Portal:アイドル/特集項目/一覧

Portal:アイドル/特集項目/0

AKB48(エーケービー フォーティエイト)は、日本女性アイドルグループ秋元康プロデュースにより、2005年12月8日に誕生した。

東京・秋葉原東京都千代田区外神田)に専用劇場AKB48劇場」(エーケービーフォーティエイトシアター)を持ち、「会いに行けるアイドル」をコンセプトとしてチームごとに日替わりでほぼ毎日公演を行うことを特徴としている。マスメディアを通した遠い存在だったアイドルを身近に感じ、その成長していく過程をファンに見てもらい、ともに成長していくアイドルとされている。

その一方で2009年頃からテレビ番組・CM出演が増加し、「マスメディアで見かけるアイドル」にもなっており、一般的な知名度を上げている。本業以外(タレントモデルなど)でも個々で活動するメンバーが増えている。

非常に大勢のメンバーが在籍していることが特徴。「AKB48」というグループ名からメンバー数は48人であると誤解されることがあるが、実際は正規メンバーと研究生を合わせて100人近い大所帯で、ギネス世界記録に認定されている。

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Portal:アイドル/特集項目/1

オタ芸(オタげい)とは、コンサートなどおいて、ファンが繰り広げる、独特な動きを伴う踊りや掛け声のことである。文字通りアイドルオタクがコンサート・ライブでアイドルのために捧げる応援の芸(パフォーマンス)である。ヲタ芸(ヲタげい)とも記述される。語源について新語探検では「アイドルオタクの芸」の略としている。主にアイドルや声優などのイベントで行われている応援方法である。オタ芸をすることを打つなどと呼ぶ。

2000年代に入って前述の応援スタイルに踊りが加わるなどして多様化し、ハロー!プロジェクト系コンサートにおいて「オタ芸」という言葉で認知されるようになったとされる。Jリーグ・川崎フロンターレの選手が2007年のファン感謝デーで「ンタ芸」と銘打ったパフォーマンスで行うなど、一般にも広く認知されるようになってきており、2010年代にはオタ芸を行うことを主体としたイベント・ライブが開催されている。

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Portal:アイドル/特集項目/2

新田 恵利は、1980年代のアイドル、歌手タレントオフィスウォーカー所属。

1985年4月、おニャン子クラブ会員番号4番としてフジテレビ『夕やけニャンニャン』に出演。すぐに自分は芸能界に向いていないと思い番組スタッフに辞めたいと申し出るが、「週刊文春喫煙事件」で5人のメンバー(1 - 3番、7番、10番)が脱退したために出演を継続する(この時点で会員番号のトップになる)ことになる。

7月、おニャン子クラブのデビュー曲「セーラー服を脱がさないで」でフロントメンバーに選ばれ、以降おニャン子クラブの「顔」として人気を博す。高校卒業後(当時は高校三年生)もタレント活動を続けて行きたいとスタッフに意向を伝え、芸能事務所「ボンド企画」に所属。

1986年1月1日、シングル「冬のオペラグラス」でソロデビュー。オリコン初登場1位となり、30万枚以上の売り上げを記録する(当時は公式に女性初のデビュー曲オリコン初登場1位と発表されたが、その後オリコンの規定が変更されグループからのソロの場合はデビュー曲とみなさないことになったため、現在のオリコンの公式記録では女性初のデビュー曲オリコン初登場1位は内田有紀となっている)。目が「ヘ」の字になるような笑顔が「100万ドル」と評され、シングルのジャケットをあしらったノベルティ「新田トランプ」は破格の値段で取引された。以降も定期的にシングル、アルバムを発売する。

