた業務のものにしか開示されていないような資料は、「信頼できる出版元によって、その情報が入手できる状態になっていない一次資料」に該当するので、信頼できるかどうかはともかく検証可能性を満たさないと考えます。--Kanohara 2011年12月4日 (日) 10:44 (UTC)
あくまで僕の勝手な判断ですが、WEB上で公開されていて誰もがアクセスできる以上、検証可能性は満たされると考えます。Wikipedia上での「信頼できる情報源」にあたるかどうかは、情報提供元が誰かによるでしょう。例えばこの情報を出しているのがガンプラの生産者であれば一次情報であり、一次情報の利用ガイドラインに従うべきですし、第三者ならば別の情報源によるこの情報の評価が必要だと思います。僕自身はガンダムについてもガンプラについても詳しい知識を持ち合わせている訳ではないので、専門の方が判断されるべきかとおもいます。(本論とは直接関係ないのですが、当該記事の価格情報はWP:NOPRICES違反ではないでしょうか?)--yghwtrrl 2011年12月4日 (日) 14:49 (UTC)
コメント 改めて調べましたところ、「これ」で提示したサイトは「オンラインショップ」のサイトで、「信頼できる情報源」足りうるかで疑問符がつきます。--ステイシア・ボーダー 2011年12月4日 (日) 15:07 (UTC)
前述の通り、僕はガンダムにもガンプラにも詳しくなく、差分を見ても一体何が問題になっているのか理解できないのであくまで一般論しか言えませんが、Wikipedia:検証可能性#歴史家タキトゥスのすすめにもある通り、誰がその情報を出しているかを明記した上でなら、有用な情報となりえる可能性はあると考えます。--yghwtrrl 2011年12月4日 (日) 15:21 (UTC)
コメント 「ガンプラ関係のページにおいてのローカルルール」で「新商品の情報に関しての記述は『信頼できる情報源』の提示を」としているのです(「ノート:ガンプラの一覧#このローカルルールによる制限」より)が、「本来なら一般人は入手できない『流通業者向けの資料』」の「情報解禁日以前のリーク情報」を元としたと思われる編集が『信頼できる情報源』に基づく適切なモノ足りうるか、という問題があります。--ステイシア・ボーダー 2011年12月4日 (日) 15:48 (UTC)
とすると、情報源の信頼性の問題よりは、当記事で新発売の製品情報をいつ載せるかに関するローカルルールの運用の問題であり、ここで議論するのはちょっと場違いという気がしますね。このガイドラインのノートは、Wikipedia全体でどういう情報を受け入れるかという問題を議論する場所であり、個別の案件について議論する場ではないので… 僕の見解は上記の通りです。--yghwtrrl 2011年12月5日 (月) 17:12 (UTC)

IP氏の編集意図について[編集]

ノート:恐山ル・ヴォワールで個人が提示している正確な情報よりも出版社の出している不正確な情報のほうがウィキでは優先で、不正確な情報の寄せ集めがウィキなのだと聞きました。ちゃんと判るように書いていないとだめだと思うので追加しておきました。——以上の署名の無いコメントは、59.135.46.127ノート/Whois)さんが 2012年1月13日 (金) 04:36‎ (UTC) に投稿したものです(ろう(Law soma) D Cによる付記)。

Wikipedia:検証可能性をよくお読みください。「ウィキペディアに執筆してよいかどうかの基準は「真実であるかどうか」ではなく「検証可能かどうか」です。」誰でも書き込める情報が正確だという保証はどこにもありません。利用者が正確性を検証できるかどうかを担保することによって正確性を担保しようとしているのがウィキペディアなのです。このことを以て「不正確な情報の寄せ集めがウィキ」だと仰るのであれば、何を以て正確性を判断すべきとお思いでしょうか。--ろう(Law soma) D C 2012年1月13日 (金) 05:21 (UTC)
59.より始まるIPの方。初めまして。本ガイドラインの編集、お疲れ様です。さて、IP氏の編集についてなのですが、確かにウィキペディアの検証可能性というルールには欠陥もあります。しかし、誰もが編集できるwikiというシステムを用いた百科事典では、正確さを担保するためある種仕方のないルールであるということもご理解ください。本ガイドラインも欠陥を抱えていることは確かですが、このルールはウィキペディア上の記事全てに適用されるルールですから、不明点があればまずノートでの議論を先に提起された方がよろしかろうと思います。(個別記事の議論点に関しては、コメント依頼もございますのでそちらの利用もご検討下さい。--JohnaSheffield 2012年1月13日 (金) 10:46 (UTC)
報告 当該IP氏はブロックされたようです。[6] --JonathanSheffield(旧yghwtrrl) 2012年1月14日 (土) 06:39 (UTC)

「インターネットに出ている」「動画サイトに載っている」[編集]

という情報を書くのはそもそもダメなのでしょうか?たとえばある見出しに関する動画がyoutubeに出ているということを書くこと自体はダメなのでしょうか?実際にその動画はありますし。 「○○の動画がyoutubeに出ている」と書いた書き込みが消されていたのを見たことがあるのですが。--以上の署名のないコメントは、Jetrupter会話投稿記録)さんが 2012年2月15日 (水) 03:29‎(UTC) に投稿したものです。

  • コメント IP時代から変わっていないようですが、まずは署名を覚えてください。それから信頼できる情報源もきちんと読んでください。「実際にその動画はあります」とありますが、では、その動画内容やインターネットに出ている情報の信憑性を示してください。それが検証可能性です。提示された信憑性に「なるほど」とうなづければ、誰一人として文句は言いません。主義主張も大いに結構ですが、誰かに皮肉めいた非難をする前に、正確な出典を探すことを心がけられることをお勧めします。ここは闇雲に情報を集める場ではなく、あくまで百科事典なのですから。--maryaa 2012年2月15日 (水) 03:41 (UTC)
コメント Youtubeは投稿サイトですから、
……といったところでしょう。--Kanohara 2012年2月16日 (木) 04:21 (UTC)
ということは個人が作った動画を見つけて「それがあった」と記事書いてその動画のリンクを出しても信頼性が無いということですか。--202.59.121.150 2012年2月16日 (木) 05:02 (UTC)
コメント 個人が作った動画であっても、例えばその作品が社会現象を起こすほど有名になり、複数の新聞や、信頼できる報道機関が運営しているニュースサイトで取り上げられたり、何人かの著名な批評家が著書の中で言及されたりして、「Wikipedia:特筆性 (ウェブ)」のような方針に照らし合わせても十分な特筆性があるなら、その動画を主題とした記事を作ってもよいかも知れません。
その場合は、その動画が社会現象を起こしたことを報じるニュースや、著名な批評家の発言を出典にして、記事を書くことができます。そうして書かれた記事では、第三者による紹介や批評を添えた上で、動画そのものを一次資料として紹介することができますし、動画の直接的な関係者である動画製作者のコメントなどについても、出典とすることが可能でしょう。
なお、個人ブログや、2ちゃんねるのような掲示板や、wiki形式のまとめサイトは、信頼できる情報源ではありませんので、出典とすることはできません。例えばいま私が、手元にある携帯電話のカメラを使って即興で動画を作ってYoutubeにアップロードし、私が運営している個人ウェブサイトやレンタルしてきたブログに第三者を装って批評を載せ、2ちゃんねるの複数の板やスレッドに自画自賛の書き込みを行い、自分でレンタルしてきたwikiに一人であることないことを書き込んで、たった今作ったばかりの動画が人類史上最大のブームを起こしているように装うことは可能かもしれませんが、それを出典にしてウィキペディアに記事を書いたとしたら、私は荒らしとして即座にブロックされてしまうことでしょう。ですので、自作自演が可能なソースは出典として利用することができません。--Kanohara 2012年2月16日 (木) 06:48 (UTC)
となると確実にダメですね。僕が上げていたのは。社会現象になるほど有名にもなってないし。クイズ番組の1参加者のオタク的解答部分を切り取り動画としてアップしてそれが数年前から出され続けその人を中傷するようなコメントが書かれているとクイズ番組の記事のエピソード部分に「一個人を取り上げるような動画が出されている」として関連リンクに動画アドレス書くのはダメですね。--202.59.121.150 2012年2月16日 (木) 07:40 (UTC)
コメント それはまあ確実にダメでしょう。なお、存命人物に関する記述、特に批判的あるいは不名誉な内容に関しては通常よりも厳格な信頼性が求められます。「Wikipedia:存命人物の伝記」をご覧下さい。--Kanohara 2012年2月16日 (木) 08:41 (UTC)
分かりました。ご丁寧にどうもありがとうございました。--202.59.121.150 2012年2月16日 (木) 10:15 (UTC)

政治・宗教[編集]

現行のWikipedia:信頼できる情報源#反体制勢力、宗教集団、過激派のウェブサイトを見ると、現行のキリスト教記事で超教派の中立的観点を達成するために使われている各教派の出典(いのちのことば社教文館サンパウロ日本正教会といったところから出ている媒体)が全滅させられかねない虞があることに気付きました。カトリック百科事典もアウトになりかねません。今までそういう乱暴な人が出て来ていませんので杞憂と思いたいのですが、「方針・ガイドラインにこうあるから」という理由で一気に動く人が出て来る虞も無いではありません。

そもそも「反体制勢力・宗教集団・過激派」と、一まとめにするのが乱暴に過ぎます。別にキリスト教に限らず、伝統的なお寺が発行した仏教解説本も使えなくなったり、伝統的なお寺による観光客向け案内本も使えなくなったりしたら、ちょっと滑稽です。

オウム真理教の出版物を「信頼出来る情報源」として扱って良いかと言えばそれはダメだと思いますが、オウム真理教は「宗教」ではなく「犯罪組織」の括りで十分対処可能です。「オウムの巻き添えで薬師寺発行のガイド本が使えなくなる」なんて滑稽かつ深刻な事態は避けたいところです。

参考までに、本草案の英語版には宗教についての項目が設けられて居ないのですが(2009年1月1日14:16の版まで遡っても"religion"の単語がありません)、なぜ日本語版でこのような構成になっているのか、よく解りません。

次に政治ですが、たとえば自由民主党社会民主党日本共産党といった政党が発行する出版物も一律ダメと受け取られかねない本文は、これまた様々な記事に悪影響が及ぶ虞があります。しんぶん赤旗は「反体制政党によるものだから使えない」と一律やってしまう乱暴な人物が現れれば、相当数の記事に影響が及びます。数は赤旗ほどではありませんが、自由民主も出典として使われています。また、現状では上記のうち2政党は野党なのですが、どこまでが「体制勢力」でどこまでが「反体制勢力」なのかも不透明です(これも英語版には"political party"という単語がありません)。

「そんな出典は全部要らん」という極端な意見は(多分)無いでしょう。私なりに改善案を叩き台として提示します。

現行
反体制勢力、宗教集団、過激派のウェブサイト(節タイトル)
政党や宗教団体のウェブサイトや出版物は、政治的主張や宗教的信条が含まれていなくても注意して扱うべきであり、情報源として使わない理由になります。
よく知られた過激派さらにはテロリスト集団は、それらが政治的、宗教的、人種的あるいはほかの特徴を持つもののどれであっても、けっしてウィキペディアの情報源として使われてはなりません。一次資料、つまりそうした組織の意見を論ずる記事に含まれるというのは例外です。ただしそのような場合でも、非常に注意して使うべきであり、他の情報源で裏付けすべきです。
改善案
犯罪組織・過激派・テロリストのウェブサイトや出版物(節タイトル)
犯罪組織、過激派、さらにはテロリスト集団は、それらが政治的、宗教的、人種的あるいはほかの特徴を持つもののどれであっても、けっしてウィキペディアの情報源として使われてはなりません。一次資料、つまりそうした組織の意見を論ずる記事に含まれるというのは例外です。ただしそのような場合でも、非常に注意して使うべきであり、他の情報源で裏付けすべきです。

政治・宗教における特定の集団の主張によって記事が偏向させられる虞については、Wikipedia:五本の柱Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかWikipedia:中立的な観点 - Wikipedia:独自研究は載せない - Wikipedia:検証可能性で対処可能だと考えます。実際、私もキリスト教系記事で偏向を是正してきた際には、現行のWikipedia:信頼できる情報源ではなく、これらの方針で十分対処出来ました。

皆様の御意見をお待ちしたく思います。Wikipedia:お知らせにも告知します。--Kinno Angel会話2012年3月14日 (水) 10:34 (UTC)

コメント 例えば極東アジアの歴史問題について解説するときに、自民党や共産党の出版物を専門家の意見のように無条件で信頼できる情報源として扱うのはちょっとどうかと思いますし、生物学について説明するときにキリスト教団体が発行したインテリジェント・デザインの解説書を使ったりするのは、あまり適切ではないと思います。使ってはならないわけではないと思いますし、一次情報源としての使用は適正だろうと思いますが、普通の出版物と比べて、とりわけ中立的な観点に注意を払って慎重に扱うことを促す文言はあってもよい気がします。--Kanohara会話2012年3月14日 (水) 12:49 (UTC)
コメント 現行版は「情報源として使わない理由になる」などとされており、十分に注意を払うべきとはしておりますが、全面的な禁止と言うわけでもありません。Kinnno Angelさんの仰る「薬師寺発行のガイド本」は、本草案で想定・示唆されている「使わない理由が無い」ケースのひとつでしょうし、もちろんその際には中立性・正確性に遺憾無き様、十分に注意が払われるべきでしょう。ある事象を説明するためにどうしても必要もしくは最も適切であるケースでは相応の注意の上で使って良いと言った次第でありまして、現行の記述でフォローできていると思います。政治団体・宗教団体についての注意喚起を除去する方向性については反対と言わざるを得ません。十分な注意を求めるべきです。細かい改善を行なうのであれば、第2段落冒頭を「とりわけ、よく知られた過激派さらにはテロリスト集団は〜」、「特に、よく知られた過激派さらにはテロリスト集団は〜」などとする感じでしょうか。これにて「相応に注意すべき」ケースと「最大限の注意を払うべきもしくは利用しないべき」ケースを切り分けている感じです。--Hman会話2012年3月14日 (水) 13:37 (UTC)
コメント 例として「ものみの塔」を挙げます。これはエホバの証人が発行している出版物ですが、これには進化論を否定する内容が書かれております。この出版物を以て進化論を否定する根拠に出来るでしょうか?せいぜい、進化論を否定している宗教の例として掲示できるに止まるのではないでしょうか。その辺り、「十分に注意を払」えばよいのだと思います。--ろう(Law soma) D C 2012年3月15日 (木) 02:55 (UTC)
コメント 皆さんの仰るような問題ある場面があることについては認識しております(個別具体例、全部御尤もです)。では、「全面的な禁止と言うわけでもない」という了解があるという理解で宜しいのでしょうか?だとしたら、ノートページでの確認だけで話は事足りるのですが…--Kinno Angel会話2012年3月16日 (金) 04:00 (UTC)
コメント 現在の文章はその様にしか解釈できないと思います。「原則的に使うべきではありません」ではなく「使わない理由になります」ですし。ja-4以外の方がどう取られるかはわかりませんが、そこまで難解な言い回しでは・・・ないでしょう??反面、極端な反政府団体やカルト教団などについては「例外を除き原則的に使うべきではない」と読めます。同時に、以上の基準はおおよそ妥当と考えます。これまで疑問に思った事が全くありません。--Hman会話2012年3月16日 (金) 11:40 (UTC)
コメント 今まで「ガイドラインにこうあるから」ということで暴走する人間に何度か遭って来ましたので、「難しい言い回しでは無い」程度の表現では無く「明快な言い回し」にしておくべきだというのが(今でも)私の考えです。しかし「そこまでの必要は無い」という意見が大勢であれば、「ノートでそういう確認がなされた」という実績が残れば、それで用は足りるとも言えます。--Kinno Angel会話2012年3月16日 (金) 14:47 (UTC)
仰りたいことは解りますし、私も全く同感であると言わざるを得ません。が、「政党や宗教団体のウェブサイトや出版物は、政治的主張や宗教的信条が含まれていなくても注意して扱うべきであり、情報源として使わない理由になります。」となっている表現を・・・他の方のご意見や私の認識に沿って・・・改めるのであれば、「政党や宗教団体のウェブサイトや出版物は、一見して政治的主張や宗教的信条が含まれていない様に見える場合でも厳重に注意して扱うべきであり、相当の必然性が認められるケースでない限り、情報源として用いるべきではありません。」などですか。扱いが若干明確になり、また例えば「薬師寺発行のガイド本」で薬師寺観光や由来を薬師寺サイドの情報とわかる様にして掲載することは必然性があると認められる為許容もされる感じですか。もし変更が必要であるとのご意見が多く見られる様でしたら、改めて詰めていくのでしょう。--Hman会話2012年3月16日 (金) 15:20 (UTC)
コメント 生物学について説明するときにキリスト教団体が発行したインテリジェント・デザインの解説書を使ったりするのは、あまり適切ではないと思います。という懸念をKanoharaさんが表明していらっしゃいましたが、その懸念自体は正当です(つまり「適切ではない」という結論に私も賛成です)。
しかしその目的を達成するのに本草案は巻き添えにしかねないものが大き過ぎます。「出典として宗教関連の出版物を全否定、もしくは否定的に全てに網をかける」必要は無いでしょう。まさしく進化論を例にとっているWikipedia:中立的な観点/FAQ#争いのある主題についての長い記事で十分です(しかもこのFAQは出典だけでなく、記事本文分量についてまで言及しているのですから、「必要十分」以上の内容を備えています)。
Hmanさん御提案の「政党や宗教団体のウェブサイトや出版物は、一見して政治的主張や宗教的信条が含まれていない様に見える場合でも厳重に注意して扱うべきであり、相当の必然性が認められるケースでない限り、情報源として用いるべきではありません。」これですと、縛りがきつ過ぎるように思えます。
現行のキリスト教系記事を中立的観点の面で改善するために、私は各教派の出典(いのちのことば社教文館サンパウロ日本正教会といったところから出ている媒体)を各論併記しながら進めているのですが(例:イエス・キリストなど)、こういう場合も「宗教系の出版物だから『相当の必然性が認められるケースでない限り、情報源として用いるべきではありません。』」という縛りの対象になってしまうのでしょうか?もしこういう縛りが必要という話になってしまいますと、当草案を根拠に削除していく人物が現れた場合、「相当の必要性」を一々立証する責任が負わされてしまうのでしょうか?この類の「立証」には大きなリソースが要求されるものであり、これが要求されて暴走する人間が出現した場合、ハッキリ言って今私が各所で手がけております中立化・各論併記の面での記事改善が不可能になります。それとも現行の「出典ゼロ」「教派別の各論併記ナシ」の現状は放置されるべきなのでしょうか(そうではないでしょう、という反語です)。
どなたからもこの件にかかるお言葉が頂けないのでちょっと不安に感じているので、私のやってきている作業が全否定されているわけではない、という確認を頂きたいものです(そうでないと、今は良くても、将来「明文化されていないから」という理由で暴走する人間が出て来る可能性が排除出来ませんので)。--Kinno Angel会話2012年3月17日 (土) 15:34 (UTC)
我ながら冗長なので箇条書きにまとめます。
  • 「進化論の記事に宗教関連出版物が用いられる」といった、「宗教系出版物が非宗教的記事を浸食する」ケースに対処するには、まさしく進化論を例にとっているWikipedia:中立的な観点/FAQ#争いのある主題についての長い記事で十分、いや、このFAQは出典のみならず、記事本文分量についてまで言及しているのですから、「必要十分」以上の内容を備えています。
  • 皆さん、上記の状態だけ懸念されておいでですが、「宗教系の記事に宗教関連出版物が(各論併記の上で)用いられる」という(キリスト教だけでなく、たとえば仏教系記事に仏教徒が描いていない文献だけを頼りにするのは専門家を無視するも同然です)、ごく当たり前の状況が否定されかねない危険性についても認識して頂きたいのです。
  • 上記二点の理由から、「宗教系出版物を慎重に使うべき」という文言を洗練させか、もしくは「宗教系の記事に宗教関連出版物が(各論併記の上で)用いられる」ことは当然に認められるという確認合意を、ノートにおいてしておきたいということです。--Kinno Angel会話2012年3月17日 (土) 15:54 (UTC)
  • コメント その辺りはほとんど議論の余地は無いでしょう。必然性が認められるケースですから、慎重さを忘れない前提で、可です。これについてより多くの是認とそれに根ざした合意を得たいのであれば、Wikipedia:コメント依頼の方でも告知してみては如何でしょうか。もし敢えて文章を変えるのであればKinno Angelさんのおっしゃるその例外規定を、いかに自然な文章で盛り込むかと言った形になるでしょう。Kinnno Angelさんの懸念もごもっともなのですが、宗教系・政治系の主張が通常の記事を浸食する危険は、まさしく桁違いのものと考えます。--Hman会話2012年3月17日 (土) 16:13 (UTC)
コメント「現行のキリスト教系記事を中立的観点の面で改善するために、私は各教派の出典(いのちのことば社教文館サンパウロ日本正教会といったところから出ている媒体)を各論併記しながら進めている」ということなら、それらは各派の思想なり用語なりというものについての一次資料として使っているということなので、特に問題ないですよ。どこかの教派のものを二次的情報源として、Aという教派はこう、Bという教派はどう、と書くのはよくないですよね? 存在するなら、どこかの学術出版社から出ている比較宗教論みたいなものを使って全体の構成を考えることで独自研究じゃないことを示すのが望ましい。そういうことを求めている文章です。
たとえば「仏教書総目録」の掲載者名簿[7]を眺めてみると、「宗教団体のウェブサイトや出版物」というのは東本願寺出版部や日本テーラワーダ仏教協会や幸福の科学出版などのことです。「宗教系出版物」がだめなのではなく、ここでは「宗教団体の出版物」を二次資料として使うことが認められていない。もちろん、特定の宗派の仏教徒の強い主張を含むものなら、第三者的な出版社から出ていても一次資料として用いられるべきでしょう。特定の宗派の仏教徒ではあるとしても、強い信仰を持っていない人もいるでしょう。単純に線引きをするのは好ましくないですけれども。
Kinnno Angelさんが、書けなくなると懸念されているようなものは、一次資料に基づいたものとして書かれる限りでは問題を生じませんし、一次資料ではないものとして扱うのならば問題を生じます。自民党の出版物は、自民党の出版物によれば云々という形で書く。薬師寺発行のガイド本は、寺の案内程度に限れば普通に使える。現行の文章は、そのように書かれています。改善案では、自民党や共産党の出版物を政治の記事などに通常の情報源として用いることができるようになってしまう。--Ks aka 98会話2012年3月17日 (土) 16:38 (UTC)
コメント 皆様議論参加をありがとうございます。
Hmanさん、Ks aka 98さんのお二人が懸念されるような事態を警戒されるのは御尤もだと思います。
ある教派の方が一次資料を二次資料的に使って「A教派・甲思想潮流の特有の思想」を「キリスト教の考え方」「聖書の考え方」として書き続けていらしたのに対しては、大いに困りつつ、大いにカウンターとして働いて、両論併記に努めて記事改善に動き続けて参りました。繰り返しますが、お二人が懸念される事態を警戒すること、その点については異議無い事は強調しておきます。
ちなみに私が
「A教派では『ア』と主張されており<ref>A教派出版</ref>、B教派では『イ』と主張されており<ref>B教派出版</ref>、C教派では『ウ』と主張されている<ref>C教派出版</ref>。なお、全体に共通する主張としては『エ』がある<ref>A教派出版、B教派出版、C教派出版</ref>。」
といった書き方をかなりの数の記事でやっているのですが、それはWikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料の「(2)分析、総合、解釈、評価にあたる主張を全く行わない記事、のような場合」に当たるため、どうやら問題無いようですね。「A教派が合理的で、B教派が曲解しており、C教派が伝統的である<ref>A教派出版</ref>」といったような「評価」の記述はしておりませんから。
…「慎重さがあるのであれば可」という皆様からの私へのお言葉や、Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料のケース(2)での記載事項をみてみますと、皆さんの御懸念を押しきってまで文章変えなくても、と思い始めてもいます。
ですが私の最終的な疑問は、その目的達成に、Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料と、Wikipedia:中立的な観点/FAQ#争いのある主題についての長い記事では不十分なんでしょうか?ということなんです。どうなんでしょう。私のこの最終的疑問に対して、「いや、それらだけでは不十分だ。なぜならかくかくしかじかのケースが考えられる。Kinno Angelのやっていることは否定しないが、懸念される事態はこれだけあるのだ。」という具体的に想定されるケースが示されれば、提案自体取り下げる方向に傾いても居る、そんな状態です。--Kinno Angel会話2012年3月18日 (日) 08:52 (UTC)
はい、不十分です。宗教・政治は特に「POV」の強いもので、特に他分野への浸食について最大限の注意を払うべきものです。問題が発生してから方針の解釈を説明するのがどれだけ迂遠であるのかはKinno Angelさんもご存じのはずであり、より解りやすく示しておくべきと何度も痛感なされているはずです。この文書で同時にフォローしておきましょう。そしてそれはおおよそ現状の方向性で置いておくことが、必要な防波堤であると考えています。この文書は主として一般論を記していることにご留意下さい。ある宗教についてその信者や団体・宗派発信の文献を用いることや、ある政治集団やテロリストについてその信奉者や各団体発信文献を用いることは、注意をすれば許されますが、非常に限られた例外です。ほぼ現状を踏襲したまま一般論を示しておけば問題は無いでしょうが、どうしても例外規定を明確に盛り込みたいのであれば、例外規定を一分付加する方向でご検討頂くのが良さそうです。もちろん物事は100:0とは参りません。しかしリスクとコストを比較すれば、こう在るべくは明らかであると考えています。--Hman会話2012年3月18日 (日) 14:10 (UTC)
コメント
ニュアンスの問題になりますが、「非常に限られた例外」の表現のみ異議があります。なんだか「教派単位の出典じゃなくても豊富な出典が有る」と思いこまれていらっしゃる方も居るのですが、日本におけるキリスト教関連書籍の酷さは酷いにも程が有るほど酷いもので(ネットで「ふしぎなキリスト教 間違い」をググってみれば、その一端が解ります)、「教派ごとの理解は豊富だが、中立的じゃない」「非キリスト教徒が書いていて一見中立的だが、実は無宗教という別の観点からの評価が入り込んでいる」といったものしか無いんです。
また、宗教学者が書いて居れば中立的で正確なんてことは有り得ません。それは「政治家ではなく政治学者が書いて居れば中立的で正確」なんてことは有り得ないことを考えればすぐにお解りでしょう。
だからこそ「諸教派の事典・資料を机の周りに積み上げて、教派・思想潮流ごとの見解を列挙するのに徹している」というのが実情です。ですからこうした手法に「非常に限られた」という表現までされてしまうのは、復活 (キリスト教)地獄 (キリスト教)キリストの地獄への降下イエス・キリストなどで中立的観点を満たすためにやってきた私の手法が「非常に限られた例外」ということになってしまいかねず、今後が懸念されます。
他方、「例外」扱いそのものは、拒絶しません。全体の記事からすれば確かに僅少ではあります。例外規定を設けるか、設けるとしたらどのような形がいいのか、あるいはノートでの確認だけしておけば、例外規定まで設ける必要は無いのか、その辺を考える必要はありますが、繰り返しになりますが「例外扱い」は否定しません(要するにニュアンスもかなり重要だということです)。
これも繰り返しますが、仰るような懸念については私も等しくします。たとえばラオディキヤは、早急に修正が必要だと考えます(地理記事なのに宗教出典しか付けられておらず、しかもその宗教出典も福音派のみ)。
それと、別の問題もあるんですが…オカルト研究家(リン・ピクネット)の文献を元にした節がある記事憑依、こういうのって「宗教でも過激派でも政治家でも無いから使っていい」のかと。羽仁礼細木数子江原啓之などの文献を排除するには、現行の文言というのは何の役にも立たない。そういう意味で、私も「単に緩くする」という主張だけでなく、今回を機会に「スピリチュアルとかオカルトとか」の分野についての文献についても、慎重な運用を促す文面に直す必要があるんじゃないかと思い始めております。--Kinno Angel会話2012年3月18日 (日) 14:57 (UTC)
大方についてはご納得頂けました様で幸いです。私が「非常に限られた」と申し上げました点につきましては本文に反映された訳ではなく、私の感想や言い回しの問題ですから、あまり深く追求されても困ります。私は敢えて政治・宗教に傾いた文献を用いるべき題材はやはり至極限られていると思いますが、人生においてある政治的思想やある宗教を非常に重要視なされている方はそう考えないかもしれません。と申しますか、私は「政治」「宗教」にカテゴライズされる案件は、何十万記事や(将来的な)何百万記事の内の極めて一部なのではないですか、と申し上げているに過ぎないのですが(何%くらいになるのでしょう?)。その内で更に注意して用いるべきなのですから、やはり全体から見ると極めて限られているケースなのではありませんか。編集手法自体、つまり各論の紹介&併記などは鍛えある執筆者であるなら誰でも経験があるでしょう。まあ具体的な文面を詰める段階では全くありませんから、この辺りはのんびり構えておきまして、しばらくは皆様のご意見を拝聴致しましょう。
スピリチュアルやオカルトにつきましては申し上げるまでもなく、政治・宗教と同様のわずかな例外を除き、信頼できる資料として用いるべきではありませんが(この点に異議を唱えられる方はいらっしゃらないでしょう)、広義の宗教、しかも多くはカルトのそれに含まれますためそれと同様の扱いになるか、それより更に中立性・信頼性に期待出来ず権威も無いものとして扱われるのが自明である気もしないでもありません。敢えて明示するのであれば、他の文章との整合性を取る形ですと「まじないの類」「オカルト」などと付加しておくのでしょうか。この点につきましても、もし他の皆様から前向きなご意見を頂ける様でしたら、検討してみましょう。--Hman会話2012年3月18日 (日) 16:27 (UTC)
◆うーん、個人的な意見で恐縮ですが、宗教関係記事は、その内容を二分できるように思うのです。その記事の主題自体の説明と、主題への評価です。主題自体の説明には、宗教関係の出版物を参照しないと書けないものが多くあります。教義とか布教方法とかです。一方で、その主題が他宗教からどのように考えられているかなどは出来るだけ客観的な資料に基づかないと誹謗的内容が多くなってしまいます。その辺りについては宗教学者等の意見が多く引かれるべきではないでしょうか。オカルト等についても同じ事が言えます。この辺はWikipedia:自分自身の記事をつくらないを類推適用できそうにも思います。Wikipedia:中立的な観点/FAQも参考に出来るでしょう。でもHmanさんのおっしゃるとおり、それだけというよりは、ここの文章が幾分強い働きを持つ方が、より良いのではないかと思います。--ろう(Law soma) D C 2012年3月19日 (月) 04:37 (UTC)
コメント 取り敢えず、ろう(Law soma)さんに一部のみお返事します(Hmanさんへのお返事、および他の部分については、また後日もしくは後刻)。「宗教関係記事は、その内容を二分できるように(引用中略)その記事の主題自体の説明と、主題への評価(引用中略)教義とか布教方法とかです。」同感です。「一方で、その主題が他宗教からどのように考えられているかなどは(引用中略)等の意見が多く引かれるべきではないでしょうか。」これも同感です。ただ、私は「評価」にかかることについては殆どタッチしておらず、前者「記事主題自体の説明」ばかり加筆しております。むしろこの手の記事で中立的で独自研究では無い評価など不可能という見方すら持っており、「評価」にかかる部分はかなりのところで(出典も無い場合が殆どなので)削除して廻っています。私の個人的体験は偏っているかもしれません。ですから別分野の記事に当たっている皆様とは相当感覚の差があるのだろうなとも思い始めました。確かに「評価」の部分に宗教出典が使われまくる事態は避けたいですね。--Kinno Angel会話2012年3月19日 (月) 05:49 (UTC)
コメントそもそも論として、Kinno Angelさんが2012年3月14日 (水) 10:34 (UTC)に「今までそういう乱暴な人が出て来ていませんので杞憂と思いたいのですが」と書いておられるように、いまだ起こっていない本項の記述の濫用を危惧して議論すること自体がWikipedia:鼻に豆を詰めないでに該当する話ではないでしょうか?Kinno Angelさんの提案自体するべきでなかったと言うつもりはありません。提案、同意、即決となれば問題なかったわけですが、これだけ多くの見解が噴出し結論を見ないとなると、前もって対策を整えることのメリットより、このノートを読んでKinno Angelさんが危惧している本項の記述の濫用を実行に移す危険性というデメリットの方が高いように思います。なお、この発言自体がWikipedia:鼻に豆を詰めないでに該当する話でもあることは承知しています、必要なら特定版削除していただいて構いません。--ジャコウネズミ会話2012年3月25日 (日) 15:11 (UTC)
賛成 本提案について賛成します。「○○では××という見解を示している」という中立的な記述である限り、反体制勢力、宗教団体の見解が全て信頼がおけない、あるいは犯罪やテロを誘発するような記事になるとは考えられないからです。犯罪組織・過激派・テロリストに該当しない反体制勢力、宗教団体を源とした出典に拠る好ましくない記事の編集があった場合には、本文から脚注への移行など、リバートや編集除去をしない中での推敲の工夫をするとして、それでも実害が多い場合には表現を戻す、ということでよいと思います。なお、この議論において、結論を見た場合でも、結論が出ない場合でも、本節は可及的速やかに過去ログに移動させた方が良いように思います。--ジャコウネズミ会話2012年3月25日 (日) 15:56 (UTC)
コメント 改訂ではなく、削除でいいのではないでしょうか。英語版の履歴を追いかけてみたんですが、「それってExtremist sourcesと同じ事を言っていない?[8]」という事で集約されていったようです。個別に記述する必要もないような気がします。--Tondenh会話2012年3月25日 (日) 17:20 (UTC)
コメント 私の提案・懸念は完全に杞憂という見解が大勢なようで、私の提案そのものには否定的な皆さんからも、「そんな懸念はいらん」という趣旨の御言葉を頂けた事には大いに感謝しております。で、私も「文言は残した方がいいかな」と思い始めました。
しかし一つだけ、改良提案があります。段落分け追加という微修正です。
現行
政党や宗教団体のウェブサイトや出版物は、政治的主張や宗教的信条が含まれていなくても注意して扱うべきであり、情報源として使わない理由になります。
よく知られた過激派さらにはテロリスト集団は、それらが政治的、宗教的、人種的あるいはほかの特徴を持つもののどれであっても、けっしてウィキペディアの情報源として使われてはなりません。一次資料、つまりそうした組織の意見を論ずる記事に含まれるというのは例外です。ただしそのような場合でも、非常に注意して使うべきであり、他の情報源で裏付けすべきです。
変更提案
政党や宗教団体のウェブサイトや出版物は、政治的主張や宗教的信条が含まれていなくても注意して扱うべきであり、情報源として使わない理由になります。
よく知られた過激派さらにはテロリスト集団は、それらが政治的、宗教的、人種的あるいはほかの特徴を持つもののどれであっても、けっしてウィキペディアの情報源として使われてはなりません。
一次資料、つまりそうした組織の意見を論ずる記事に含まれるというのは例外です。ただしそのような場合でも、非常に注意して使うべきであり、他の情報源で裏付けすべきです。
…こうすることで、「一次資料、つまりそうした組織の意見を論ずる記事に含まれるというのは例外です。」が、前段にもより解り易くかかるようになります(従前はより不明瞭です)。
なお、この提案が実行された後、本節が過去ログに移されることについては、全く異議ありません。--Kinno Angel会話2012年3月26日 (月) 01:57 (UTC)
  • コメント 現行版の微細な変更でいくのであれば、その後考えました所先日申し上げた「とりわけ」私案が割と良さそうです。
政党や宗教団体のウェブサイトや出版物は、政治的主張や宗教的信条が含まれていなくても注意して扱うべきであり、情報源として使わない理由になります。
とりわけ、よく知られた過激派さらにはテロリスト集団などは、それらが政治的、宗教的、人種的あるいはほかの特徴を持つもののどれであっても、けっしてウィキペディアの情報源として使われてはなりません。
一次資料、つまりそうした組織の意見を論ずる記事に含まれるというのは例外です。ただしそのような場合でも、非常に注意して使うべきであり、他の情報源で裏付けすべきです。
とすると、ジャンルや筆致に注意して使えば問題の無い一般の政治宗教と、原則的に使わず使うにしても細心の注意を払わなければならないものとが明確に切り分けられる感じです。現行版ですと、単なる「宗教」と「テロリスト」の切り分けが曖昧だと言えば曖昧なのです。--Hman会話2012年3月26日 (月) 02:39 (UTC)
賛成 Hmanさんの御提案される文言が最善だと思います。--Kinno Angel会話2012年3月26日 (月) 04:12 (UTC)
コメント 他に異論が無ければ、Hmanさんの御提案される文言に本文を修正、議論は過去ログ化、本草案をガイドライン化するという流れで宜しいのではないかと思うのですが、議論に参加して下さった皆様はいかがでしょうか。--Kinno Angel会話2012年3月26日 (月) 12:18 (UTC)
賛成 一度、当初の提案に賛成しましたが、 Hmanさんの御提案でまとまりそうであればそれでよいと考えます。--ジャコウネズミ会話2012年3月26日 (月) 16:05 (UTC)
賛成 Hmanさんの文案でよいと思います。特に意見や反論はありません。--Kanohara会話2012年3月27日 (火) 10:19 (UTC)
コメント 4月3日(UTC)までに異論が無ければ、Hmanさんの文案で改定しようと思います。--Kinno Angel会話2012年3月29日 (木) 06:37 (UTC)
報告 Hmanさんの文案で改定しました。議論に参加して下さった皆様、ありがとうございました。--Kinno Angel会話2012年4月4日 (水) 15:42 (UTC)