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Portal:アイドル/特集項目/3

おニャン子クラブは、1985年フジテレビテレビ番組夕やけニャンニャン』から誕生した女性アイドルグループ

1985年4月1日、フジテレビのバラエティ番組『夕やけニャンニャン』開始とともに番組内のアシスタントとして同時に芸能界デビューし、三ヶ月後の1985年7月5日に発表したデビューシングル「セーラー服を脱がさないで」がヒットしてブレイク。以降、おニャン子クラブとしてのグループ名義、メンバーのソロ名義、グループ内で作ったユニット名義などで、シングル、アルバム、ビデオソフト、写真集を絶え間なくリリースし続けてヒットさせ、1980年代中期のアイドルシーンを席捲していった。しかし、1987年8月31日に『夕やけニャンニャン』の番組終了に伴い、翌9月に解散コンサートを行って、わずか二年半の期間でその活動が綴じられた。

二年半の間にメンバーの加入と脱退が頻繁に行われていたので、メンバーの顔ぶれは常に流動的であった。結成時は11人で、解散時は19人が在籍していた。活動中期の1986年8月と9月に、中学生で加入してきたメンバーたち5人で括られたおニャン子クラブB組も作られた。高校生以上で構成される本体のおニャン子クラブとは区分されていたが、1987年4月にB組の面子が全員高校生になって本体に昇格したことで、発展的解消した。

おニャン子クラブのメンバーには会員番号が与えられ、『夕やけニャンニャン』内であろうと他局の番組であろうとも、自己紹介の際には必ず名前の前に「おニャン子クラブ会員番号××番」を付けて名乗っていた。そのため、解散後も芸能界に残るなどした著名なメンバーは名前とともに会員番号もセットにして覚えられている。会員番号の振り分けは、結成時の11人はくじ引き順で、それ以後は加入順。脱退した者の番号については欠番とした。解散時、会員番号は52番まで行ったが、おニャン子クラブB組のまま脱退した2人と『夕やけニャンニャン』番組末期に短期間だけ在籍した外国人の研修生1人には与えられなかった。

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Portal:アイドル/特集項目/4

高井 麻巳子は、日本の元アイドルである。女子美術短期大学中退。株式会社秋元康事務所監査役で、秋元康夫人である。

福井県小浜市出身。4人姉妹の次女として生まれる。小学校の時は足が速くてかけっこではいつも一等賞だった。中学ではソフトボール部に入っていたが、レギュラーにはなかなかなれなかったものの、足の速さを買われて度々試合に出場していた。

1985年に福井県立若狭高等学校を卒業。若狭高校時代は、取り立てて目立つ言動はしない生徒であったが、明るく快活な性格で友人も多く、人気者であった。ミス若高(じゃっこう)と呼ばれていた。高等学校卒業後、美術大学進学を目指して予備校へ入学すべく上京。1985年4月、『夕やけニャンニャン』内のコーナー「アイドルを探せ」の出場者をスカウトをする企画で、原宿を歩いているときに伊藤克信にスカウトされる(が、番組側のやらせだったとの説もある)。同コーナーで「青い珊瑚礁」を歌い、おニャン子クラブ会員番号16番としてデビュー。

1985年10月、岩井由紀子(ゆうゆ)と二人でうしろゆびさされ組を結成、アニメハイスクール!奇面組』の主題歌『うしろゆびさされ組』でユニットデビュー。1986年6月、『シンデレラたちへの伝言』でソロデビューし、オリコン初登場1位を獲得。うしろゆびさされ組の活動と並行してシングル、アルバムを定期的に発売。1987年4月でおニャン子を卒業、女優として連続ドラマに出演するなど活動の幅を広げる。忌野清志郎のファンであることを音楽誌のインタビューで語り、それを契機にRCサクセションのアルバム『COVERS』にゲスト参加。

1988年5月23日、おニャン子の仕掛け人である秋元康と結婚し、突然芸能界を引退した。

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Portal:アイドル/特集項目/5

うしろ髪ひかれ隊は、女性アイドルグループおニャン子クラブに所属していた工藤静香生稲晃子斉藤満喜子による3人組アイドルユニット。キャッチコピーは、「ふんにゃり静香と、ほんわか晃子と、しっかり満喜子で、うしろ髪ひかれ隊になったとさ」。

うしろゆびさされ組高井麻巳子のおニャン子卒業による解散を受け、その後を継ぐ存在として1987年4月に結成された。前年秋の渡辺満里奈のデビューシングル「深呼吸して」にバックコーラスとして参加し"デビュー予備軍"だった生稲・工藤の2人に、斉藤を加えた3人がメンバーに選ばれた。アニメ『ハイスクール!奇面組』の主題歌「時の河を越えて」でデビュー。3人とも「プロダクション尾木」に所属することとなり、ファンクラブも同プロダクションが運営した。

結成当初はすでに「ローソンからあげくん」のCMにソロで出演し、おニャン子のシングル曲でフロントメンバーを務めるようにもなっていた生稲のために結成されたユニットで、デビュー曲「時の河を〜」では生稲がセンターだったが、2枚目のシングル「あなたを知りたい」以降は工藤がセンターになった。後年に生稲が『速報!歌の大辞テン』へ出演した際に「人気や歌唱力の面から工藤がセンターになった」との発言をしている。このようにシングル曲では工藤の歌唱力に頼るようになったため、「うしろ髪は工藤のグループ」という印象を一層強くしたが、アルバムでは3人それぞれにメインを務める曲が配分され、コンサートでもそれぞれがセンターに立つようバランスがとられ、3人の誰のファンであっても(3人とも好きと言う人も含めて)不満の少なくなるような方針がとられていた。

当ユニットはレコード売り上げの好調のため、1987年9月のおニャン子クラブ本体解散後も活動継続され(ちなみに同グループが出演していた『夕やけニャンニャン』は同年8月に終了している)、テレビ各局の歌番組やアイドル番組等に出演した。また『奇面組』に引き続き、後番組『ついでにとんちんかん』の主題歌も担当した。

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Portal:アイドル/特集項目/6

工藤 静香は、日本歌手女優タレント宝飾デザイナー画家。元おニャン子クラブのメンバーで、夫はSMAP木村拓哉

青森県出身の板前の父と美容師の母の下、幼少期を青森および羽村市で過ごす(青森は工藤姓が一番多い)。小学生の時には劇団「東俳」に所属。

1984年、中学2年の時に応募総数歴代最大18万325人の第3回「ミス・セブンティーンコンテスト」に出場し、特別賞を受賞。同コンテストの出場者には、後に同じグループとなる国生さゆり渡辺満里奈のほか、渡辺美里松本典子網浜直子麻倉あきらなどがいた。

高校へ進学後の1986年5月、事務所の勧めでフジテレビ系『夕やけニャンニャン』のオーディションコーナー・「ザ・スカウト アイドルを探せ!」に出場。合格を果たし、おニャン子クラブの会員番号38番となる。既に歌手活動をしていたことやモモコクラブのメンバーであったことが知られたが、突出した玄人っぽさを見せることは無く、クイズ等で見せる「バカキャラ」(自ら「だってあたしバカなんだも〜ん」と発言したこともある)や「ヤンキーキャラ」(バイクが大好きと公言など)で注目されるようになる。10月には渡辺満里奈のソロデビュー曲「深呼吸して」で生稲晃子とともに“withおニャン子クラブ”としてバックコーラスを担当する。

1987年春からは、生稲晃子斉藤満喜子ともに内部ユニット“うしろ髪ひかれ隊”としての活動も開始。直後に発売されたおニャン子のシングル「かたつむりサンバ」ではフロントボーカルに抜擢されるなど、終焉に向かっていたおニャン子クラブの中で人気、知名度を上げていく。セブンティーンクラブやおニャン子クラブの事を隠し立てはしておらず、テレビ番組のトーク等で話題にすることもある。木村亜希と清原和博の結婚を木村本人から報告を受けたといい、おニャン子時代のエピソードを話すこともある。コンサートで「会員番号の歌」の自身のパートを歌ったり、NHKふたりのビッグショー』(共演は工藤のモノマネを得意としていた森口博子)で「セーラー服を脱がさないで」の一節を振りつきで披露した事もある。おニャン子クラブは学業最優先が原則であったが、工藤はあまり真面目に学校へ通っていなかったことを後に告白している。おニャン子時代「くーにゃん」という愛称があったが、本人曰く「くーにゃんと呼んでほしくない」とニッポン放送のラジオ番組関根勤のTOKYOベストヒットで公言している。