避けるべき情報源について[編集]

以下を、避けるべき情報源として合意形成したく論題として提示いたします。

理由:間違っていたためにWeb上から削除された情報があっても、ウェブアーカイブを出典としてもう一度掘り起こせば、間違った情報を正しい情報であるかのようにして記事を書くことが可能になってしまうため。
理由:検索結果のページは編集者の知りたい・示したい情報を意図的に集めたものであり、Wikipedia:独自研究は載せないに抵触する場合があるため。--ジャコウネズミ会話2012年3月24日 (土) 04:04 (UTC)
コメント 「Web上から消された」だけでは、それが誤りであるために除去されたのか、単なる掲載期限切れによるものであるのか判別できません。検証可能性や中立的な観点からも、その情報が誤りであると断定することは、報道が誤りであると訂正した記事によってなされるべきであると考えます。そもそも例示の「デマ扱いされた柏のホットスポット」の出典自体、ウェブ上の記事は利便的に用いられているに過ぎず紙媒体の記事を論拠としていることからして、「Web上から消された情報を出典として無効とする」ことが、「間違った情報を正しい情報であるかのようにして記事を書くことを抑止すること」に繋がらないことを端的に示しているように思います。
なおリンク切れの出典の扱いについては、関連するガイドラインを英語版から導入する提案が「Wikipedia‐ノート:出典を明記する/英語版の翻訳#リンク切れの回避と修復」で行われていますので、宜しければそちらもご覧下さい。--Kanohara会話2012年3月24日 (土) 07:14 (UTC)
コメントコメントありがとうございます。結論としては、一般論としてウェブアーカイブはこれを避ける積極的な理由がなく、避けるべき情報源にはならない、ということで了解いたします。例示は、「報道が誤りであると訂正した記事」は存在しないか出典明示がなく、他紙による批判と検証可能な事実に関する出典に拠っている(後者のみだと「新聞報道に不正確なものがあった」という記事としては「Wikipedia:独自研究は載せない」に抵触する可能性がある)ケースでした(因みに、例示のケースは、リンク切れの修復ではなく、最初、ブログに出典を求め、次いでウェブ魚拓が出典として提示された経緯があります)。今後、例示の件につきましては、出典の求める内容が、「赫赫云云という記事が○○年××日に△△△△新聞に掲載された」という事実である場合においては、新聞記事自体が検証可能な紙媒体であるので、【新聞・新聞社名、発行日、朝・夕刊の区別、掲載ページ数】まで示されれば、敢えてウェブ魚拓を利用し、紙面の写真を出典にしてまでWeb情報にこだわる必要はないのではないか、ということに論点を絞ることと致します。一方、「検索エンジンの検索結果」の方は、引き続き議論がなされることを希望いたします。ありがとうございました。--ジャコウネズミ会話2012年3月24日 (土) 09:02 (UTC)
コメント Webアーカイブ、Web魚拓については避けるべき積極的な理由は見つかりません。Webアーカイヴは確かに「削除されたものを掘り起こせる」かもしれませんが、紙の新聞(その他文献)でも訂正前の記事を物理的に出典として利用できるのは同じ事であり、クリックすれば出てくるのか、図書館で参照すれば出てくるかの違いでしかないのです。使い方の問題であり、webアーカイヴを極端に軽視する理由にはならないはずです。もちろんデータ保持・将来までの検証可能性の確保と言った観点から、紙の方が遙かに「好ましい」のは間違いありません。が、義務化や強い推奨までは必要ないのではないでしょうか。今回のケースでしたら魚拓先が紙の新聞の写真ですから確かに不要でしょうが、全てのケースで不要とまでは思いません。ちなみに個人的には単純に閲覧者による検証が便利ですので、ネット新聞と紙新聞、内容の同一性が担保できるのであれば並べておけば良いと思います。
検索結果の方につきましては、それが一般的なgoogle等検索エンジンのそれであれば、信頼できる情報源と見なされる方はいらっしゃらないでしょう。問題は敢えてそれを明記するか、明記するのであればどこに入れ込むのかになってくると思います。どの記事であったかは失念しましたが、「google検索では○○件もヒットする」などとされていて、目眩がした記憶があります。--Hman会話2012年3月24日 (土) 15:45 (UTC)
コメント 英語版のガイドラインから見ますと、WP:COPYLINKと、Wikipedia‐ノート:出典を明記する/英語版の翻訳#リンク切れの回避と修復より、Archive.orgとhttp://www.webcitation.org/ は許容しているようです。魚拓がWebCite相当のものかとみなしてよいかについては、魚拓は国内の著作権法が適用される点を踏まえて議論が必要かなぁと思います。検索エンジンキャッシュは「消える」ので、WP:RSとは別の点で勘弁して欲しいですね。--Tondenh会話2012年3月24日 (土) 17:11 (UTC)
コメント「google検索では○○件もヒットする」などの記述の場合には「だからといって何の指標にもならない」ということで記述内容を吟味することで対応できそうですが、「○○に関する記事一覧」という意味で検索エンジンの検索結果(内部検索含む)を出典とする場合(上記例示はこれかと。ただしヒットした4件が全て同一文書だったためそちらを出典としました)が再び生じ、違和感を感じたらまたご相談させていただきます。--ジャコウネズミ会話2012年4月13日 (金) 10:09 (UTC)

ガイドライン化の提案[編集]

本文書は、数年に渡り十分な議論と検討が加えつづけられており、また利用者間で意見の対立する大きな争点もなく、その内容も利用者によって多用されていることからして、事実上実効性を持った慣習となっていると考えてよく、そろそろガイドライン化して形式と実質を一致させたほうが良いのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。--Kurz会話2012年3月25日 (日) 12:20 (UTC)

すみません、まだ上記で私が提起した議論、終わっていないのですが…--Kinno Angel会話2012年3月25日 (日) 12:25 (UTC)