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Portal:アイドル/特集項目/7

モーニング娘。は、日本女性アイドルダンス&ボーカルグループアップフロントプロモーション所属。ハロー!プロジェクトの一員。略称はモー娘。(モーむす)。日本国外での表記はMorning Musume。早安少女組。など。

正式名称について、2014年1月1日以降は「モーニング娘。」の後に当該年の西暦の下二桁を付して「モーニング娘。'○○」としている(例:『モーニング娘。'15』)。

ほぼ全楽曲の作詞・作曲を同グループのプロデューサーであるつんく♂シャ乱Q)が手掛ける。1998年のメジャーデビューから2014年10月現在までにリリースしたシングルのうち57作品がオリコンの週間CD販売ランキングのトップ10にトップ10に入らなかった作品として「むてん娘。」名義でリリースされた「あっぱれ回転ずし!」や、2005年3月2日に再発売されたシングル(例:「モーニングコーヒー」がある。ちなみにオリコンでは「デビューからのシングル連続トップ10記録」歴代1位はSMAPとしている。さらにその大部分がトップ5に入り、過去には『NHK紅白歌合戦』に連続出場するなど、グループ発足から現在に至るまで15年以上に渡り人気を保ち続けている。また、日本国外にも多くのファンが存在し、海外のイベントなどにも出演する。

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Portal:アイドル/特集項目/8

Berryz工房は、つんく♂シャ乱Q)がプロデュースを手掛けるハロー!プロジェクトに所属していた女性アイドルグループ。所属事務所はアップフロントプロモーション(旧・アップフロントエージェンシー)。2015年3月3日をもって無期限で活動を停止した。

グループ名は、"小さな果実"を意味する「Berry」の複数形「Berries」をあえて「Berryz」と表現し、「Berry達が表現する様々な音楽」をクリエイトする工房という意味で、『Berryz工房』と名付けられた。ハロー!プロジェクト中ではベリーズと略称する。

2004年1月14日、中野サンプラザでのハロー!プロジェクトファンクラブ限定イベントで正式に誕生した。3月3日にデビュー、デビューから3ヶ月連続のシングルリリース、夏にアルバムの発売が発表された。同年3月3日、シングル「あなたなしでは生きてゆけない」でCDデビュー。同年7月、1stアルバム「1st 超ベリーズ」から約1ヵ月半後にリリースした4thシングル「ハピネス〜幸福歓迎!〜」を皮切りに初動セールス・最高順位・累積売り上げ等が軒並み上昇した。

2005年3月、6thシングル「スッペシャル ジェネレ〜ション」で念願のオリコンシングルチャートトップ10入りを果たし、初登場7位にランクインした。初動売り上げは過去にリリースした作品の累積売り上げを上回った。

2008年10月3日、韓国で行われる音楽祭、第5回 2008アジアソングフェスティバルにて「アジア最高新人歌手賞」を受賞。12月、16thシングル「ジンギスカン」で『第41回日本有線大賞』有線音楽賞を受賞。

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Portal:アイドル/特集項目/9

は、日本男性アイドルグループ。所属芸能事務所ジャニーズ事務所。所属レコード会社はJ Storm。

櫻井翔二宮和也松本潤は1999年夏前からレコーディングや振り付けを行っていたが、CDデビューすることは知らされていなかった。大野智はそれまでに2度、事務所に辞意を伝えていたため、事務所側に騙される形で、レコーディングを行なった。櫻井は当時、嵐を一時的な物と考えており、『1999年ワールドカップバレーボール』のイメージキャラクターとしての仕事が終われば、ユニットは解散するものと思っていたため、メンバー入りを引き受けた。二宮は既に事務所に辞意を伝えていたため、最後を記念する旅行だと言われハワイへ渡った。そのため、当初は5人中3人というメンバーの半数以上がデビューに対して後ろ向きだった。メンバー5人が初めて揃ったのは、デビュー記者会見を行うハワイ州に渡る3日前。ハワイ州には各自別々に行き、5人揃ってからデビューすることを聞かされた。