コメント 細部についてはいろいろあろうかとは思いますが、大筋では先に述べた通りかと思います。気になるようでしたらその議論が終わるまで待たせていただきますが。--Kurz会話2012年3月25日 (日) 12:32 (UTC)
ガイドライン化には異論がないですが、過去の翻訳時点と違って、#オンラインや自己公表された情報源の利用セクションはWP:Vとダブりまくっているので、WP:Vと重複する点はそちらにマージするなりして軽量化したいのですが、どうでしょうか? --Tondenh会話2012年3月25日 (日) 12:56 (UTC)
コメント 私は異論ありません。ただ本提案とまざってノートが読みにくくなるでしょうから、節は分けた方が良いのでは。--Kurz会話2012年3月25日 (日) 13:08 (UTC)
失礼しました、ダブりの点の作業は後々になりそうなので、とりあえず賛成です。--Tondenh会話2012年3月28日 (水) 15:12 (UTC)
コメント そうですね、大方の部分においてこの草案の大方の内容や精神については、あまり大きな異論は見られない様です。基本的にはその方向で舵を取ってみて、もちろん来月中になどと言った訳ではありませんが、一度ガイドライン化に向けての告知を行い、特に「分野ごとのアドバイス」について、各分野の執筆者からご意見を伺い必要であれば修正していくかたちに持っていきたいものです・・・。個人的にはテレビ・ラジオの放送自体は信頼出来る情報源ではないと明記することはできないものかと頭を抱えています(もちろんガイドライン化がなされた後に、追加のかたちでもいいんですけどね)。--Hman会話2012年3月25日 (日) 15:37 (UTC)
コメント ご提案ありがとうございます。このガイドラインの正式化は望まれることで賛成なのですが、現行の内容は英語版と比較して指示がかなり大きいように見えました。Wikipedia:方針とガイドライン#内容を参考にすると、例えばWikipedia:信頼できる情報源#情報源の表現は明快簡潔でなく、編集者が常識に基づいて判断することを期待した表現ではないのではと思いました。正式化する前に全体的に簡潔手短に編集する必要があるのではないでしょうか。例えば、この程度差分)を削っても、説明が成立するように思うのですがいかがでしょうか。--Degueulasse会話) 2012年3月28日 (水) 15:49 (UTC) (追加編集)--Degueulasse会話2012年3月28日 (水) 16:51 (UTC)
コメント 文言削減提案についてどうするかは、ガイドライン化してからの方が宜しいかと思います。多分ここまで大規模な削減の議論が纏まるのは、一朝一夕にはいきませんから。特に政治・宗教欄については、上記での合意をまず実行に移しておきたいですね。--Kinno Angel会話2012年3月29日 (木) 06:37 (UTC)
コメント 私の意見を簡潔に申し上げますと、「まずガイドライン化を、その後に細部の修正を」です。理由は先に述べた点に加え、内容の修正にはおそらく総論賛成(ガイドライン化には賛成)・各論反対(細部では議論が長引く)となって結局ガイドライン化されないという顛末になることが予想されるためでもあります。--Kurz会話
コメント Kurzさんに賛成です。--Kinno Angel会話2012年4月2日 (月) 04:09 (UTC)
コメント 異存ありません。--Hman会話2012年4月2日 (月) 10:00 (UTC)
コメント 上の議論が終了したようですし、またいただいた意見も主に原案を洗練させたほうがいいというもので内容についての批判というわけではなく、また「まずガイドライン化を」という提案について特に異論が出ずおおよそ合意が得られたものと思いますので、3日ほど待って特に意見が出ないようでしたらガイドライン化を提案したいと思います。--Kurz会話2012年4月8日 (日) 02:26 (UTC)
コメント ここをウォッチしている、かつ2012年初春現在アクティブな方からは、根本的なところでは異論は無かったと見なしてよいと思います。あとは「お知らせ」後のお話ですね。相応に困難が予想されますが、いずれはガイドライン化しないといけないものなのでしょうし、歩を進めて参りましょう。これが終わったら他にもどうにかしないといけない文書もあるのでしょうし、一歩一歩、です。--Hman会話) 2012年4月8日 (日) 07:42 (UTC)下線部挿入--Hman会話2012年4月8日 (日) 07:44 (UTC)
全くおっしゃるとおりで、なかなか困難だとは思いますが、やってみる価値はあると思います。なお下記の正式提案に合わせ、プロジェクト:プロジェクト関連文書/リストに告知しました。--Kurz会話2012年4月11日 (水) 12:21 (UTC)
Wikipedia:お知らせへの記載はどうしましょう?この文書はウィキペディアの運営上かなり重要なガイドラインになるでしょうから、正式化後の微修正について興味を持ってもらう意味も含めまして、また現状このノートにご参加頂いている人数も多いとは言えず、そちらでも広報しておくべきと思うのですが。--Hman会話2012年4月11日 (水) 14:14 (UTC)
報告 お知らせに告知しました。--Kurz会話2012年4月12日 (木) 11:11 (UTC)

提案 本草案のガイドライン化を提案します。理由など詳細については上記の議論を参照してください。--Kurz会話2012年4月11日 (水) 12:21 (UTC)

賛成 ガイドライン化賛成。各種修正は大幅なものであれ小幅なものであれ、ガイドライン化以降、詰めていけば宜しいかと思います。--Kinno Angel会話2012年4月11日 (水) 13:35 (UTC)
賛成 おそらくこの文書に「完璧」はありませんし、修正を加える余地は今後も出てくるでしょう。しかし大筋では、現時点でもガイドラインとして役に立ちます。細部で議論があることを理由に、これ以上ガイドライン化を遅らせるのは損失と考えます。--s-kei会話2012年4月11日 (水) 14:47 (UTC)
賛成 ご提案の通りこの草案は数多くの場面で参照され、大筋で異論がなく、すでに事実上のガイドラインとして機能していると考えてよいでしょう。--有足魚会話2012年4月12日 (木) 11:18 (UTC)
賛成 100点満点ではもちろんないのでしょうが、現時点で正式化することに大きな問題はないでしょう。検証可能で信頼有る百科事典へ、歩を進めましょう。--Hman会話2012年4月12日 (木) 11:56 (UTC)
賛成 以前からこのページはよく参考にしてWikipediaの編集をしてきました。異論がないことをここに表明します。--Foomin10 2012年4月12日 (木) 12:33 (UTC)
賛成 正式なガイドラインとしてしても直ちに問題が出ると思われる要素が見出せず、ほぼWikipediaコミュニティの総意に基づく内容になっていると思います。多くのケースを想定して穴が無いように書いた結果でしょうが、現状は長く饒舌な説明文であるためにやや全体の見通しが悪く、今後はシンプルな文でスリムにする必要性を感じます。--Shigeru23会話2012年4月12日 (木) 15:25 (UTC)
賛成 ガイドライン化に賛成します。特に大きな問題はなく、もし文面に多少の不備があるにせよ、ガイドライン化の益の方が大きいと思います。- NEON会話2012年4月12日 (木) 23:53 (UTC)
賛成 情報源のガイドラインは記事の信頼性向上に大きく寄与すると思います。--みや1229会話2012年4月13日 (金) 14:15 (UTC)
賛成 既に拘束力を持つに至ったコンセンサスはあるものと存じます。現状にあわせガイドライン化に賛成します。--LudwigSK会話2012年4月15日 (日) 07:24 (UTC)
報告 提案から1週間が経過しましたが、賛成多数・反対なしということで、合意形成されたものとみなしてよいでしょう。提案どおり本草案をガイドライン化します。議論に参加されたみなさま、ご協力ありがとうございました。--Kurz会話2012年4月18日 (水) 03:40 (UTC)

一次資料の扱いについて[編集]

質問! 今更で申し訳ないのですが、#情報源にある一節で、「ウィキペディアの記事で一次資料を使ってよいのは、信頼できる出版元から公刊されている場合だけです」が少し気になります。例えば「呉海軍工廠見習工の記録」のようなものも不可になるのでしょうか。有名な○○書店出版ではないが、公刊された書籍といえるもので、国会図書館にも所蔵されていて第三者による検証も可能なものです。カルト本のようなものを出典にされるとまずいのは分かりますが、以前に「信頼できる出版元ではない」ことだけを理由に{{出典無効}}を貼っていた人がいたような気がしますので、念のためうかがった次第です。(ここで質問するのはまずかったでしょうか?)--トトト会話2012年4月15日 (日) 07:40 (UTC)
コメント 出版元が同窓会事務局ですから、WP:RS#自己公表された情報源に言う「いかなる形式の独立した事実の確認を受けてはいないか、著者と公表作業との間に誰も立ち会っていないような公表物」に該当すると考えられるので、信頼できないとされたのでしょう。もしそれでも使うのであれば、該当節に言うように他の情報源を補強するような形で使用するのが適切でしょうね。あと私見ですが、同窓会による資料は自画自賛・身内びいき・不都合なことは書かない傾向が強いことが多いので、研究者による検証なしでそのまま使うのはためらわれます。いずれにしても、そのあたりは出典無効を貼った方と問題の項目のノートで具体的に検討した上で合意形成を図る方が妥当かと思います。--Kurz会話2012年4月15日 (日) 11:17 (UTC)
コメント 誤解を招く書き方で失礼しました。前述「呉海軍工廠見習工の記録」が当ウィキペディアで過去に出典無効とされた事実があるわけではなく、全くそれとは関係ない記事(それが何だったか失念)で全く別の文献に対して出典無効を主張していた方がいらしたという意味で、ちょっと脈絡がない質問になりました。そこで別の例を挙げますが、出典として必ずしも一律否定しきれないであろうものとして、以下のようなものが思い浮かびます。
  • 記事 【浦賀船渠】 で参考文献に挙げられている 『浦賀・追浜百年の航跡』(住友重機械工業 著、1997年)。私自身は未見ですが、おそらく社史のようなものであると推測されます。
  • 記事 【宝塚歌劇団】 で出典に用いられている『宝塚歌劇五十年史 』 (宝塚歌劇団 著、1964年)。・・・・こちらは確認ずみですが、宝塚劇場で19xx年にどんな演目が上演されたかといった表のようなものがついています。これも形式自体は自主刊行です。身内による記述が注意を要するのは仰るとおりですが、歌劇団の歴史を記すような場合、単純な事実の記述を裏付ける上では十分有用であると考えられます。
同じ「××三十年史」でも出版社を介しているものは可で、自主刊行の形式をとっているものは不可とするのは著しく公平を欠くようにも思いますし、現実に上記2点が参考文献または典拠として使用されている以上、何らかの条件を設けて、その範囲内でこれらを部分的に使用可としておかないと、ガイドラインが実情を反映していないといった事態に陥りませんか。
(「もし注意深く使用すれば一次資料の使用は許可されます。」とあるので、現行案でも問題ないのでしょうか。的外れだったらごめんなさい。)追記。--トトト会話2012年4月15日 (日) 15:18 (UTC)
今のままガイドライン化して、それを根拠に自分の関与していない記事まで機械的に削除して回るような人が出てこないか、それが心配です。--トトト会話2012年4月15日 (日) 15:04 (UTC)
「そこそこ著名な団体が堂々と公刊したもの」(つまり出版元が信頼できる)であり参照も可能なのであれば、もちろん自主公表された情報源または一次資料を扱っていることについて自覚と節度を持ち、他の情報源と矛盾せず突飛でない範囲で独自研究を交えず、他分野を浸食したりせず(宝塚歌劇団50年史を宝塚歌劇団関係以外の記事の資料として用いることは多くの場合で不適切でしょう)注意して扱えば問題ないと解釈して良いと思うのですが。仮に出版元が信頼できると言い切れなくとも、「Wikipedia:信頼できる情報源#自主公表された情報源」の、特に「公表者自身についての記事内での自己公表された情報源」では、一定の制限下でそれを資料とできることを認めていますし。現在でも多くの場面でその様に運用されているはずなのですが、もしWikipedia:信頼できる情報源#情報源との温度差が激しいと言うのであれば、すりあわせを検討しましょう。一文を加えて収まりそうなのであれば、その文を選んでみましょう。--Hman会話2012年4月15日 (日) 16:00 (UTC)
コメント そういった心配であるなら、すでにWP:UNSOURCEDという方針があります。その例であれば、いきなり除去するのではなくてタグを貼るかノートで合意形成すべきということになりますし、最初に挙げられた例でも実際そういう対処がされているように見えますね。--Kurz会話2012年4月16日 (月) 03:47 (UTC)
疑問が解けました。ありがとうございました。--トトト会話2012年4月17日 (火) 09:54 (UTC)

動画などのマルチメディアの扱い[編集]

表題の扱いをはっきりさせるために英語版から「Overview」を翻訳して追加することを提案します。

;概要

ウィキペディアの記事は、校閲・査読を行うなど事実確認や正確性において評判のよい、信頼できる第三者から出版された情報源に基づくべきです。これは、記事に載せることのできる意見や見解とは、信頼できる著者によるもののみであって、自分で一次資料を読んで分析したウィキペディア編集者によるものではない、ということを意味しています。以下の例では、何種類かの信頼できる情報源やそれにまつわる問題を取り扱っていますが、あらゆる情報源の信頼性を評価しようとしているわけではありません。情報源を適切に引用するためには、その文脈に沿って記述することが大切です。適切な引用には、常識的な判断と編集上の配慮が欠かせません。

「出版」された情報源とは、多くの場合、伝統的な印刷物やオンラインなどの活字媒体のことを指します。しかしながら、評判のよい第三者によって記録され放送・配布・保存された音声・動画・マルチメディア素材も信頼できる情報源に必要な資格を満たすことがあります。これらの媒体の情報源も活字の情報源と同様に、信頼できる第三者によって製作され、その出典が適切に明記されていなければなりません。さらにこのような条件に加えて、利用しようとしている媒体の情報源に、信頼できる出版元から入手可能な状態にあるアーカイブされた複製が存在していることも必要条件となります[1]。そのような複製がインターネット上で入手可能なのであれば便利なのは確かですが、そのことは信頼できる情報源となるための条件とはなりません。

脚注
  1. ^ 原本の出版元と複製の提供者が同一である必要はない。

参考になる議論--Bugandhoney会話) 2012年4月30日 (月) 22:27 (UTC)改定--Bugandhoney会話2012年5月3日 (木) 21:03 (UTC)

上の文案は翻訳文だと思いますので、翻訳元から履歴を継承して下さい。その上で、現在のガイドラインのどこに文案を追加するのか、既存の文章の修正や削除を伴うのか、などを明確にして下さい。- NEON会話2012年4月30日 (月) 23:39 (UTC)
実際には本文に書き加えるときに日時を要約欄に書くことになると思いますが、翻訳元の版はこれです。位置は冒頭(「用語の定義」の前)です。追加であって他の部分はいじる必要がないです(一見して重複したりする部分はないです)。--Bugandhoney会話2012年5月1日 (火) 12:57 (UTC)
要約欄での補遺など、ちゃんと翻訳のガイドラインに則った手続きをとって下さい。ノートと言えども履歴継承は必要ですし、「本文に書き加えるときに」では上の文案を叩き台にすることができません。- NEON会話2012年5月1日 (火) 13:15 (UTC)
これでいいですか?ちなみに、文案はどうですか?要約欄に補遺追加--Bugandhoney会話2012年5月1日 (火) 14:52 (UTC)
  • 賛成 諸々ありがとうございます。改めて提案に賛成します。文案について、細かい事ですが下記の各所が気になりました。右は私の修正案です。
  • 「正確性で評判のよい」→「正確性において評判のよい」
  • 「「出版」された情報源というのは、」→「「出版」された情報源とは、」
  • 「事前に記録されて放送、流通、またはアーカイブにされた」→「記録され、放送・配布・保存された」
また、日本語で「引用」と言うと普通は citation に相当すると思うので、この文脈では単に「利用」で良いと思います。- NEON会話2012年5月3日 (木) 14:27 (UTC)
    • コメントどうもです。翻訳ガイドラインのご教示もありがとうございました。今まで自己流でやってたみたいです(汗)。
    • 文面は改訂しました。「引用」は本文中では「情報源として引用」も「情報源として利用」も二通りの表現がありました。二段落目だけ「利用」に変更しました(一段落目はなんとなくすわりがよいと思うから)。あと一週間ほど待ってから本文に反映させたいと思います。--Bugandhoney会話2012年5月3日 (木) 21:03 (UTC)
賛成 基本賛成です。部分的に修正意見を以下に書き出します。
  • 「音声・動画などのマルチメディア媒体」→「音声、動画およびマルチメディア素材」もしくは「音声・動画・マルチメディア素材」
  • 「このようなマルチメディア媒体は、活字媒体と同様に、」→「これらの媒体の情報源も活字のそれと同様に、」
  • 「さらにこのような条件に加えて、利用しようとしているマルチメディア媒体に、誰でも利用可能なアーカイブされたコピーが存在していることも必要条件となります。」→「さらに、信頼できる提供元によるアーカイブが存在していることも必要です。」
1点目と2点目は「マルチメディア媒体」という表現がフォーマルでない(「ボード板」とか「生ライブ」みたいな感じ)という意図での修正案です。3点目については、原案の「誰でも利用可能なアーカイブ」という部分は1週間で決めてしまうには若干無理しすぎの感がありますので、それよりはWikipedia:信頼できる情報源#情報源の一次情報の説明文から導き出せる補足表現に留めて「信頼できる提供元によるアーカイブ」という感じで「アーカイブ」の語意を補完する形のほうが良いのではないかと思います。--ディー・エム会話2012年5月3日 (木) 23:43 (UTC)(2012年5月4日 (金) 02:46 (UTC)一部訂正:「信頼できる第三者」→「信頼できる提供元」--ディー・エム会話))

コメントどうもです。1と2は確かに重ね言葉になってますね。ただ、私の理解だと、音声と動画はすなわちマルチメディアだと思うのですが。「および」とすると音声と動画はマルチメディアじゃない、ということになると思うのですが(音声や動画でないマルチメディアとは何でしょうか)。単に「媒体」を取り除いて「マルチメディア」ではだめですか?