1999年9月15日、ハワイ州ホノルル沖のクルーズ客船にてデビュー記者会見。結成、およびCDデビューが発表された。「嵐」の名前の由来は、世界中に嵐を巻き起こすと言う意味で、デビュー時嵐を世界中に巻き起こすと宣言した。また、頭文字である「あ」や「A」がそれぞれ平仮名とアルファベットにおいて先頭にくる文字であるため、トップになりたいという願いも込められている。同年11月3日、「A・RA・SHI」でCDデビュー。オリコンシングルランキングにおいて、週間1位を獲得した。

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Portal:アイドル/特集項目/10

Sexy Zoneは、日本男性アイドルグループ。所属芸能事務所ジャニーズ事務所。所属レコード会社ポニーキャニオン

2011年9月29日にグループの結成が発表され、東京・帝国劇場でCDデビュー発表記者会見が行われた。ジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川は、「マイケル・ジャクソンのセクシーさ」をイメージしてグループ名を決めたこと、メンバー選考にあたっては「男としてのセクシーさ」を重視したことを明かしている。またドイツ人の父親と日本人の母親を持つマリウス葉をメンバーに加えたことについて、ジャニー喜多川は「国際性を持たせたかった」としている。

記者会見後、メンバーは同劇場で開催された『帝劇 Johnnys Imperial Theatre Special「Kis-My-Ft2 with ジャニーズJr.」』に出演し、デビュー曲「Sexy Zone」を初披露した。同曲は、彼らがスペシャルサポーターを務める『ワールドカップバレーボール2011』のイメージソングとして起用された。

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Portal:アイドル/特集項目/11

少女時代は、韓国女性アイドルグループ。2007年8月に「また巡り逢えた世界」でデビュー。2009年に発表した「Gee」が大ヒットし、一躍韓国アイドル界のトップスターとなる。韓国だけでなく、アジア諸国、日本、欧米でも活動を行っている。活動地域の言語によってグループ名を変えていて、日本では少女時代、韓国ではハングル소녀시대(ソニョシデ)、英語表記ではGirls' Generation(ガールズ・ジェネレーション)である。ソニョシデのローマ字表記を略したSNSDも使われる。ほかにソニョシデを略したソシもファンを初めとして広く使われている。所属事務所はSMエンタテインメント

韓国の芸能事務所ユ・ヨングン企画会社の練習生の中から選抜され、17で結成された女性アイドルグループである。2007年にデビューして以来、ワンダーガールズらと共に韓国の女性アイドルグループブームを牽引してきた。韓国だけでなく、中国台湾日本タイシンガポールなどアジア各国で活動しており、2011年には欧米デビューを果たした。またメンバーは少女時代としての音楽活動の他、それぞれが歌手女優モデルタレントとして各方面で活躍している。英語日本語中国語を習得しているメンバーもおり、海外進出にも対応できる形となっている。

グループ名の「少女時代」には「少女たちの時代が来た」という意味が込められている。漢字圏の国では「少女時代」の現地読みが使われ、英語圏の国では英語名である「Girls' Generation」で活動を行っている。「少女時代(ソニョシデ)」を略して「ソシ」と呼ばれたり、So Nyeo Shi Daeのイニシャルを取って「SNSD」と表記されることもある。

公式ファンクラブの名前は「S♡NE」(소원/ソウォン 韓国語で「願い」の意)。公式ファンクラブに入っていないファンも含め、少女時代のファンは全てS♡NEと呼ばれる。公式色は「パステル・ローズ・ピンク」。

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