3は文言にはこだわりはないですが、「関係者ではなくても誰でも利用可能」というニュアンスはどうしても含めたいです。たとえば「信頼できる提供元から一般に公開されているアーカイブ」というのはどうでしょうか。議論が続いている間はもちろん本文に反映はしないです。最後のコメントから最低でも2週間は待つことにします。--Bugandhoney会話2012年5月4日 (金) 13:23 (UTC)

  • 「マルチメディア」=「複合媒体」なので、少なくとも音声のみのメディアは(マルチじゃないので)通常マルチメディアの定義には含まれないと思います。動画メディアも基本的には同様ですが、ただ動画の場合は通常映像と音声の複合表現になっている場合が多いのでマルチメディアの概念に含めて認識している人がいるかも知れません。例えば最近のデジタル放送のように動画と文字情報を組み合わせたコンテンツ提供を行っている媒体は純然たるマルチメディアと言えると思います。ものによりますがコンピューターゲームなどは(ユーザーからの入力に対するレスポンスが提供されるので)双方向性のマルチメディアですね。
  • 3点目の修正案はより単純に「archived copy」=「一般に参照可能な複製」ではどうでしょうか。"archived" の語意を平易に意訳した表現という形で。正直この部分は英語版に忠実な解釈の範囲で収めるなら直訳で「アーカイブされた複製」とするしか無いのではないかと思いますが、この方針文書自体が現在の英語版とまるっきり変わっているのである程度整合性の調整は許容して頂けるでしょう。とはいえ、ある程度以上踏み込んだ解釈を加えるのであれば別途議論を起こす方が良いと思います。実務面の問題も考慮しながらWikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源の内容を同時に調整しないと意味を成さない面があるので。--ディー・エム会話2012年5月4日 (金) 14:09 (UTC)

1と2は反映させました。解説どうもありがとうございました。

3に関しては、まず英語版に忠実に翻訳する必要があるとは思いません。日本語版のガイドラインは日本語版だけに適用されますから、基本的にはJAWPの編集者の間で合意されていればよいはずです。

それで、私がこの文書を改訂したい主な理由はもちろんWikipedia:井戸端/subj/放送番組の検証可能性について 20120411です。「アーカイブされた複製」という表現はどうしても避けたいです。なぜなら、「私的に録画したアーカイブが自宅にある」と言い張る人がまた出てくるかもしれないからです。この点に関しては、動画については井戸端の議論で合意に至っているように見受けられれます。「別途議論を起こす方が良い」というのは、これをテレビ以外の動画やマルチメディアに関する一般論として繰り返すべきだということでしょうか。場所はどこがいいですか?コメント依頼ですかね。

「コピー」は動画や音声では「複製物」という訳語が標準的だとは思いますが、たぶんニュアンスは本の一部や一冊のアナロジーだと思います。書籍だったら、どこかの書店や書籍に一冊でも存在していることが条件である、というのと同様に、動画や音声もどこか公の場所でそのコピーが存在していることが条件だ、というようなことだと思います。「複製物」というのでは私的な複製物を含めてさまざま形態があるので、何を意味しているのか分かりにくくなると思います。(「アーカイブされたコピー」もよい訳語ではないですが。)別の意味に取られたら仕方ないので、文言は分かりやすさと一意性を重視したいです。英語版でもこの文言の解釈をめぐっていろいろと議論されているのを見かけました。

Wikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源は、私の理解では検証可能ではあるが、出典として用いる情報源としては好ましくない例だと理解しています。つまり、「TVで観た」コメンテーターの意見などは、複数の編集者による校閲や査読を経てないので信頼性が劣る、というような意味だと理解しています。動画の内容が参照できるかどうかという問題とは直接的な関係はないのでは。--Bugandhoney会話2012年5月4日 (金) 15:11 (UTC)

  • 確かに、英語版に忠実に合わせることは必須要件でないと思います。
  • 現実問題として日本では著作権保護された著作物の私的複製は第三者間でシェアできませんから(著作権法 第30条1項)、その点を加味して表現を調整すること自体は極めて妥当なことだと思いますので、反対ではありません。
  • ただ表現上の問題として、2段落2文目の"archived by a reputable third party"(評判のよい第三者によって保存)と同一の概念が"Additionally, 〜〜"の後に重ねて書かれてある(かのような文意に読める)ような文章構成だと文脈上違和感があり、そこがどうしても気になったので文言修正を進言したのですが、そういう意味では私の最初の修正案は逆に問題解消できてないですね……。他に良案があれば固執しませんが、今まで出ている中では「一般に参照可能な複製」が感覚として一番しっくりきているような気がします。日本でも著作権フリーのコンテンツであれば私的複製によるアーカイブを第三者に提供することは可能ですから。
  • 「複製」という語は著作物の全部か一部かにかかわらず用いられる用語なので問題無いようにも思いますが、あえて"copy"を「複製」と訳さず「一般に参照可能なコピー」としても特に差し支えないと思います。
  • 著作権保護されたコンテンツの「私的な複製物」は一般に参照可能でないので「一般に参照可能な複製(コピー)」に含まれないという解釈に異論は生じないと思います(生じたとしたら単なる強弁でしょう)。原文の"archived copy"の解釈に幅があったとしても、その趣旨としては事後検証の手段を他の編集者・読者に対して担保するということで間違いないのではないかと思います。
  • Wikipedia:検証可能性」の内容にまで踏み込まないのであれば、あえて別途議論を起こすメリットは無いかもしれません。
  • Wikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源」で「TVで観た」等の情報が信頼性に欠くとされている理由は「事実確認の機能を欠くため」で、「事実確認について評判がよくない」あるいは「編集上の監督を欠く」といったケースとは別事例です(重複して当てはまる事例はありえますが)。--ディー・エム会話2012年5月5日 (土) 13:51 (UTC)

コメントどうもです。著作権が消滅している場合は私的複製でも可、とのことですが、それは法的な側面からの検討であって、私が問題にしたいのは情報源のAuthenticityであって、私的複製はたとえ著作権がなかったとしても「アーカイブされた複製」として認めるべきではないと思うのですが、いかがでしょうか。私的複製を情報源としてもよいとすると、Wikipedia:信頼できる情報源#情報源の「信頼できる出版元によって、その情報が入手できる状態になっていない一次資料は、使ってはいけません」との整合性がなくなるような気がします(この文言が意味するところは著作権のあるなしとは関係ないように思われます)。

それで、Archived copyの訳ですが、この一次資料に関する文言を借用して「信頼できる出版元から入手可能な状態にあるアーカイブされた複製」というのではどうでしょうか。動画等は一次資料として利用されることが多いと思いますし、このような表現だとHmanさんが言っていたテレビ番組の場合はDVDになっていることが条件、というようなことがうまく含意できていると思います。

原文ではAdditionallyの前と後でArchivedが重ねて使用されていますが、最初のほうは現在完了形でAdditionallyの後は現在形(Must)ということで、過去の時点でアーカイブされていただけでは不十分で今の時点でもアーカイブされたコピーが存在していなければならない、というようなことだと思います。日本語だとこういうニュアンスは出しにくいですよね。本なんかだと出版されたという事実(たとえばISBNがあるなど)があれば基本的に出典として使えますが、動画や音声の場合は、ある映画が過去に公開されたことがあるとかとかテレビ・ラジオ番組が過去に放送されたことがある、という事実だけでは出典として使うには不十分で、実際に参照することが出来るコピーが今の時点で存在していなければならない、というようなことだと思います。

「TVで観た」に関してちょっと調べてみましたけど、日本語版オリジナルな文言のようです。これがいったい何を意味しているのか、「事実確認の機能を欠く」と「事実確認について評判がよくない」は一体何がどのように違うのか、というのはおそらくそれほど明白ではないと思います。ガイドラインに適した文言だとは思わないですね。こういうことはWikipedia:検証可能性のノートで議論するのが一番いいかなと思います。--Bugandhoney会話2012年5月9日 (水) 22:23 (UTC)

といった感じでしょうか。--ディー・エム会話2012年5月10日 (木) 03:56 (UTC)

「TVで観た」に関する情報提供と議論のまとめ、どうもありがとうございました。議論の流れを追いやすかったです。解決法は英語版を翻訳するのが一番手っ取り早いかなと思います。

文言を直してみました。一点目に関しては脚注形式にしてみました。いかがでしょうか。

「私的複製」に関しては、前者と後者の両方ということになるかと。Additionally以下の文は確かに検証作業上の技術的手段の話ですが、それが満たされてはじめて出典としての有効性が認められる、ということだと思います。「私的複製」に関して、「インターネット上の資料はその私的複製を閲覧することになるとしても、あくまで出典として依拠するのは(作業上用いられた私的複製物ではなく)資料の原本ですから、基本的にはその資料価値や信頼性もその原本に依拠するという認識で問題ない」とのことですが、おそらくそういうふうにはならないと思います。というのは、動画やマルチメディアの複製を掲載しているサイトは、活字媒体でいうところの代替配信サイトに相当すると思うのですが、活字媒体の場合、Wikipedia:出典を明記する#代替配信サイトへのリンクで「リンクで代替配信サイトを用いる際は、そのコピーがオリジナルと比べて真正であること、改変や不適切な解説がされていないこと、オリジナルの出版者の著作権を侵害しないことが求められます。その情報の精度は、該当文献を配信しているサイトの信頼性により判断されます」とあります。つまり、活字媒体のオンラインの複製を出典とする場合、著作権問題をクリアするだけでは不十分なのであって、複製を掲げているサイトも信頼できるものでなければならない、ということです。このようなことは、媒体がオフラインでしか利用できないなど出典をリンクとして示さない場合でも同じだと思います。「アーカイブされた複製」が想定しているのは、日本のTV番組で言えばNHKアーカイブス (施設)、パブリック・ドメインに入った音声や動画であればインターネット・アーカイブなどではないでしょうか。--Bugandhoney会話2012年5月11日 (金) 19:52 (UTC)

  • お疲れ様です。対応ありがとうございます。
  • とりあえずその文面で良いのではないでしょうか。率直に言うと趣旨がわかりにくい感はありますが、まあ「考えるより感じろ」ということで、実務上さほど問題は生じないでしょう。
  • 「動画やマルチメディアの複製を掲載しているサイトは、活字媒体でいうところの代替配信サイトに相当すると思うのですが」>その対応はそのとおりだと思います。
  • 「出典をリンクとして示さない場合」は、出典としての信頼性評価に複製物の存在は直接関係無いと思います。すなわちオリジナル資料の書誌情報のみが出典として記載されるわけですから、そもそもその編集者が資料の複製物を用いたのか否かすら第三者には分かりませんし、提示する必要性もありません。あくまで基本は、資料の検証=書誌情報で示された原本の内容確認なので。
  • 「アーカイブされた複製」が何を指すのか、はっきりとした答えは分かりません。たとえば絶版となったCDやDVDメディアであれば、レンタル店の棚に並んでいればおそらくそれは(著作物としては複製品でなく原本であっても)「アーカイブされた複製」とみなせるでしょうし、中古店にしかない場合には字義通りの「アーカイブ」といえるかどうかは微妙かもしれませんがそれは本質的に問題ではないでしょうし、そういった流通状態を逐一調査・報告する義務が編集者に課されることは常識的には無いでしょう。まあ現実に即してケースバイケースで判断すれば実務上問題ないでしょう。
--ディー・エム会話2012年5月12日 (土) 15:56 (UTC)
コメントどうもです。とりあえず、自宅にある私的な複製物を排除することだけが目的なので、パッケージ化されて一般に入手可能な状態にあったものは、もちろん、「アーカイブされた複製」に相当すると思います。--Bugandhoney会話2012年5月14日 (月) 19:06 (UTC)
  • コメント直訳口調で日本語としてはいまいち意味不明な内容で、Wikipedia初心者の方がこの文章だけを読んで理解することは難しいように思います。英語のpublishは、「出版、掲載、公表、発表」など多義なのに、publish=「出版」としているので、オンラインの話かオフラインの話かわかりにくいのでは?「信頼できる出版元」というと、有斐閣、岩波書店とかを思い起こしてしまいますが、官公庁サイトや新聞社サイトも「信頼できる出版元」に含んで考えてよいのですよね?--fromm会話2012年5月15日 (火) 05:09 (UTC)

コメントどうもです。「直訳調」とのことですが、ディー・エムさんのように逐語訳を好む編集者もいてニントモカントモです。個人的には直訳とはかけ離れてきているとは思いますが。初心者がこの文章だけを読んで理解するのは難しいというのは、おそらくその通りだと思います。少なくとも本文全体を通して読まないと理解するのは難しいんじゃないかな。それでも、できるだけ分かりやすくはしたいですが。

「Publish」の訳語には本文中では「公刊」「出版」「公表」「発表」「発刊」などが当てられているようです。「出版」というチョイスは、Wikipedia:信頼できる情報源#信頼性の評価にある「オンラインであれ印刷物であれ、出版したメディアの権威により自動的に信頼性に足りると前提づけることができません」という文言を参考にしました。あと、今の文言案では「出版」という言葉の後に「伝統的な印刷物やオンラインなどの活字媒体のことを指します」と続くので、オフラインとオンラインの両方を指している、ということは伝わるはずです。ただ、この言葉にこだわりはないので、分かりやすい言葉があったらそれで構いません。

「信頼できる出版元」とは、私の理解では名前で一律に決まるのではなくて、どんな記事でどのような内容を引用するのかという文脈に依存しています。たとえば、学術的な記事では有斐閣や岩波書店がそれに当たると思いますが、時事的な記事では新聞がメインの情報源になると思います。逆に、学術的な記事では、Wikipedia:信頼できる情報源#科学では一般向けの出版物からの引用を避けるにある通り、新聞は好ましくない情報源となります。政府発表物は、日本の場合はおおむね信頼できるとされると思いますが、Wikipedia:信頼できる情報源#信頼性の評価にある通り、国や題材に応じて信頼性の評価も変わってくると思います。それで、二段落目のメインのターゲットである動画やマルチメディアなどの媒体は、映画やTV番組など大衆文化の記事での引用が多いと思うのですが、その場合、裾野は大きく広がってくるでしょう。さまざまな民間や公共の放送局、TV番組制作会社、映画制作・配給会社、それらのホーム・エンターテイメント部門、オンデマンド放送事業者、営利・非営利のアーカイブ事業者などなどが「信頼できる出版元」に相当すると思います。--Bugandhoney会話2012年5月15日 (火) 14:13 (UTC)

コメントやはり一番のネックは「〜信頼できる出版元〜」の一文ですよね(原文:"Additionally, an archived copy of the media must exist." )。 ご指摘の問題点への対処について、思い切って全体的な修正という選択肢ではいかがでしょう。

ウィキペディアの記事は、第三者により出版された信頼できる情報源、事実確認や正確さに定評のある情報源に基づくべきです。それはつまり、私たちが記事に書くべきなのは信頼できる専門家の意見のみであり、一次情報源を独自に調査したウィキペディアン自身の意見は書くべきでないということです。以下に、信頼できる情報源の類型と情報の信頼性について幾つかの具体例を取り上げますが、それが全てというわけではありません。その時々の状況によって、正しい出典の用い方はいつも同じではありません。その作業には常識的感覚と編集上の判断が不可欠です。 一般に「出版」という用語は、伝統的な印刷物もしくはオンライン上の活字資料を想起させます。しかし、音声、動画、マルチメディアといった素材も、評判の良い第三者によって記録され、放送、配布、もしくはアーカイブされたものであれば、信頼できる情報源として必要な基準を満たしているかもしれません。それら媒体の情報源も活字の情報源と同様に、信頼できる第三者によって著され、そして出典として適切に用いられなければなりません。さらに、当該メディアと同一内容の記録物が存在していることも必要です。その記録物がインターネット上にあればさらに便利ですが、それは必須条件ではありあせん。

--ディー・エム会話2012年5月16日 (水) 15:45 (UTC)

すばらしいです。非常に分かりやすいです。ただ(すいません)前にも書いたのですが、「同一内容の記録物が存在していること」だけだと、自分で録画したのが家にある、と言い出す人が出てくること(というかそういう人が実際にいたこと)を懸念しているのですよ。とにかく、この部分に「私的な複製物は含まれない」という文言を盛り込みたいです。--Bugandhoney会話2012年5月16日 (水) 23:13 (UTC)
昨晩は睡魔に襲われて訳文の提示のみで力尽きましたが、その意向については了解です。あくまで翻訳・加筆の提案ということですので、その範疇を超えない形での具体案として、
さらに、当該メディアと同一内容の記録物が存在していることも必要です[1]
  1. ^ #情報源」および「#注意すべき論点」の説明事項にも留意して下さい。日本の著作権法では、著作権保護された著作物を私的使用のために複製することは認められていますが(著作権法第三十条)、当該の複製物によってその著作物の内容を不特定の第三者に提示するには権利者の許諾が必要となります(同第四十九条および第二十一条)。
と、脚注で注釈を入れるというのではどうでしょうか。
Bugandhoneyさんが懸念されている点については、現実的にはこれで問題無いと思います。現実の可能性を無視してルールの限界を突き詰めればどのような方針を作っても懸念材料は尽きないかもしれませんが、そういう突き詰め方はウィキペディアの運用上ではあまり重要でないように思います。もしも目的を見失って誤った理屈をゴリ押しするような人がいれば「ちゃんと脳で考えよう」ということで一蹴すれば良いだけですし。--ディー・エム会話2012年5月17日 (木) 14:25 (UTC)

懸念は現実のものなのですよ。訳出もとの英語版の方針を紹介したところ、このような反応が返ってきました。『「ちゃんと脳で考えよう」ということで一蹴』などとてもできず、実際には、問題の元となった記事では88Kバイト、飛び火した井戸端では139Kバイトが(私の考えでは無駄に)費やされています。このような事態の再発はなんとしても避けるべきではないでしょうか。

それで、脚注は著作権法の条文を事細かに説明するのではなくて、以下のようにするというのはどうでしょうか。--Bugandhoney会話2012年5月17日 (木) 15:03 (UTC)

さらに、当該メディアと同一内容の記録物が存在していることも必要です[1]
  1. ^ #情報源」および「#注意すべき論点」の説明事項にも留意して下さい。「同一内容の記録物」には、改変が加えられておらず原本と比べて真正であること、著作権を侵害していないこと、他の編集者が内容を確認する際に利用可能であることなどが求められます。

改訂--Bugandhoney会話2012年5月18日 (金) 16:55 (UTC)

  • コメントたしかにその方が分かりやすいですね。書き換えに賛成です。ただあと一点、「原本の製作者の」の部分は省いて単に「著作権を侵害していないこと」とした方がベターだと思います。
  • 当該の井戸端の論争に関しては実利の乏しいコメント合戦だと私も感じましたし、そのようにコメントを挟んではみたものの([9] [10] [11])、坂道を転がる雪玉はそう簡単には止められらないのだと改めて悟りました。とはいえ、ウィキペディアでは特段珍しい光景ではないようにも思いますので、個人的にはそう深刻には問題視していません。--ディー・エム会話2012年5月18日 (金) 14:06 (UTC)

ノートの雪玉効果ですか。そんなところかも知れないですね。慣れてしまうのがちょっと悲しいですが。コメントに従って脚注の文言を修正してみました。--Bugandhoney会話2012年5月18日 (金) 16:55 (UTC)

最後の投稿から2週間が経過しましたが、本文に反映させる前にもう少し意見を待ってみます。--Bugandhoney会話2012年6月1日 (金) 16:22 (UTC)

チェック 本文に反映させました[12]。議論に参加してくださった方、どうもありがとうございました。--Bugandhoney会話2012年6月8日 (金) 22:22 (UTC)

導入部[編集]

を推敲してみたのですが[13]、4段落目が何を言いたいのかさっぱりです。どなたか分かる方いますでしょうか。--Bugandhoney会話2012年6月8日 (金) 22:22 (UTC)

コメント改訂作業ありがとうございます。
その4段落目は、たしかに読解に難のある日本語ですが、やはり「Wikipedia:中立的な観点」への言及でしょうね。2006年8月23日の英語版(Wikipedia:Identifying reliable sources)

There are many ways in which factual errors can be introduced into reports. Keep in mind that many articles are about characterizing the various factions in a dispute. This means that you will be looking for reliable published reports of people's opinions.

とあり、私の英語力の範疇を超えている部分があるのでざっくりですが、

資料の中に事実の誤認が含まれる場合もしばしばあります。多くの記事では、ある論争について様々な主張に立脚して記述し(ようとし)ているということに留意して下さい。つまり、あなたが収集することになるのは、信頼ある出版資料に書かれた(必ずしも「真実」とは限らない)さまざまな意見の記述です。

みたいな話ではないかと思います。--ディー・エム会話2012年6月9日 (土) 03:23 (UTC)

情報提供どうもです。さらに推敲してみました[14]。参考にした英語版の過去の版では、問題の四段落目はばっさりやられていて、どっちかというとそれでいいかなと思います。コンセンサスなしでの推敲はくれくらいが限度かなと。ちなみに、最後の一文は「資料の中に事実の誤認が含まれる」から、できるだけ「信頼ある出版資料に書かれた(できるだけ事実誤認の少ない)さまざまな意見」を集めよ、という意味かなと思いました。--Bugandhoney会話2012年6月11日 (月) 16:52 (UTC)

「重要な語」とは何なのかを具体的に教えてもらわないとなんともいえないですが、この導入部が悪文だというのはかなりはっきりしていると思いますけど。たとえば

このページでは、信頼できる情報源を識別する方法を説明します。(一段落目)

以下に、ウィキペディアの記事にとって最も適切な情報源の例を説明します。(三段落目)

さらに

信頼できる参照先を提供しないと、別の編集者に除去されることがあることを心にとめておいてください。(二段落目)

情報源のない編集や不適切な情報源に基づく編集には、異議を申し立てられたり除去されたりすることがあることを知った上で投稿してください。(三段落目)

という風にほとんど同じ内容のことが二回も書いてあります。さらに

多くの記事では、編集者たちが時間と手間をかけて事実を確認し、参照先に目を通して、初めてこの基準が満たされるでしょう。

の一文は、「この」という指示代名詞が何を指しているのか分からず、全体的に何を言いたいのかよくわかんないです。--Bugandhoney会話2012年6月11日 (月) 17:45 (UTC)

  • Bugandhoneyさんのこの編集ですと[15]中立的な観点に対する忠告箇所がまったく別の警句になってしまっており問題だと感じました(「資料には、事実の誤認がしばしば含まれ~」からの節)。Wikipediaが収集する情報には事実と意見のふたつがあり、事実も収集の対象です。一方で「資料に記述された意見」を収集する態度としては、「資料に意見が記述されている」という事実として採録せよ、というのがWikipedia:中立的な観点ルールの要請になります。この点をざっくり削りすぎていると考えました。指示語について、「この基準」は当該節で話題となっている基準のことで「信頼できる情報源という基準」のことでしょう。いずれにせよ「悪文だ」とは思いますが、一方で「読解力の問題だ」という気もするのです。僭越ですが元の文書を補強する形ですこし冒頭部分を修正してみました[16]。ご検討ください(問題があればリバート下さい)。--大和屋敷会話2012年6月11日 (月) 18:03 (UTC)
    • 大和屋敷さんの編集はよいです。元よりは分かりやすくなっているので。ただ、私の編集のほうがさらによいです。冗長な部分を削除して簡潔になってますので。「この基準」の一文は当たり前なことしか書いてなくてたいした意味はないです。WP:LEADには「導入部は、その記事で何が取り扱われているのかを、読者に対して明確にすることを目的とします。そのために、第一文には記事の主題の定義を記し、続いて記事の簡潔な概要を記します」とあります。
    • 第四段落目の第一文は大和屋敷さんの編集だと意味が変わってしまいます。「事実の誤認が紛れ込んでいる」のはウィキペディア記事ではなくて出典となるソースです(英語原文ではReports、逆に、二文目の「記事(Articles)」はたぶんウィキペディアの記事のこと)。ディー・エムさんはこれを「資料」と翻訳しました。ただ事実誤認があるのはソースであれ、ウィキペディア記事であれ、それが中立的な観点とどういう関係にあるのかよくわかんないです。事実誤認のある意見を載せることが中立的な観点を満たすことだとは思わないですが...。中立的な観点が記事本体で触れられているのは基本的に二箇所しかなくて、Wikipedia:信頼できる情報源#企業や組織のウェブサイトに『中立的な観点を維持するためには、ほかの信頼できる情報源が利用できる場合にも当該企業や組織のウェブサイトを唯一信頼するということがないように注意してください』とあり、Wikipedia:信頼できる情報源#査読された科学出版物を参照し、学会のコンセンサスをチェックするには『誠実さと、Wikipedia:中立的な観点およびWikipedia:独自研究は載せないの方針は、私たちが支配的な「科学におけるコンセンサス」を記述することを求めています』また『重要な少数派の見解はウィキペディアで歓迎されますが、きわめて少数派の見解を書く必要はありません(Wikipedia:中立的な観点を参照のこと)』とあるだけです。大和屋敷さんが説明したような、事実と意見の違いとそられの中立的な観点との関係は本文では触れられてないです。ですから、四段落目が記事本体に書いてないことを意味しているのであれば、記事の簡潔な概要であるはずの導入部として不適切ということになるかと。--Bugandhoney会話2012年6月11日 (月) 19:40 (UTC)
  • それについてはこういうことです。①Wikipedia編集者は誰もかれもみな「どこの誰とも知れない名無し」の投稿者である。②そんな人間を互いに信用することはありえない。そんな人物が投稿した内容を信用しなければならない理由が無いし、信用できる根拠がない③だからWikipediaでは「信頼できる情報源」を元に投稿することが必要だ。Wikipediaの内容が信用できるのは「信頼できる情報源」をもとに投稿していることが検証可能であるからにほかならない④さて報道記事(速報性の高い)や論争のある記事では「信頼できる情報源」に記述されている内容そのものに錯誤があったり、複数の情報源の結論に明確な対立があったり矛盾があったりするのが通例だ。⑤そういったソースを「どこの誰とも知れない名無し」のWikipedia編集者がめいめい、好き勝手に持ち寄り記事化するのがWikipediaと言う場所だ。だからそういうWikipediaページは一見すると内容が矛盾だらけだったり、過渡的に間違った錯誤した内容がソース付きで掲載されていることもある。⑥しかるにWikipedia編集者には「何が正しくて何が間違いなのか」を認定することなどその存在の性格からしてありえない。なぜならWikipedia編集者は誰もかれもみな「どこの誰とも知れない名無し」の投稿者に過ぎないからです。そんな連中が合意しようが他の編集者を説得しようが編集を強行しようが、読者がそんな連中の出した結論を信用しなければならない理由はこれっぽっちもない。⑦ですので、Wikipedia編集者にできる編集の限界は、【報道を情報源とした記事には事実誤認が紛れ込むことを知っておき、また論争記事では片寄った見解が記述されるということを心にとめておいて、そのうえで信頼できる公表された情報を「幅広く」探し】Wikipediaに採集・採録していく方針が重要になる(中立性)、という次第です。--大和屋敷会話2012年6月12日 (火) 04:05 (UTC)
  • コメントどうもです。大和屋敷さんのコメントは、二、三段落目の重複部分に関してのものではなく、もっぱら最後の段落に対するものだったので、二、三段落目は簡潔にしたうえで大和屋敷さんが追加した内部リンクを追加して、最後の段落は大和屋敷さんの編集のまま残しておきました[17]。--Bugandhoney会話2012年6月12日 (火) 14:49 (UTC)

マイペディア[編集]

マイペディアへの扱いについても記述するべきでしょう。『エンカルタ』だけに言及しておくのはよくないでしょう。日本では電子辞書があるため、その付属の『マイペディア』が人々の目に触れ、その内容を信用して出典として使って品質を下げてしまっている例も多々あるようです。--Sasa-tr会話2012年12月4日 (火) 02:04 (UTC)

一部の方が反発したようですが、エンカルタの記述も「特定の出版物」への言及ですが、もちろんそういう指摘をしてもかまいません。逆に、『マイペディア』に言及するのは「特定の出版物への言及だからいけない」などと誰かが主張し、そんな屁理屈が通ってしまうと、『エンカルタ』や他の固有名も削除しなければならない、ということになります。冷静に、固有名を用いつつ、いくつか注意をすることは良いのです。

世界大百科事典や日本大百科事典は執筆した専門家名が明記されているので大丈夫です。品質も高いものになっています。やはり執筆者名の有無は品質と関連がありますので、そういった記述も織り込みましょう。--Sasa-tr会話2012年12月4日 (火) 02:04 (UTC)

三次資料の扱いに注意するということだけであって、[18]のように、「誰も記述内容に責任を持とうとしておらず」「誤った見解に書き換えている」とかいうのは、あなたの不満の表明であり、『マイペディア』に対する営業妨害に近い内容です。--Los688会話2012年12月4日 (火) 02:09 (UTC)

なるほど、「誰も記述内容に責任を持とうとしておらず」「誤った見解に書き換えている」という指摘は削ってもよいですよ。では、それを除いた残りの指摘を記載しましょう。『マイペディア』という3次資料の扱いも要注意なのですよ。ともかく『エンカルタ』だけを特別扱いしたり、『マイペディア』だけを特別扱いするのは不適切ですので、記載しましょう。--Sasa-tr会話2012年12月4日 (火) 02:14 (UTC)

あと「営業妨害」というのはLos688さんの主観で、言いすぎです。ウィキペディアにおいては、電機メーカーの営業の援助をするあるいは妨害する、などという点に意識を向けるのではなく、純粋に良い百科事典を作るにはどうすればよいか、にフォーカスすべきでしょう。--Sasa-tr会話2012年12月4日 (火) 02:17 (UTC)

  • 私もSasa-trさんの編集には問題があるとおもいます。ますウィキペディア編集者は「どの出典が信頼できてどの出典が信頼できないか」を包括的に決定する権限はあたえられておらず、あくまで個々の記事において検討すべきだということ、つぎに『ブリタニカ百科事典』、『ワールド・ブック』、『エンカルタ』が信頼できない情報源なのではなく、あくまで「ウィキペディアの目的には信頼できる情報源とみなされ」るとしており、「現存する百科事典よりも優れた記事を書こうという大望をウィキペディアンたちが抱いたとき」には十分ではないかもしれないと言及しているだけのことです。マイペディアについてもそうでしょう。マイペディアは3次資料でありなおかつ執筆者が不明ではありますが、ウィキペディア上の信頼性を否定すべきかどうかは我々名無しのウィキペディアンが決定すべきことだとは思いません。なお「営業妨害」というのはそもそも議論の視点がズレていると思いました。--大和屋敷会話2012年12月4日 (火) 04:47 (UTC)
  • コメントまず、『マイペディア』という3次資料の扱いも要注意なのですよ。ともかく『エンカルタ』だけを特別扱いしたり、『マイペディア』だけを特別扱いするのは不適切ですので、記載しましょうというのはその通りかなと思います。他の百科事典が編集体制の説明も含めて言及されている以上、『マイペディア』とその編集体制に言及するのは別にかまわないと思います。ただし、できるだけ出典としては用いないようにしましょうというのはだめです。大和屋敷さんが説明したとおり、ウィキペディアではある媒体を信頼できる情報源として一律に排除する、などという考え方はしないので。
(Sasa-trさんへ)投稿した内容が差し戻されたら、同じ内容で投稿しなおさないでください。その代わりに、ノートでの議論にすぐに移ってください。特にガイドライン文書では。差し戻しはそのままでは受け入れることができないという意思表示であって、同じ編集を繰り返しても編集合戦にしかならないです。
(Los688さんへ)このケースでは裁量によるページ保護は不適切なのでは。はたから形式だけ見ると、Sasa-trさんとの間の編集合戦を自分が好む版で固定して終息させた、というふうにしか見えないです。ページの保護は管理者は版を選ばない、となってますよね。建前かもしれないですけど。他の管理者が保護するのを待つか、保護依頼に出すべきだったのでは。あるいは、ほっといても、私か大和屋敷さんが差し戻していたはずです。あと、{{保護}}をつけたほうが親切かなと。--Bugandhoney会話2012年12月5日 (水) 16:30 (UTC)

二重差し戻しについて[編集]

2013-02-04T13:28:31(UTC)版の編集にて「提案なしの改変」として2013-02-04T13:24:13(UTC)版の編集が差し戻されましたが、 2013-02-04T13:24:13(UTC)版の編集は2013-01-27T10:35:20(UTC)の編集自体が「提案なしの改変」であった為、当該編集を差し戻たものです。上記、それぞれの差し戻しの妥当性や必要性について、皆様のご意見を伺いたいと思います。--4行DA会話2013年2月4日 (月) 15:09 (UTC)

差し戻しの理由として「提案なしの改変」は適切ではないでしょうね。ウィキペディアでは基本的にどの記事でもノートでの事前提案なく編集してよいので。ただこれは、「今の文面のままでは賛成できませんのでノートで提案してください」くらいに読み替えるとよいと思います。同じ理由でCalveroさんによるもともとの除去も特に問題ないです。むしろ、私としては、ウィキペディアでは一次資料ではなく二次資料を使うべきであるという原則が明確になるのでよいと思いました。それで、合意形成にはWikipedia:合意形成#編集作業の結果としての合意というのもあって、私としてはこのやり方にのっとってCalveroさんによる除去を承認しました。ガイドラインは多数の編集者のウォッチリストに入っていると思いますが、これらの人々はおおむねCalveroさんの編集を承認したとみなしてよいと思います。Ikedat76さんと84story64さんは明示的にCalveroさんによる版を支持しています。というわけで、おおむね(4行DAさん以外は)今の状態でよいとみなされているということだと思います。--Bugandhoney会話2013年2月4日 (月) 15:33 (UTC)
コメント 該当文が追記されたのは2011年12月3日 (土) 17:41 (UTC) の版ですね。この文を加筆をしたJetbbmanさんは要約欄にて、これは英語版から導入された記述だとしています。私は「信頼できる出版元によって、その情報が入手できる状態になっている一次資料」は、注意深く使えばウィキペディアで使用可能であると考えていますが、編集者の中には「一次資料は公開済みであれ基本的に使ってはならない」という主張の方もいるので、この辺は合意の上で白黒を明記したほうがよいかも知れません。記述位置がやや場違いで浮いているのは前から気になっていたので、ちょっと推敲の必要があるとは思います。--Kanohara会話2013年2月4日 (月) 15:35 (UTC)
英語版に関して言えば、ウィキペディアの記事は原則的に二次資料を使用すべきというのははっきりしているでしょう。--Bugandhoney会話2013年2月4日 (月) 15:54 (UTC)
  • Wikipedia articles should be based mainly on reliable secondary sources. (en:WP:WPNOTRSの最初の一行)
  • Unless restricted by another policy, primary sources that have been reliably published may be used in Wikipedia; but only with care, because it is easy to misuse them. (en:WP:PSTSにある翻訳元と思われる文)
原則的には二次資料を使用すべきであるのは論を待ちませんが、一次資料を気をつけて使用するのは禁じていませんよね。一次資料使用完全禁止となるとキビしいもんがあります。偏った学者、論者が集まるような主題においては一次資料そっちのけの偏った論が堂々と罷り通っている場合も往々にしてあり得ます。--220.99.136.163 2013年2月4日 (月) 16:32 (UTC)
コメント同じことを書く上で、一次資料よりも二次資料を使うほうが好ましいのは確かですが、どちらかだけを選ばなければならないわけではなくて、二次資料と一次資料、さらに一次資料を読み解くのに必要な補助資料を併せ読んで記事を書くのが理想です。情報源の形を取るかとらないかはともかく、一次資料の所在や刊行状況を示すことも、百科事典としては必要なことですし、一次資料に目を通しているかどうかというのは、信頼性にも関わります。二次資料がよほど確固とした信頼性を持つものでなければ、誤読の可能性もあるのですし。
英語版の記述を参考にするのなら、「使ってはならない」と、「主に信頼できる二次資料に基づくべき」(…すべきである,するのが当然だ,したほうがいい 《★【比較】 ought to,must よりも意味が弱く,しばしば義務より勧告を表わす》./研究社 新英和中辞典[19])は、だいぶ違うと思いますよ。
英語版で言われているのは「信頼できるかたちで出版/発行されている一次資料は使用できるだろうけれど、誤った使用がなされやすいので、注意深く扱わなければならない」ですから、一次資料を使うことも否定されてはいない。公開されているかどうかで判断するのではなく、より注意深く判断しなければならない。ある条件下で使ってもいい、というのと、ある条件下でなければ使ってはいけない、というのは、論理的に同じことの別の表現で、読み手の印象が異なります。今のコミュニティにおいて、使えないと言い張る人がいるなら、使えるのだということを伝えるのが大事でしょうし、一次資料を好んで使う人が多ければ、注意深く扱わなければならず、二次資料が原則なのだということを伝えるのが大事でしょう。--Ks aka 98会話2013年2月4日 (月) 16:34 (UTC)
提案 該当の文章を復活させたうえで、直後の文章と「ですが」で接続すれば解決するように思います。具体的には「もし注意深く使用すれば一次資料の使用は許可されます。ですが一般に、ウィキペディアの記事は一次資料に基づくべきではなく……」という文章にすればよいのではないかということです。もちろん私としても、原則的に二次資料優先という点については異論ありません。--Kanohara会話2013年2月4日 (月) 17:24 (UTC)
とりあえず、確認ですけど、「一次資料を使ってはならない」と主張している人は今のところいないと思いますし、このCalveroさんによる編集(「もし注意深く使用すれば一次資料の使用は許可されます。」という文言の除去)にそのような意図があるともみなせないと思います。その直後に「ウィキペディアの記事で一次資料を使ってよいのは...」と続きますので、今のままの文言でも(この一文が除去されたままでも)一次資料の使用は許可されていると読解するのが自然でしょう。
その上で、除去したままの方がよいと思うのは、「もし注意深く使用すれば」というのが具体的にどういうことなのか、英語版のようには説明されてないからです。一次資料の使用にはなぜ注意深くなければならないのか、どのような注意をするべきなのかに関しては、英語版を参考にして加筆することまでには反対しません。(WP:NORの一次資料二次資料に関する説明は英語版と日本語版で大きく異なります。)
ちなみに、あるウィキペディア編集者が、「二次資料がよほど確固とした信頼性を持つものでなければ、誤読の可能性もある」と判断したときに、一次資料に基づいて記述するのはモロに独自研究としか思えません。外部の識者が誤読してしまうような素材に関してウィキペディア編集者自身が独自に解釈すべきでなく、その場合はより妥当と思われる解釈を示している二次資料を持ってくるのが筋だと思います。--Bugandhoney会話2013年2月4日 (月) 17:37 (UTC)
1月21日に、ご指摘の記述を除去した者です。もしかしたら戻す人もいるかな、と思っていましたが、そのとき説明しようとしていたところ、遅れましてすみません。私の言いたいことはだいたい Bugandhoney さんや Kanohara さんが説明してくれています。お察しの通り、私も一次資料の使用を否定するものではありません。付け加えると、くだんの文があそこになくても一次資料の扱い方は説明されていますし、「一次資料となる題材は、適切に用いるための訓練が必要です」という文と論理的に矛盾が生じるように思います(注意深ければ訓練されていなくてもよいのか?)。「一次資料を使ってもよい」ことを、もう少し強調したほうがよいとすれば、くだんの文章を追加するより、この「一次資料となる題材は~」の部分を推敲しなおしたほうが、少しスマートになるのではないかと思います。--Calvero会話2013年2月5日 (火) 10:58 (UTC)
ご指摘の差し戻しを行ったものです。この差し戻しについてはBugandhoneyさんがおっしゃるとおり、この文面については先に議論が必要という意味での差し戻しでございました。言葉足らずで申し訳ありません。この議論に関して、僕自身は「もし注意深く」という表現が引っかかっておりまして、具体的な文面を加えてもよいのではと思いました。その文面に関しては一任します。--84story64会話2013年2月5日 (火) 13:17 (UTC)
この「二重差し戻しについて」の節を投稿しました4行DAです。本節を投稿した理由は、提案なしの除去の編集を差し戻したら、その差し戻し編集自体を「提案なし」として差し戻されたのに困惑した為ですが、現在の議論は文面をどの様に改善したらいいのか(現状のままという選択肢も含めて)に移行していますので、何らかの合意形成に最終的に至れば、それに従いたいと思います。--4行DA会話2013年2月5日 (火) 15:09 (UTC)
コメント 「もし注意深く使用すればというのが具体的にどういうことなのか書かれていない」という指摘ですが、個人的には、ガイドラインで明文化しなくても「他の方針文書やガイドラインを熟読して注意深く使え」という意味で通るのではないか、とも思っています。専ら一次資料に頼っても構わないケースについては、「Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料」に例示があります。なお私も普通の読解力や分別がある方なら、このガイドラインが一次資料の使用を禁じているわけではないことは読み取れるであろうとは思っているのですが、現在の文面は、「一次資料を使って良い」ことが明示されているとは言いがたく、ウィキペディアの編集経験が浅い人などが誤読する可能性や、議論が白熱化して法律家ごっこの様相を呈してきたときに曲解されたりする可能性もあるのではないかと懸念しています。もっとも、よりよい文面改訂案があるのなら、それに超したことはないと思います。--Kanohara会話2013年2月5日 (火) 16:03 (UTC)
えーっとですね、日本語版のWP:PSTSは明らかにおかしいです。日本語版には一次資料として「考古学的な人工遺物」が挙げられていて、引き続いて「現存する一次資料や二次資料から情報を集めて整理する調査は、もちろん強く奨励されています」と書いてあります。素直に読むと、「考古学的な人工遺物を集めて整理する調査は強く奨励されています」ということであって、これはウィキペディアを考古学研究の発表の場に使ってくださいということで、ナンセンスです。英語版のen:WP:PSTSは日本語版とは大きく乖離していて、一次資料は分別のある人なら特別な訓練や知識がなくとも行えるStraightforwardな解釈か、解釈を一切交えない限り使用が認められるとなっていて、日本語版とはまるで逆に、もっぱら一次資料に基づいた記事は禁止されています。それで、「もし注意深く使用すれば一次資料の使用は許可されます。」と書き加えた人の説明によりますと、これは英語版のWP:PSTSから導入したとなってますが、英語版の精神からすると、私にはまるで逆のことを言っているようにみえます。もっと長めに引用してみると:
  • Wikipedia articles should be based on reliable, published secondary sources and, to a lesser extent, on tertiary sources. Secondary or tertiary sources are needed to establish the topic's notability and to avoid novel interpretations of primary sources, though primary sources are permitted if used carefully. Material based purely on primary sources should be avoided. All interpretive claims, analyses, or synthetic claims about primary sources must be referenced to a secondary source, rather than original analysis of the primary-source material by Wikipedia editors.(http://en.wikipedia.org/w/index.php?oldid=463467552 より、斜体が翻訳された箇所)
となっています。もっとよい文面ということでしたら、一箇所を取り出すのではなくて全体的に翻訳し直すべきでしょう。--Bugandhoney会話2013年2月6日 (水) 22:16 (UTC)
コメント 「考古学的な人工遺物」は「信頼できる出版元によって、その情報が入手できる状態になっていない一次資料」なのですから、このガイドラインによって使用が禁止されていると言ってよいかと思います。まあ個人的には、博物館などに展示されている資料は、解釈を交えなければ一次資料として使ってもいいんじゃないかな……という異論も感じているのですが、その是非については置いときます。「分別のある人なら特別な訓練や知識がなくとも行えるStraightforwardな解釈か、解釈を一切交えない限り使用が認められる」のは、ニュアンスの違いはあれど日本語版のWP:PSTSでも同じだと思います。「もっぱら一次資料に基づいた記事」の是非については、方針の改定にかかわる内容なので慎重な対応が必要かと思いますが、現状でも既に「Wikipedia:特筆性」のガイドラインによって、二次資料がほとんど存在しない記事の作成は禁止されていると言えるかと。漫画や小説などのフィクションの記事では、専ら一次資料(作者に対するインタビュー記事や、作品そのものの設定)に基づいた記事が書かれることも多いですが、現状でも決して歓迎されていないのは確かでしょう。--Kanohara会話2013年2月7日 (木) 16:54 (UTC)
WP:PSTSは古くさくて、アップデートが必要です。
  • 分析、総合、解釈、評価にあたる主張を全く行わない記事、のような場合には、ウィキペディアの記事がもっぱら一次資料に基づいていてもかまいません。アップルパイや最近の出来事などが、この例として挙げられます。ただし、こういったことは例外です。
例として挙がっているアップルパイは実際には二次資料が出典になっていて、さらに「要出典」もついてます。フィクション作品記事は記事の中に一次資料のみ(要するにその作品そのもの)に基づいた箇所・節があっても構わないということであって(要するに「あらすじ」節のことです)、記事全体が一次資料に基づいているのはどう考えてもだめです。ウィキペディアの記事がもっぱら一次資料に基づいていてもかまいませんではなくて、フィクション作品記事の「あらすじ」節のように、ウィキペディアの記事の中にもっぱら一次資料に基づいた、解釈を交えない記述があっても構いませんが正しいかなと。--Bugandhoney会話2013年2月7日 (木) 17:28 (UTC)
コメント アップルパイの例は、個人的には「オーソドックスなアップルパイの作り方程度のことは、分別のある人なら自分で生地を練って検証できるので、検証可能な一次資料である」ような意味に受け取っていますが、どうなんでしょうね。まあ、WP:PSTSのアップデートに関しては、Wikipedia‐ノート:独自研究は載せないで行うのが筋かと思います。「記事全体が一次資料に基づいている」記事が宜しくないのは概ね同意見ですが、「じゃあ、特筆性があるにもかかわらず二次資料をまったく参照していない記事を全面禁止にして、今から片っ端から削除依頼にかけていこう」と言われたりしたら「それはやりすぎだろう」と思います。微妙なところです。
で、文面改定については「フィクション作品記事の「あらすじ」節のように、ウィキペディアの記事の中にもっぱら一次資料に基づいた、解釈を交えない記述があっても構いません。ですが一般に、ウィキペディアの記事は一次資料に基づくべきではなく……」という文案でよいのでしょうか?--Kanohara会話2013年2月7日 (木) 18:12 (UTC)
(インデント戻す)en:WP:RS#Primary, secondary, and tertiary sources は、現在こんなふうになっています。
=== 一次・二次・三次資料 ===

ウィキペディアの記事は、主に信頼できる二次資料に基づいて書かれていなければなりません。

三次資料、たとえば解説書、百科事典、教科書、死亡記事など、概要をまとめた資料は、一般論や結論がまとめられている事象の記述には使ってもよいですが、細部に踏み込んだ議論について、二次資料の代わりとして使われるべきではありません。ウィキペディア記事は三次資料に当たりますが、信頼できる外部情報源とは異なり、ウィキペディアには査読や校閲といった事実の確認や正確性を保証するための仕組みが制度として備わっておらず、また逆に、正確性が高く信頼できる記事であれば、独自研究の禁止という方針が守られている以上、記事自体の引用ができなくても、記事中で引用されている外部情報源を利用すればよいだけなので、ウィキペディアの記事およびそのミラーサイトは、いかなる理由があっても信頼できる情報源として扱ってはいけません

一次資料はたいていの場合、適切に扱うのが難しいです。特定の状況においては信頼できて有用なものとなりえますが、独自の研究を避けるため、注意深く使われなければなりません。ある事実を記述するためには、一次資料を出典としてもよいですが、同じ情報が得られる二次資料を使用するほうが好ましいです。項目中に一次資料だけを出典とした長い部分がある状態は避けねばなりません。解釈を含む主張や分析、総合的判断を含む主張は、いずれも、記述する際に一次資料をウィキペディアンが独自に分析するのではなく、二次資料を出典とすべきです。


Wikipedia articles should be based mainly on reliable secondary sources.

Tertiary sources such as compendia, encyclopedias, textbooks, obituaries, and other summarizing sources may be used to give overviews or summaries, but should not be used in place of secondary sources for detailed discussion. Although Wikipedia articles are tertiary sources, Wikipedia employs no systematic mechanism for fact checking or accuracy. Because Wikipedia forbids original research, there is nothing reliable in it that isn't citable with something else. Thus Wikipedia articles (or Wikipedia mirrors) are not reliable sources for any purpose.

Primary sources are often difficult to use appropriately. While they can be both reliable and useful in certain situations, they must be used with caution in order to avoid original research. While specific facts may be taken from primary sources, secondary sources that present the same material are preferred. Large blocks of material based purely on primary sources should be avoided. All interpretive claims, analyses, or synthetic claims about primary sources must be referenced to a secondary source, rather than original analysis of the primary-source material by Wikipedia editors.

三次でも一次でもなくどうして二次資料なのか、という形で書かれています。一次資料については、使用が許可される、というよりも制限されるものであることが強調されていますが、絶対ダメという形ではなく、バランス的にはこれくらいでよいような気がしますが、もう少し許可よりにするのがよいでしょうか。現在の本文は、百科事典のところとか、何だか余分な説明が多いという気もします。そのあたりに対応する英語版の文については、"Although Wikipedia..." から "Because Wikipedia..." ときて、それでどうして "Thus Wikipedia..." となるのかがよくわかりません。フィクションの件については例外的なことと思いますので、ここで代表格として取り上げるよりも、脚注などして Wikipedia:スタイルマニュアル (フィクション関連)#一次情報と二次情報 あたりを参照させたほうがよいような。--Calvero会話) 2013年2月9日 (土) 06:47 (UTC)訳文を推敲--Bugandhoney会話2013年2月20日 (水) 22:14 (UTC)
すばらしいです。英語版と日本語版のニュアンスの違いは出ているのでは。英語版からの翻訳を示唆しながら、言うだけ番長になっていて失礼しました。これで置き換えるとよいと思います。分かりにくかった部分はちょっと手を入れてみました。くどいかもしれないですが。--Bugandhoney会話2013年2月20日 (水) 22:14 (UTC)

ツイッターは情報源となり得るか?[編集]

ツイッターを信頼できる情報源として扱うことができるかどうかについて、ご意見をいただけないでしょうか。公認アカウントであれば問題はないのではないかと思いますが、実際には著名人であっても非公認アカウントであることが大半です。ツイートの内容や自己紹介中に記述しているリンクなどの内容によって、本人であるかどうかを判断するしかないでしょう。私は以前、森田和郎氏の逝去について、マイナビのツイートを出典として記述をしたことがあります。ただ、このときはツイート中に発行前の紙面の写真を載せていて、またその文章も可読できるものであったこと、またすぐに実際にその雑誌が発売されたことで特にはトラブルはありませんでした。しかし、金子勇氏の逝去の情報について、立命館大学教授とされるアカウント[20]を情報源として記述したところ、編集合戦対象として半保護となった上に、私のノートにおいて「未確認情報に嬉々として飛びつき一刻も早く編集したいという行為」と糾弾されてしまいました。この教授とされるアカウントは、フォローされているW3Cに参加しているとされる人物のアカウント[21]などとの関係で「偽アカウントなどではなく確からしい」と判断しました。しかし、この判断が誤りとされるのであれば、新聞やテレビなどの大メディアによる報道が出るまでは一切記述はまかりならないということになってしまうのかと思います。また、先ごろ発生したアシアナ航空機の着陸失敗事故においては、朝日新聞が記事中に同機に搭乗していたというサムスン取締役のデビッド・エウン氏のツイートの内容を記述していますが、このエウン氏のアカウントも非公認でした[22]。仮に、非公認アカウントを直接の出典とすることは認めないが、非公認アカウントを一次情報源として記述した大メディアの記事ならば記述を認めるということになるとしたら、少々理不尽さを感じます。この辺りを踏まえて、ツイッターを情報源とする扱いについて、方針として明確化していただきたく思います。--けいちゃ会話2013年7月7日 (日) 04:13 (UTC)

公式アカウント以外は基本的にダメだということで、いちおう明確ではないでしょうか。非公認アカウントを根拠にして、事実として書くことは、百科事典として認められないと思いますよ。あとで追記します。--Ks aka 98会話2013年7月7日 (日) 04:35 (UTC)

ツイッターを情報源にすることについては否定的です。①偽アカウントの存在があり、真偽を確認する手段が保証されていない②百科事典に採録されるほど重要な情報であれば他の情報源で公表・報道されるはずである③ツイッターの情報構造上、きわめて短文での投稿でしか記述されておらず、その文意について「Wikipedia編集者(投稿者)」が独自に解釈して投稿するケースになりやすい④速報性の問題(ニュース速報回避原則)に抵触している。誤報の問題が解消されない。⑤一方で信頼できる情報源でツイッター上での発言を取り上げられている著名人(政治家など)が話題となっているケースでは、参考情報として該当ツイート箇所のURLを掲載することは適切な情報提供だと思います。⑥ツイッターはあくまで「一次資料」で【一般的に、「一次資料」は注意して取り扱い(上記参照)、「二次資料」がウィキペディアの記事の参照先として依存する素材庫になります】(Wikipedia:信頼できる情報源#用語の定義)。--大和屋敷会話2013年7月7日 (日) 04:47 (UTC)

後で追記いただくということですが、先行して。金子氏の件に関して、Winny裁判で弁護を担当した壇俊光氏のブログにも情報が出て来ました[23]。仮に「これならば信頼できる情報源である」と認められるのなら、このブログも第三者の何らかの機関(ツイッターで言えばツイッター本社)によって「公認」されているものではないのだから、ツイッターの非公認アカウントと違いはないのではないか?と思います。結局のところ、大和屋敷さんが言われる「他の情報源」となりえるのは、「巨大メディアの記事のみ」ということになるのでしょうか。--けいちゃ会話2013年7月7日 (日) 04:52 (UTC)
念のため追記しておきますが、ツイッターを情報源として利用することは難しいというのはだいたい理解しました。朝日新聞の件にしても、ウィキペディアが一次利用するのではなく、あくまで朝日新聞が書いたこととして記すのだから、その先が非公認アカウントであろうと問題はないということですね。ただ、じゃあなんでブログはOKなの?(OKだとしたら)というのはやはり少し納得がいかないのですが。ブログは誰が公認してるんでしょう。やはり内容や連絡先の有無などで「確からしい」以上のことはないことがほとんどだと思うのですが。--けいちゃ会話2013年7月7日 (日) 05:03 (UTC)
弁護士でない者が弁護士を名乗るのは犯罪行為ですので(弁護士法74条)その点は担保されているでしょう。むろんブログやHPも「成りすまし」問題は解消されておらず、「一次資料」として利用するさいには同様の慎重さが必要だと考えます。--大和屋敷会話2013年7月7日 (日) 05:07 (UTC)
コメント Twitterはつまるところミニブログなので、扱いとしては「#オンラインや自己公表された情報源の利用」に準じると考えます。信頼できる報道機関や出版社の公式アカウントであれば「Wikipedia:検証可能性#新聞社や雑誌の運営するブログ」の扱いに準じるでしょう。企業の公式アカウントなら「#企業や組織のウェブサイト」の一部として扱えますし、個人のアカウントも「#公表者自身についての記事内での自己公表された情報源」として用いるならば、ブログ同様に問題ないと考えますが、Twitterの発信者以外の人物や話題に関する情報源としてTwitterを用いるのは、その人が記事の主題となっている人物と多少親しかったとしても、ブログ同様にNGでしょう。--Kanohara会話2013年7月7日 (日) 06:17 (UTC)
コメント追記分。
一般論として、ツイッターのつぶやきは、当事者による当事者情報として、本人とアカウントが明確に結び付けられている場合(ツイッター公認ではなく、事務所のプロフィールやオフィシャルブログなどで紐付けられている場合でもよいでしょう)にのみ、情報源として使用が可能です。このことは、おそらく共有されていると思われます。ブログも同様で、ツイッターは公認と非公認で線が引けるけど、ブログはそういう線が引けないが、公式サイトや事務所の公式サイトなどからのリンクや、立場や発信している情報の質からかなりの程度で信頼性は判断できるでしょう。
非公認のアカウントが、「偽アカウントなどではなく確からしい」と判断したのは、けいちゃさんです。その判断は、誤りではないのだろうと思いますが、「確か」ではありません。そして、確かだとしても、このアカウントを情報源として使うには「当事者性」が十分ではありません。一般的なウィキペディアの方針としても当事者性は重視されますが、特に人の生死は、志望した本人の周辺でしか確認が難しいものですよね。加えて、つぶやきの内容からも、責任を持って、確かな情報だとして発信しようとしているものでもないですよね。根拠は[24]なので、間違いではないだろうとしても、小飼さんの[25]という見方が妥当で、後に[26]というところで、いちおう明確なソースが見えた。
「Winny裁判で弁護を担当した壇俊光氏が、裁判の際に当事者でなければ知りえない情報を発信し続けていたブログで、明確に情報を示したもの」と、「非公認のアカウントで、弁護担当者でもなく、通常情報発信のためのメディアとして用いているわけではないツイッターのつぶやき」の間には、外形的に、とても大きな信頼性の違いがあります。
金子さんと壇先生の関係からは、事実を公表する場所として、裁判のなかで金子さんについてのことを数多く報じてきたメディアであるこのブログが信頼性を担保しつつ公表する場としては十分ふさわしいと思われますし、壇先生本人とブログ筆者が同じであることは疑うべくもないでしょう。壇先生のブログは、とりわけ裁判の経緯の中で、当人を知る法律関係者やジャーナリストを含む、インターネットに関する法的な問題に関心を寄せる多くの人々の関心を集めています。長きにわたって幾度も検証される機会があり、否定されることはありませんでした。
なお、そもそも新聞は、時事の報道として、速報性も求められるメディアですし、作り手もそのことを意識して報じています。ウィキペディアはニュースではないですから、速報性よりも確実性を重視するべきであり、新聞を情報源とする上でも、どのように書かれていて、そこで報じられている事柄は、詳細に示されているとは限りませんが、何を情報源としているかを読み取ることが必要です。「立命館大学教授とされるアカウントからのツイッターでのつぶやきに拠れば」と新聞に書かれていたのなら、それを死亡の根拠として用いるべきではないです。「死亡した。誰それがツイッターで公表した」であれば裏を取って書いていると考えられます。
朝日新聞の例についても、新聞などに掲載されるツイッター情報などは、本来、裏を取って掲載されているはずのものです。非公認アカウントの呟きに対しても、本人や事務所・関係者・識者らに確認の上で、「誰々がつぶやいていた」と書いているはず、です。そのアカウントの呟きを見たという一次情報と、そのアカウントからの呟きを含む報道という二次資料の違いは、そういう検証作業にある。ただし、新聞などではインターネットやSNSなどの知識に欠けるために問題を起こすことがしばしば見られますから、新聞記事に対してのメディアリテラシーとしては、そのように信じ込むことは避けるべきであり、ウィキペディアでも、そうした部分では、いくらか懐疑的に読むことは必要だと思います。それでもなお、他のメディアなどで、懐疑的な意見や、覆す報道がないのならば、検証可能な情報として記述に生かすこととなるでしょうけれど。
他方、「未確認情報に嬉々として飛びつき一刻も早く編集したいという行為」と糾弾するのも、適切ではないです。訃報を扱う上ではその情報源は十分信頼できるものとは考えにくいという指摘や説明は好ましいものだとしても、「未確認情報に嬉々として飛びつき一刻も早く編集したいという行為」というのは決め付け。--Ks aka 98会話2013年7月7日 (日) 06:58 (UTC)
大変貴重なご意見ありがとうございます。今後の参考とさせていただきます。--けいちゃ会話2013年7月7日 (日) 12:03 (UTC)